第3話 鍵穴くんが気になる……
「いい? 絶対付いてこないでね! 鍵穴くんは僕の部屋でおとなしくしてて! とにかく僕は変に思われたくないから! 分かった?」
あの不思議な夢を見た後、いつものようにお母さんの作ってくれた朝食を食べて、冷え切った僕の体温はぽかぽかと温まっていった。その後、学校への準備を終えて、僕は鍵穴くんが何か囃し立てる前に釘を打っておいた。
「わ、分かったから、気を付けて行ってきてね……」
鍵穴くんはベッドの上で気圧されたようで、僕にそう返した。
「そ。じゃあ、行ってくるね」
僕はそう言ってバッグを背負い、水筒を持ってドアノブに触れる。
そして僕は鍵穴くんの方へささっと振り向いた。
「わ、分かったから、行っておいでよ……」
鍵穴くんはぴくっと反応した後にそう言っ
た。
外に出ると、空は晴れていた。今日はずっと晴れているから、雨の中帰ってくることはなさそうだ。
僕は自転車を駐輪場から出して、学校に向かって漕ぎ始めた。
昼休み、図書委員の仕事で、僕とかいちゃんは図書室のカウンターの中に座っていた。
僕の通う少人数の中学校の図書室は教室と同じくらいの広さで、割とこぢんまりとしている。本を借りに来る人はもちろん、オセロや将棋などのボードゲームもあるから、暇つぶしにゲームをしに来る人達もいる。
カウンターの中には、図書委員のイベントに使う用紙やら、ポップ制作に必要な用紙や鋏やらが無造作に置かれている。
かいちゃんが生徒のバーコードをスキャンし、生徒の本の貸し出し期限を調べていき、僕は貸し出し期限が過ぎた生徒の名前を用紙に書き留める。運動場から野球部の練習の声が聞こえてくる中、僕はなんの感情もわかない単純作業を進めていく。
作業をしながら、かいちゃんは言った。
「今日は居眠りしなくて済みそうだなー」
「うん、今日はちゃんと寝たし」
「変な夢見なくて済むね」
「いや、それは今日見た」
「いや見たんかい」
僕は朝見たあの夢を思い返す。誰かに手を引かれる僕と、誰もいない場所で一人になる夢。
僕はその夢の内容をかいちゃんに伝えると、
「いや、病院行った方が良くない?」
と、かいちゃんは作業の手を止めて冗談混じりでそう言った。
「え、僕の夢ってそんなにおかしい?」
「おかしいおかしい。まず俺、夢見ないし、見たとしても内容覚えてないもん。そんなにぼーちゃんみたいな鮮明な夢見ないよ」
「そんなにおかしいの……」
ある程度作業を続けると、少人数の学校ということもあり、五分くらいで終わってしまった。
「そういえば、ぼーちゃんのところにピンポンダッシュのポルターガイスト来た?」
かいちゃんはスキャナーを元の位置に戻しながら、横文字を言いたいだけの人みたいに言った。
「い、いや、来てないよ」
もちろん僕は噓をついた。来たと言ったら、どうだった? とか、幽霊見た? とか質問されて、僕はどう答えればいいかわからなくなるだろうし、変に話がややこしくなるのも嫌だったからだ。
「そっかー、来なかったかー。もしぼーちゃんが幽霊を見たりしたら、そいつがどんな奴だったか聞いてみたかったんだけどなー」
やっぱりそうだった。何かにつけてかいちゃんは情報を集めたがる。
僕は、昨日僕の家に来た鍵穴くんを思い浮かべる。かいちゃんにあの鍵穴くんのビジュアルを伝えたら、どういう反応をするのだろうか。鉛筆一本でも三秒ほどで描けてしまうピンポンダッシュの犯人の姿を見たかいちゃんは、意外だと言って喜ぶだろうか、思ったより弱そうとか言って落胆するだろうか。
「あ、そうそう、幽霊がらみでビックニュースをまたつかんだんだよ!」
ここが図書室であることを忘れているのだろうか。目を輝かせてかいちゃんは言った。面倒なことに巻き込まれそうな予感がする。
「何?」
「聞いて驚け! 心霊スポットの情報だよ!」
「心霊スポット? それって何?」
「え、知らねーの? 事故があったトンネルから幽霊の足音が聞こえてくるとか、村があったダムからうめき声が聞こえるとか、そういう、幽霊が出やすいところのことだよ」
「えっ?」
そんな悍ましい場所が、この辺にもあることに、僕は驚いた。こんな田舎に、心霊スポットがあるとは思えない。
そこで、ふとある考えが浮かんだ。
ひょっとしてその場所は、鍵穴くんと関連がある所なのではないか?
