五
私は、ことしの夏、
もうこの上は、何としても私が上京して、上原さんにお目にかかろう、私の帆は
一夜、ひどいお
「きょう、寒かったからでしょう。あすになれば、なおります。」
とお母さまは、
先生は、ではのちほど
「御心配はございません。おくすりを、お飲みになれば、なおります。」
とおっしゃる。
私は
「お注射は、いかがでしょうか。」
とおたずねすると、まじめに、
「その必要は、ございませんでしょう。おかぜでございますから、しずかにしていらっしゃると、間もなくおかぜが抜けますでしょう。」
とおっしゃった。
けれども、お母さまのお熱は、それから一週間
直治は相変らずの東京出張で、もう十日あまり帰らない。私ひとりで、心細さのあまり和田の
発熱してかれこれ十日目に、村の先生が、やっと
先生は、お母さまのお胸を注意深そうな表情で打診なさりながら、
「わかりました、わかりました。」
とお叫びになり、それから、また私のほうに真正面に向き直られて、
「お熱の原因が、わかりましてございます。左肺に
とおっしゃる。
そうかしら? と思いながらも、
お医者がお帰りになってから、
「よかったわね、お母さま。ほんの少しの浸潤なんて、たいていのひとにあるものよ。お気持を丈夫にお持ちになっていさえしたら、わけなくなおってしまいますわ。ことしの夏の季候不順がいけなかったのよ。夏はきらい。かず子は、夏の花も、きらい。」
お母さまはお眼をつぶりながらお笑いになり、
「夏の花の好きなひとは、夏に死ぬっていうから、私もことしの夏あたり死ぬのかと思っていたら、直治が帰って来たので、秋まで生きてしまった。」
あんな直治でも、やはりお母さまの生きるたのみの柱になっているのか、と思ったら、つらかった。
「それでは、もう夏がすぎてしまったのですから、お母さまの危険期も
私は、それを祈っていた。早くこの九月の、蒸暑い、
和田の叔父さまにお葉書を差し上げてから、一週間ばかりして、和田の叔父さまのお
老先生は私どもの
「僕などもね、屋台にはいって、うどんの立食いでさ。うまいも、まずいもありゃしません。」
と、のんきそうに世間話をつづけていらっしゃる。お母さまも、何気ない表情で
「いかがでございました? この村の先生は、胸の左のほうに浸潤があるとかおっしゃっていましたけど?」
と私も急に元気が出て、三宅さまにおたずねしたら、老先生は、事もなげに、
「なに、大丈夫だ。」
と軽くおっしゃる。
「まあ、よかったわね、お母さま。」
と私は心から
「大丈夫なんですって。」
その時、三宅さまは籘椅子から、つと立ち上って
老先生は支那間の
「バリバリ音が聞えているぞ。」
とおっしゃった。
「浸潤では、ございませんの?」
「違う。」
「気管支カタルでは?」
私は、もはや涙ぐんでおたずねした。
「違う。」
「音、とても悪いの? バリバリ聞えてるの?」
心細さに、私はすすり泣きになった。
「右も左も全部だ。」
「だって、お母さまは、まだお元気なのよ。ごはんだって、おいしいおいしいとおっしゃって、……」
「仕方がない。」
「うそだわ。ね、そんな事ないんでしょう? バタやお卵や、牛乳をたくさん
「うん、なんでも、たくさん食べる事だ。」
「ね? そうでしょう? トマトも毎日、五つくらいは召し上っているのよ。」
「うん、トマトはいい。」
「じゃあ、大丈夫ね? なおるわね?」
「しかし、こんどの病気は命取りになるかも知れない。そのつもりでいたほうがいい。」
人の力で、どうしても出来ない事が、この世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を、生れてはじめて知ったような気がした。
「二年? 三年?」
私は
「わからない。とにかくもう、手のつけようが無い。」
そうして、三宅さまは、その日は伊豆の長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで、看護婦さんと一緒にお帰りになった。門の外までお見送りして、それから、夢中で引返してお座敷のお母さまの
「先生は、なんとおっしゃっていたの?」
とおたずねになった。
「熱さえ下ればいいんですって。」
「胸のほうは?」
「たいした事もないらしいわ。ほら、いつかのご病気の時みたいなのよ、きっと。いまに
私は自分の
私は立って、支那間へ行った。そうして、支那間の寝椅子をお
「ああ、お母さまは、お元気なのだ。きっと、大丈夫なのだ。」
と私は、心の中で三宅さまのご
十月になって、そうして
「ああ、橋が沈んでいる。きょうは、どこへも行けない。ここのホテルでやすみましょう。たしか、
湖のほとりに、石のホテルがあった。そのホテルの石は、みどり色の霧でしっとり
「寒くない?」
「ええ、少し。霧でお耳が濡れて、お耳の裏が冷たい。」
と言って笑いながら、
「お母さまは、どうなさるのかしら。」
とたずねた。
すると、青年は、とても悲しく
「あのお方は、お墓の下です。」
と答えた。
「あ。」
と私は小さく
ヴェランダは、すでに
「お母さま。」
と私は呼んだ。
静かなお声で、
「何してるの?」
というご返事があった。
私はうれしさに飛び上って、お座敷へ行き、
「いまね、私、眠っていたのよ。」
「そう。何をしているのかしら、と思っていたの。永いおひる寝ね。」
と面白そうにお笑いになった。
私はお母さまのこうして
「御夕飯のお
私は、少しはしゃいだ口調でそう言った。
