第三の手記

 竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。れられるという、めいで無い予言のほうは、あたりましたが、きっとえらきになるという、祝福の予言は、はずれました。

 自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手なまんになる事が出来ただけでした。

 鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三じようの部屋できして、故郷からは月々、きわめて少額の金が、それも直接に自分あてではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつもげん、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というものはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすがごとくに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろこつけいに思われるくらいの、ひどい変り様で、

「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ。」

 そればかり自分に言っているのでした。

 ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めないし、煙草たばこも吸えないし、ただ、朝から晩まで二階の三畳のこたつにもぐって、古雑誌なんか読んでほう同然のくらしをしている自分には、自殺の気力さえ失われていました。

 ヒラメの家は、おおの医専の近くにあり、書画骨董商、せいりゆうえん、だなどと看板の文字だけは相当に気張っていても、一むね二戸の、その一戸で、店の間口もせまく、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばかり並べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所謂いわゆるだんの秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などにかつやくして、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事はほとんど無く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八のぞうひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二階のそうろうをまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人おとなの説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分は、ひとと言い争いの出来ないたちなので、つかれたような、また、感心したような顔をしてそれに耳をかたむけ、服従しているのでした。この小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由があっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれにいてのうわさを、ちょっと聞いたような気もするのですが、自分は、どうも他人の身の上には、あまり興味を持てないほうなので、深い事は何も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、みように魚の眼を連想させるところがありましたから、あるいは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実にさみしい親子でした。夜おそく、二階の自分にはないしよで、二人でおそばなどを取寄せて無言で食べている事がありました。

 ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二階のやっかい者の食事だけは別におぜんせて小僧が三度三度二階に持ち運んで来てくれて、ヒラメと小僧は、階段の下のじめじめしたじようはんで何やら、カチャカチャさらばちれ合う音をさせながら、いそがしげに食事しているのでした。

 三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、または何かほかに策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を階下のめずらしくおちようなどいているしよくたくに招いて、ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人あるじみずから感服し、しようさんし、ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、

「どうするつもりなんです、いったい、これから。」

 自分はそれに答えず、卓上の皿からたたみいわしをつまみ上げ、その小魚たちの銀の眼玉をながめていたら、いがほのぼの発して来て、遊びまわっていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」がしくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。

 自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、ただもうヒラメと小僧のべつの中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、自分と打ち解けたながばなしをするのをけている様子でしたし、自分もそのヒラメを追いかけて何かをうつたえる気などは起らず、ほとんど自分は、けづらの居候になり切っていたのです。

猶予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様です。だから、まあ、あなたのこころけ一つで、こうせいが出来るわけです。あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目まじめに私に相談を持ちかけてくれたら、私も考えてみます。」

 ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこかもうろうとして、にげごしとでもいったみたいなみような複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさいかけひきとには、いつも自分はとうわくし、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言のしゆこうで一さいおまかせという、わば敗北の態度をとってしまうのでした。

 この時もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように簡単に報告すれば、それですむ事だったのを自分は後年にいたって知り、ヒラメの不必要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な、おていさいに、何ともいんうつな思いをしました。

 ヒラメは、その時、ただこう言えばよかったのでした。

「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、もっとじゆうぶんに送って来る事になっているのです。」

 ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなのに、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。

真面目まじめに私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないですが。」

「どんな相談?」

 自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。

「それは、あなたの胸にある事でしょう?」

「たとえば?」

「たとえばって、あなた自身、これからどうする気なんです。」

「働いたほうが、いいんですか?」

「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです。」

「だって、学校へはいるといったって、……」

「そりゃ、お金がります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です。」

 お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言にって、自分の気持も、きまったはずなのに、自分には、ただちゆうでした。

「どうですか? 何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんですか? いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、どれだけむずかしいものだか、世話されているひとには、わかりますまい。」

「すみません。」

「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世話を引受けた以上、あなたにも、なまはんな気持でいてもらいたくないのです。立派にこうせいの道をたどる、というかくのほどを見せてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来の方針、それに就いてあなたのほうから私に、まじめに相談を持ちかけて来たなら、私もその相談には応ずるつもりでいます。それは、どうせこんな、びんぼうなヒラメのえんじよなのですから、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持がしっかりしていて、将来の方針をはっきりて、そうして私に相談をしてくれたら、私は、たといわずかずつでも、あなたの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりますか? 私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです。」

