忘れられた神の贈り物
樹結理(きゆり)
忘れられた神の贈り物
私はここに何年いるのだろう。
もういつからいるのか分からない。
自分の名前さえ忘れてしまった。
それでも私はここから離れることが出来ない。
こうやって独りで生まれ、独りで消えていくのだ。
この地に遥か昔からいる「私」。小高くなった山の頂上に建てられた祠。もう長い年月放置されボロボロになった祠。そこが私の住処。
今の時代よりももっと昔の人々にこの地を護るために祀られた神。
祠が建てられたときには多くの人間がこの山まで登り参拝しにきた。
しかし時が経つと共に次第に人々は来なくなっていった。
人々は私を忘れていった。
忘れられた神は次第に力を失って行く。
守護する力が失くなり、存在する力も失くなっていく。
そろそろ姿を保つことすら不可能になりつつあった。
「私ももうそろそろおしまいかな……」
いつものごとく、祠の目の前に麓まで長く続く階段に腰掛け呟いた。
身体を維持出来ず薄れつつある掌を眺め溜め息を吐く。
「あぁ……疲れた!!」
ふと顔を上げると一人の女がこの祠までの階段を登っていた。
今更ここまで登ってくるような奇特な人間もいたものだ、そう思い思わずまじまじと見詰めてしまっていたら、見上げた女と目が合った。
いや、私の姿は見えないはずだ。目が合った訳ではないだろう。
私の力はすっかり弱り、他の者に姿を見せることすら叶わなくなったのだから。
そんな私の想いとは裏腹に、その女は酷く驚いた顔をした。
「え? 何? 誰?」
「!?」
女は私と目を合わせたまま近寄って来た。どういうことだ、なぜ私が見える? 私にはもう力はないというのに。
「あなた誰? …………その格好……もしや神様? そんな訳ないか」
その女は私の顔をまじまじと見詰めて「神様」かと聞いたが、それをすぐに否定した。
まあ信じられんだろうな。
「…………」
「え、まさか、本当に神様!?」
「だったら何だ? もう死にかけの神だ。ここに来ても何の得もないぞ」
「わ、喋った! 神様って姿見えて喋れるんだ!」
「…………」
「死にかけ? 死にかけって何で?」
「…………」
その女は祠まで来ると、祠に手を合わせた。そしてこちらに向き直し再び聞く。
「それで貴方は本当に神様なの? 何で死にかけなの?」
「…………、私が神だと信じるのか?」
今やもう誰も寄り付かず力を失いかけている神。姿を晒す力すら失ってしまった神。そんな力のない神を信じるのだろうか。
「だって貴方、明らかに普通の人じゃないし。白い髪に銀の瞳、白い装束、真っ白しろ!」
そこか。何かを期待した自分が馬鹿らしくなった。女はただ私の見た目が普通の人間とは違うから神だと信じた訳だ。
「それでなんで死にかけなの?」
「…………、神は人から必要とされてこそ力を付ける。今の私は誰にも必要とされていない」
必要とされない神ほど情けないものはない。自分で口にし自分で辛くなった。情けないことだ。
「必要とされてない、か。お詣りしてもらえないと力がなくなっちゃうの?」
「そうだ。神を信じなくなれば、私は力がなくなり、そして死ぬ」
「死ぬ…………、私と一緒だね〜」
「?」
「私ももうすぐ死んじゃうんだって〜」
「…………」
その女、サナは病を患っていると言った。移植手術をせねば治らぬ病。しかしそのドナーが中々見付からないのだと。
「だからね、神頼みしに来たの。私、まだ生きたいんだもん」
そう言ってサナは笑った。
「しかし私にはもうお前の願いを叶えてやれる力はない。すまない」
私にはサナの願いは叶えてやれない。もう消える間際の弱々しい神だ。何もしてやることが出来ない。それを歯痒く思う。
今更、力を取り戻したいと思うとは。
「アハハ、良いよ、どうせドナーは見付からないだろうし」
サナは寂しそうに笑った。
