未来からの餞別

雨宮羽音

未来からの餞別

 太陽が眩しく輝く午後のグラウンド。そばを通り抜ける、乾いた風が心地よい。


 そんな場所で、エル氏は厳しいトレーニングに励んでいた。

 彼は陸上部の部員であり、中でも一二を争うエースなのだ。


 一通りの練習メニューを終え、一休みしながら息を整えるエル氏。

 そんな彼に近づき、気さくに声をかける人物がいた。


「やあ親友。今日も精が出るね」


 ケイ氏だった。


「ああ、君には負けたくないからね……まったく、練習をサボるくせに、それなりの記録を出せるのだから、君ってやつは本当にニクいやつだよ」


 エル氏は苦い笑みを浮かべて言った。それはあっさりとしたもので、嫌味などひとつまみも感じられないものだった。


 エル氏にとって、ケイ氏は幼い頃からの友人だ。そして互いに腕を競い合うライバルでもある。

 時たま喧嘩をすることもあったが、趣味趣向が近く、実に仲の良い関係を築いていた。


 そんな二人の違いといえば、エル氏が実に生真面目な努力家なのに対し、ケイ氏はどこか奔放な遊び人であり、天才肌であるというところだった。


「ところでケイ氏……なんだい、その奇妙な髪型は」


 エル氏はそれに言及しようか悩んだが、我慢が出来ずに質問してしまった。

 ケイ氏の髪型があまりにユニークなありさまだったためである。


 おかっぱ頭を耳より上で切り揃え、その下は全て刈り込んである。

 頭頂部にも縦縞の刈り込みが何本かあり、散髪を失敗したというにしても、あんまりな状態だ。


「まるで宇宙船みたいな頭だな。最近はそういうのが流行っているのか」


「おいおい君はずいぶんとマヌケなことをいう。こんなダサい髪型が流行るなんて、本気でそう思っているのかい?」


「むむ、ではいったいどうして……」


 困惑するエル氏を前に、ケイ氏は辺りを見回した。

 その行動は刑事ドラマで犯人が周りを警戒する姿にそっくりだ。


 ひとけが無いのを確認し終わると、ケイ氏はずいと体を引き寄せて怪しい笑みを浮かべた。


「いいかい。これは絶対に秘密なんだけど、君が親友だから話すのだ……」


「う、うむ」


「実は……未来から手紙が送られてきた」


 一瞬だけ思考が停止した。

 この友人は何を言い出すのか、さすがにエル氏も困惑した。


「またいつもの冗談か」


「なにをいう。僕がこんな突拍子もない冗談を言ったことがあるかい」


 確かにケイ氏の言う通りだった。

 くだらない冗談をいうことはあったが、意味の分からないことを言ったのは、これが初めてだ。


「では、本当に……?」


「ああ、実際に送られてきたものがここにある」


 そう言ってケイ氏が鞄から取り出したのは、 A4サイズくらいの大きさをした銀色の箱だった。

 材質はアルミのような薄い金属で、ひと目みただけだと、高級な茶菓子の入っていそうな長方形の缶、といったイメージだ。


「これが郵便受けに入っていた。簡単に開けられて、中には手紙と、いくつかの品が入っていたのさ」


 ケイ氏は箱の蓋を外し、中から折り畳まれた紙をエル氏に差し出す。

 どうやらそれが手紙のようだった。


「読んでいいのかい?」


「もちろん。でも誰にも話さないでくれよ」


 エル氏は生唾を飲み込み、手紙の内容に目を通し始めた。


『やあ、ケイ氏。

 この手紙は君の未来である、僕からの送りものさ。いま僕は、大学を出て、会社員になり、愛し合う妻と結婚をして子供も二人いる。親友であるエル氏とも、相変わらずの付き合いさ。

 つまりは順調。順風満帆な生活を送っている。だけどね……時々どうしても思い出してしまうことがあるのさ。

 それは夢について。

 今の君が抱いているであろう、〝陸上選手〟になるという夢に関しては、残念ながら果たせなかったんだ。

 このところ、それだけが気がかりで仕方がない。もしも今の生活を維持したままで、かつあの頃の夢を叶えられたら。そんなふうに思ってしまうんだ。

 だから、ちょっとずるいけど、君に未来からの贈り物をすることに決めた。未来の陸上選手は、みんな同じ髪型をしているんだ。僕はあまり詳しくないけれど、どうやら力学的にとても優れたものらしい。それさえあれば、その時代なら素晴らしい成績を残せるだろう。