「ここの二階に、置いてもらえなかったら、働いて、……」

「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこの世の中に、たとい帝国大学校を出たって、……」

「いいえ、サラリイマンになるんでは無いんです。」

「それじゃ、何です。」

「画家です。」

 思い切って、それを言いました。

「へええ?」

 自分は、その時の、くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうなかげを忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それともちがい、世の中を海にたとえると、その海のひろの深さのしよに、そんなみような影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラとのぞかせたような笑いでした。

 そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、ても、別に何の考えもうかびませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。

 夕方、間違いなく帰ります。左記の友人のもとへ、将来の方針に就いて相談に行って来るのですから、しんぱい無く。ほんとうに。

 と、ようせんえんぴつで大きく書き、それから、浅草の堀木正雄の住所せいめいを記して、こっそり、ヒラメの家を出ました。

 ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんでした。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていない男で、将来の方針も何も自分にはまるで見当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのうちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、志を立てたところで、その更生資金をあの貧乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。

 しかし、自分は、所謂いわゆる「将来の方針」を、堀木ごときに、相談に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは無かったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいというたんてい小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな気持もかすかにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックをあたえ、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしらかざりをつけるのが、自分のかなしいせいへきの一つで、それは世間の人が「うそつき」と呼んでいやしめている性格に似ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその飾りつけを行った事はほとんど無く、ただふんの興覚めた一変が、ちつそくするくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられじやくで、鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が多かったような気もするのですが、しかし、この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、大いに乗ぜられるところとなりました)その時、ふっと、おくの底からうかんで来たままに堀木の住所と姓名を、用箋のはしにしたためたまでの事だったのです。

 自分はヒラメの家を出て、新宿まで歩き、かいちゆうの本を売り、そうして、やっぱりほうにくれてしまいました。自分は、みなにあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいのいは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとしてけんめいにお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などでけても、ぎょっとして、いつしゆん、めまいするほどの不快なせんりつおそわれる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力にいては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親友」など出来る筈は無く、そのうえ自分には、「ヴイジツト」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲のごくの門以上にうすわるく、その門の奥には、おそろしいりゆうみたいななまぐさじゆうがうごめいている気配を、ちようでなしに、実感せられていたのです。

 だれとも、附き合いが無い。どこへも、たずねて行けない。

 堀木。

 それこそ、じようだんからこまが出た形でした。あの置手紙に、書いたとおりに、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども無く、たいてい電報で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその電報料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、電報を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、ためいきをついて市電に乗り、自分にとって、この世の中でたった一つのたのみのつなは、あの堀木なのか、と思い知ったら、何かすじの寒くなるようなすさまじい気配に襲われました。

 堀木は、在宅でした。きたなの奥の、二階家で、堀木は二階のたった一部屋の六じようを使い、下では、堀木の老父母と、それから若い職人と三人、はなったりたたいたりして製造しているのでした。

 堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に見せてくれました。それは、ぞくにいうチャッカリ性でした。田舎いなかものの自分が、がくぜんをみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では無かったのです。

「お前には、全くあきれた。おやさんから、お許しが出たかね。まだかい。」

 げて来た、とは、言えませんでした。

 自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附かれるに違いないのに、ごまかしました。

「それは、どうにかなるさ。」

「おい、笑いごとじゃ無いぜ。忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。このごろ、ばかにいそがしいんだ。」

「用事って、どんな?」

「おい、おい、とんの糸を切らないでくれよ。」

 自分は話をしながら、自分のいている座蒲団のとじいとというのか、くくりひもというのか、あのふさのようなすみの糸の一つを無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でもしいらしく、じる色も無く、それこそ、眼にかどを立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。

 堀木の老母が、おしるこを二つおぼんせて持って来ました。

「あ、これは、」

 と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向ってきようしゆくし、言葉づかいも不自然なくらいていねいに、

「すみません、おしるこですか。ごうだなあ。こんな心配は、らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくのまんのおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ。」

 と、まんざらしばでも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。自分もそれをすすりましたが、お湯のにおいがして、そうして、おもちをたべたら、それはお餅でなく、自分にはわからないものでした。決して、その貧しさをけいべつしたのではありません。(自分は、その時それを、不味まずいとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。自分には、貧しさへのきよう感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木にって、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げまわってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に、ろうばいし、おしるこのはげたぬりばしをあつかいながら、たまらなくびしい思いをしたという事を、記して置きたいだけなのです。

