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これは、どういうことだ。
「視覚強化……『鷹の眼』は使っていたのですよね」
「もちろん。見逃すはずなんてないわ。立ち止まったかと思った次の瞬間、ヴァランが『消えていた』」
「恐らくは『恩寵』、ですな……」
ジャニスが首を縦に振った。
転生者の恩寵は、それぞれ異なる。ジャニスが接近すれば無効化できるとはいえ、未知の恩寵と接触する瞬間は毎回強い緊張を感じる。
まずは恩寵の内容を推測し、探らねばならない。相手の危険性を把握せずに突っ込むのは、愚の骨頂だ。
過去の経験と知識をもとに、思考を全速力で巡らす。目撃者がこれまでいなかったことは、今の現象と無関係ではあるまい。
そして、「背後から心臓を一突き」という共通の殺害方法。これはつまり、「相手に気付かれず背後に回り込んでいる」ことに他ならない。
恐らく、見えないだけではない。足音……いや、気配そのものがないのだ。となると恩寵の効果は認識阻害、あるいは透明化か?
……いや、どちらも違う。どちらも返り血は多少なりとも浴びる。そうなると臭いはともかく、汚れた服の処理が問題になる。
ピールド騎士団長が嘘をついているのかもしれないが、毎日のように人を殺しておいて衣服の異変が周りに悟られないのは妙だ。
となると……答えはこの辺りか。
「『気体化』、ですな」
「どういうこと?」
ジャニスが怪訝そうに聞き返す。ここでのんびり説明している余裕はない。早足で暗黒街の奥へと向かう。
「平たく言えば、身体を見えない煙か霞のようにするのです」
「……そうか!!今までの被害者には家の中にいて殺されたのも何人かいたみたいだけど……それなら鍵を掛けていようが簡単に忍び込めるわね。まさかナイフも見えなくさせているのかしら」
「恐らくは触れている物全てを見えなくさせることができるのです。そして、任意の部分を好きな時に実体化できる……それがヴァランの恩寵かと」
私は早足から小走りへと足取りを変えた。ジャニスも事の重大さに気付いたようだ。
「ちょっと待ってよ!!それって、ほとんど無敵ってことじゃない!!」
「ええ……これ以上暗殺に向いた能力はない。そしてここに来たということは……」
ギャアアッッ、という男の叫び声が夜の闇に響いた。遅かったかっ!
「あの館ですなっ」
私たちは20メートルほど先の建物へと走る。看板からして表向きは酒場か何かのようだが、ここが何であるかを私は知っていた。
「ホード商会」。依存性の高い悪質な麻薬、「ローツェの香」の元締めであり、2年前の依頼で転生者の男が逃げ込んだ先でもある。
酒場の入り口には屈強な男2人が見張りのように立っていた。男の叫び声に、「お頭っ!!?」と叫び中へ駆け入るのが見える。
ホード商会の会長、ダグラム・ホードは強欲な男だった。2年前にあった、転生者の身柄引き渡しは相当難儀したのを覚えている。過剰な金銭を要求するなど、正直に言って悪印象しかない男だ。
それでも、ヴァランによる殺人を見逃すわけにはいかない。私たちも見張りの男の後を追った。
「お頭っ、お頭ぁっっっ!!!」
階段を駆け上がる最中、男たちの慟哭が聞こえた。……この分だと、間に合わなかったか。
いや、まだ手遅れではない。ダグラムの命は助からないかもしれないが、ヴァランを追うことはできる。
ジャニスの「恩寵無効化」の射程は、「魂見」とほぼ同じ5メートルだ。ヴァランはまだ近くにいる可能性が高い。今は捕縛の好機だ。
私は踵を返し、ジャニスと一緒に階段を跳び降りる。館を出て辺りを見渡したが、通りにヴァランらしき人影は見えない。まだジャニスの「射程」には入っていないようだ。
さっきのダグラムの断末魔に、野次馬が集まり始めていた。ヴァランとしては極力早く、この暗黒街から去りたいはずだ。
逃げるとすれば、どこだ。そもそも、どの程度「恩寵」の効果を維持できる?