 この手紙が本物である証拠と一緒に、髪型についての資料も同封する。

 過去を変えると僕達がいる未来は消えてしまうけど、だからこそ、法律に触れるような手段でこの手紙を送っているんだ。いわばこれは餞別だね。ここまでしたのだから、どうか最高の未来を勝ち取って欲しい。

 それでは、健闘を祈っているよ。未来のケイ氏より』


 全てを読み終わり、エル氏は一度大きく深呼吸をした。

 まるで壮大な物語の映画を見終わったような気持ちだった。


 色々と言いたいことはあったが、エル氏はひとまずケイ氏に問いかける。


「この、証拠というのは?」


「これさ」


 ケイ氏が箱の中からいくつかの品を取り出した。

 これから未来で行われるであろう大会のトロフィーや、どこぞの大学の成績証明書などだ。

 その全てにケイ氏の名前が書かれている。

 特筆するべきは、トロフィーがどれも金色でないことだろうか。

 これはつまり、この先でケイ氏が残す成績が、どれも〝そこそこ〟であったということを示している。


「みたところ、どれも本物のようだ。とはいえ、未来の技術をもってすれば、これらのニセモノを作るのはたやすい気もするが」


「何をいってるんだい。未来の技術が使われているなら、つまりは本当に未来から送られてきたということになる。だったらニセモノを作る必要は無いのだから、やっぱりこれは本物ということだろう」


「ややこしいが、確かにそうだな」


 そう結論づけた。

 どうやら全て本物らしい。


「しかし……ケイ氏、君がそこまで陸上に本気だったとは、思ってもいなかったよ」


「やめてくれよ、恥ずかしいじゃないか」


「といっても、それで未来から送られてくるのがコツや練習方法ではなく、速く走れる髪型とは……ちょっとずるいところが実に君らしいな」


 そしてすぐさま実行しているあたりが、このケイ氏という人物を体現しているような気がした。


「それで、効果のほうはどうなんだい?」


「それが驚くほど速く走れる。まるで髪型が飛行機の両翼のように風を制御して、飛んでいるみたいなんだ。すごく足が軽くなるんだよ」


「ほう、興味深いな。まだ解明されていない力学があったということなのか」


「だろうな……そしてこの秘密を君に打ち明けたのには理由がある」


「──というと?」


「エル氏もこの髪型を使って構わないと、僕は思っているんだ。だって君は僕の親友でありライバルだ。他の人間がどうなろうと知ったことでは無いが、この技術で君に勝つのだけは、何か違う気がするから」


「はあ、なるほどな」


 いい加減で適当な性分のケイ氏が、まさかそんなことを気にするとは、エル氏にとっては意外だった。

 彼が思った以上に陸上競技に本気で挑んでいるということの、片鱗を見た気がした。


 だがエル氏はしばし考え込み、そして口を開いた。


「せっかくだが、その申し出は断らせてもらおう」


「どうしてさ」


「君を悪く言うつもりは無いが、僕の性に合わない。それに、この選択にどうしようもない後悔がうまれるのだとしたら、きっと未来の僕が手紙を送ってよこすはずだ。今回の出来事を知っている今の未来なら、なおさらね」


「そうだろうか」


「それに、君が前よりも速く走れるというなら、それを追い越すための努力をしてみたい。それで僕が我慢ならなくなったら、その時はその髪型を使わせてもらうことにするよ」


「むう、しかし……」


「気にするな。それより、どれだけのものなのか、走ってみせてくれよ。この目で見てみたい」


「……わかったよ」


 煮え切らない様子でケイ氏はグラウンドに向かった。

 彼が走る姿は、まさしく飛ぶようだった。

 簡単に追い付けるような差ではないことが、見るに明らかだ。


 それでもエル氏の考えは変わらなかった。

 ひとまずは練習メニューを考え直し、自分の力でケイ氏を超えられないものかと、あれこれ考えを巡らせていた。



 それからというもの、ケイ氏の快進撃は凄まじかった。

 様々な大会で一位のトロフィーを獲得し、業界からの注目も集まった。

 