「それってどこ?」
一応訊いてみる。
「ぼーちゃんの住んでる住宅街の、ちょっと西に行ったところに田んぼが広がってるところがあるんだよ。そこからまた西に行くと、雑木林のある丘があって、その中に小屋があるらしい。心霊スポットって言うにはちょっと規模が小さいけど。そこで、勝手にモノが動いたりとか、物音が聞こえたりする現象が起こるらしいんだって」
心霊現象としては、よくある感じなのだろうか。
「それって、小屋の所有者のせいじゃなくて?」
「いや、小屋の所有者は不明らしいんだ。あ、でも、その小屋に女の子の影が見えたって噂があるんだって……」
かいちゃんはわざとらしく声を震わせて言った。
「女の子?」
「もしかしたら、小屋の所有者の亡霊かもしれないじゃん! そんで、そいつがピンポンダッシュの犯人だったりして!」
いや、女の子が小屋を所有することなんてできるのだろうか。かいちゃんの妄想が暴走している。
「ていうか、そんな情報、どこから仕入れてきたの?」
「その地区の中学の友達から」
「そんなとこにまで友達がいるんだ……」
僕はかいちゃんの人脈の広さに驚いた。
「まあ、部活とかで知り合った感じかな」
確か、かいちゃんはバスケットボール部に入っていた気がする。
「それでさ! ぼーちゃんに頼みたいことあるんだけど!」
かいちゃんはまた目を輝かせて言う。嫌な予感がする。
「今週の日曜日、一緒にその心霊スポットに行ってみない⁉」
嫌な予感がすぐさま的中した。
「え、なんで、一人で行けばいいじゃん⁉」
「だって一人じゃ怖いじゃん!」
そんなことを言うのに、怖いもの見たさが勝っているのかと、僕は思う。ちょっと無責任じゃないか?
「わかった……。一緒に行くよ……」
興味なさげにかいちゃんと話していたけど、僕も心霊スポットは気になっていた。だって、鍵穴くんと何か関係があるかもしれないのだ。
「よっしゃ!」
かいちゃんは小さくガッツポーズをした。
「じゃあ、待ち合わせ場所はぼーちゃんの家でいい?」
「え、ちょっとまって……」
「何?」
「僕の家の場所、知ってるの?」
「え、知ってるけど」
ぼけーっとした顔でかいちゃんは答える。
僕は家の場所をかいちゃんに伝えた覚えはないのだが……。僕の家は結構距離があるから、先生くらいしか知らないはずなのに。
「ええええええっ……」
僕は椅子から離れてかいちゃんから遠ざかる。かいちゃん……、どこまで知ってるの……。
ちょっと引き気味になった僕を見て、流石に焦ったのか、
「いやいや、たまたま先生に訊いただけだから! ストーカーしたとか、そんなんじゃないから!」
と、かいちゃんは弁解した。かいちゃんは基本的に嘘をつかない性格だけど、そう言われると逆に怪しい。
「ほんと?」
「ほんとほんと! ていうかクラスメイトの家の場所ほぼ全員把握してるし!」
「うわぁ……」
弁解すればするほどボロが出る。
「違うって! 迷惑かけたりとかそういうことはしてないから! 悪気があってやってるわけじゃないって!」
「ほんと?」
「ほんとほんと!」
まあ、かいちゃんは悪い人じゃないし、ただクラスのことを知るのが好きなだけなのだろう。
「ほんと、知らないことなんてなさそう……」
僕は椅子に座りなおしてから言った。
「三人くらい家の場所知らない人はいるよ。浩紀とか、和樹とか、美香とか……」
「私が何?」
気づくと、美香がカウンターの前に立っていた。きりっとした目で僕たちを見ている。
「い、いや、何でもないっすよ……」
「そう。これ、借りたいんだけど。」
美香は二冊の小説と、図書カードを見せた。
「あ、うん」
僕は席を立ち、スキャナーでそれぞれのバーコードを読み取っていく。
なんだか、すごい美香から視線を感じる……。
