怒れる下女・第1話
「やだもう! 掃除したばっかだってのに!」
エーリアはバタバタと走るなり目立つ砂埃だけを掃き出した。そうしてバタンと大きな音を立てて玄関戸を閉めた瞬間、穏やかな笑い声が聞こえてくる。
「元気だねエーリア」
「旦那様!」
エーリアの主人は外套どころか防具をきちんと着込んで階段を降りてきたところだった。先達て新たな山賊残党の報があったので今日は山狩りの予定なのだ。
後ろから執事のシェダが渋い顔を向けてくるのが普通の反応であったけれど、この若い主人はとても大らかでエーリアの癖の悪さを特段問題視しない。
「伝えておいた通り、数日山で過ごす事になるだろう。君達は変わりなく戸締まりをきちんとして、いつものように過ごしていなさい」
「畏まりました、お気を付けていってらっしゃいませ」
使用人達の見送りを背に主人は颯爽とマントを翻して去っていく。その背は年々厚く、大きくなっていた。彼がこの地に馴染んでいる証でもあるのだろう。
*
南の辺境伯領ララビエンザは三国が密集した山を背に存在する。南国方面の山向こうからの吹き下ろしの風で秋から冬にかけてはひどく冷え、その風の所為であちこちが痛みざらつく為に家屋は二重構造で無骨な造りである。大凡魅力もなかろう土地に飽いているのは民ばかりではない、領主すらもだった。
この地を代々治めるのはララビエンザ辺境伯一族であったけれど、その一族は近代において急速に力を失っていた。だというのに貴族としての矜持だけは御立派なのだから付ける薬もない。
剣もまともに振るえない辺境伯に従う兵卒などおらず、気付けば城下街シティリヒトにはゴロツキのような兵士崩れが酒場で朝から管を巻く始末で、更に楽に生きられるとなれば山中の賊も意気揚々と増えるばかり。街中でも女子供の一人歩きには躊躇する程、シティリヒトは荒れに荒れていた。
土地がどんどん寂れて危険が増すにつれ、ララビエンザ辺境伯は王室に領地替えを願い出た。──騎士の派遣などではない、領地替えである。
「ララビエンザは長年国境で国の為に尽くしてきた。近年では辺境を治めるに足らず、このままでは国に迷惑をおかけするだろう。その前に土地を移りたい」
堂々とした、出来ない宣言であったらしい。やっぱり上の人間の考える事は下々にはわからないわ〜がエーリアの感想だ。周りも大体そうだったが。
やりたくないですで済むなら誰だって好きな事以外やりたくないものだろう。第一ララビエンザ辺境伯は仕事らしい仕事はしていないのに威張り腐った嫌なお貴族様だった。何が国に尽くしただと言いたい。過去の栄光にしがみついているだけの酒場の飲んだくれと何が違うのだろうか。
しかし、そんな馬鹿のような訴えが承認され、ララビエンザ辺境伯は子爵に降格してもよければ領地替えを認めるとされた。子爵としての領地すらもないが、王都に邸を戴けると。王家代替わりにおける初期政策の一つになるらしい。
聞けば降格も降格であるそうな。序列下から二番ですって! 流石のララビエンザといえど、矜持が邪魔をしてうんとは頷かないに違いない──と思ったらどっこい頷いたのが馬鹿たる所以だろう。
「王都に邸を戴けるのだ、どうにでもなる!」
数代前に家計の事情で王都の邸を手離していたのもこの選択に拍車をかけたらしかった。いやほんと、どうやって生きていくの? 領地からの税収もないじゃん? 王室から慰労金とか出るの? と頭がきちんとしていた者達は思ったが、やっぱりララビエンザは馬鹿だったし、彼らお気に入りの使用人達も馬鹿だった。
そうこうして新王が即位されると同時にララビエンザ辺境伯はララビエンザ子爵になり、お気に入りの使用人だけ連れて早々にシティリヒトを離れていった。交代する貴族の方と挨拶する時間も惜しいと言わんばかりに、王都への夢と希望ばかり背負って去っていった。最高に失礼だと思うがこれはシティリヒトに残された者達が考えてもどうしようもない。
そしてやってきたのが現在の旦那様、つまり新領主であるロワライナ辺境伯でいらっしゃる訳だ。同時にこの地もララビエンザ領からロワライナ領に改まった。
ラディエル・ロワライナと仰る新領主はそれはそれは穏やかな風貌の、それでいてきっちりとした体躯をしている三十代の年若い元将軍であった。彼は此方に就任すると同時、王宮から一個師団に相当する兵力も随従させた。彼らの幾許かは数年で王宮に帰るが、殆どはそのままこの土地に根を下ろすのだという。
これにシティリヒトの民は腰を抜かし、すっかり寂れていた邸宅には使用人募集が山程来る始末。元からいた使用人達は今までとは掌返しで羨ましがられた。
今まではというと、憐れまれていた。……まぁ、領主がアレだったから仕方がない……。
エーリアはその前から最下層の下働きとして雇われ、前領主のお気に入り達にこき使われて過ごしてきた。どんどん人が辞めていく中、そこそこ悪い扱いを受けても辞めなかったのは実家から逃げてきた口だからだ。エーリアにはそもそも逃げる場所がなかったのである。
そうこうしての今なので苦労する者は報われるのだなあとしみじみ思うばかり。何せ現領主になってからお給金は格段に上がり、待遇も見違えて改善し、ご飯は美味しくなった。やる気に満ち満ちて、ついでに現領主への感謝も尽きない。こんな辺境に来てくださって有難うございます! 御家族を王都に残してまで!