「いいの。なんにも
にわかに私は、ぺしゃんこにしょげた。そうして、
「どうしたんでしょう。九度五分なんて。」
「なんでもないの。ただ、熱の出る前が、いやなのよ。頭がちょっと痛くなって、寒気がして、それから熱が出るの。」
外は、もう、暗くなっていて、雨はやんだようだが、風が吹き出していた。灯をつけて、食堂へ行こうとすると、お母さまが、
「まぶしいから、つけないで。」
とおっしゃった。
「暗いところで、じっと寝ていらっしゃるの、おいやでしょう。」
と立ったまま、おたずねすると、
「眼をつぶって寝ているのだから、同じことよ。ちっとも、さびしくない。かえって、まぶしいのが、いやなの。これから、ずっと、お
とおっしゃった。
私には、それもまた
風は夜になっていよいよ強く吹き、九時頃から雨もまじり、本当の
あれは、十二年前の冬だった。
「あなたは、
そう言って、私から離れて行ったお友達。あのお友達に、あの時、私はレニンの本を読まないで返したのだ。
「読んだ?」
「ごめんね。読まなかったの。」
ニコライ堂の見える橋の上だった。
「なぜ? どうして?」
そのお友達は、私よりさらに一寸くらい背が高くて、語学がとてもよく出来て、赤いベレ
「表紙の色が、いやだったの。」
「へんなひと。そうじゃないんでしょう? 本当は、私をこわくなったのでしょう?」
「こわかないわ。私、表紙の色が、たまらなかったの。」
「そう。」
と淋しそうに言い、それから、私を更級日記だと言い、そうして、何を言っても仕方がない、ときめてしまった。
私たちは、しばらく黙って、冬の川を見下していた。
「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。バイロン。」
と言い、それから、そのバイロンの詩句を原文で口早に
私は
「ごめんなさいね。」
と小声でわびて、お
それっきり、そのお友達と
あれから十二年たったけれども、私はやっぱり更級日記から一歩も進んでいなかった。いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。いままで世間のおとなたちは、この革命と恋の二つを、最も
すっと
「まだ起きていらっしゃる。眠くないの?」
とおっしゃった。
机の上の時計を見たら、十二時だった。
「ええ、ちっとも
「そう。お酒ないの? そんな時には、お酒を飲んでやすむと、よく眠れるんですけどね。」
とからかうような口調でおっしゃったが、その態度には、どこやらデカダンと
やがて十月になったが、からりとした秋晴れの空にはならず、
そうして
「お母さま! 手、なんともないの?」
お顔さえ少し
「なんでもないの。これくらい、なんでもないの。」
「いつから、
お母さまは、まぶしそうなお顔をなさって、黙っていらした。私は、声を挙げて泣きたくなった。こんな手は、お母さまの手じゃない。よそのおばさんの手だ。私のお母さまのお手は、もっとほそくて小さいお手だ。私のよく知っている手。
涙が出そうで、たまらなくなって、つと立って食堂へ行ったら、直治がひとりで、半熟卵をたべていた。たまに伊豆のこの家にいる事があっても、夜はきまってお咲さんのところへ行って
「お母さまの手が腫れて、」
と直治に話しかけ、うつむいた。言葉をつづける事が出来ず、私は、うつむいたまま、
直治は黙っていた。
私は顔を挙げて、
「もう、だめなの。あなた、気が
と、テーブルの
直治も、暗い顔になって、
「近いぞ、そりゃ。ちえっ、つまらねえ事になりやがった。」
「私、もう一度、なおしたいの。どうかして、なおしたいの。」
と右手で左手をしぼりながら言ったら、突然、直治が、めそめそと泣き出して、
「なんにも、いい事が
と言いながら、
その日、直治は、和田の
翌日、手の腫れは、昨日よりも、また一そうひどくなっていた。お食事は、何も
「お母さま、また、直治のあのマスクを、なさったら?」
と笑いながら言うつもりであったが、言っているうちに、つらくなって、わっと声を挙げて泣いてしまった。
「毎日いそがしくて、
と静かにおっしゃったが、ご自分のおからだよりも、かず子の身を心配していらっしゃる事がよくわかって、なおの事かなしく、立って、走って、お
お昼すこし過ぎ、直治が三宅さまの老先生と、それから看護婦さん二人を、お連れして来た。
いつも
「お弱りになりましたね。」
と一こと低くおっしゃって、カンフルを注射して下さった。
「先生のお宿は?」
とお母さまは、うわ言のようにおっしゃる。
「また長岡です。予約してありますから、ご心配無用。このご病人は、ひとの事など心配なさらず、もっとわがままに、召し上りたいものは何でも、たくさん召し上るようにしなければいけませんね。栄養をとったら、よくなります。明日また、まいります。看護婦をひとり置いて行きますから、使ってみて下さい。」
と老先生は、
直治ひとり、先生とお供の看護婦さんを送って行って、やがて帰って来た直治の顔を見ると、それは泣きたいのを
私たちは、そっと病室から出て、食堂へ行った。
「だめなの? そうでしょう?」
「つまらねえ。」
と直治は口をゆがめて笑って、
「
と言っているうちに直治の眼から涙があふれて出た。
「ほうぼうへ、電報を打たなくてもいいかしら。」
私はかえって、しんと落ちついて言った。
「それは、叔父さんにも相談したが、叔父さんは、いまはそんな人集めの出来る時代では無いと言っていた。来ていただいても、こんな
