1-3
「あれがヴァランかしら」
午後6時を少し過ぎた頃、騎士団詰所から小柄な少年が出てきた。薄い茶色の短髪、童顔の男。灯りに照らされたその風貌は、事前に聞かされていたヴァランの特徴に一致する。
「どうです?そこから確認できますか」
「もう少し近くに行かないと分からないわね……」
ジャニスの「魂見」の有効射程は5メートルほどだ。ある程度近づかないと、ヴァランが転生者かどうかは判断できない。リスクを多少負う必要がある。
私もジャニスも、髪型を変えたり帽子を被ったりする程度の簡単な変装はしている。服装も目立たない黒を基調としたものだ。
私たちはレヴリアではある程度名が知られている。そして騎士団所属であるヴァランなら、私やジャニスの外見上の特徴を知っていてもおかしくはない。彼が殺人を犯しているであろうことを考えれば、気付かれぬよう慎重に慎重を期さねばならなかった。
ジャニスが私の腕に自分のそれを絡めてくる。その意図はすぐに察した。どこにでもいる恋人同士を偽装し、徐々に距離を詰めようということだ。
私は無言で頷くと、ヴァランと同じ方向に歩き始めた。徐々に距離が詰まり射程距離に入ろうかというその時、ヴァランが足を止めて後ろを軽く振り向いた。
こちらも止まるか?いや、それはあまりに不自然だ。私はそのまま歩き続ける。
ヴァランの視線は私たちには向いてはいなかった。というより、周囲を警戒しているように見える。
私たちはそのままヴァランの横を通り過ぎた。ジャニスの目が、一瞬彼の方に向けられ、すぐに戻る。
10メートルほど先の路地を曲がると、そこで私たちは一旦止まった。ヴァランの姿は見失ったが、これでひとまずは十分だろう。
「お嬢様、結論は」
「魂の色は赤。間違いなく転生者ね」
「やはり。これからどうしま……」
路地の奥に誰かがいるのに気付いた。男が3人。その目はギロリとこちらに向いている。
そのうちの一人の口にはパイプが咥えられていた。立ち昇る煙は青く、ここからでも微かに芳香がする。
麻薬の一種、「ローツェの香」か。どうも麻薬中毒者の溜まり場に入り込んでしまったようだ。
フィラデリアでは大通り以外の道を歩くことは勧められていない。一つ道を逸れれば何に巻き込まれるか分かったものではないからだ。
そのことは理解していたつもりだったが、一瞬ならいいだろうと甘く考えてしまった。あるいは、それほど治安が悪化しているということなのか。
どちらにせよ、長居するような場所ではない。踵を返そうとした時、禿頭の男が野太い声を上げた。
「なんだぁてめぇら……邪魔しに来たのかぁ??」
「お、女じゃねえか!!しかも上玉も上玉、こりゃとんでもなくツイてるなぁおい!!
一緒にいる男が邪魔だから、とりあえずボコるかぁ?」
「いいなぁそれ!とりあえずここで犯しちまおうぜぇ」
男たちはナイフを抜いてこちらに迫る。私は溜め息をついた。あまり荒事をしている余裕はないのだが。
「どうする?逃げとく?」
「いえ、不本意ですがここは私が」
この場をジャニスに任せると騒ぎが大きくなりかねない。何より、肉体的にはただの女性である彼女が傷つかないとも限らない。ここは私の仕事だ。
胸元からグローブを取り出し、右手にはめる。グローブにはアマリアの樹液がたっぷりと染み込んでいる。一嗅ぎすれば、その場で意識を失うほどの強力な麻酔効果がある樹液だ。
昏倒させるにはグローブを口と鼻に押し当てる必要があるが、「武器」としてはなかなかに強力だ。何より相手を傷付けずに無力化できるのは、対象を傷付けないことを極力求められるこの稼業をやるにおいては、大きなメリットがある。
その様子を見た男の一人が、嘲るように吐き捨てた。
「何だぁてめぇ。そのなりで俺たちとやろうってのかぁ?」
「構っている暇はありません。ちょっと黙っていただきましょうか」
私は「自分の時間」を2倍ほどに早め、男たちに向かって駆けた。
一瞬の加速に驚きの表情を浮かべた先頭の男の口に、まずグローブを当てる。1秒もしないうちに男は白目をむいた。
「てっ、てめえっ!!?」