「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね。」

 堀木は立って、うわを着ながらそう言い、

「失敬するぜ、わるいけど。」

 その時、堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。

 堀木は、にわかに活気づいて、

「や、すみません。いまね、あなたのほうへおうかがいしようと思っていたのですがね、このひとがとつぜんやって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ。」

 よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団のほかには、客座蒲団がたった一枚しか無かったのです。

 女のひとはせて、脊の高いひとでした。その座蒲団はかたわらにのけて、入口ちかくの片隅にすわりました。

 自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな具合いでした。

「いそぎますので。」

「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ。」

 電報が来ました。

 堀木が、それを読み、上げんのその顔がみるみる険悪になり、

「ちぇっ! お前、こりゃ、どうしたんだい。」

 ヒラメからの電報でした。

「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、えや。家出していながら、その、のんきそうなつらったら。」

「お宅は、どちらなのですか?」

「大久保です。」

 ふいと答えてしまいました。

「そんなら、社の近くですから。」

 女は、こうしゆうの生れで二十八歳でした。五つになる女児と、こうえんのアパートに住んでいました。夫と死別して、三年になると言っていました。

「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀かわいそうに。」

 はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが遊び相手として現われたので、大いに御機嫌がいい様子でした。

 一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ近くの電線に、やつこだこが一つひっからまっていて、春のほこり風にかれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついてはなれず、何やら首肯うなずいたりなんかしているので、自分はそれを見るたびごとしようし、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。

「お金が、ほしいな。」

「……いくら位?」

「たくさん。……金の切れ目が、えんの切れ目、って、本当の事だよ。」

「ばからしい。そんな、古くさい、……」

「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない。」

「いったい、どっちがびんぼうなのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ。」

「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、煙草たばこを買いたい。絵だって僕は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ。」

 このような時、自分ののうにおのずからうかびあがって来るものは、あの中学時代にいた竹一の所謂いわゆる「お化け」の、数枚の自画像でした。失われたけつさく。それは、たびたびのひつしの間に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかにすぐれている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出の中のいつぴんには、遠く遠くおよばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるいそうしつかんになやまされ続けて来たのでした。

 飲み残した一杯のアブサン。

 自分は、その永遠につぐながたいような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、というしようそうにもだえるのでした。

「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をしてじようだんを言うからわいい。」

 冗談ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を見せてやりたい、と空転のはんもんをして、ふいと気をかえ、あきらめて、

まんさ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ。」

 その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえってまじめに信ぜられました。

「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやっている漫画、つい私までき出してしまう。やってみたら、どう? 私の社のへんしゆうちように、たのんでみてあげてもいいわ。」

 その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑誌を発行していたのでした。

 ……あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、こつけいなんだもの。……時たま、ひとりで、ひどくしずんでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。

 シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それがすなわち男めかけのけがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、ふうしているものの、かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。

 シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」どうせいという事になり、これまた、シヅ子のほんそうのおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、煙草も買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の毎月のれんさい漫画「キンタさんとオタさんのぼうけん」を画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、あまりのびしさに、ペンが動かなくなり、うつむいてなみだをこぼした事もありました。

 そういう時の自分にとって、かすかな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、そのころになって自分の事を、何もこだわらずに「おとうちゃん」と呼んでいました。

「お父ちゃん。おいのりをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう?」

 自分こそ、そのお祈りをしたいと思いました。

 ああ、われに冷き意志をあたえ給え。われに、「人間」の本質を知らしめたまえ。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、いかりのマスクを与え給え。

「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃんには、かも知れない。」

 自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神のばつだけを信じているのでした。しんこう。それは、ただ神のむちを受けるために、うなだれてしんぱんの台に向う事のような気がしているのでした。ごくは信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。

「どうして、ダメなの?」

「親の言いつけに、そむいたから。」

「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな。」

 それは、だましているからだ、このアパートの人たちみなに、自分が好意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど皆をきようしているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不幸なびようへきを、シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。

「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」

 自分は、何気無さそうにとうを転じました。

「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの。」

 ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人おとながいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。

 シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意にあぶたたき殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。

しき! いるかい?」

 堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。あの家出の日に、あれほど自分をさみしくさせた男なのに、それでも自分はきよできず、幽かに笑ってむかえるのでした。

「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、こわいもの知らずのくそきようがあるからかなわねえ。しかし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから。」

