怒れる下女・第4話
「あああ山賊崩れ!」
エーリアが叫ぶ言葉に男達は怒りを見せた。其処にリシルファーノも一言余計な言葉を挟む。
「山賊ではないのか。いい表現ではないか、山賊崩れ」
「あ、いえ、そうかはわかんないんですけど! 前に街でたむろして仕事してない馬鹿を兵士崩れって言ってたので!」
「もう兵士崩れはおらんのか?」
「逃げ出したのでいません! 残って旦那様に根性叩きのめされたのはいます! ってあー! いました! 兵士崩れ、山賊崩れの中にいます! 顔見た事あります!」
他人を指差してはいけません……などという当然の事象は今この時において意味をなさない。指差された元兵士崩れはギョッとして肩をいからせていた。まさか顔半分出ているだけで正体がばれるとは思いも寄らなかったに違いないし、こんなに大声で喚かれるとも思ってはいなかっただろう。
「うるっせー! 喚くな!」
脅して静かにさせようとしたのだろう、別の男がガンガンと剣を木の幹に当てて傷を作ってみせるも、それを見たエーリアはますます大声で叫び倒した。最早螺子が壊れたかの如き様相ですらある。現状非常事態なので、そうした状態にだってなってしまうものだろう。
「わっ、バッカじゃないの刃毀れするじゃない! 切れない刃物は使う方も使われる方も大変なのよ!」
「刃毀れした剣でお前の足を挽いてやるぞ!」
「やーよこのボンクラ‼︎ こっちこそあんたの手を錆びた包丁で挽いてやるわ!」
か弱い使用人とでも思ったか! こちとら田舎でいびり倒された正真正銘の田舎者よ!
売り言葉に買い言葉、興奮状態のエーリアは男達の罵声を次から次に弾き飛ばし、リシルファーノの手を強く握って走り出した。既に山を下る道は男達によって塞がれている。となれば進むのは〈腐れ穴〉の方向しかない。
「リシルファーノ様、鼻と口をきちんと塞いでいてくださいね!」
うむ、と素直に頷きながら、リシルファーノは懐を探るなり何かを取り出した。そして顔を半ば覆うハンカチーフの下にそれを入れると、
ピィ──……!
高い音が空に消える。小さな笛だった。
「なんですかそれ!」
「笛だ」
「それはわかります!」
ヒィヒィと走る最中に笛を吹かれたら誰だって気になる。ついでに後ろからは「誰か呼んでるぞ!」という声まで聞こえてきた程だ。ん? 誰か?
「応援ですか⁉︎」
「その通りだ」
やったーっと叫びたくも叫べずエーリアはひたすら足を動かした。どんどん〈腐れ穴〉に近付いているのだろう、臭いが強くなっている。
「確かそろそろです!」
「む」
ざ、と音を立てて藪から飛び出すと、洞の前は随分と涼しげになっていた。どうやらあの男達が勝手に根城にしていたらしく、下草が踏み潰されているどころか酒の瓶や食べ滓まで転がって無法地帯甚だしい。
「こうした場所は逆に根城にしやすい。何せ街の人間は忌避して近付かないのだからお誂え向きだ。前回の山狩りの際に此方も片付けたと報告は受けていたが、一度探索されたなら終わりだとでも思ったのだろうな。流石は馬鹿だ」
と、洞の片隅に誰かが縛られたまま転がされていた。エーリア達が塵を避けつつ近付いて転がすと、なんと見慣れて、ついでに忘れかけていた顔ではないか。
「前の旦那様!」
すっかり気絶しているが、何故こんなところに転がされているのだろう。痩けた顔を晒すララビエンザの直系は、昔ならばこんな醜態を見せはしなかった筈だ。
困惑してリシルファーノを見ると、彼女は息を整えつつ、首を横に振って静かに言った。
「どうせ元はこいつの入れ知恵だろう。曲がりなりにも辺境伯の一族だったのだ、それなり程度には山の道と邸の入り口を知っている。平民落ちして苦しい現状をどうにかすべく故郷に舞い戻り、それを知った賊共にいいように使われて今といったところか」
