侯爵令嬢は本日も堅物騎士を愛でる

樹結理(きゆり)

侯爵令嬢は本日も堅物騎士を愛でる

 


「シルビア・ロイス! お前との婚約を解消する!」



 パーティー会場で響き渡る婚約者様の声。


 今日は貴族の皆様が集う王太子殿下のご生誕を祝うパーティー。

 その中でいきなり婚約破棄を宣言された婚約者様。

 頭、大丈夫かしら。心配になってしまうわ。


 当然皆様呆然。

 しん、と静まり返る中、婚約者であるルガント侯爵令息のアーレン様はニヤリと笑う。

 うーん、その笑顔もマイナスですわね。品のない笑い。


 元からちょっとおツムが弱いのかしら、と思う言動や行動が多々あったアーレン様。

 この婚約破棄騒動も今に始まったことではないのです。アーレン様はしょっちゅう口にしていらっしゃる。

 だからこそもういい加減にうんざりしてくるものですわね。


 毎回「お前は俺をバカにした」だの、「お前は浮気をしている」だの、最終的には「気に入らない」とか訳の分からない理由を述べられて開いた口が塞がらない状態。どうしても私を悪女に仕立て上げたいようです。


 まあもとから政略結婚のための婚約ですし、愛はないですし、婚約破棄されたにしても痛くも痒くもないですし、ちょっぴり「やった」と思わないでもないのです。


 お父様からは気に入らなければ婚約を解消しても良い、とは仰っていただいていたのですけれど、やはりルガント侯爵家と縁戚になるからこそのメリットもあるため、自分からは言い出しにくかったのです。だからこそずっと我慢をしていたのですけれど……


 もう我慢もやめていいかしら。



「ありがとうございます!」


 満面の笑みでお返事させていただきますわ!


「はっ!?」


 案の定、驚きの表情を浮かべるアーレン様。

 フフフ、そのお顔もしまりのないお顔ですわよ?


「アーレン様が言い出してくださって良かったですわ。婚約は侯爵家同士の問題、お父様とルガント侯爵様とで婚約破棄の手続きをよろしくお願いしますわね。私になにか非がある証拠でもない限り、理由なき婚約破棄は慰謝料のお支払いがあるかと思いますので、よろしくお願いしますわね。では、私はこれで失礼致しますわ」


「えっ」


 早口でまくし立てた後は、くるりと身を翻し、呆然とされている王太子殿下に騒ぎを起こした非礼と、途中で失礼するお許しをいただき会場を後にした。




 やったわ!! ついにようやく自由になったのよ!!

 バンザーイ!!


 あ、いけないわ、思わず素が……まだ誰かに見られる可能性があるのだから気を付けないとね。


 そう、私はずっと猫を被ってました!侯爵令嬢として恥ずかしくないように頑張っていただけなのよ!

 私だって自由に生きたい! そう思っていてもやはり侯爵令嬢としてはキチンとしておかないといけない、と自分を律していたのよ。


 あー、でもようやくスッキリしたわ! これで心置き無くを愛でることが出来るわ!


 え? アーレン様か? って? そんな訳ないじゃなーい! あんなおツムの弱い方いらないわ。


 私が愛でたいのはあのお方!


 今日も会場の隅にビシッと背筋を伸ばし、凛々しいお顔で立ってらっしゃるカイゼル様。


 王太子殿下の近衛騎士であるカイゼル様は黙っていると、とても怖いお顔をしてらっしゃる。

 王太子殿下の傍に常にいらっしゃるから、皆様よくご存知で、でもあのお顔のせいで女性陣からは怖がられていた。


 男性陣からは怖がられるというより、一目置かれているような感じかしら。


 気軽に近付こうものなら、鋭い目付きで睨まれ、たまたま通り際にぶつかってしまおうものなら、相手を射殺すのではという形相で睨まれる。


 私はそんな彼の密かなファンであるのだ。


 元々男臭く凛々しい男性が好みの私はカイゼル様の見た目はドンピシャだった。

 でも婚約者がいる身、そうそう何か出来るものでもなく、こうして密かに愛でるのが私の趣味となった。


 眼光鋭く睨む目、眉間に寄せられた皺、キリリと整った眉、スッキリとした鼻筋に、キツく結んだ唇。

 騎士にふさわしい均整の取れた筋肉、他の男性よりも頭一つ分は高い背、広い肩幅にピンと伸びた背筋。長い手脚にキュッと引き締まったお尻。


 はぁぁあ、素敵だわぁ。毎日密かに愛でるのが私の楽しみだった。王太子殿下が出歩かないときは殿下の執務室前に警備で立っているお姿を遠目から覗き見たり、たまに休憩されたり訓練されたりと演習場へ向かわれているときは、他のご令嬢とともに眺めたり。うふふ。


