1-8


暗黒街の入口が見えてきた。ホード商会の連中が、殺気立ってそこかしこにいるのが分かる。俺は運転手のチェンツォに告げた。


「もっと飛ばせ」


「へっ、へえっ!」


ボコボコと大きな音を立てて車は進む。魔導石を動力源とした「魔動車」の速度は遅い。何より、運転手の魔力が切れたら止まってしまう。

鉄の板で覆われているから馬車よりは安全な乗り物だが、それでもこの歩みの遅さには毎度苛々させられる。


「止まれやぁっ!!!」


行く先にホード商会の若衆が3人ほど立ちはだかった。ここに俺がいると知ってのことだろう。「止めてやれ」とチェンツォに言い、窓ガラス越しに外を見た。


「ハーディ・エムスだなぁっ!?お頭を殺したのは、てめえかっ!!」


「『見えざる刃』の犯行声明が残ってたと聞いたぜ。俺じゃねえよ」


「『見えざる刃』がてめえの雇った暗殺者じゃねえってどう証明するんだぁ??てめえぐらいしか、お頭を殺しそうなのはいねぇんだよ!!」


「あいつには俺のとこも被害食らってるんだよ。あまり五月蝿えと、撃つぞ」


後部座席から護衛のゴードとマクシムが飛び出し、銃を構えた。流れの武芸者で、剣も銃も相当の腕だ。サシならこの街でこいつらに勝てる奴はいない。

若衆も2人が誰かを悟ったのか、「ひっ、引き返すぞっ」とすぐに走り去った。大事なのは、相手との力量差を瞬時に判断する警戒心と、人を動かすだけの金だ。そのどちらかがなきゃ、ここじゃ生きていけねえ。


「行け」


チェンツォは車を発進させた。ノロノロと暗黒街の狭い通りを抜けると、その最奥に俺の館がある。

警備体制は万全だ。上からの侵入に備え、「光条」を使える魔道士が代わる代わる上空を照らしている。周囲も蟻の子一匹入れないように守りを固めた。

ヴァランがどんな恩寵を使おうが、必ずどこかに引っかかるはずだ。絶対の自信があった。


門には「フィラデリアの黒曜石」の面々が既に俺の帰りを待っていた。


「御苦労。異常はねえか」


「ホードの番頭、ブリッジがお館様に会わせろと。無論、断りましたが」


「それでいい。明日にでも殲滅するぞ」


「御意」


俺は奥へと進み、書斎へと入る。若い衆が葡萄酒の瓶を持ってきたので、それをグラスに注ぐよう指示した。

グラスからはふんわりと甘い花の香りが漂った。カルディアのバンケロ産の葡萄酒は、値段の割に質が極めて高い。最近のお気に入りだ。


にしても、「見えざる刃」……ヴァランは実にいい仕事をした。ワイズマンたちに浄化される前に奴を殺したのは、最高の時機だった。


俺がエルの所から引き揚げる時、ちょうどワイズマンの従者が物凄い速度で走っていくのが車から見えた。多分、俺と同様に自宅に帰っていると踏んだのだろう。あそこにはいなかったが、連中ならすぐにヴァランの居所を見つけるはずだ。

何せ2000万オードも払ったのだ。この街とエル……そしてヴァランを手中に収めるためとはいえ、安い対価じゃない。それだけの仕事をしてもらわなきゃ困る。


多分今頃、ヴァランは浄化され「見えざる刃」もいなくなっているだろう。逃れたとしても、俺を狙うだけの余裕はもうない。これで、晴れて枕を高くして寝られるというわけだ。

明日はホード商会の連中を完全に傘下に入れてやる。反抗するやつは痛めつけ、殺せばいい。そしてエルが率いる騎士団は、もう俺には逆らえない。



この街の全てが俺の手に収まる。その時は、もうすぐだ。



クククと笑いが漏れる。葡萄酒の味も最高だ。全てが終わったら、エルの身体を好きなように弄んでやるか。

転生者でなくなったヴァランを去勢し、肉奴隷にするのも楽しみだ。ジェムスは間違って殺しちまったが、こっちはきっちりとモノにしてやる。


実に、実に愉快だ。


「お館様っ」


ゴードの切迫した声が聞こえた。また懲りずにブリッジ辺りがやってきたか。


「ホード商会の連中が来たら追い返せ、殺してもいいって伝えたはずだが?」


「い、いえっ、それが……ジャニス・ワイズマンとその従者が、ここに」


「何?」


時計をちらりと見た。午後10時を少し回っている。

ヴァランを浄化したという報告か。にしてはこの時間は遅すぎる。別に明日朝来ればいいだけどのことだ。

俺はグラスを置いて、応接室へと向かった。そこには酷く機嫌が悪そうなワイズマンと、ニコニコと笑みを浮かべる従者のハンスがいた。


「遅い時間にすみませんな」


穏やかな声でハンスが言う。俺はワイズマンを一瞥し答えた。


「どういうことだ?ヴァランを浄化したという報告か?報奨金なら後で準備……」


「それが残念ながら、まだ見つかっていないのですよ。どこにどうやって逃げたか、皆目見当も付かないのです」


全く困っていない様子で奴は肩を竦める。


「はぁ!?舐めてんじゃねえぞコラァ!じゃあ何をしにここに来たっ!?」


「舐めているのはそちらですな。貴方は今回の依頼において、重大な過ちを冒した。法律上の瑕疵、と言ってもいい」


「かし、だぁ??てめえ、意味分からねえことを……」


「ちっ」と舌打ちをし、ワイズマンが俺を睨んだ。


「要は、私たちを騙していた、ということよ。今回の依頼、貴方がエル・ピールドを脅迫して行わせたものでしょ?少なくとも、貴方の意向が相当程度働いている」


「は??ヴァラン・ピールドは転生者だろうが、転生者を消すのがてめえら『祓い手』じゃねえのか!!?」


「それはその通り。そして、ヴァランは浄化されねばならないのもその通りよ。

だけど、依頼の手続きは正しいものじゃなかった。エル・ピールドにも浄化の意思は確かにあったけど、それを後押ししたのは貴方による脅迫だった、違うかしら?」


頭に血が昇るのが分かった。エルの奴、全て吐きやがったのか??