そう、現領主は王都に妻子と御両親を残しておいでとの事。まだ荒れた辺境に連れてくる訳にはいかないと、たった一人で領地に入られたのだという。なんと美しい家族愛だろう……使用人募集でやってきた愛人希望がことごとく落とされる訳である。稀に物憂げに溜息を吐いているところも見るに、こんな田舎の女では太刀打ち出来ない程美しい貴族女性に違いない。何せ主人も見目麗しくていらっしゃるのだし。見目麗しくて腕っ節も強いとは、天は二物を与えるものだ。
「では旦那様のお帰りまで抜かりなく保つ事」
「はい!」
そんな訳で、エーリア達使用人は主人・ラディエルの望むまま、空の夫人室と子供部屋などを綺麗に維持し続けていた。いつか来たる我らの女主人とお子様、そして大旦那様達の為に、いつか見れるであろう主人の真からの笑顔の為に、一つの塵も許さず美しく維持し続けていたのである。
しかしながら、何事にも予想外という事象は発生する。
エーリアが階段の掃除を終えて塵を車寄せに吐き出していると、俄に外が騒がしくなった。遠くから聞こえる馬の嘶き、蹄の音、そして。
ガララ! と慌ただしい音を立てて馬車が敷地内に入ってくる。先触れはなかった筈だと向こうを見やれば門番が慌てて走ってきていた。きっと単騎で駆けてきた一人が門を開けさせたのだろう。
「シェダ様! シェダ様!」
エーリアは執事を呼びながらそれでも直立不動で其処に立った。何はなくとも馬車は『きちんと』している、つまり粗相は許されないのだ。
屋内が騒がしくなるのを感じつつイェーリアは目の前の把握に努める。馬車は三台、その他に先触れを含めた騎兵が十以上、その御印はヨーレティエルナ。王家の紋章だった。
(王家、どうして)
勤め始めてから初めての王家の訪問である。そして勿論、先触れはない。あったら旦那様の今日の予定は変更されていただろう。如何な凡夫とて青ざめて当然だった、つまり悪い予感しかしないのだ。
脂汗を浮かべるエーリアの前、玄関前の土を荒く蹴りながら落ち着いた一台目と三台目の馬車からバラバラと官吏らしき人々が降りてきた。重そうな鞄を抱えた彼らが言われるまでもなく整列すると、中央の馬車の扉が開く。
──中から現れたのは一人の凄まじく厳しい形相をした年嵩の女性だった。……服装は一番肩書きのありそうな官吏服で顔はアレだが、髪を綺麗に結っているし女性だ。もっとこう、厳つい男性が出てきそうな雰囲気があった為、エーリアは俄に混乱するが表に出さないように努める……、努めたつもりである。
一番偉そうな気配を漂わせたその女性が居並ぶ官吏達に「直ちに始めよ」と一言告げると、途端官吏達は雪崩れるように邸内に入っていった。
「中央査察官です。監査を始めます」
「今年の出来ている分だけで構いません、資料を出してください」
「使える部屋はありますか」
「お待ちください、旦那様は不在で」
「問題ございません」
慌てたような使用人達の声も背後に漏れ聞こえ、エーリアの足は思わず二度三度と踏鞴を踏みかけたが動く事は出来なかった。何せ件の女性が動かない。
「お前はこの邸の使用人か」
「は、はい。掃除婦でございます」
腕を組んでゆっくりと辺りを見回し、女性はおもむろに言った。凄い、たったの少し喋るだけで処分を言い渡される気持ちになってしまう……。
女性はふむ、と一つ頷くとそのまま後ろ手を組んで庭に歩を進めてしまった。エーリアは慌てて後ろ手にしていた箒を玄関脇に置いてその背を追いかける。客人が一人勝手に庭を散策するなど褒められた事ではないし、何かあっても困るのだ。しかし従僕も侍女も、どうにも手が空いていないように見受けられる。
(もう! なんなの!)