「その通りさ。さして使えもせんかったがな」
「リシルファーノ様!」
エーリアがリシルファーノを庇う其処、追い付いた男達が四方に散って逃げ場を塞いでいた。あとは後方、洞しかない。洞といえば奥はなく──、つまりエーリア達は此処でお終いという訳か。
「もう! なんなのあんた達、そんなにこの山が好きなの⁉︎ くっさいのに‼︎」
「そんな訳があるか!」
「出戻ってんだから大好きなんでしょ!」
ギャーギャーと言い合っていると、いつの間にやらリシルファーノが洞の縁で身を屈めていた。そして洞の壁面などを見、一人頷いている。
「どうしました⁉︎」
「やはりこれは硫黄だと思う」
「今観察ですか!」
「奥行きはないというが、実のところ地下から漏れているのではないか? だからこうして臭うのだ」
「なんなんだそいつは」
当然といえばあまりにも当然な男の問いに、リシルファーノは立ち上がって毅然と答えた。
「リシルファーノ・ロワライナである」
(ん?)
なんか聞いた覚えがあるぞ、とエーリアが固まっていると、リシルファーノがエーリアの身体を押しやって前に出る。形こそエーリアより小さいが、それでも彼女には滲み出る強さがあった。
「エーリア、こういう手合いは素直に消えはせん。愚か者であればある程、手土産を持って帰りたがるものさ」
「舐めた口ききやがって! 売り払って酒代くらいにはしようと思ったが、口の減らない女と醜女じゃ端金にもならねえ! 此処で殺してやる!」
「ほう! 言うたな痴れ者が。殺せるものなら殺してみるがいい。私の犬を避けられるならな」
リシルファーノの言に怒りを見せた男の一人が進み出て、手持ちのナイフをくるりと回転させた、その時だ。
バサバサッと激しい音が響き、辺りから野鳥が飛び出した。そして木々を打ち倒すような激しい音が聞こえたかと思うと、間髪を容れず中空から巨体がエーリア達と男達との真中に降り立ち、
「ギャア!」
衝撃を殺さぬまま一回転、綺麗にナイフ男の手首を飛ばしたのだ。
「キャーッ!」
エーリアは思わず此処一番の高い声を上げた。勢いリシルファーノの首を抱き締めるようにして縋ってしまったが、彼女は文句も言わないしなんなら巌のように立っている。
「我が閣下に対する不遜、今すぐにその面ごと叩きのめしてやろう!」
高らかに吼えた後ろ姿は、朝に見送ったばかりのそれだった。ラディエル・ロワライナ。そう、エーリアのお仕えする旦那様で、
「……リシルファーノ様」
「なんだ」
「お名前、その」
「リシルファーノ・ロワライナだ」
「……旦那様の?」
「全く不本意ではあるがな、戸籍上の妻である」
つま! つまってなんだっけ‼︎
混乱して棒立ちのエーリアを余所にリシルファーノはまたしても懐を探り、小さく折られた冊子を取り出す。つくづく細かな物を持ち歩く女性であった。
「エーリア、お前が文字を理解出来る事は私にとって幸いだった。これをお前に預ける。よく聞け」
リシルファーノはエーリアの腕を外し、掌にその冊子を乗せると、目と目を合わせてしっかりと告げた。
「中に献立が記してある。重湯から始まる部分だ、忘れるな」
「重湯から……」
「これから私は表に出る事が出来ないだろう。三日三晩この献立の中から適当にでいい、好きに作って届けろ。四日目の朝、兵営から腕利きを十人以上連れて寝室を襲え。皆文句は言わん。わかっている」
「わかって……」
「エーリア、お前に頼むのだ、忘れるな。四日目の朝だぞ」
私の生命がかかっている。