しかしそんなことをしたら、親子共々教会に捕らえられて死ぬだけだ。俺が教会にチクれば、それで全てが終わる。あいつ、何を考えてやがる?


「だとしても、てめえらには何の関係もねえだろうがよ!?てめえらはさっさとヴァランを捕まえて……」


ハンスが急に目の前に人差し指と中指を立てて突き出し、微笑んだ。


「2、です」


「は?」


「報奨金は2000万オードではなく、2億オード頂きます」


俺は机を蹴飛ばし立ち上がった。


「はあああっっ!!?な、何寝ぼけたこと言ってんだ!!?」


「寝ぼけているのはそちらでは?私たちに依頼する時には、『一切の虚偽の情報提供は許さない』。これを必ず守って頂くことになっております。

それを破った場合、契約違反として10倍の違約金を支払って頂く。知らなかったとは言わせませぬ」


「ど、どこが虚偽だってんだ!?ヴァランは転生者で、しかも大量殺人を犯してるんだぜ??」


「真の依頼人は貴方ですし、もう1人の依頼人たるエル・ピールド女史を脅迫していたのは立派な契約違反ですな。そして、その意図も邪です。

ここに2億オードを、即持ってきて頂きましょう。支払わねば、フリード陛下によって貴方の財産を強制接収させて頂く」


な、舐めやがってっっ!!!


「ゴードっ!!!マクシムっっ!!!」


扉が開かれ、銃剣を手にしたゴードとマクシムが雪崩れ込む。



次の刹那、一陣の風と共に目の前からハンスが「消えた」。



そして、気付いた時には……ゴードとマクシムは、床に倒れ込んでいた。

ハンスは「ふう」と息を吐く。いつの間にか、グローブが右手にはめられている。……何をしたんだ!?


「だから言ったでしょう、舐めているのはそちら、だと」


「てめぇっっっ!!!」


俺は拳銃を抜いてワイズマンの鼻先に突き付ける。


「これで脅しのつもり?」


「すぐさまここから帰りやがれっっ!!さもねえと、この女の命はねえっ!!」


「私を殺したら、貴方も死罪よ。まさか、フリードと喧嘩をするとか言わないわよね」


「知ったことかよっ!!!」


激情に任せて引き金を引く。バァンという破裂音と共に、ワイズマンのその高慢ちきな美貌はザクロのように弾け……



「馬鹿ね、そのぐらい読んでるわよ」



背後からの冷たい声。


次の瞬間、激しい痺れがが全身を突き抜けた。


「ぐおおおおおおっっっ!!!!」


な、何をしたんだこいつはっ!?俺は、確かにこの女を撃ち殺したはずっ……


床に突っ伏した俺を、ワイズマンが蹴飛ばした。


「種明かししましょうか?幻術をかけてたのよ。ちょっと私の目の前にいる時間が長すぎたわね」


幻術??しかし、目の前にいたのは間違いなくこの女だった。そこまで高い精度の幻術なんて、見たことも聞いたこともない。


ハンスの苦笑が聞こえる。


「全くお嬢様も人が悪い。人をぬか喜びさせてから、背後から気絶しない程度の雷撃魔法とは」


「貴方ほどの性悪じゃないわよ。初めからこうするつもりだったのでしょう?」


ククク、と男の嗤いが聞こえる。


「まあ、『フィラデリアの黒曜石』は今日を以って御仕舞です。その財産のうち2億オードをフリード陛下から頂くことにしましょう」


今、こいつは何と言った??


「てっ、てめえ……どうする、つもりだ……!!」


「ああ、失敬。貴方含め『フィラデリアの黒曜石』は重大な法律違反を多く犯しています。故に、あとは司直に委ねるつもりです」


「『裏ギルド』は、必要悪として、政府からも認められ……」


「ですが、貴方は少々やり過ぎましたな。敵対組織への暗殺はともかく、表で商売をやっている人間にも少なからず危害を与えています。

私たちが相手にするのは、あくまで『真っ当な』裏ギルドのみです。堅気に手を出し、あまつさえ騎士団まで意のままに動かそうとしたのは失策でしたな」


「俺を、エルに……騎士団に突き出すのか??あいつに俺を裁けるわけが」


ハンスが笑いながらパタパタと左手を振った。


「いえいえ、貴方にはここで眠って頂くだけですよ。私たちがするのはそこまで。そこから先は、一切関与しませぬ故」


眠って頂く?


猛烈に、嫌な予感がした。フィラデリアの騎士団ではなく、国の近衛騎士団につき出すのか?


いや、これはそういう言い方じゃない。もっと不吉な、何かだ。



まさか……!!?



顔から血の気が一気に引く。



「お、おいッッ!!?てめぇっ、ヴァランとっっ!!」



「五月蝿いので、眠って頂きますか。『永遠に』」



口と鼻に、グローブが押し当てられる。その酷く甘ったるい匂いに、俺の意識は瞬時に失われた。




……そして、それから数分後。



床には意識を失ったままの2人の黒服と、背中から血を流し事切れている1つの死体が横たわっていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る