宰相閣下の犬・第2話




「冗談は顔だけにしろ」

「王命だ、あとその無礼は許す」

 死にそうな顔の王の隣、苦々しい顔をするデレク大将を、リシルファーノは今にも殺すといった表情で睨み付ける。場所は謁見の間、王が呼んでいると連絡を受けてやって来てみれば、居たのは王ばかりでなく将軍もであった。

「何用でありましょう」

 白々しく言うリシルファーノに私的な事だと告げ、楽にするよう王は言う。その顔はいつぞやの前宰相が如く好々爺しいものであったが、何処か焦りが浮かんで見えた。すわ、何事か。リシルファーノは宰相として、言われ得る全てに備え、顎を引いた。

 が。

「リシルファーノ、結婚しろ」

「茶を寄越せ、砂糖は五つで。糞甘さに目が覚めるかも知れん」

 畏まった口調はすぐ様決壊した。そんな訳で舞台は最初に戻り、今三者は卓を囲んでぴりぴりとした空気の中で息を潜めている。

「王よ、もう一度このリシルファーノに言ってくれますか」

「結婚しろ」

「冗談は顔だけにしろ」

「王命だ、あとその無礼は許す」

 仕方ないから、そうぶつぶつ続ける王を無視し、リシルファーノはデレクを見つめた。

(何でこんな事言い出しやがったてめえ止めなかったのかこの役立たずが!)

 そう言わんばかりの瞳を受け、デレクはそっと視線を外す。幾ら将軍だとて、この顔面凶器言の葉鈍器の宰相には殊の外弱い。ましてや己等の言っている内容のとんでもなさを理解しているので、更に立場が弱い。

「まぁまぁ、相手は玉の輿だぞ、捨てたものでもない良縁だぞ」

「王よ、私はこの王国に全てを捧げるつもりでいるのです」

「嘘を吐け」

「もっとマシな嘘を吐け」

「この野郎共」

 全く尊厳も何もないこの場で、青くなって震えているのは哀れな侍女だけである。全く哀れ過ぎるので後、何か褒美をやろうと考えるのは男二人だ。

「と、とにかくだな、早々に蹴れぬ話なのだ」

「王よ、私が宰相の内示を受けた際に『いつでも力を添えてやろう』と言われましたな」

「これは別で」

「くそジジイ」

 ぎりぎりと歯軋りするリシルファーノに、デレクは咳払い一つして説明をし出した。

「相手は我が国軍に在籍する武官だ。現在は佐官だが、お前と婚姻を結ぶにあたっては肩書きを将官にまで引き上げる事になる」

「んなもん実力で上がれ」

「それだけの実力もある。だが、若干若いのでな」

 顎髭を擦るデレクに、リシルファーノが目で訴えれば、

「二十六」

「バーッカバーカ! てめえこちとら三十八だっつーの一回り下の餓鬼を添わす気かこの低能!」

 相手の能力の有無には全く頓着せず、リシルファーノはその若さに呻いた。その若造は何が悲しゅうて四十に届こうという顔面凶器な女を押し付けられねばならんのだろう。こいつらは揃いも揃ってこの密室で何を押し付けて来ようというのか。

 正に殺す今殺すという表情を貼り付けたリシルファーノに、二人の男は大慌てで席を立ちながら続ける。

「そやつは只の武官ではない。隣国の第三王子に嫁いだロワライナ伯爵家の一人娘の、次男だ! ロワライナ家を相続する為、祖父母の残るロワライナ家へと入りその名を継いだのだ! 我が国では只の武官でも、隣国の王家の端くれとなれば話は別であろうが!」

 それを聞き、リシルファーノは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてから件のロワライナ家の事情を思い出した。特に記憶にはないが、資料上当の一人娘もその両親も何の毒にもならぬような人間で、つまり社交界では何処の口の端にも上らぬような一家であった筈だ。一人娘が彼の王子に求婚された際はそれはそれは凄まじい噂が飛び交ったというが、結局のところ伯爵夫妻は沈黙を貫き、昔と変わらぬ穏やかな生活を続けていると聞く。

