髪の長い女子高生

『家族とは、あなた達が一番初めに出逢う社会です。その社会の中で、様々なことを学びながら成長していくのです。一般に、”価値観”というのは18歳になるまでに経験してきたことから形成されると言われています。』

何の授業だったか、先生から聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。

「”社会”ねぇ...。」

両親とうまくいっていなかった私は、そう呟く。

うまくいっていないと言っても、私が一方的に嫌悪しているだけで、両親は普段と変わらない対応をしていたのだろう。

思春期特有の複雑な感情に苛まれながら、私は学校に向けて歩いていた。

周りを見ると、ジョギングをしている男性や髪の長い女子高生、スーツ姿の会社員など普段とは違った景色が広がっていた。

高校受験に向けて私は、いつもより早く登校し教室で自主勉強をすることに決めていた。

「いい加減、気持ち切り替えていかねぇとな...。」

教室のドアの前で私は呟いた。

失恋の傷が癒えていない私の心は、まだKのことでいっぱいだった。

(普段からもっとアプローチしておけば...)

(もっと素直な言葉で告白していれば...)

考えても仕方のないことばかりが頭の中を巡る。

ふと、教室のドアが開く音が聞こえた。

私の視線の先に居たのは、Kだった。

その瞬間、心に緊張が走る。

最近ずっとこうだ。彼女を見るたび、氷水をかけられたような感覚に襲われる。

慌てて視線をノートに移す。ただでさえ苦手な数学の問題が、Kの登場で余計に解らなくってしまった。

(今日は授業でテストがあるのに...このままではまずいな)

―私の予想は見事に的中し、『10』という赤い数字が刻まれた答案用紙が返ってきた。

「嘘だろ...。」

今まで取ったことのない点数に言葉が漏れた。100点満点のテストで10点を取ったのである。

失恋のショックと受験に対する不安で、私の心は押し潰されてしまいそうだった―。


それから何日か経った。

いつものように朝早く学校に向かうわけだが、私には気になることが1つあった。

それは、”髪の長い女子高生”だ。

私が登校時間を早めてから、このところずっと通学路で遭遇している。

(そろそろだな)

遭遇するタイミングはいつも同じなので、私には彼女がいつ現れるか大体の見当が付いていた。

(やっぱりか)

私の視界に、例の”髪の長い女子高生”が映る。

彼女も私の存在に気付いているのか、会釈をしてきた。

少し驚いたが、すぐに私も会釈をし返した。

―それが彼女との出逢いだった。


あれから私と彼女は、朝会うたびに少しづつ距離を縮めていった。

はじめは会釈だけだったが、しだいに挨拶を交わすようになり、そのうち雑談もするようになっていった。

彼女の名前は姫川 映流ひめかわ はゆる。市内の学校に通う高校2年生で、私よりもうんと頭が良い。

「おはようございます。金城きんじょう君。」

「おはようございます。姫川さん。」

いつも通りの挨拶を交わす。

「今日も自主勉ですか?精が出ますね。」

「はい。この前やった数学のテストで10点取っちゃって...」

「えっ...10点って、100点満点のテストでですか?」

「...そうです。次のテストで挽回しないとヤバいんですよね。」

「私でよければ、教えましょうか?」

「いいんですか?」

「はい。これもなにかの縁ですし。」

「じゃあ、お願いします。」

...正直とてもビックリした。通学路ですれ違う女子高生が自分に勉強を教えてくれるなんて夢にも思わない出来事だった。

(姫川さんは俺より年上で頭もいい...。この人ならきっとなんとかしてくれる。)

そう思った私は、彼女と勉強会をする約束をした―。


「お邪魔します。」

彼女の声が玄関に響く。生まれて初めて自宅に女性を招き入れた瞬間だった。

「親は仕事で居ないので、よろしくっス。」

何が”よろしく”なのだろうか。緊張していた私は、訳の分からないことを言った。

私の部屋に着くと早速、勉強会が始まった。

「まずは、どこが解らないのかを教えてもらえますか?」

この質問が一番困る。なぜなら私は、だ。

「全部っス。」

「全部ですか。」

数学の先生にも同じリアクションをされた気がする。

「ではとりあえず、10点だったテストをもう1度解いてみましょうか。」

そう言うと彼女は、問題文をルーズリーフに書き写し始めた。

「なんか飲みもん持ってくるっスね」

一向に落ち着かない私は、キッチンに麦茶を取りに行った。

(落ち着け俺...。ちゃんと勉強教えてもらうんだろ?)

