短編『陽だまりの彼女』
森岡幸一郎
『陽だまりの彼女』2021.04/30執筆
日が傾き始めた。
時刻はちょうど二時を過ぎたころ。
日の差す角度が変わって、部屋にオレンジ色の光が入り込んでくる。
ちょうど仕事がひと段落したところで、ぽけぽけしていると、涼しげな風が部屋に吹き込んで来た。
よっこいせと、椅子の背もたれに体重を預けてやっとこさ立ち上がる。
窓枠に手を置いて、裏庭を見下ろす。
そんなに豪華じゃないけど、一応夢のマイホーム。庭付き一戸建て。
鉄柵に囲まれた黄色い庭。
お隣のホーキンスさんちの鈴懸の樹がうちまで勢力を伸ばしてきている。
降り注ぐ落ち葉で、鈍色のバードバスもベンチも真っ黄黄。
毎年、ホーキンス夫人が、
「ごめんなさいねえ、まさかこんなに大きくなるなんて、このうちに越してきて植えた時には思ってもみなくて。もしお邪魔でしたらうちの息子たちに落ち葉掃きをさせますから、いつでもおっしゃってくださいねえ」
と申し訳なさそうに謝ってくる。
別にそんなに気にしてないのに。
むしろうちのが、
「ええんですええんです。うちのや赤うも黄色ぉもならんで。むしろ季節を楽しめてありがたいですわ」
と喜んでいた。
花ばかりというが、君がこの花が好きだというからわざわざ買ってきて植えたのに。
【金木犀】にしてはややスケールアップしすぎな気がするが、──二階にあるこの書斎からも手を伸ばせば届きそうだ──彼女は樹が育って喜んでいた。
生い茂る十字の葉に負けることなく、小さなオレンジの花が寄り集まって、所狭しと咲き誇っている。
葉の先から枝へ、枝から幹へと視線を滑らせて行き、灰褐色の根元に差し掛かったとき、ふと視界の中に赤い色が飛び込んできた。
幹の陰から赤い裾がはみ出している。
花香をのせた涼し気な風が、金木犀の樹の下、日だまりの中で彼女の髪を緩やかに撫でていた。
翻ってハンガーから上着を取り袖を通す。
部屋を出て、階段を早足で降りたところで、洗濯物を抱えたばあやに、
「あら、旦那さまどちらへ? 奥様はお庭にいらっしゃいますよ」
と言われたので、
「知ってる」
とだけ答えて、傘立てに差し込んであるステッキを掴んで裏口を出た。
裏庭に出ると、さっそく枯葉が一枚ひらひらと目の前を流れていき、仲間たちのところへぱたりと落ちていった。思っていたより我々の領地は侵略されていたようだ。
金木犀の樹までは、──彼女のところまでは──ほんの数メートル。
しかし、ふと、地面に転がる木の実が気になった。杖の先でつついてみる。
なんてことはない普通の木の実だった。
木の葉を払いのけて、ベンチにも座ってみる。
無理して足を組み、ぽかーんと、ぼんやり空を眺める。
秋の途切れ途切れの雲がゆっくり流れていく。
昔の癖でポケットから煙草を取ろうとしたが、中は空っぽ。
そういえば禁煙していたのを思い出して、諦める。
口寂しくて無意識に指を噛みそうになったが、これもばっちいからやめろと言われたのを思い出して拳をグーぱーグーぱーして踏みとどまる。
しかし、どうしてもそわそわして落ち着かないのでベンチを離れ、落ち葉をステッキでザクザク刺したり、自分の書斎をしたから見上げてみたり、遠くに見える山々を眺めたり、うろうろしたり、チラッと、視線だけ動かして金木犀の方を見てみたり。
ざっくざっくと黄色い地面を踏みながら、ステッキを後ろ手に、素知らぬ顔で口笛を吹きながら、特に用事がある訳でもないが、ちょっと散歩しによった風を装って金木犀を横切る。
右足を軸にクルっとUターンし、陽だまりの彼女に向き直り、
「ああ、いたの! 気づかなかったよ。いやちょっと、休憩でさ。いい午後だよね」
