私の朝

@kuruugingu

第1話

 これは私の朝に対しての感想だ。


 人にはそれぞれ朝が来る。大げさな表現になってしまうが、地球が太陽の周りを公転し、その恵みを受けている限り確実に起こることだ。


 人の朝には種類がある。爽やかな朝、憂鬱な朝、そしてそれが続く変わらない朝。

 爽やかな朝を迎えている人は、きっと昨日という日を有意義に過ごせた者だろう。

 そして目が覚めた時にはすぐさま布団から飛び出て、今日という一日をどう過ごすか頭の中で計画を練り上げているに違いない。


 憂鬱な朝を迎えている人は、昨今の時代に数多くいる。学校や会社に行くのが億劫な人、昨晩に嫌なことがあった人、そもそも朝が弱い人。理由は様々だが、皆朝が来るということを憂鬱な気分で迎えていることは確かだ。恐らく布団から出たくないだろう。


 この2つの朝の内、どちらかの朝が毎日、それこそ日常的に続けば、変わらない朝というのが完成する。


 憂鬱な朝がずっと変わらないのはとても億劫な気分になってしまうと思うが、爽やかな朝が続くこととなればそれはとても喜ばしい。


 人の一生は短いようでいて結構長い。約100年という期間は地球の寿命と比べてしまえば儚いように感じるが、ハチやセミの寿命と比べればとても長大だ。


 私も実に20の年を過ごし、実に数千回の朝日を拝んだ。夜に閉めたカーテンを開かずに、朝日を拒んだ日もある。


 爽やかな朝も憂鬱な朝も、それが続いて変わらない朝になったことも今までに何度もある。私の場合、朝に弱い体質だったので憂鬱な朝を過ごす割合がかなり多かったが。


 人がどのような朝を迎えるのか、それを決めるのは大抵、その日に過ごした行動と、寝る寸前に脳裏によぎる考えに寄るものだと私は思っているが、私が憂鬱な朝を迎えることになった時は大抵、その頭に後悔の念が浮かび上がることが多い。


「今日ああしていれば、こうしていれば」


「そうすればもっと爽やかな気分で朝を迎えることができたのだろうに」


 一日の終わりが近ずく度にその感情が心の中に渦巻いて、そして決まってこう思うのだ。


「明日はしっかりしよう」と。


 全くもって笑える話だ。宣言通りに行動できたことが何度あったというのだろう。


 流石に両手両足の指で数えきることができる、何てことはないと思いたいが、無いと言い切れないのが悲しい。


 逆に私が爽やかな朝を迎えることができた時は、昨日の内にやるべきことをやり終える事ができた達成感に包まれて、深い眠りに付くことができた場合に多い。ゲームのクリア…課題の達成…そしてまたゲームのクリア…と。その達成感の比重がゲームのクリアにかなり傾いているのはご愛敬ということで勘弁してもらいたい。


 さてここまで話してきたが、私は爽やかな朝も憂鬱な朝も嫌いではない。


 爽やかな朝は私が考えうる限りで最上の朝の過ごし方だと自信をもって言える。


 憂鬱な朝も、確かに迎えるのは極力避けたい朝であるのは事実だが、見方を変えればどうして憂鬱な朝を迎えることになったのか原因を探り、自分の行動を見直す良い切っ掛けになる。


 朝は皆に平等にやって来る。それは寝ようと寝てまいと同じだ。夜を越えれば、必ず朝はやって来る。


 人が迎える朝も千差万別だ。住んでいる環境、直面している状況、自身の心境。他にも色々。それら全てが影響しあって、自分だけの朝が創造される。


 私は、朝が好きだ。同時に、朝が嫌いな人がいることも当然知っている。


 それを否定はしない。拒絶もしない。人の価値観はそれぞれであり、そこに他人がずけずけと踏みいる資格はないからだ。


 だが、ここまでに朝に対しての自論を語った者として、一つだけ。


 どうか、朝を迎えることが一日の始まりであり、自身の在り方を変える一番の切っ掛けになるということは知っていてもらいたい。


 願わくば、自身が作り上げたその朝が、少しでも輝かしいものとなりますように。

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