思春期真っ只中の中3男子には、女子高生という存在は刺激が強すぎた。だが、恩を仇で返すわけにはいかないので、一度深く深呼吸をして気持ちを切り替えてから自室のドアを開けた。

「麦茶持ってきたっス」

ダメだった。

「ありがとうございます。」

彼女の笑顔が、私の心を搔き乱す。

「ウッス。」

空手部みたいな返事が漏れた。

「よし、できた。まずはこれを解いてみて下さい。わからないところは空白で大丈夫ですよ。」

彼女からテスト用紙ルーズリーフを受け取り、問題を解き始める。...やはり解けない。5分ほど数式と格闘して、ほとんど空欄のテスト用紙ルーズリーフを渡した。

「なるほど...。前提として、この方程式は理解できていますか?」

「わかんないっス」

「では、まずはそこから学んでいきましょうか」

それからしばらく彼女に授業をしてもらい―

「できたっス」

「うん!しっかり解けてますね!」

「ありがとうございまス」

「どういたしまして。」

いつまでも緊張している私に、彼女は優しく返事をしてくれた。

それからもう少し勉強を教えてもらい、生まれて初めての勉強会は幕を閉じた。


その日の夕食後、私は自室のベッドで今日の勉強会を振り返る。

『ありがとうございます』

彼女の笑顔が瞼の裏にに焼き付いている。

胸に渦巻く”この感情”の正体を、私は知っていた。

(もう1度だけ、この感情に溺れてみようか)

映流はゆる先輩...。」

そう呟いた後、私はゆっくりと眠りについた―。


「平均点は―。最高点は―。」

先生の声が聞こえる。今日はテストが返却される日だ。このテストのために、私は映流先輩と勉強をしてきた。

(いい結果が返ってきますように)

「次、金城きんじょう。」

席を立ち、答案用紙を受け取る。

「今回よく頑張ったな。」

先生からの言葉が聞こえた。

答案用紙を裏向きにしたまま、席に戻る。

逸る心を抑えながら、答案用紙を素早く表にした。

『86』

私の目に飛び込んできた赤い数字は、映流先輩との努力の成果を表していた。

(やった...!)

嬉しさと安堵から不意に笑みがこぼれた。

(映流先輩にお礼をしなくては)

私はその一心で、彼女の帰りを待った―。


「あれ?金城君?」

来た。映流先輩だ。

「姫川さん!今日テスト帰ってきたんですよ!ほら!」

私は手にしていた答案用紙を彼女に渡す。

「86点!凄いですね!おめでとうございます!」

彼女から一番聞きたかった言葉が聞こえた。

「ありがとうございます!マジで姫川さんのおかげです!」

やや興奮しすぎたが、彼女に感謝を伝えることができた。

「勉強会、やった甲斐がありましたね。」

「本当ですよ。ありがとうございます。あと...」

「なんですか?」

今日伝えたいのは”感謝”だけではない。もっと大切な”気持ち”を伝えに来たのだ。


「俺、姫川さんが好きです。」


なぜだろう、この前よりもスッと言葉が出てきた。

練習などはしていない。

台詞も用意していない。

自分の”気持ち”を、素直に彼女にぶつけた。

「俺、姫川さんと出会ってから毎朝学校に行くのが楽しみになったんです。姫川さんとお喋りしたり、一緒に勉強したりしてる時間が最高に幸せなんです。だから姫川さん、これからも俺と...ずっと一緒に居て下さい。」

―出し切った。自分の”気持ち”を全て出し切ることができた。もう悔いはない。

清々しい気分の中、彼女の声が耳に届いた。

「...はい。...これからよろしくね。...金城くん。」

彼女の声は震えていた。

驚いて顔を上げると、彼女の顔は今までに見たことがないくらい崩れていた。

瞳には涙を浮かべ、頬の紅潮は耳にまで達していた。

だがその表情は、”喜び”に溢れていた。

(良かった、彼女も同じ気持ちだったのか)

思考が全て吹き飛び、放心状態になった私の口から言葉が漏れる。

「好きです。映流さん。」

「私も好きです。幸太くん。」


―平成28年10月26日、私に人生初の恋人ができました。

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家族 吾輩 @Wagahai_Meteor

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