雲にあう

しののめ

雲にあう

 アスファルトが黒く湿っていた。空はどんよりと曇っていて、ほんの少し前まで雨が降っていたようだった。下に目を向けると、小さな川に白いゴミ袋が水に揺れながらて流されていく。ぼくは、ほうと息を吐き出し歩きはじめた。自分の吐いた白い息が頬をかすめて後ろへ漂っていった。風は少し、なまあたたかかった。

 小さな橋のさきに、さびれた商店街が広がり、閉じたシャッターや臨時閉店の張り紙が貼られた暗い店が立ち並んでいた。天井にはぼろぼろの横断幕が垂れ下がっている。スピーカーのひび割れた音楽だけが、ここがまだ商店街であることを示していた。ぼくはその中をゆっくり歩みをすすめていった。呼び止める声はひとつもきこえなかった。

 唯一明かりの灯っているコンビニの角を曲がると、無人の改札がぽつんと立っていた。発券機に近づき、読めない地名がずらりと並んでいる路線図をぼーっと見上げていると、後ろから

「コホン」

 と、咳払いの音が聞こえてきた。ぼくはあわてて目についた一番高い切符を買い、改札を通り過ぎようとした。しかし、故障しているのか何度やっても切符をうまく入れることが出来ない。背後からは急かすように再び咳払い聴こえてくる。ぼくは息を大きく吸って、少しふやけた切符を差し込んだ。改札が大げさな音を立てて開き、ようやく通り抜けることができた。ぼくの背には、乾いた電子音とこつこつという足音が重なった。

 どうやらぼくのホームは反対側のようだった。ぼくは、向こう側へ続く、地下道への階段を一歩ずつ降りていく。階段のコンクリートも暗く湿っていた。下にたどり着きあたりを見渡す。左右の壁のポスターは、どれも剥がれかけ揺れていて、蛍光灯もちかちかと点滅を繰り返していた。そしてつきあたりの奥には、入り口に黄色いロープがはられた暗いトンネルが口を開けていた。ぼくは、歩を緩めながらゆっくり近づいていく。ゴーーーという電車が通り過ぎる音がその暗いトンネル内にこだましていった。ゆっくりと中を見つめているぼくの脇を、空の買い物袋をさげたおばさんが不審がるような目で見ながら追い越し、右の階段へこつこつと登っていった。


 ふと足元に目をむけると靴紐がほどけていた。ぼくは立ち止まってかがみ、膝をついて紐を結んだ。何度か失敗してようやく結び終わった後、ゆっくりと顔を上げると、トンネルの中、少し遠くに、白い靄がふわふわと漂っているのが見えた。人形ひとがたのようにも見えるそれは、こちらを見ているようだった。


 こうして、ぼくは雲にあった。


 ぼくはあたりを見渡し、人がいないこと確認するとロープをまたいでそのトンネルの中へとあるき出した。ひんやりとした空気が顔をなで、後ろの光が薄らいでいくのを感じながらぼくはそれに近づいた。

 それは、ぼくとおなじような背丈をしていて、ぼんやりと漂っていた。

「きみはだれ?」

 ぼくはそれの頭のような部分を見ながら聞いてみた。

「ぼくは雲。」

雲は透き通った声でそう答えた。

「きみはだれ?」

「…ぼくも。」

聞き返す雲の声に、ぼくは少しつまってそう応えた。

「きみは雲じゃないよ、だってほら触れない。」

そう言いながら、雲は手のような部分でぼくの頬を包む。しかし、頬にはなんの感触もなかった。

「少しあるこっか」

トンネルを奥に進んでいく雲に、半歩遅れてぼくはついていった。


「なんでここにいるの?」

ぼくの声が、トンネルのなかでこだまする。

「ぼくはどこにでもいるよ。雲だからね。そういう君こそなんでここにいるの?」

「ぼくは・・・君に会いたかった。」

「それは良かった。じつはぼくもなんだ。」

雲の声はなぜか嬉しそうだった。


 いつのまにか、周囲は完全な暗闇に覆われていた。それでも、雲の形だけはやんやりとわかった。ぼくは雲のあとをゆっくりついていった。

 すこし無言で歩いた後、雲が振り返って

「それ、でなくていいの?」

と、ぼくのポケットを指さしていった。言われて初めて、ポケットの中のスマホが震えていることに気づく。取り出して確認すると、画面は不在着信と通知で埋め尽くされていた。ぼくはそっとポケットのの中に戻そうとした。

いいの?そう心配そうに声をかけてくる雲にむかって、ぼくは画面を見せた。

「…色々大変そうだね。」

雲は読みながら、優しい声でそうつぶやいた。

「きみはこうゆうことないの?」

「ないよ。だってぼくは雲だもん。」

雲の声は少しかげりがあった。


 それから、ぼくたちは歩きながらいろいろな話をした。家のこと、学校のこと、そして、雲のこと。ぼくたちの会話は、トンネルの中の暗いやみにとけていった。


 少しずつ辺りが明るくなっていった。雲から目をはなし、前方を見ると、トンネルの出口はすぐそこだった。そこには、ぼくが入ってきた入り口と同じような、黄色いロープがはられていた。

 ぼくは少し焦って、きみにふれるにはどうしたらいいの?と聞いた。

「雲は雲にしか触れないんだよ。」

雲の声はなぜか悲しそうだった。

「さあそろそろ電車が来るよ、もういかないと。」

雲はそう言って、ぼくの背中のあたりに手を伸ばした。ぼくは言われるままに、足をあげロープをまたごうとした。その瞬間、視界が白い光に包まれて、感覚がなくなっていった。


 気がつくと、ぼくは駅のホームにたっていた。目の前には、黄色いラインが引かれていた。誰もいないホームに、列車の到着を告げるアナウンスが響き渡る。しとしとと雨が屋根をうち、踏切の音が遠くで聞こえる。

 

靴紐がまたほどけていた。ぼくはひざをついてかがみ、手を伸ばした。何度か失敗しつつもなんとか結び終え、ゆっくりと顔をあげると、反対側のホームに人形ひとがたの靄のようなものが漂っていた。

 

 そこには、雲が立っていた。

 

 雲がぼくをみつめ、ぼくも雲を見つめていた。電車の音が次第に大きくなっていく。雲がぼくに手を伸ばす。ぼくにはなぜか、雲が泣きそうな顔をしているように見えた。ぼくは雲に笑いかけた。雨が頬をつたい、口元にたまる。ぼくは、ほうと息を吸って、黄色のラインを大きく踏み出した。こだまする警笛のなか雲が何か喋りかけた気がした。白い光に包まれて、感覚がなくなっていく。その間もぼくはずっと雲を見つめていた。


 こうして、ぼくは雲になった。







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雲にあう しののめ @shinonome0224

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