第1章 第3話

 風を感じながら、自転車を停め、ぼくは玄関へ足を運んだ。走りきった余韻にひたりながら、靴を履き替え、廊下を進んでいくと、自分の足音とセミの音が、軽快なリズムをきざんでいった。達成感とアドレナリンで頭を心地よく麻痺させながら廊下を曲がり、突き当りの階段をゆっくり上がっていく。足取りは軽やかで今朝の憂鬱さが嘘のようだった。一歩一歩噛みしめるように登っていく。


 と、突然蝉の声に紛れて上階から賑やかな会話がひびいてきた。途端現実に引き戻され、慌てて先程聞いていた曲を再生した。爆音で鳴り出す音楽。ぼくはからだをリズムに合わせて、階段を一気に駆け上がった。


「タタタタタッ、ダンッッ。」


 登りきると同時に、ぼくは大きく深呼吸をし更に音量を上げた。そのまま息も絶え絶えに廊下を歩いて行く。熱風が頬をかすめて、絡みつくような熱気を感じる。その熱気は立ち並ぶ教室から聞こえてくる、談笑とともに更に温度を上げていった。体中から、汗が吹き出ているのを感じた。足早に歩き続け、もう耐えられないと思ったその時、やっと教室の前にたどり着いた。少し立ち溜まり、顔の汗を吹く。片方ずつイヤホンを耳から外す。それをポケットに突っ込む。そして息を吐きながら、扉を引いた。


「ガラララララ」


少し力を入れすぎたせいか、思ったより大きい音が鳴り響いてしまった。クーラーの冷気が一気にあふれてくるのと同時に、外の熱気に反応するかのように、中にいた人が一斉に振り返った。誰を見るでもなく、ぼくはいつもの笑顔で声を張る。


「すみません、遅れました。」


視線を感じながら急ぎ足でいつもの席へ急いだ。後方窓際。後ろから二番目。


所定の位置に座ると、前に立っていたAが喋り始めた。


「はい、じゃあ改めて、話しまーす。お盆前に話した通り、ダンスの方の台本までは終わってます。衣装は案と型作りは終わっているので、今日から実際に作業を始めたいと思います。他のクラスではもう作り始めているところもあるので、できるだけ早く取り掛かりたいでーす。」


「クラス展の方は全く手つかずなので、まずい状況です。当日は、どっかのおえらいさんがたくさん来るようなので、気合い入れてがんばってください。それじゃー各自班に分かれてはじめてくださーい。あー、あと部活行く人は、適宜ぬけていってー。」


 このことばを皮切りにして、それぞれが動き始めた。そそくさと何人か教室から抜け出すのが目に写った。



 県立――高校。その一夏をかけて一大イベントが開催される。学祭と呼ばれるそのイベントは主に3日によって構成されており、1、2日目がクラス展、3日目が縦割りによるミュージカルである。各学年とも多忙を極めるが、特に忙しいのが三年生である。それこそ夏休みに受験勉強に勤しむ暇もないほどに。そのため三年生は全員もれなく各々、ミュージカル班、衣装班、クラス班に配属される。そして、各班のりーだーである長、団長、副団長二人が選別される。そして、この長は、閉会式において、舞台上にあがって長ごとのダンスするという権利を得ることができる。ようするにとにかく目立つのだ。下級生同級生問わず、羨望の眼差しにさらされることになる。その影響は、内申点、有名大学への推薦、ひいては就職にさえひびくという。


 選別の仕方は至って簡単。希望者が立候補し、立候補者が複数人の場合は演説の後、クラス全員による高生活公平な方法によって決定される。選挙。もちろん無記名非公開。ただいくら隠しても結果だけは明白に突きつけられる。自らのクラスにおける立ち位置が明確となるのだ。そのため、選挙戦は自らの後見人を立て、応援演説まで行うほどに熾烈を極める。


 実際、ぼくのクラスも例に漏れず、選挙戦は大荒れとなった。衣装長、ミュー長2つの役職にそれぞれ複数人が立候補したのだ。少々の非難の応酬と、数回の決選投票の末、当選者の意気込みと、全員の拍手で締めくくられることとなったが、未だに誰が誰に投票したなどという噂が後を絶たない。結局、この出来事はぼくたちのクラスに大きなわだかまりを残すこととなった。当の立候補者とその支援者たちは今でも互いを目の敵にしている。そんななかで、準備が滞りなく行くはずもなく、ぼくたちの作業は遅々として進まない状況だった。


 かくしてぼくたちの学祭は、始めから終わっていた。

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