大袈裟に振り返って彼女に声をかけたが、
「・・・・・・」
反応がない。
今日は、ブロンドの髪をリボンで結んで左右に分け、最近買った眼鏡をかけている。
書斎から見えた赤い布というのは、彼女が寒くなってきたら絶対に着ているお気に入りのポンチョだったのだ。
ところどころ破れたりほつれたりしているのをパッチワークで治してはいるが、如何せんギンガムチェックの柄物だからたて線よこ線の整合性が取れていない。
大事にしてくれるのはありがたいが・・・うーん・・・また似たようなの買ってあげようかな。
落ち葉の上にピクニックシートを敷いて、小脇にふ菓子の詰まったランチバスケットを抱えている。
金木犀の幹にもたれて足を投げ出し、その膝の上で挿絵の入った小説が開かれているのが目に留まり、
「なにを読んでるの?」
と、再び声をかけたが返事がない。
あれ? と思い顔を覗き込むと、彼女はスヤスヤと寝息を立てて昼寝をしていた。
そこへ、ヒラヒラと金木犀の花が降って来て、彼女の頭に落ち、そのままぽてぽて転がって、開いている本のページにポトンと落ちた。
それから『ざあーっ』とやや強めの風が吹き、4個5個と次々にオレンジのばってんが降ってくる。
髪についたのを払い落としてから、本を閉じてバスケットの上に置き、投げ出された足に自分の上着をかける。
ステッキに力を籠め、立ち上がる。
ひらひらと木の葉にが降ってきて、黄色に埋もれる彼女。
「俺にもう一本手があればなぁ」
風にたなびく左の袖を抑え込み、自分の無力さを思い知る。
「あの時、あんにゃろめにくれてやるにはちょっと惜しかったな」
裏口の戸を開けて、閉じないように杖をつっかえさせ、中からロッキングチェアを引っ張ってくる。
揺り椅子を金木犀の樹の前に置き、深く座り込んで頬杖を突いて彼女の寝顔をまじまじと見る。
「昔はこんな顔するなんて考えられなかったなあ」
あの時はその日を生きるのが精一杯で、宿屋になんか滅多に泊まれなかったからほとんどが野宿で、酷い時は洞窟の中で寝泊まりした事もあったっけな。
兵隊でもないのにいっつも生きるか死ぬかの瀬戸際を行ったり来たりで、こいつも実用一点張りの魔導書ばっかり読んでて、こんな娯楽小説なんて読む暇なんかなかった。
でも、貧しい毎日だったけど、俺もこいつも今よりずっと若かったし、友達と一緒にバカやったりするのは楽しかったなあ。あいつら元気にしてんかなあ。
「久しぶりにみんなにも会いたいなあ。今何処にいんかなぁ・・・今度うちに呼んでみるかなぁ・・・」
ぽかぽか陽気の中、揺り椅子に揺られて、彼女の寝顔を見ながらそんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
目が覚めるとあたりはすっかり夕暮れで、頬にチクッとしたものが当たり、「うわっ」とびっくりして立ち上がると、ばらばらと大量の落ち葉と、自分のジャケットと赤いポンチョが地面に落ちた。
それを急いで拾っていると、台所の窓が開いて彼女が顔を出す。
「あ起きたん? もう晩御飯出来るよぉ。
おばあちゃん! 起きたみたい。椅子片付けんの手伝ったって!
それとなあ。うちもみんな招待すんの賛成やで。今度の日曜にでもパーティしよか」
いうだけ言って、さっと閉められるガラス窓。
「起きとったんかい」
苦い顔をしていると、
「はいはいごめんさいよお」
とばあやが出てきてさっさと椅子を持って行ってしまった。
ポンチョを羽織り、杖を突いて家の中に戻る。
短編『陽だまりの彼女』 森岡幸一郎 @yamori966
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