一連の操作を終えると、美香は何も言わず、借りた本を持って戻っていった。
「あっぶね。俺らの話聞かれるところだった……。ところでさ、待ち合わせの時間いつに……」
「あ、図書カード忘れてる」
僕はかいちゃんの言葉を遮ってそう言った。
カウンターには美香の図書カードがぽつんと置かれている。
「美香、意外と天然なところあるのかな……」
「僕、ちょっと届けてくる」
「うん。いってらっしゃーい」
僕は美香の図書カードを持って、図書室から出た。
廊下に出て、僕は美香の背中に呼びかける。
「美香さーん」
無言で美香は振り向く。僕は少しぎょっとしてしまうけど、それを隠して、とりあえず口に出す。
「美香さん、図書カード、忘れてるよ」
僕は美香の前に図書カードを差し出した。
すると、美香は何かお礼を言うわけでもなく、暗い表情のまま図書カードを受け取った。
そして美香は図書カードを持ったまま、目をそらしてうつむいた。
「あの、えっと……」
この雰囲気に困惑してしまって、僕は何か言わないと、と焦ってしまう。
すると、美香は怒りを少し含んだ声で、言った。
「どうして、今更私に優しくするの……」
今更? 美香は、僕に何か悪いことでもしたのだろうか……。少なくとも、そんな覚えはない。もしかして、昨日の階段でのことだろうか。だとしたら、そんなに思い詰めなくてもいいのだけど。
「なんなの……私をからかってるの……。嫌いなら嫌いって、はっきり言えばいいじゃない」
美香は僕を睨みつける。
「え、どういうこと? 美香さん?」
本当に、美香は僕に、嫌いと思われるほどのことをしたのか?
美香はため息をついて、後ろを振り返って別の校舎への渡り廊下に向かい始めた。
「ちょ、ちょっと⁉」
「私、急ぐ用事があるから」
そう言って、僕から遠ざかろうとするみたいに、美香は歩くスピードを速めた。
美香が、僕にしたこと……。
どうして、今更私に優しくするの。という、美香の言葉。あれはどういう意味だったのだろうか……。昨日のことではないのだとしたら、もっと前の事だろうか。
……もしかして、僕の記憶にない、中学校に入る前のことだとしたら……。その時に美香は、僕に何かをしたのか?
僕は、廊下で一人立ち尽くして、考え込んでしてしまう。
ひょっとして、僕はどこかで美香と……。
「おーい、ぼーちゃーん」
無意識に一人で記憶を探ろうとしていると、後ろからかいちゃんに呼びかけられた。
「あ、かいちゃん……」
僕はかいちゃんのほうに振り向いて言った。
「全然戻ってこないじゃん。美香と何かあった?」
「あ、いや……」
僕は曖昧に返す。
「まあ、なんか美香ってちょっと冷たい感じするよな。落ち込むのはわかる」
なんだったのだろうか、さっきの、一人で考えてしまう僕と、美香と話がかみ合わない、あの違和感……。
昨日と違って今日の帰り道は明るかった。車の窓ガラスや川の水面が夕日を照らしていて、僕は気軽な気持ちで帰ってきた。
家に着くと、駐車場にお母さんの車が停まっていた。今日は早めに帰ってきたみたいだ。
鍵穴くんはおとなしくしていただろうか。
「ただいま」
玄関のドアを開けながら、僕はそう言った。
ドアの鍵を閉めると、鉛筆の線みたいなものが、リビングの前にちらっと眼に映った。
……もしかして。
リビングの入り口から、鍵穴くんが顔をのぞかせていた。そして、お母さんが何かを炒めている音がする。お母さんがリビングで料理をしているということだ。
ええええええっちょっと⁉ 何してるの鍵穴くん⁉ 僕の部屋でおとなしくしてって言ってたじゃん⁉
「あ、おかえり!」
「おかえり」
鍵穴くんのおかえりとお母さんのおかえりが重なった。言わずもがな、テンションの高い方が鍵穴くんだ。
「あれ、なんか変な声しなかった?」
何も知らないお母さんはそう言った。