「でも、私はとにかく、あなたは、これから叔父さまにたよらなければ、……」
「まっぴらだ。いっそ
「私には、……」
涙が出た。
「私には、行くところがあるの。」
「
「いいえ。」
「自活か? はたらく婦人。よせ、よせ。」
「自活でもないの。私ね、革命家になるの。」
「へえ?」
直治は、へんな顔をして私を見た。
その時、三宅先生の連れていらした
「奥さまが、何かご用のようでございます。」
いそいで病室に行って、お
「何?」
と顔を寄せてたずねた。
けれども、お母さまは、何か言いたげにして、
「お水?」
とたずねた。
しばらくして、小さいお声で、
「夢を見たの。」
とおっしゃった。
「そう? どんな夢?」
「
私は、ぎょっとした。
「お縁側の
私はからだの寒くなるような気持で、つと立ってお縁側に出て、ガラス戸
私はお前を知っている。お前はあの時から見ると、すこし大きくなって
と心の中で念じて、その蛇を見つめていたが、いっかな蛇は、動こうとしなかった。私はなぜだか、看護婦さんに、その蛇を見られたくなかった。トンと強く
「いませんわ、お母さま。夢なんて、あてになりませんわよ。」
とわざと必要以上の大声で言って、ちらと沓脱石のほうを見ると、蛇は、やっと、からだを動かし、だらだらと石から
もうだめだ。だめなのだと、その蛇を見て、あきらめが、はじめて私の心の底に
お母さまはお
そうしてその
お母さまは私の手もとをじっと見つめて、
「あなたの
とおっしゃった。
私は子供の頃、いくら教えて頂いても、どうもうまく編めなかったが、その時のようにまごつき、そうして、
お母さまは、こうして寝ていらっしゃると、ちっともお苦しそうでなかった。お食事は、もう、けさから全然とおらず、ガーゼにお茶をひたして時々お口をしめしてあげるだけなのだが、しかし意識は、はっきりしていて、時々私におだやかに話しかける。
「新聞に
私は新聞のその
「お老けになった。」
「いいえ、これは写真がわるいのよ。こないだのお写真なんか、とてもお若くて、はしゃいでいらしたわ。かえってこんな時代を、お喜びになっていらっしゃるんでしょう。」
「なぜ?」
「だって、陛下もこんど解放されたんですもの。」
お母さまは、
「泣きたくても、もう、涙が出なくなったのよ。」
とおっしゃった。
私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、
「お母さま。私いままで、ずいぶん世間知らずだったのね。」
と言い、それから、もっと言いたい事があったけれども、お
「いままでって、……」
とお母さまは、薄くお笑いになって聞きとがめて、
「それでは、いまは世間を知っているの?」
私は、なぜだか顔が真赤になった。
「世間は、わからない。」
とお母さまはお顔を向うむきにして、ひとりごとのように小さい声でおっしゃる。
「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの? いつまで
けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、
その日のお昼すぎ、私がお母さまの傍で、お口をうるおしてあげていると、門の前に自動車がとまった。和田の
「直治は、どこ?」
と、しばらくしてお母さまは、私のほうを見ておっしゃった。
私は二階へ行って、洋間のソフアに寝そべって新刊の雑誌を読んでいる直治に、
「お母さまが、お呼びですよ。」
というと、
「わあ、また
などと言いながら
二人ならんでお母さまの枕もとに坐ると、お母さまは、急にお
叔父さまは、大きくうなずいて、
「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ。」
とおっしゃった。
お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶって、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。
私も泣き、直治もうつむいて
そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、
「先生、早く、楽にして下さいな。」
とおっしゃった。
老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしてお二人の眼に涙がきらと光った。
私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうどんをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、
「
とお母さまは、小声でおっしゃった。
支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に
皆さんをお送りして、お
「忙しかったでしょう。」
と、また、
「いいえ。」
私もすこし浮き浮きした気分になって、にっこり笑った。
そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。
それから、三時間ばかりして、お母さまは
お死顔は、
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