こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人といっしょに、浮いたり沈んだりしていた犍陀多でございます。なにしろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくらやみからぼんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと言ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものといっては、ただ罪人がつくかすかなたんそくばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄のせめつかれはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大どろぼうの犍陀多も、やはり血の池の血にむせびながら、まるで死にかかったかわずのように、ただもがいてばかりおりました。

 ところがある時のことでございます。なになく犍陀多が頭をあげて、血の池の空をながめますと、そのひっそりとしたやみの中を、遠い遠い天上から、銀色のの糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へたれて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手をって喜びました。この糸にすがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのにそうございません。いや、うまく行くと、極楽へはいることさえもできましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。

 こう思いましたから犍陀多は、さっそくその蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、いっしょうけんめいに上へ上へとたぐりのぼり始めました。もとより大どろぼうのことでございますから、こういうことには昔から、慣れ切っているのでございます。

 しかし地獄と極楽とのあいだは、何万里となくございますから、いくらあせってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼるうちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこでしかたがございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶらさがりながら、はるかに目の下を見おろしました。

 すると、いっしょうけんめいにのぼったがあって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれております。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、ごくからぬけ出すのも、存外わけがないかもしれません。犍陀多は両手をの糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出したことのない声で、「しめた。しめた」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、かずかぎりもない罪人たちが、自分ののぼったあとをつけて、まるでありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、おどろいたのと恐しいのとで、しばらくはただ、ばかのように大きな口をあいたまま、眼ばかり動かしておりました。自分一人でさえ、れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みにえることができましょう。もし万一途中でれたといたしましたら、せっかくここへまでのぼって来たこのかんじんな自分までも、もとの地獄へさか落しに落ちてしまわなければなりません。そんなことがあったら、大変でございます。が、そういううちにも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよとはい上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今のうちにどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちはいったい誰にいて、のぼって来た。おりろ。おりろ」とわめきました。

 そのとたんでございます。今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶらさがっている所から、ぷつりと音を立ててれました。ですから犍陀多もたまりません。あっと言う間もなく風を切って、のようにくるくるまわりながら、見る見るうちにやみの底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

 あとにはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短くたれているばかりでございます。

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