 でも婚約者がいる間はなんとかバレないように、こっそり誰にも見付からないように、密かに愛でていたのだけれど、もうこっそりする必要もないですものね!

 婚約破棄された私はしばらく殿方は敬遠されるでしょうし、自由気ままに行きますわよ!




 こうやって毎日愛でていると、今度は外見ではない別のことに気付いたりもするのよね。

 じっくり観察をしていると、普段彼は他人を睨んでいるのではなく、咄嗟になにかが起こると驚いてあんな顔になってしまうのだと気付いた。


 通り過ぎるときにたまたま誰かとぶつかってしまうと、焦ったように相手を見て睨んでしまう。お相手は恐怖に顔を引き攣らせ、謝って逃げて行くのだけれど、しばらくその様子を観察していると、カイゼル様は声を掛けられずにしゅんとなさっている。


 な、なんて可愛いの!!


 咄嗟に睨んでしまう自分を後悔してがっくりしてらっしゃるのよね。


 それ以外にも殿下の執務室前に警備で立っているとき、たまたま猫が通りかかったときの顔!!


 あれは反則よ!!


 あの強面なのに猫が近付いて来た瞬間、急におろおろしだし泣きそうな顔に!! そして猫が擦り寄ってくると顔を引き攣らせ固まっていた。


 くぅぅぅううう!! 可愛すぎる!! なにあれ!! なんなのあの可愛さは!! ズルい!! 反則!! あの怖い顔であんな表情されたらたまらないじゃないのよ!!


 はぁぁぁあああ、眼福……。


 思わず拝む。




 カイゼル様の可愛いお姿を堪能している間、どうやら昇天してしまっていたらしく、隠れていた壁から思い切り身体が出てしまっていた。


 カイゼル様に気付かれてしまった!!


 こちらを向いたカイゼル様が近付いて来る!! いやぁぁああ!! 麗しいお顔が近くに!! じゃなくて!! ま、まずいわ!! ど、どうしましょ!! 見付かってしまった!! に、逃げなければ!!


 焦って立ち上がろうとした瞬間、腕を掴まれてしまった。あぁぁあ、どうしましょ、変態行為で捕縛されてしまうかしら……いやまあ、自分でもね、少しは変態ぽいかしら、とは思っていたのよ……でもね、我慢がね……あぁ、許してぇ!!


「シルビア嬢!! 大丈夫ですか!?」


「は?」


 腕を掴まれ、顔を覗き込まれオロオロしたお顔……あぁ、素敵、可愛い……じゃなくて!!

 ん? なにが大丈夫? 頭が? うーん、婚約者様並みにおツムが弱い女だと思われてしまったかしら。それはいやぁぁああ!! あんなのと一緒にされたくない!!


 そう思っていたらカイゼル様はオロオロしながらも、自分のポケットからバッと真っ白のハンカチを取り出した。

 そしてそれを私の顔にむぎゅっと…………え?


「あぁぁ、失礼!! いやでも!! あの!!」


 物凄い焦った顔のカイゼル様も素敵! ……じゃなくて!! あぁ、もう! 私のこの変態脳! ちょっと静かにしなさいよ!!


「あ、あのシルビア嬢……は、はな……ぢ……がその……」


「え?」


 はな……ぢ? はなぢ? え? えぇぇぇえええ!! 鼻血!?


 慌ててカイゼル様が渡してくれたハンカチを見ると真っ白のハンカチが真っ赤に!!

 えぇぇぇえええ!! うっそーん!! 私、カイゼル様に興奮し過ぎて鼻血!? ちょっとそれはどうなのよ!? 恥ずかし過ぎる!!


 一気に顔が火照るのが分かった。そして頭に血が上ったせいかさらに鼻血は噴き出す!!

 ひぃぃぃいい!! 泣きたいぃぃい!!