「何でそんなのとの結婚話が私に飛んで来る? それこそ立場的に王家の血縁に行く話だろうが」

 溜息を吐きながらも平静を保つべく、思わず煙管を取り出したリシルファーノにデレクは重々しく答えた。

「隣国の、その彼の父である第三王子経由で内々に書面が来たのだ。勿論、我々も訝しいと当人に確認を取った」

「で?」

「当人から間違いないと返答があったのだ」

「次代ロワライナ家当主、ラディエル・ロワライナ。彼が誠宰相たるリシルファーノに惚れ、婚姻を望んでいると」

 王の駄目押しのようなそれに、リシルファーノは思わず煙管を取り落とした。




 リシルファーノの渋面はこれ以上ない程の酷さであろう。此処まで従って来た侍女が殆ど半泣きであった為そう判断したが、リシルファーノはといえば胸中、冷静にも彼女に対して落第の評価を押している。其処には男女の別などなく、どんな事情があるにしろ顔に出すようでは宮中勤め失格だからだ。とは思うのだが、これを話せば誰も彼もが「お前の所為じゃねえか」と青い顔をして言うに決まっているので黙るに越した事はない。

 今日日は見合いである。見合いとは名ばかり、殆ど決定した結婚の為の顔合わせだとは触れ回らずともよい話だが、今や平民たるリシルファーノにはそれを蹴る事も出来ない。隣国との関係を思えば、宰相たる身でもそれを蹴る事は出来ない。つまりはそういう事だ。

 リシルファーノは辿り着いた先、豪奢な謁見室の前で胸を張って堂々と立った。此処まで案内して来た侍女はとうに居らず、其処には衛兵が二人控えるのみだ。衛兵にはリシルファーノの事情などわかる筈もない。説明されてなどいない筈であるし、先ずリシルファーノの格好がいつもの宰相たる官吏服であるからだ。

「開け」

 命に、衛兵は忠実に扉を開いた。そうしてリシルファーノが一人足を踏み入れると、音もなく扉は閉まる。及第点だ。

 相手は窓際に立っていた。逆光で見えない姿に目を凝らすと、それに気付いたのかゆっくりと部屋の中央に移動して来る。

「宰相閣下、お越し戴きこの身に余る栄誉です。私はラディエル・ロワライナ、武官として大佐の地位を戴いております」

「既に聞いている。リシルファーノだ」

「閣下を何とお呼びすれば。エルディメルト様でしょうか」

「既にエルディメルト家は亡い。私は只の平民、姓はなき故にリシルファーノでよい」

「畏まりました。私の事もラディエルと名でお呼び下さい」

 打てば響くような答えに、リシルファーノは胸中目を見張る。そうして、ようやくまじまじと見る事が出来たその相手は女性受けしそうな甘い顔をした男であった。それが只甘いだけでないのは、きっと眉尻の傷跡のお陰であろう。

「立っているのも難でありましょう、席に就きませんか?」

 にっこりと笑んだラディエルにリシルファーノは同調した。リシルファーノが子供のような低身長であるのに対し、ラディエルは武官として恵まれた高身長を誇っている。会話するのにこれ程の難はない。

「改めまして、今日日はお越し戴き有難うございます。――正直、お越し戴けるとは思っておりませんでした」

 背を正し、ラディエルが言う。その言葉にリシルファーノは目を据わらせた。己の立ち位置を、その発言力を、そしてそれを受ける羽目になったリシルファーノを、全てを知らぬというのならばとんだ阿呆である。しかし、そのリシルファーノの蔑みをラディエルは一瞬で消し去った。

「私は計算づくで、政治的な立場を振り翳しこの機会を得ました。公正であられます閣下には誠醜き事でありましょう」

「……私を、そして何より己をよく知っていると見える」

「過大評価でございます。私は、私が如何に愚かか知っているだけの事」

 苦悩を浮かべるその様は確かに本物だ。ラディエルの素直な様を目の当たりにし、リシルファーノはふと新たな可能性に思い当たった。

(もしや)