これには流石のエーリアも自我を取り戻した。「生命⁉︎」と叫んだ瞬間「閣下!」とまるで爆発するような叫び声が聞こえ、エーリアの声は吹き消されてしまったが。
「御無事でしたか!」
「喧しい。どう見ても無事だ。それとその糞共を痛めつけるのはよいが殺すな。聞きたい事はまだある、人買いとも絡んでいるやもしれん」
「承知致しました!」
ラディエルは景気よく返事をしながら相対する男の太腿を剣で貫いている……。エーリアはとにかく血飛沫の上がる方向を見ないようにし、リシルファーノに問い質そうと口を開いた、また矢先。
「閣下! 閣下! 私をお呼びくださり有難うございます‼︎ いつ何時あの笛の音が聞こえるやもと耳を澄ましていた甲斐がございました‼︎」
「使うつもりではなかった。不慮の事故である」
「お役に立てて重畳!」
──うるさい! 凄くうるさい! ラディエルの声がエーリアの声を次々と打ち消してしまう。というかあの笛はラディエルを呼ぶ為の笛だったのか、犬か何かか? 馬飼の娘であったエーリアは思わず首を捻りたくなりつつなんとか留まった。
「しかしながら閣下! 閣下が吹かれるには少々おつらかった御様子!」
「走りながら吹いたのだ、つらくて当然であろうが」
「次はもっと吹きやすい物を手に入れまする!」
「要らん」
……めちゃくちゃうるさいな⁉︎ 発情期の犬よりうるさい!
イラッとしながらそれでも声を上げようとした眼前、リシルファーノが消えた。
「えっ」
リシルファーノは宙に浮いていた。……正確には、いつの間にか寄っていたラディエルに抱き上げられていた。彼女は諦めからか抵抗もせず、まるで木に生った果実か屋根下の蝙蝠のようにぶら下がるばかりである。
「改めまして閣下! お会いしとうございました! いつ振りでございましょう、過日報告の為王都に向かいました時以来ですからおおよそ一年程になりますでしょうか! 閣下を想う心絶ゆる事なく、日々弥増すばかりでございました!」
「私は出来るだけ会いたくなかった。出来れば死んでくれてもよかった」
「ハッハッハッ、そのようなお可愛らしい事を言われますな! さあさあ早速蜜月と致しましょう! 閣下の為に設えた邸へ行きましょう! 此方はなりません、よき空気にはあらず!」
「で、あろうな」
「戻りましょう帰りましょう我々の終の住処へ! 邸には閣下のお部屋もきちんと準備してございますがそちらは後程! 全てこのラディエルにお任せください‼︎」
呵々大笑し、ラディエルはリシルファーノを抱えたまま大股で山を下っていく。……エーリアをぽつねんと置いて。
ラディエルと行き違いにひぃひぃと慌てふためきながらやってきた兵士達は、彼の抱える女性を見るなり顔を赤から青に染め、溜息を噛み殺してエーリアに近付いてきた。
「えーと、無事、ですか」
「……」
「お嬢さ、わ、なんだこいつ。街の人間か? 誘拐か?」
「〜ッもう!」
どすん、と大地を踏みしめたエーリアに兵士達は一様に動きを止める。その様がまたエーリアの怒りを増大させた。なんなのだ! この様はなんだ! あれはなんだ‼︎
「私は無事なので邸に帰ります! リシルファーノ様から直々に御命令をいただいているので! それと其処に転がっているのは前の領主! 山賊崩れに地理を教えてたから捕まる側!」
ムキーッと地団駄を踏んだエーリアは兵士達と、それからラディエルにボコボコにされて血塗れの男達を尻目に、ついでに一人ばかり蹴り飛ばしながら山を下りる。──誰もその背を追っては来ず、平和な山には野鳥の声が高らかに響いていた。
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