必死になってエーリアが追うのを知ってか知らずか、女性は実に悠々と庭を見て回る。
「薬草と果樹の多い庭は珍しい」
「はい、あの、旦那様の御指示です」
一目見ただけで薬草だと判別出来たなんて、とエーリアは目を見張りながら受け答えた。エーリアは生まれてからこの方田舎地方から移住した事もない正真正銘の田舎者だが、薬草と雑草の別なんてわからない。
「だ、旦那様が、こんな辺境ですから、使えるものを植える方がいいと」
「うむ。薬草はその通り薬にもなるし食卓に添える事も出来る。果樹も言わずもがな、見目だけ取り繕って下手な花を植えるより余程よかろう」
女性はうんうんと頷き小道を行く。前領主の頃には下手に薔薇一辺倒だった庭も、今ではすっきりとしている。少しすっきりしすぎなので東屋の回りには観賞用の花を多めに植えてあるが、それでも大部分は薬草や食用菜なので貴族の邸には遠い見目だろう。半分畑みたいなものだから、流石のエーリアだってこれがお貴族様の普通ではない事はわかっている。だからあまり散策しないでほしい!
エーリアが慌てふためくのも意に介さず、女性は隅から隅まで庭を回ってからようやっと邸に入った。とはいえ、邸内も大分慌ただしい気配に満ちている。中は中で大変なのだろう。
「……」
ふと女性が立ち止まった。じっと見つめているのは玄関ホールにたっぷりと敷かれている大判の絨毯だ。彼女は絨毯の上に踏みとどまるなり、ぐりぐりと靴裏を擦り付けた。
「この絨毯はなんの為にある?」
「えっ」
なんの為になどと問われた事はないし、なんならエーリアが勤め始めた時には既にあった物だ。
「このように無駄な物、なんの為にある?」
「えっ」
「無駄だと、邪魔だと思った事はないのか?」
(いつもです……)
多分、泥落としの為に敷かれているのではないかと踏んではいた。玄関口なので前領主が見た目重視で置いたのだと思うが、砂を巻き込むし天気が悪い日には泥水も染み込んでぐちゃぐちゃだ。その都度掃除をする人間の事は──、まぁ考えてはいないだろう。
エーリアが胸中考えた事を察したか、それとも隠せない顔色を見たものか、女性は「この地は吹き下ろしの風が強いと聞く。故に砂害が多いとな。なれば、この絨毯の掃除は頻繁になろう」とずばり当てた。
「は、はい、そうです!」
「余計に無駄だ。見目を保つ事は立場上ある程度必要だが、水も人手も無限ではない。それならば敷石のみにして、都度水でも撒いて清めた方が余程綺麗で節制になる」
「そ、それならブラシをかけるだけで済みます……!」
砂埃は仕方がないにしても、このホール全体を覆う絨毯を外せるなら楽どころの話ではない。……まあ、それが出来ればだが。
しょんぼり落ち込みつつ我先に進む女性の後を追うと、彼女は迷う事なく官吏達が居並ぶ部屋に入った。空気の騒がしさを追って進んだようで、エーリアとしては「なんだかお偉い人には思えない……」という所感である。
何せ今まで見てきたお偉い立場の人間は他人を使って後ろを悠々と歩きつつ「遅い!」と文句をつけるような類ばかりで、他人を使う事に慣れていながら無駄で雑な命令をしない人間はラディエルしか知らないのだ。
(王都のお貴族様はやっぱり育ちがいいのかしら)
出来たら玄関ホールの絨毯の件を旦那様に話していただきたい……と願いつつエーリアは女性に続いて扉を潜る。部屋の中にいたシェダに目礼し隅に立つと、女性は官吏達一人ひとりの様子を見て回っていた。
「概要はどうだ」
「今見る限り問題ございません」
官吏達の目前には多くの資料が積み上げられている。監査と言っていたが、税金に対するものなのだろうか。それとも……三年ばかり領地を治めるラディエルの力量確認か。
(でも、旦那様はきちんとお仕事をされてたし!)
執事として日の浅いシェダに様々な事を教えるラディエルはいつでも真剣だ。
「妻に下手なところは見せられないからね」
そう柔らかに言う主の顔を、エーリアは今でも思い起こす事が出来た。そんな彼が仕事も出来ないとくれば、前領主などペンペン草にも劣るだろう。エーリアには領主としての内政はわからないけれど、実情ならいつだって目にしているのだ。
「大きな問題がないようなら私は出てくる、よいか」
「問題ございません」
「任せた」
言うなり女性はまたも踵を返して扉に向かってくる。慌てたのはシェダだった。
「申し訳ございません、どちらに御用でしょうか」
「街を見てくる」
「でしたら馬車を」
「必要ない。橋を隔ててすぐであっただろう。足で行ける」
けんもほろろに断られ、それでも王都からの客人を放置する選択のないシェダは使用人の鏡だろう。その直後、「で、でしたら供を、エーリア!」と唐突に話を振ってきさえしなければ。
「ふぁい⁉︎」
思わぬところで名指しされ肩を震わせたエーリアをシェダは見ない。ひらりと掌を差し出して「エプロンは脱いでいきなさい」と、それだけだ。エーリアは乱暴に丸めたエプロンを殊更ゆっくりふんわり彼の掌に乗せ、出来る限りの丁寧さで一礼したのだった。
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