第一の手記
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが
自分は子供の頃から病弱で、よく
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな
自分だって、それは
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その
つまり自分には、人間の営みというものが
自分には、
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に
自分は子供の
その頃の、家族たちと
また自分は、肉親たちに何か言われて、
それは
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの
何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の
自分は夏に、
「それあ、葉ちゃん、似合わない。」
と、
自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、
いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人一人に笑いながら
「葉蔵は?」
と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。
何が
自分が
「やはり、
欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。
「
長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか。」
父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。
何という失敗、自分は父を怒らせた、父の
そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て
「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った
また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに
自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその
しかし、
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、
自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、
お茶目。
自分は、
けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、
必ず片手落のあるのが、わかり切っている、
なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と
しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。
そうして、その、誰にも訴えない、自分の
つまり、自分は、女性にとって、
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