男がナイフを振りかぶった。酷くゆっくりと見えるそれを難なく交わし、カウンター気味に口に右掌を押し付ける。これで2人目。
一瞬のうちに仲間が相次いで地面に倒れたのを見て、最後の一人は驚愕の表情とともに立ち尽くす。その彼から私はナイフを簡単に奪って、喉元に突きつけた。
「喧嘩を売るなら相手を見てからすべきですねえ。大丈夫、抵抗しないならここまでです。お仲間も2時間ぐらいで目覚めますよ」
「な、何者だよ、あんた……」
「ただの執事ですよ」
呆然とする男を背にして、私はジャニスと共に路地裏から表通りへと戻った。当然といえば当然だが、ヴァランの姿は見当たらない。
「うーん、見失ってしまいましたねえ。さてさて、いかがしたものか」
「貴方のその『時魔法』で何とかできない?」
「それも一興ですがねえ……」
私は腕を組んだ。「倍速」に留めたとはいえ、長時間の「恩寵」の発動は流石に堪える。できれば、無駄遣いはしたくない。
そう。あのチンピラ相手に使ってみせたのは私の「恩寵」――「時を統べる者」だ。自分の時間を、周囲の時間から切り離し好きな速度に加速させることができる。
そして、ジャニスの持つ体質、「恩寵無効化」の唯一の例外でもある。
恩寵の使い手の魂が「青」の場合は、彼女の体質の対象外となるようだ。私は生まれながらの転生者であり、ベースとなる受肉体の魂がない。それが魂の色にも表れていると推測している。
そして、魂の色を見れるジャニスは、私が転生者とは全く思いもしていない。恩寵も使えるはずがないと思い込んでいる。
彼女には、私の恩寵は独学で学んだ「時魔法」だと説明していた。一応それに近い魔法はあるようだが、使い手はほぼ皆無だ。それでも彼女が生まれてからの25年間、この嘘がバレそうになったことはない。
ただデメリットがないわけではない。自分の時間を加速させればさせるほど、そして加速している時間が長いほど、体力の消耗も激しくなる。倍速程度ならそれほど問題ではないが、5倍速だと20秒ぐらい持続させると相当息切れしてしまう。
そして「奥の手」を使うと、翌日は体力的にほぼ使い物にならない。今までこれを使ったことは、人生でわずか3回だけだが。
とにかく、戦闘まで視野に入れると消耗は避けたい。そして、その可能性は決して低くもない。
ヴァランは毎日のように殺人を犯している。被害者が犯罪者とはいえ、その罪に見合わない罰は与えられるべきではない。仮に見合っていたとしても、それは法に基づいて裁かれるべきだ。
それは、かつて警察官だった私の信念でもある。
「お嬢様、上空から探って頂けますか」
「それって目立つわよ?バレそうなものだけど」
「そのためにこの色の服にしているのです。日が沈みつつあるこの空なら、お嬢様の姿もさほど目立ちますまい」
ジャニスは納得したようだ。魔法で視力をはじめとした五感を強化できる彼女なら、この明るさでもヴァランを見つけ出すことはさほど問題はない。
「了解。見つけたらどうする?」
「下にいる私に合図を下されば。あとはお嬢様を追って行きます故」
ジャニスの飛行魔法、「紅の翼」は時速40キロ前後で飛ぶ。彼女に付いていくには、「倍速」を使い8割程度の力で走るとちょうどいい。ヴァランがここからそう離れていないことを鑑みれば、十分に力を温存できるだろう。
すうとジャニスが茜色と群青の混ざった空に飛ぶ。上空15メートルほどの所で停止しヴァランが向かった方向を見つめると、30秒ほどで「こっちに向かう」という手振りが見えた。
賑わい始めていた大通りを、私はラインバッカーのようにすり抜けて進む。ジャニスの向かう先は歓楽街のさらに奥、堅気が決して立ち入らない「暗黒街」のようだ。確か、エムスの裏ギルド「フィラデリアの黒曜石」の本部もこっちにある。
その入口の辺りで、ジャニスが動きを止めた。そして、静かに私の元へと降りてくる。表情は険しい。
「お嬢様、何かあったのですか」
「急に見えなくなった。暗黒街に入ってすぐに、文字通り」
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