「ねえ、貴方の名前は? ここに祠があるのは知ってたけど、何の神様なの?」
私の名前……、何の力があったのか……、それすら忘れてしまった。
「名も、力も、もう忘れてしまった……、私にはもう名すらない」
「そっか……、じゃあ白さん!」
「は?」
「真っ白しろだから白さん! これから白さんて呼んで良い?」
「安直な名前だな」
可笑しくてクスッと笑うと、サナも笑った。
「良いじゃない、白さんで!」
そう言ってサナは「また来るね」と言い残し去って行った。
「これから」「また」もう何年も聞いていない言葉だ。
これからもまた来るのだろうか、そんな期待をしている自分に驚いた。
サナはそれから毎日ここまでやって来た。しかし次第に顔色が悪くなっていく。
「もうここへは来るな」
ここまで登るのに体力を消耗している。もう来るな。来て欲しくない。これ以上無理をして欲しくはない。
ここへ来ても私は何もしてやれないのだ。それが酷く苦しかった。
「私が来ないと白さん、一人になっちゃうじゃん」
「もう良い、来るな。私はどうせもういなくなる」
「そんなこと言わないでよ。私までもう終わりみたいに思えちゃう! 一緒に頑張ってよ!」
そう懇願され辛くなる。
ここへ来れば来るだけ、サナは体力を消耗する。私の側にいても何もしてやれない。
サナには生きてもらいたい。
「これを」
「? 何これ?」
チリンと小さな音が鳴る。小さな鈴。私の祠にあったもの。遥か昔に奉納されたもの。長く私と共にあったもの。
「御守りだ」
「もらっちゃって良いの?」
「きっとサナを守ってくれる」
私が生きていられる間だけであろうが、それでも気休めでも何でも、サナの心の支えになるのならばそれで良い。
「ありがとう」
サナは嬉しそうに微笑んだ。
次の日からサナは来なくなった。
これで良いのだ。これで。きっとサナは生きている。元気にやっている。
私のことなど忘れて幸せになっているのだ。
それで良い。
サナが来なくなって一年ほどが過ぎた。もう私も限界かもしれない。
もう姿すら保てなくなってしまった。
もう私は消える。
最期にサナに巡り会えて良かった。独りではないことを教えてもらった。私を信じてくれる人間はまだいたのだ。
私は消えるがサナはきっと幸せになっただろう。きっとだ。
すっかりと姿も消えてしまった。もうすぐ意識も消える。
あぁ、最期に一目だけで良い、サナの姿を見たかった。
そのとき麓からの階段から叫ぶ声が聞こえた。
「白さん!!」
サナだ。サナが再び来てくれた。しかもすっかり元気な顔色と姿で。
「白さん! どこ!? 白さん!!」
あぁ、サナ、会いに来てくれてありがとう、そしてさようなら……。
そして私は消えた。
「白さん、いないの?」
サナはあちこち探し回ったが、白さんの姿はない。
手にはあの日もらった鈴がチリンと音を立てた。
「白さん、私ね、手術受けられたんだよ。鈴をもらってすぐにドナーが見付かってね。手術をしてリハビリをして、ってしてたら、ここに来るのに一年経っちゃった」
サナはボロボロになった祠の中に鈴をそっと置いた。
「白さんのおかげだよ。白さんに力をもらったんだよ。白さんのおかげで生きられたんだよ」
しかしそこに白さんの姿はない。
サナは泣いた。自分だけ生きてしまったことに泣いた。
白さんだって生きたかったろうに、と泣いた。
『サナ』
暖かな風が吹いたと思うと、微かな声が耳元を掠めた気がした。
サナは振り返るがそこには誰もいない。
しかしサナは温かい気持ちを感じた。姿は見えなくとも側に白さんがいてくれる気がした。
雲ひとつない青空に真っ白の鳥が一羽、大きく羽ばたいていった。
忘れられた神の贈り物 樹結理(きゆり) @ki-yu-ri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます