依頼1「フィラデリアの見えざる刃」
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「大丈夫かしらねえ」
馬車に乗り込み、ジャニスが呟いた。後方ではミミが「いってらっしゃいませー!!」とブンブンといつものように手を振っている。
「心配は無用かと。『ユウ』はある程度落ち着きを取り戻していましたし」
マルコ・モラントに憑依していた転生者の青年は、「ユウ」としてしばらくこの館で過ごすことになった。反発的な態度からすぐに「浄化」しなければならなくなるかと思ったが、一晩経つと多少は従順になった。
どういう心境の変化があったのかは分からない。ただ、ミミに会ってから落ち着いたところを見ると、彼女の「恩寵」の効果も多少はあったのかもしれない。
彼女は弱く、臆病ではあるが、その恩寵の力は義体に封じられてなお強力だ。だからこそ、これまで私たちは彼女一人に留守を任せることができた。今回も多分、大丈夫だろう。
もっとも、ジャニスの考えは多少違うようだが。
「うーん……でもあいつがミミを襲ったりしないかしら?ユウは見た所かなりの俗物よ?
数日間ミミと一緒にいて、襲ったりしないか心配なのよね」
彼女は何度も館の方を振り返った。子供の頃に家族を失ったジャニスにとって、ミミは歳の離れた妹のようなものだ。転生して真っ先に女を買おうとしたユウが、ミミの貞操を奪わないかと思う気持ちは分かる。
私は苦笑した。
「それは杞憂でしょう。妙な気を起こさないよう、義体には一切の性的機能は与えられていない。何より、生に対する執着の強いあの男が、下手な手を打つとは私には思えませぬ」
「まあ、そうなんだけどねえ。戻るまで最低一週間でしょ?本当に大丈夫かしら」
「そこはミミとあの男を信じましょう」
馬車はヴァンダヴィルを抜け、一路フィラデリアへと向かう。フィラデリアに着くのは、恐らく明日の昼ぐらいになるだろう。
*
フィラデリアは、この10年で急速に栄えた新興都市だ。ブラド大橋が開通したことで、レヴリアとカルディアを最短距離で結ぶ新たな交易路が確立された。そして、シャロットに代わり新たに中継貿易の中核都市となったのがフィラデリアだ。
周辺で金鉱山が発見されたこともあり、一攫千金を夢見る若者やならず者がそこに集まるようになった。そして彼らの落とす金目当てに裏社会の連中も動き、さらに彼らを監視するために治安部隊である騎士団も派遣された。
結果、のどかな田舎の一都市に過ぎなかったフィラデリアは、一気にレヴリア有数の大都市となったというわけだ。それは今や、私がいた世界のラスベガスに似た立ち位置になっていた。
その別名は「欲望都市」。ありとあらゆる欲望を巻き込むフィラデリアは、混沌の街でもある。
「相変わらずゴチャゴチャしてるわねえ」
顔をしかめながらジャニスが言った。彼女はこの街がイマイチお気に召さないようだ。
この街に来るのは3回目だが、来るたびに表情が違う。前に来た2年前よりも明らかに背丈の高い建物が増えていた。
通りを歩く人の数もずっと多い。雰囲気もより活発で、ギラついたものを感じる。私は前世で香港を訪れた時を少し思い出した。
車窓から外を見ると、路地でチンピラが少年をいたぶっているのが見えた。治安もより悪くなっているようだ。
治安維持のためにヴァンダヴィルから派遣された騎士団長、エル・ピールドは女性ながら優れた行政能力で知られていたが、さすがにこの人口増には対処しきれなくなっているらしい。
200メートルほど向こうに、ひときわ大きく、装飾品で飾り付けられた建物が見えた。フィラデリア最大の宿――というよりホテル、「パウルの宿り木」だ。あそこに、今回の依頼人であるピールド騎士団長が待っている。
「また増築したみたいねえ。派手なのがいいとは思わないのだけど」
「下々の者の中には、ああいうのを好む輩も少なくないのですよ」
「そんなものかしら。私は落ち着かなくて嫌ねえ」
ジャニスがぶつぶつ言っているうちに、馬車は宿のロータリーへと着いた。ずらっと並んだ従業員たちが、「いらっしゃいませ」と出迎え、ボーイが荷物を受け取る。
5つ星ホテルのサービスもかくや、だ。ジャニスもこれには目を白黒させた。
「ビックリした……!!いつの間に、こんなもてなし方をするようになったの??」
「私は存じ上げませぬが……前にフィラデリアに来た時は、両方とも普通の宿でしたからな」
依頼の際の宿には、大体普通の宿を使う。もちろん、出費を抑えるためだ。安宿はジャニスが嫌がるのでそれなりの所に泊まるが、こういった高級ホテルにはあまり縁がない。
