1-6
「そこにいるのは分かっています。ねぇ、ヴァラン君」
穏やかで、心安らぐような声がした。しかし、この部屋から外に出る訳にはいかない。
もう一度、恩寵の発動を試みる。……やっぱりダメだ。
体力が切れた?確かに、ここまで逃げるのは相当しんどかった。それでも、少し休んで力は戻っている。あの「神様」は、恩寵に使用制限があるなんて言っていなかったはずだ。
……これは、おかしい。絶対に、何かされている。
無視していると、男が話を続けた。
「ピールドさん、貴女が庇っているのも分かります。もう詰んでいるのですよ」
「……どうしても、『祓う』というのですか」
「それが私たちの仕事ですから。ただ、どうにも気になる点がありましてねぇ。せめて、その疑問だけ解消してから『祓い』たいと思っているのです。
少し、上がってお話してもよろしいですかな?何、手荒な真似はいたしませぬ故」
「……ワイズマン様は?」
裏庭から、ガサガサっという音がした。そしてしばらくすると、「やっと待機終了ね」と女性の声がする。
「虫に刺されちゃったじゃない……全く。それと、もうあそこを離れて大丈夫なの、ハンス」
「ええ。ここまで来れば、後は如何様にでも」
隙間からリビングの方を覗き見る。長身の眼鏡の男と、ポニーテールの赤毛の女が椅子に座るのが見えた。
エルさんは「ワイズマン」といっていたから、あの女がジャニス・ワイズマンか。ここから何としてでも逃げなくては。
寝室には、裏庭に繋がる窓がある。そこから外に出ることは可能だ。「透き通った空気」が使えるのかは分からないけど、この家にいるのはとにかくまずい。窓を開け、何とかここから離れなくては。
できるだけ音を立てないよう、少しずつ、少しずつ窓を開ける。初夏の涼しい風が部屋に入ってきた。
その時、またあの男の低く穏やかな声が聞こえた。
「おっと、窓から逃げようとしても無駄ですよ?その気になれば、貴方を捕まえることは1秒もあればできる」
気付かれたか。しかし、何故こいつはそこまで自信があるんだ。ジャニス・ワイズマンの助手は、やはり彼女同様相当の使い手なのだろうか。
僕は窓を閉じた。どうする。どうやればこの窮地を脱することができる。
ワイズマンとあの男を、何とかして殺すしかない。しかし、「透き通った空気」なしで殺すのは多分無理だ。僅かな隙を見つけて、そこに全てを賭けるしかない。
僕は短剣を片手にクローゼットへと隠れた。開けた瞬間が唯一の好機だ。そこで片方を仕留め、後のもう一人を何とかする。あるいは、エルさんが加勢してくれるかもしれない。
とにかく、このままじゃ僕はもちろんエルさんも終わりだ。ここを切り抜けて、エムスを殺し、この街を出なければ。
「フフフ」という笑い声が聞こえた気がした。
「まあいいでしょう。さて、お話とは他でもありませぬ、今回の依頼の真相をお聞きしたく」
「真相?」
「ええ。依頼主は貴女で間違いはない。ただ、依頼の受付人であるヒイロ・テイラー氏からこちらに来た時の様子は聞いておりましてね。あまりに色々腑に落ちぬ点が多くてこちらも困っていたのですよ。
確かに、ご子息であるヴァラン・ピールドは転生者だ。しかも20人近い死者を出している大罪人です。本来であれば『浄化』の対象にはなり得ない。もはや『討伐』を以って受肉者ごと斬らねばならない案件なのです」
女……ワイズマンの声がそれに続いた。
「まあ、私としては転生者を滅することができればそれで十分なのだけどね?ただ、貴女が息子を救いたいという気持ちは別としても、これだけの騒ぎになってるのに浄化を求めてきた時点で引っかかるものはあった。
殺害の証拠が見つかってないのは分かるし、教会にも一応まだ言い分はできる。それでも普通は討伐を依頼するわ。そして、それならわざわざ2000万オードも払って私たちの所に依頼には来ない。
決定的だったのは、依頼金を払うのが貴女じゃなく、ハーディ・エムスだったこと。それでピンと来た。貴女は脅されて、この依頼をした。どう?」
静寂が流れた。エルさんが脅されているのは、さっきのエムスの言葉から分かった。ただ、それと僕の「浄化」と何の関係があるんだ。
「……それは、言えません。貴女たちであっても」
「そう?でも、正直寝覚めが悪いのよ。こっちとしては、誰かに利用されているようでね。そんな状態で依頼を完遂しても嫌なのよ」
カタン、と音がした。ティーカップの音だろうか。
「平たく言えば、今回の依頼はエムス氏の意向が強く働いていると見ています。つまり、彼にとっては浄化によってヴァラン君が生きてもらわねば困る。
ああ、もちろんヴァラン君は浄化しますよ?それはそれとして、今回の依頼の背景を理解したいということです」
再び、エルさんが黙った。相当悩んでいるのだ。
エムスは、ヴァランの父親が誰かが世間にバレたらエルさんは終わりだと言っていた。そして、それをヴァランが知ったらどうするだろうか、とも。
多分、彼女がワイズマンたちに依頼をしたのはその辺りに真相があるんだ。
ヴァランは真実を知ってはいけないのかもしれない。でも、「僕」はどうか。
「それは……」
「言わないならすぐに彼を浄化するまでです。ただ、言えば最後の別れの時間ぐらいは作って差し上げましょう」
この眼鏡、相当底意地が悪い。口調がずっと穏やかなだけに尚更だ。まるでエルさんを弄んでいるようにも思える。
僕は、目を強く瞑る。僕はもう助からないかもしれない。でも……彼女だけは。
「僕はここだっ!」
部屋から飛び出した僕に、男が穏やかに、しかし薄く嗤った。
「やはり出てきましたね。さて、貴方からも話を聞かせていただきましょうか」
まんまと釣られたことに気付き、顔が紅潮する。でも、僕がやるべきなのはこいつに怒りをぶつけることじゃない。
「母さ……エルさんっ!!僕……ヴァランの父親は、何者なんですか!?それでエムスに強請られているのは分かってますっ、それぐらいは言っていいでしょう!?」
「ダメよ!!それをあなたが知ったら……あなたは、私を殺してしまう!!それだけは、決してっ……!!」
「僕はヴァランじゃないっ!転生者、竹内瑞樹だっ!!僕にとって、自分の出生の秘密などどうだっていい!!何でそれが、エムスがあなたを脅すことになるんですかっ!!」
エルさんは泣きながら下を向いた。そこまで、隠しておきたいことなのか。
ワイズマンが口を開いた。
「ヴァランの父親?変ね、そんなのをなぜエムスが知っているのよ」
そうだ。確かに考えてみれば変だ。ヴァランは、自分の父親は既に死んでいるとしか知らされていない。
眼鏡の男が、静かにエルさんに訊く。
「ヴァランの父親は、エムス氏に関係のある人物なのですね」
エルさんが頷いた。
「……はい。彼の名は、ジェイン・ピールド。……『フィラデリアの黒曜石』の創始者で……私の、兄です」
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