 それはある意味最も納得の行く可能性であった。ならば、この男は被害者ではないのか。思い当たったそれに、リシルファーノは顎を引いて口を開いた。

「――ラディエル」

「! はい」

「此処は私とお前しか居らぬ。正直に話すがよい。此度のこの縁談、隣国からの差し金か」

 なれば悪いようにはしない。この問題を片付けた後、改めて相応しい伴侶を王命を以てしても見つけてみせよう。

 王城にゆるゆると隣国の縁者を添わせ、内から食らう事。家と家同士ではなきにしもあらずなその緩やかな乗っ取りを、リシルファーノは暗に示した。宰相、将軍、そういった要職者を次々に、長い年月を見据えて乗っ取る。もしそうならば、隣国には何という博打打ちが居るものだと感心する他ない。

 剣呑なリシルファーノの言に、しかしラディエルは緩やかに笑んで首を横に振った。

「私を、覚えてはいらっしゃらないとは思っておりました」

 唐突な言葉に、リシルファーノは怪訝な顔をする。

「私はその当時、軍に入隊したばかりの新兵でした。新たに継ぐ事になった家の為、祖父母の為と慣れぬ国で入隊し、しかしこの国を知らぬ私は当然のように新兵いびりの標的となり、日々打ちのめされ転がされて過ごしていました。その日も軍馬を出すよう命を受けましたがなかなかの暴れ馬だなどと知らされもせず、勿論御し切れずに振り落とされ、頭を打ち顔を裂きました。これがその時の傷です」

 ラディエルが示すのは眉尻に残る傷跡だ。その傷は綺麗に眉を分断し、しかし嫌味もなく彼の甘い顔を引き締めている。それを耳にし、まじまじと見、リシルファーノの胸中は何かざわめくものを覚えた。

「私は殆ど甘い子供でありましたので、何故斯様な目に遭わねばならぬのかと思い切り出したのです。母国へ帰れば私とて王族の端くれ、こんな理不尽な目に遭って地に伏す事もないのだと」

「それはそうだな」

「それをせずに済みましたのは、偏に閣下のお陰です」

「は?」

 非常に、頭の悪い返しをした自覚がある。眉間に皺を寄せたリシルファーノに、ラディエルは上体を微かに寄せて語り掛けた。

「この傷を拭い清めて下さったのは閣下、貴女様です。あの時分、私に声を掛け、手を掛けて下さったのは閣下御一人でありました」

 窓から差し込む光が、ラディエルの髪で跳ねてリシルファーノの瞳を焼く。その強い赤を、リシルファーノは――。

「あか、い髪――の、新兵……? 官舎の前で倒れていた?」

 覚えていて下されましたか! 途端頬を薔薇色に染めたラディエルは腰を浮かすとテーブルを回り、リシルファーノの足元に膝を就いた。

(今まで忘れてた)

 言おうにも、ラディエルの勢いが激し過ぎて口を開けない。そんなリシルファーノがびくりと肩をいからせたのにも関せず、彼はその手を強引に取った。リシルファーノの文官らしい固く細い指とラディエルの見た目にそぐわぬ武官らしい太い指は、どうにも見合うものではない。

「それから程なく、貴女様が宰相閣下であらせられる事を知りました。如何に閣下に御礼を表すかと悩みも致しましたが、しかしそれは閣下の言われました通り使える官吏になる事でしょう。私は一層励んで己を鍛え、佐官としての肩書きも得ました。けれど所詮軍部と内府、直接閣下のお役に立てる事もございません。文官に転身するか悩みました折り、閣下が女性であらせられると知りました」

「特に内密にしている訳ではないのだがな。この見た目だ、女と思う事が前提としてないのであろう。気が削がれたか」

 ふん、と鼻息一つリシルファーノは己の手を引くが、ラディエルの力強さの前には二進も三進も行かない。子供のような抵抗を容易く封じ、ラディエルは益々リシルファーノの手を握り込んで言い募った。