このサービスは、恐らくこの世界由来のものではない。ブラド大橋を建設したのは、確か転生者のパウル・ソーリスという男だ。転生者としては珍しく無私の人物であったらしいが、対立するギルドとの抗争の中で亡くなったと聞く。
彼の命は既にないものの、フィラデリアの街づくりのコンセプトに彼の意向が強く働いたことは疑いがない。彼の前世は、どのような人物だったのか。興味はあるが、それはもはや叶わぬことだ。
ボーイに待ち合わせの件を告げると、「離れにお客様がお待ちです」と案内された。ビル状の本館とは一転、離れは平屋のようだ。どことなく日本旅館のそれを思わせる落ち着いた作りに、ジャニスも「こっちはいい感じね」と満足そうだ。
引き戸の向こうには、長い金髪が印象的な妙齢の女性と、頭が禿げ上がった豊かな顎髭の男がいた。男の方は2度ほど会ったことがある。フィラデリアの裏ギルド首領、ハーディ・エムスだ。
「お待たせしました。エムスさん、お久し振りです。そちらの女性が、エル・ピールド騎士団長ですか」
女性は小さく頷くと、「お初にお目にかかります」と立ち上がって一礼した。ジャニスもそれに応じる。
「こちらこそ初めまして。お会いできて光栄ですわ。私がジャニス・ワイズマン。こちらが執事のハンス・ブッカーです。ご依頼はお二人の連名、ということで間違いなくて?」
「はい。どうぞお座り下さい」
私たちは座布団の上にそのまま座る。こういう辺りまで日本旅館風とは意外だった。
「依頼の内容、改めてうかがえますか」
向かいの2人は一瞬視線を交わし、エムスが「俺から言う」と切り出した。
「あんたらが見ての通り、フィラデリアはかなりデカくなった。ぶっちゃけて言えば、俺のギルドだけじゃなく、幾つかのギルドが乱立して争ってる。ギルドに属さないチンピラも多くてな、正直手に負えねえ。
エルんとこの部隊でも、人手が足りなくて正直治安維持が追いつかねえんだ」
「それと転生者がどう関係すると?」
「話は最後まで聞けよ。まあ、ぶっちゃけタチの悪い犯罪はかなり多くなった。観光で来た若い女を拐って犯して殺して埋める、とかな。
ギルド最古参の俺たちとしても、これじゃ十分な商売ができねえ。博打の客入りが悪くなるだけじゃねえ。こういった宿のみかじめ料も取れなくなるからな。
んで、本来なら敵同士である騎士団と組んで、治安強化に動こうとしたってわけだ。敵の敵は味方ってことだな」
従業員がお茶が入った湯呑みを持ってきた。パルフォール産の紅茶を口にして、ジャニスが首を振る。
「それ、上手く行かないでしょ。一番偉い貴方たちが合意しても、下の人間が『はいそうですか』とはいかない」
ピールド騎士団長が小さく頷いた。
「その通りです。騎士団にも、私に手を引くよう圧力をかける動きが出てきた。
そんな中、2週ほど前から奇妙な事件が相次いだのです」
「奇妙な事件?」
「……ええ。フィラデリアで指名手配されていた犯罪者が、相次いで刺殺体で見つかったのです。その数、これまでで17人」
ジャニスが口をあんぐりと開けた。
「……17人??1日1人以上死んでるじゃない。というか、同一犯なの??」
エムスが無言でテーブルの上に紙切れ一枚を出してきた。
「死体の横には、これが置かれていた。17人全てに、だ」
そこには「正義は必ず貫かれる」とあった。私は腕を組む。
「随分と自己顕示欲の強い犯人のようだ。ただ、17人も殺しているなら多少は目撃者がいるのでは?」
「それがいない。手がかりはこれぐらいだ。ただ、やられた奴らは例外なく背後から心臓を一突きされてる。それなりの使い手なのは間違いねえ。
あと、被害者に共通項はねえ。俺のギルドの若いのも殺されてる。とりあえず、指名手配されてりゃ罪の軽重関係なし、だ」
苦り切った顔でエムスが言う。ジャニスは「うーん」と唸った。
「御伽噺で出てくる正義の英雄を気取っているのかしら。ただ、これだけじゃ私たちに依頼する意味がない。これが転生者、それも貴方たちのどっちかに深い関わりがあると思われる人物の手によるものだと察しているんじゃなくて?」
ピールド騎士団長の顔には苦渋の表情が浮かんでいる。
「……ええ。ただ、確証はないのです。だから、あなたたちにその真偽の確認も含めて、ご依頼を差し上げたというわけです」
「勿体を付けるわね。誰を疑っているの」
しばらくの沈黙の後、ピールド騎士団長が口を開いた。
「……疑っているのは、私の息子。フィラデリア騎士団二等騎士、ヴァラン・ピールドです」
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