ベールゼブブ
後継者探し
「何かお探しですか?」
普段なら絶対に書庫で人に声をかけるなんてことはしないのに、なんなら他人と目すら合わせないというのに、ユージーンはその時、殆ど反射的に『そうしなければいけない』気がしていた。
声をかけられた男はどこか茶目っ気のある顔立ちで、ヘーゼルの色の瞳を軽く見開いて自分を見た。よくよく観察してみれば、名札もない。王立図書館の閉架書庫は必ず身分証と引き換えに入庫許可証を貰って首から下げておかなければいけないのに。一瞬感じた違和感の正体はこれか、と思い至った後、もしかして自分はとんでもない人間に声をかけたのではないかと咄嗟に気づいて怖気づいた。明らかに学院関係者でなさそうな軽装といい、不慣れそうに書架を眺めていたことといい、不法侵入か、本泥棒か、その可能性のほうが高くなってきた。司書員すら滅多に巡回しないような暗くて広い閉架書庫で、もし見知らぬ他人に危害でも加えられて巧妙に隠されでもしたら、発見されない可能性すらある。一瞬の間に最悪の事態を想像して走馬灯を巡らせる直前で目の前の男は、歯を見せてにっこり笑った。
「ああよかった!誰もいないから何にもわからなくて。君、司書の人?にしては随分若くない?書庫にはよく出入りするの?」
人好きのしそうな笑顔でべらべらとまくしたて始めた。
「ぼ、僕は、学生で……」
ユージーンがやっと一言答えたら、男は足がかりを得たとばかりに話を続けた。「学生!みたところ高等部かな?もっと若い?見た目はともかく落ち着いているから、随分大人びて見えてね。いやあ感心感心、ここ、王立図書館だよ?君くらいの歳の子が出入りするのは珍しい!」
「あ、あの」
「よく見たらその名札、特別許可証か。学生の?頭いいんだねえ。ユージーン?君の名前だろう?ローヴァインって、もしかして血液学の権威の教授が知り合いにいない?魔法科学だっけ?ああ、僕の名札はちゃんとあるよ!首から下げるのが苦手なんだ。ルール違反は承知しているけど、変な人じゃないから安心したまえ。この辺に見たい本があったはずなんだが……」
どうやら危害を加えられる可能性は低くなったものの、どう見ても、完全に、怪しい人だった。ほっとしたのもつかの間、洪水のような勢いで喋り出す男にやっぱり関わるんじゃなかったと思い直して、早く解放されたい一心で、最初の質問を繰り返した。
「お探しの本というのは……?この辺は古代語の研究書とか論文が多い棚ですが……」
「古代語?」
「ええ。ストルスヘルムの全詩篇とか、ユンセの古代語研究とか」
「ふーん。君は?君が読んでる本は?」
「え?僕ですか」
「君の読んでる本を知りたいな。それが私の読みたい本かもしれない。うん、そうだ。ああ、よかった。思いの外すぐ見つかりそうだ。助かった」
「……?」
何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、とりあえず読みかけていた本を差し出した。彼は一瞬朗らかに笑った後中身をパラパラとめくると、
「………今年度の魔法薬学研究学会最新論文集……君、秀才か何か?これ読んで楽しいの?面白い?」
「さっきから思ってましたけど失礼じゃないですか?」
彼はその変わった色の瞳で面白そうに自分を見た。
花のまぎれに 有智子 @7_ank
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