 エル氏がどう足掻いたところで、とてもじゃないが太刀打ち出来ない。

 しかしエル氏の心持ちは穏やかだった。


 未来からの手紙がくる気配は無い。

 それはつまり、この先どうなったところで、エル氏が後悔などしていない証拠だった。

 その事実がさらに輪をかけて、エル氏の心を落ち着かせていた。





 そんなある日のことだった。

 ケイ氏が突然、練習に姿を見せなくなったのだ。


 これはどうしたことかと、エル氏はケイ氏の自宅を訪れたのだった。


「あー、もう僕はダメみたいだ」


 ケイ氏は部屋の中でうなだれていた。

 見たところ、以前と変わった様子は無い。

 怪我をしたようでも無いし、特に体調が悪そうにも見えない。

 髪型だって宇宙船もどきのままである。


「いったい何があったというのさ」


「恋をした。一目惚れだ」


「別に悪いことでも無いだろう」


「仲良くなりたくて、声をかけたんだ。そしたら……変な頭だって言われてしまった」


「まあ、変な頭であるのは事実なのだから、しかたがないな」


「あー、僕はどうしたらいいんだ……」


 ケイ氏は心ここにあらずといった様子だった。

 病気では無いと思ったが、どうやら恋煩いにかかっているらしい。


「まさか、髪型をとるか、女の子をとるかで悩んでいるのか?」


「それ以外に何があるっていうんだよ」


「心配して損した気分だ。君は夢を託した未来の自分を裏切るつもりかい?」


「そこなんだよ。わざわざ未来から送られてきた助言があるっていうのに、彼女のことを考えていると、どうにも他のことが手につかないのだ」


「はあ……」


 エル氏は大きなため息をついた。

 それからじっくり考えて、ケイ氏にかける言葉を探した。


「……仮に女の子を選んだとして、仲良くなれるかは別問題だし。髪の毛はまた伸びるのだから、もし後悔するようなら、髪型を元に戻せばいい。それに──」


 エル氏は机に置いてあった銀色の箱を手に取りケイ氏に突き付けた。


「僕たちには未来からの手紙があるじゃないか。だから、ずっと先のことを心配するよりも、いま後悔しない選択を気にするべきだ。変に悩むのは体と心に悪いだけだと思うけどな」


 ケイ氏は箱を受け取ったが、浮かない顔をしたままだった。

 どうやら簡単には割り切れないらしい。


「まあ、どうするのかは君が決めることだけど……」


 それ以上かける言葉も考えつかなかったので、エル氏はケイ氏の自宅をあとにした。





 後日、学校で、頭を丸めたケイ氏と顔を合わせることとなった。


「この前はすまなかったな。エル氏のおかげで踏ん切りがついたよ」


「それはなによりだね」


「それでなんだが……この未来からの手紙を預かってはもらえないだろうか。どうにも手元にあると、迷いがうまれてしまうのだ」


「構わないが、そこまで夢中になるとは、相手はそうとうに素敵な人なんだね」


「ああ、ちょうどあそこにいる。彼女がそうだ」


 そう言われて目を向けると、離れたところに数人の男女がいた。

 ケイ氏が示したのは、柔らかい空気をまとった、黒髪の似合う女の子だ。

 ケイ氏が一目惚れするのも納得の美人だった。


「それじゃあ、僕は彼女にアタックしてくるよ」


「ああ、健闘を祈るよ」



 その場に残されたエル氏は、少し物悲しい気持ちで銀色の箱を眺めた。


「未来のケイ氏よ。これじゃあ君も浮かばれないなぁ」


 思わず口にしながら、蓋を開けて中身を改めてみる。

 いくつかのトロフィーと、数冊の紙束。


 そこでエル氏はあることに気が付いた。

 箱の底に薄い中敷が敷かれいて、さらにその下から、わずかにはみ出している何かが見える。

 エル氏はそれを慎重に取り出した。


「ああ、なんだ。夢が叶わなくたって、君は──」


 エル氏が手にした一枚の写真には、家族が写っていた。

 二人の子供と仲睦まじく収まった、やや歳をとったケイ氏。

 そして黒髪の似合う美しい女性が、実に幸せそうに微笑んでいた。



未来からの餞別・完



あとがき


お題

陸上部

強烈

頭髪検査


 厳しい頭髪検査にあうというラストを考えましたが、人間ドラマにしたがる癖がでたわね。

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