私は腕時計を見る。ジャニスが「ヴァランの姿が消えた」と告げてから2分近くが経っていた。これほどの強い恩寵を長時間維持することは、普通に考えれば不可能だ。
つまり、どこかで再び恩寵を発動できるようになるまで休んでいるはずだ。路地の奥か?いや、見付かった時のリスクが大き過ぎる。
とすれば……
「上だっ!!」
私が叫ぶと同時に、ジャニスが飛んだ。しばらくして、「屋根の上っ!!大分遠いけど見つけたわっ!!」という声が頭上から聞こえる。
ジャニスは「紅の翼」で暗黒街の出口へと向かった。私も遅れぬよう、「倍速」で追う。
野次馬の人波をかき分け、ランプで薄く照らされた道を疾走る。私は闇夜を飛ぶジャニスに叫んだ。
「お嬢様っ!捉えられますかっ!!?」
「分からないっ!見つけた時には、かなり距離があった……とりあえず屋根伝いに逃げてるわっ!」
これはマズいかもしれない。気体状態での移動速度が想定より速かったか。射程に入る前にもう一度恩寵を使われたら追尾しきれない。
そして、往々にして嫌な予想は当たるものだ。暗黒街出口に差し掛かった辺りで、ジャニスの動きは止まってしまった。
「どうしましたっ!?」
「見失ったわ……もう少しで、間合いに入ったのに」
唇を噛み、悔しそうに彼女が下に降りてくる。泣き出しそうな彼女を胸に抱き、私はポンポンと頭を撫でた。
「一連の殺人犯がヴァランだと確定しただけでも十分です」
「気付くのが、遅かった……もう少し早く気付いていればっ……!!」
ジャニスは微かに泣いている。プライドの高い彼女にとって、失敗は許しがたいことなのだ。
普段は高慢で強気に振る舞ってはいるが、決して自己肯定感が強い女性ではない。過去のトラウマもあり、むしろメンタルには脆さを抱えている。
そんな彼女を支えるのも、私の仕事だ。
「悔いても仕方ありませぬ。彼がダグラム・ホードを殺したことは疑いない。こちらとしては、『浄化』の要件は整ったわけです。依頼の遂行は、順調に進んでいる」
「……そうね。ピールドに言えば、身柄は確保してくれるはずだし……」
「ええ」
……本当にそう上手くいくだろうか。ジャニスを慰めるために言ってはみたが、正直かなりの不安がある。
ヴァランが大手裏ギルドのトップであるダグラムを殺したことは、状況を相当に厄介なものにさせていた。
ホード商会の残党は、彼を殺した犯人を決して許しはしない。血眼になって仇を取ろうとするはずだ。フィラデリア全体ではホード商会の威信をかけた捜索活動が明日から……あるいは今晩にも行われるだろう。
そして、ヴァランは犯行声明のカードをこれまでの所必ず落としている。ホード商会がそれを手掛かりにヴァランまで辿り着く可能性は、全く否定できない。
身の危険を感じたヴァランも、全力で逃げようとするはずだ。恩寵を使って逃げ回り、フィラデリアを脱出しようとするのが筋だ。
そうなるとこちらが彼を確保するのは、ピールド騎士団長の協力があったとしても至難になる。明日まで待っている余裕は、色々な意味でもはやない。
つまり、まだ問題がそこまで大きくなっておらず、かつヴァランが一度寝に戻るだけの余裕がある今夜中に仕留めねばならない。暢気に構えている余裕は、多分ない。
ヴァランは再び姿を消した。どこに逃げた?
……思い付く行き先は、一つしかない。私はジャニスに薄く笑った。
「いいことを思い付きました」
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