 おしようみたいな態度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、こいつに見せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転のもだえをしながら、

「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る。」

 堀木は、いよいよ得意そうに、

わたりの才能だけでは、いつかは、ボロが出るからな。」

 世渡りの才能。……自分には、ほんとうにしようほかはありませんでした。自分に、世渡りの才能! しかし、自分のように人間をおそれ、け、ごまかしているのは、れいのぞくげんの「さわらぬ神にたたりなし」とかいうれいこうかつの処生訓をじゆんぽうしているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、おたがい何も相手をわからない、まるっきりちがって見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それにかず、相手が死ねば、泣いてちようなんかを読んでいるのではないでしょうか。

 堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けたに違いないのですが)自分の家出の後仕末に立ち合ったひとなので、まるでもう、自分のこうせいの大恩人か、月下氷人のようにふるい、もっともらしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、っぱらって訪問してとまったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行ったりするのでした。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」

 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、

「世間というのは、君じゃないか。」

 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木をおこらせるのがイヤで、ひっこめました。

(それは世間が、ゆるさない。)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめにうぞ。)

(世間じゃない。あなたでしょう?)

(いまに世間からほうむられる。)

(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)

 なんじは、汝個人のおそろしさ、かいあくらつふるだぬきせいようせいを知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔のあせをハンケチでいて、

ひやあせ、冷汗。」

 と言って笑っただけでした。

 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

 そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子をわいがらなくなりました。

 無口で、笑わず、毎日毎日、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たるりゆうの「ノンキしよう」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの題の連載まんやらを、各社のちゆうもん(ぽつりぽつり、シヅ子の社のほかからも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品なわば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実にいんうつな気持で、のろのろと、(自分のの運筆は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりにいて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド・バアで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパートへ帰り、

「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前のがおからヒントを得たのだ。」

「あなたの寝顔だって、ずいぶんおけになりましてよ。四十男みたい。」

「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよかわばたやなあぎいサ。」

さわがないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」

 落ちついていて、まるで相手にしません。

「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ。」

 うたいながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけてねむってしまう、それが自分の日常でした。


してその翌日あくるひも同じ事をくりかえして、

昨日きのうかわらぬ慣例しきたりに従えばよい。

すなわあらっぽい大きな歓楽よろこびけてさえいれば、

自然また大きな悲哀かなしみもやってないのだ。

ゆくてをふさじやな石を

ひきがえるまわって通る。


 上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。

 ひきがえる

(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりもねこよりもれつとうな動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ。)

 自分の飲酒は、だいに量がふえて来ました。高円寺駅きんだけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、がいはくする事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアでらいかんりをしたり、かたはしからキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あのころよりさらにすさんでな酒飲みになり、金にきゆうして、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。

 ここへ来て、あの破れたやつこだこに苦笑してから一年以上って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やらじゆばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。

「なぜ、お酒を飲むの?」

「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」

「いいひとは、お酒を飲むの?」

「そうでもないけど、……」

「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね。」

「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した。」

「セッカチピンチャンみたいね。」

「そうねえ。」

 シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。

 自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、しろうさぎの子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。

(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人をちやちやにするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者のいのりでも聞いてくれるなら、いちどだけ、しようがいにいちどだけでいい、祈る。)

 自分は、そこにうずくまってがつしようしたい気持でした。そっと、ドアをめ、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。

 そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。

 世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、れいでさえ奴隷らしいくつなシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びるふうがつかぬのだ、大義名分らしいものをとなえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗りえてまた個人、世間の難解は、個人の難解、オーシヤンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海のげんえいにおびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心づかいする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶんずうずうしくふるう事を覚えて来たのです。

 高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド・バアのマダムに、

「わかれて来た。」

 それだけ言って、それでじゆうぶん、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階にとまり込む事になったのですが、しかし、おそろしいはずの「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。

 自分は、その店のお客のようでもあり、ていしゆのようでもあり、走り使いのようでもあり、しんせきの者のようでもあり、はたから見てはなはたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどくやさしくあつかい、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。