ああもう! 何やってるの鍵穴くん⁉
「き、気のせいじゃない?」
僕は慌てて口に人差し指を当てて、鍵穴くんに静かにするように促して、二階への階段を指さした。
すると、鍵穴くんは今日の朝に僕が言ったことを思い出したようで、慌ててまん丸い両手で口をふさぎ二階へと上がっていった。
「あ、そう。それでね、今日のご飯はカレーよ」
「あ、うん。ありがと!」
二階に上がっていった鍵穴くんを追いかけるように、僕は二階へ駆けあがった。
「かーぎーあーなーくーん! この部屋でおとなしくしててって言ってたよねぇ?」
僕は自室のドアを閉めると、ベッドの上でちょこんと立っている鍵穴くんにそう問いただした。
「えーっと、とりあえず落ち着いて……」
「落ち着けるわけないでしょ⁉ お母さんにも鍵穴くんの声が聞こえるとか、聞いてないんだけど!」
「うーん、僕に近い人ほど、僕を感じやすいみたい」
「え、それってどういうこと?」
「僕でもよくわかんない」
「はあ……」
なんだか、鍵穴くんに鍵穴くんのことを質問すると、曖昧なことしか返ってこない。
「令斗ー。カレーできたよー」
一階からお母さんの声が聞こえてきた。
「はーい」
僕はとりあえず、ドアを開けて下の階に向かって返事した。
僕はドアを閉めて、鍵穴くんに言った。
「とりあえず、僕の部屋から出ないこと!」
「えー、でもめちゃくちゃ暇なんだもん」
鍵穴くんはちっちゃい子供みたいにそう言った。いや、鍵穴くん自体がちっちゃい子供なのかもしれない。
でも確かに、鍵穴くんをこの部屋だけに居させるのも、鍵穴くんにとって悪いかもしれない。
「うーん。わかったから、とりあえずお母さんには迷惑かけないで!」
そう言って、僕は下の階に降りた。
友情がテーマのバトル漫画を紹介するバラエティー番組が流れている中、僕は夕食を食べていた。
おふくろの味という言葉があるけど、僕には記憶がないせいで、それがよくわからない。お母さんのカレーを食べながら、僕はそう思う。
このカレーを僕はおいしいと感じるし、手料理を食べている感覚だって分かる。だけど、何か、優しさみたいなものが、僕には分からない。いつもかいちゃんが僕に話しかけてきてくれるけど、僕には、かいちゃんを友達と呼べる勇気がない。
人間関係というものがよくわからない僕は、とにかくみんなにいい顔をし続けていくことしかできない。見えない壁を作っていかないと安心できない。
でもかいちゃんや鍵穴くんは、その壁を何とか破ろうとして、僕に触れようとする。それが、なんだか僕にとって、少し救いになるような、でも、そんな存在を突き放してしまいたくなるような、そんな感覚がするのだ。
きっと記憶も中身もないこんな僕を、誰にも知られたくないのだと思う。
「この漫画、令斗は知ってる?」
漫画に詳しくないであろうお母さんが、テレビを見ながら僕にそう訊いた。
「ううん、初めて聞いた」
僕はふとある時、みんなって何者なのだろう、って感覚に陥ってしまうときがある。この感覚を説明してと言われても、的確に表現できない、漠然としたものが僕を襲うことがあるのだ。
目の前でカレーを食べながら、バラエティー番組を見ているお母さんにだって、そういうことを思う。お母さんは、どんな風に生きて、どれだけいろんな世界を見てきて、どんなことを思いながら、今ここで生活しているんだろう、と。何もわからない僕はそんな思いに、時々支配される。
いずれ、おふくろの味が一番うまいとか、友情について漫画を通して語ったりとか、そういう人に共感できたりする日は来るのだろうかと、僕はそんなことを思いながら、素直においしいと思えるカレーを口に運んだ。
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