 いえ、泣いていたわね……、すでに……。


 するとそれを見たカイゼル様が……


「失礼!!」


「きゃっ」


 急に私を抱き上げると颯爽と歩き出した。


「城の医務室へお送りします。恥ずかしいかもしれませんがお許しください」


 えぇぇぇえええ!! きゃぁぁぁあああ!! カイゼル様にお姫様抱っこされている!! なんてことなの!! 目の前には凛々しいお顔!! 逞しい腕に包まれ、騎士服の上からでも分かる筋肉質な胸!! そしてそのぬくもりにドキドキが止まらない!!


 案の定、鼻血はさらに噴き出すわよね!! これはもう仕方ない!!

 真っ赤に染まるハンカチで顔面を抑えながらうっとりとカイゼル様を見上げる変態……、自分で変態宣言もどうなのかしら。まあこのような経験二度とないかもしれないから変態でも良いわよ! 今だけはこの幸せを堪能させて!




 カイゼル様は医務室まで連れて行ってくださると、医師に任せ自分は持ち場へと急いで戻ってしまわれた。


 あぁ、残念、幸せな時間がもう終わってしまったわ。


 その後私はしばらく貧血になったのは言うまでもない。




 後日、カイゼル様にお礼がしたくて、血まみれになってしまったハンカチは買い直し、いざ! お礼に! と意気揚々とカイゼル様を探した。


 今日はたまたまお休みだったらしく、私服姿のカイゼル様を発見!! 私服姿も素敵だわ!

 それにしても休日なのに訓練をしてらっしゃる。やはりというかカイゼル様らしいというか、真面目な方よね。そんなところも素敵なのよ。


「カイゼル様」


 訓練をしばらく眺めてむふふとなっていたけれど、いつまでも待っているわけにもいかないので声を掛けさせていただきました。


 振り向いたカイゼル様は少し驚いた顔。でもすぐにいつもの鋭いお顔に戻ってしまう。


「あぁ、シルビア嬢、その、あのときは大丈夫でしたか?」


「えぇ、その節はみっともない姿をお見せしてしまい申し訳ありませんでした。しかもあんな……その……抱き上げて運んでくださって……」


 急に恥ずかしくなってしまい言葉に詰まってしまった。だ、だって! あのお姫様抱っこ!! 思い出しただけで興奮してまた鼻血が出てしまいそう!!


「いや!! あの!! あれは、その!! 申し訳ない!! 急いで医務室に、と思って咄嗟に! いや、言い訳だな……本当に失礼を! 申し訳ない!!」


 カイゼル様は顔を真っ赤にしながらオロオロと謝罪を口にした。


 いやぁぁああん、また可愛いわぁぁああ!!


 だ、だめよ!! 自重しなければ!! また鼻血が出る!!


「な、なにをおっしゃるのです!! 私は助けていただいたのですよ!? カイゼル様に感謝こそすれ、謝っていただくことなど何もありません!!」


 カイゼル様の手を取り、新しく買ったハンカチを渡す。


「本当に感謝しかしておりません、ありがとうございました」


 ニコリと笑って見せるとカイゼル様のお顔はさらに真っ赤になった。くっ、可愛い。


「大したお礼も出来ず申し訳ございません。今日はこちらだけでも」


 そう言って手作りのお菓子を渡してみた。貴族令嬢はあまり自身で料理などしないけれど、私はお菓子作りが好きなのでそれをアピールしてみたの。あわよくばお友達になれないかしら。間近でカイゼル様を堪能したい! いや、ちょっと打算的過ぎるかしら……。


 カイゼル様はほんのりと笑顔になった。はうっ! 可愛い笑顔!


「ありがとうございます……」


 ボソッと答えたカイゼル様。


「今度またちゃんとお礼をさせてください!! ぜひ一緒にお食事でも!!」


 そう言いながら両手をぎゅっと握り締め、お顔を見上げた。


 驚いた顔になったカイゼル様は、少し困ったような、クスッと笑うような、そんな表情で顔を近付けた。


「少し警戒心が足らないですよ? 騎士といえど私も男です」


 低音の声で耳元に吐息がかかる距離で囁かれ…………再び鼻血噴き出す!! 仕方なし!!



 そして本日も私はカイゼル様を、鼻血が噴き出そうとも愛でるのです!



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