「いいえいいえ。私の想いは一層力強いものとなりました。閣下が女性とありましたならば、分不相応な望みではありましたが公然と隣に立ち並ぶ事も出来得るのではないかと。真実を知った私の望みは膨らみ過ぎ、既に己の手に負えぬ程に育ち切っておりました。そんな私を心配し、父が一手打ちましたのが今回の騒動の発端でございます」

 滑らかな頬はラディエルの若さを示し、リシルファーノにとり具合の悪い事この上もない。

 リシルファーノは半ば掠れ声でようよう問うた。

「……では、その、お前が私に惚れているとか抜かしているのは」

「はい。真実、私は閣下をお慕いしております。若輩者故不安もございましょうが、どうかこのラディエルを夫としては戴けませんか……?」

 くるりと緩やかに巻きの入った赤い髪。そういえば隣国の王室は赤い髪が主流であったと思い出しながらリシルファーノは天を仰いだ。

(誰かこの目に緞帳の降りた餓鬼を地の果てに置いて来い……!)







 幾らリシルファーノがそれを拒否したところで、隣国王室からの縁談たれば断る術はないに等しい。リシルファーノは死んだ魚の目をしたまま一年後に伯爵位を継いだラディエルと結婚し、ロワライナ伯爵夫人となった。

「なってしまったものは仕様がない。せめて伯爵夫人らしく早々に家の為にはならねば、義爺様と義婆様に申し訳がなかろう。第一私はもう歳だしな」

 大きく長い溜息を吐いたリシルファーノは腹を決め、婚後一年で嫡男ロシュルベルドを生む。リシルファーノは亡き恥の塊のような両親とは真逆の、家の為に偏に毒にもならず淡々と日々を送っている前伯爵夫妻に対しては非常に敬意を払っており、一人息子に常々説いて聞かせた。

「何をおいても曾お爺様と曾お婆様を悲しませてはならん。そのような不始末を犯した者など我が息子にあらず、いつでもその一物踏み潰して好事家にでも売り飛ばしてくれる」

 ロシュルベルドにとり此の世で最も恐ろしい人物とは即ち実母であったので、彼は母の説教を受ける度に主に下半身を引き締めて過ごした。その教育の賜物かロシュルベルドは将来有能な文官として大成するが、迎えた妻は母に負けず劣らず顔面凶器の烈女であり周囲を困惑させる。

 そんな未来など露も知らぬ前伯爵夫妻は、孫と宰相の縁談に腰を抜かし、またリシルファーノの個性の強過ぎる顔に失神し掛け、縁談の顛末を知った際には土下座までした。とはいえ、リシルファーノは非常に彼等に尽くした為、後年「あれ程よき娘もありません」と真実吐露し、幸せな晩年を送ったとされる。余談ではあるが、隣国を訪問した際挨拶を受けた義父たる第三王子もリシルファーノに土下座をした。リシルファーノその人を知らずして縁談を持ち掛けたらしい。犯人はラディエルであるとはいえ彼も充分に黒であるから、リシルファーノは鼻息荒くそれを受けた。

 その、当の主人であるラディエルであるが。

「シーファ、シーファ! この間の泊まり込みの際はデレク大将と共に居られたと耳にしました!」

「確かに共に居たが、他にも多くの将校も居た。それと、私は一睡もしていない。誰が使ったかもわからぬような仮眠ベッドで寝る趣味はないと何遍話せばわかるのだ、この頭の中に脳味噌はないのか脳味噌は」

「そ、そうですよね! シーファ、その翌朝はお早く帰られて早々に眠り込んでしまわれましたものね! 隈も消えてようございましたが、私は厳しいお顔のシーファも好きですよ!」

「……もういい、早く寝ろ」

「同衾の許可を戴けますかシーファ!」

「……明日は休みではない」

「眠るだけです!」

 外面はよくても家ではこれだ。諦念の面持ちでリシルファーノは今日も大型犬に締め付けられるようにして眠りに落ちる。

(コイツ、私が先に死んだら衰弱死するな)

 主に尽くし後を追う飼い犬を脳裏に浮かべたリシルファーノは、腹立ち紛れに若き夫の白髪もない髪を一筋引き抜くのであった。

「痛い!」

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