 自分は世の中に対して、だいに用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分のきよう感は、春の風にはひやくにちぜきばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、とこには禿とくとうびようの黴菌が何十万、省線のつりかわにはかいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、ぎゆうぶたにくの生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内をけめぐりだまいて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学のめいしん」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌のうかび泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全にもくさつさえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消えせる「科学のゆうれい」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三つぶ、千万人が一日に三粒ずつ食べ残してもすでにそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、あるいは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残すたびごとに、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するようなさつかくなやみ、自分がいま重大な罪をおかしているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学のうそ」「統計の噓」「数学の噓」で、三粒のごはんは集められるものでなく、かけざん割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちどかたあしみはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームのへりとのあのすきに、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有りる事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねてをしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。

 そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客とうのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっとにぎってしまうみたいに、店のお客に向ってってつたない芸術論をきかけるようにさえなりました。

 まん。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。

 京橋へ来て、こういうくだらない生活をすでに一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りのあくわいな雑誌などにもるようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切ったとくめいで、きたないはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句をそうにゆうしました。


いのりなんかせったら

涙をさそうものなんか かなぐりすてろ

まァ一杯いこう いことばかり思出して

よけいな心づかいなんか忘れっちまいな


不安や恐怖もて人をおびやかす奴輩やから

みずからの作りし大それた罪におび

死にしもののふくしゆうそなえんと

みずからの頭にたえず計いを


よべ 酒ちて我ハートは喜びに充ち

けさ さめてただこうりよう

いぶかし ひとさの中

様変りたるこの気分よ


たたりなんて思うこと止めてくれ

遠くからひびたいのように

何がなしそいつは不安だ

ひったことまで一々罪にかんじようされたら助からんわい


正義は人生の指針たりとや?

さらば血にられたる戦場に

暗殺者のきつさき

何の正義か宿れるや?


いずこに指導原理ありや?

いかなるえいの光ありや?

うるわしくもおそろしきはうきなれ

かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ


どうにもできないじようよくの種子を植えつけられたばかりに

善だ悪だ罪だばつだとのろわるるばかり

どうにもできない只まごつくばかり

おさくだく力も意志もさずけられぬ許りに


どこをどう彷徨うろつきまわってたんだい

ナニ批判 検討 再認識?

ヘッ むなしき夢を ありもしないまぼろし

エヘッ 酒を忘れたんで みんなの思案さ


どうだ このはてもない大空を御覧よ

此中にポッチリ浮んだ点じゃい

此地球が何んで自転するのか分るもんか

自転 公転 反転も勝手ですわい


至るところに 至高の力を感じ

あらゆる国にあらゆる民族に

同一の人間性を発見する

我はたんしやなりとかや


みんな聖経をよみちがえてんのよ

でなきゃ常識ももないのよ

いきの喜びを禁じたり 酒をめたり

いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い


 けれども、そのころ、自分に酒をめよ、とすすめる処女がいました。

「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる。」

 バアの向いの、小さい煙草たばこの十七、八のむすめでした。ヨシちゃんと言い、色の白い、のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。

「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、ぞうを消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみつかれたるハートに希望を持ちきたすは、ただくんをもたらすぎよくはいなれ、ってね。わかるかい。」

「わからない。」

「このろう。キスしてやるぞ。」

「してよ。」

 ちっとも悪びれずしたくちびるき出すのです。

鹿野郎。ていそう観念、……」

 しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかにだれにも汚されていない処女のにおいがしていました。

 としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、とさけび、ヨシちゃんに引き上げられ、みぎうでの傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、

「飲みすぎますわよ。」

 と笑わずに言いました。

 自分は死ぬのは平気なんだけど、をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。

「やめる。あしたから、いつてきも飲まない。」

「ほんとう?」

「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のおよめになってくれるかい?」

 しかし、お嫁の件はじようだんでした。

「モチよ。」

 モチとは、「もちろん」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。

「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる。」

 そうしてあくる日、自分は、やはり昼から飲みました。

 夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、

「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった。」

「あら、いやだ。ったりなんかして。」

 ハッとしました。酔いもさめた気持でした。

「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない。」

「からかわないでよ。ひとがわるい。」

 てんで疑おうとしないのです。

「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね。」

「おしばが、うまいのねえ。」

「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ。」

「してよ。」

「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ。」

「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲むはずが無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ。」

 うすぐらい店の中にすわってしようしているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女とた事がない、けつこんしよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、あらっぽいほどの大きな歓楽よろこびを、しようがいにいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉のたきを見に行こう、と、その場で決意し、所謂いわゆる「一本勝負」で、その花をぬすむのにためらう事をしませんでした。

 そうして自分たちは、やがて結婚して、それにって得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。

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