序章6


「ん……」


何かの明かりが照らされ、俺は目を開いた。視界はもやがかかっているようだ。

ここはどこなんだ。そもそも、俺はあの男によって眠らされたはずだ。あいつら、俺を「殺さなかった」のか。それとも、もう俺は新たな生命に生まれ変わったのか。


「お目覚めのようですな」


あの、低い声が耳に響いた。……となると、俺は生き延びたということになる。

身体を起こし、目をこする。瞼ににモフモフとした感触がしたが、これは何だろうか。とにかく、少しだけ物がはっきりと見えるようになった。


目の前には無表情の眼鏡の男と、いかにも不機嫌そうな赤毛の女がいた。こいつら、こんなにデカかったか?


「俺を、消さなかったのか」


「こっちとしては超不本意だけどね。教会の規則は規則、あんたが幾つかの決まりを守っているうちは『浄化』しないでおいてあげることにしたわ。ありがたく思いなさい」


高慢さを隠そうともせずジャニスが言う。この女、本当に苛つくな。


眼鏡の男、ハンスがしゃがみこんで俺に目線を合わせた。


「貴方には、代わりの身体が見つかり、この世界で生きていく許しが出るまでここで私たちの手伝いをしてもらいます。

ああ、歯向かったら今度こそ『浄化』しますのでそのつもりで。貴方の生殺与奪の権利は、私たちが握っているとご認識下さい」


慇懃無礼にハンスが笑う。言葉遣いこそ丁寧だが、こいつも俺を見下していることには違いない。ストレートに態度に出さない分、こっちの方がより性悪だ。


「ふざけるなよっ……!!」


俺はハンスに殴りかかろうとしてやめた。歯向かえば「死」、それが頭によぎっただけではない。なぜだか知らないが、「錬金術師の掌」はこいつらの前では発動しなかったのを思い出したのだ。


俺の思考を見透かしたように、ハンスが薄く笑う。


「賢明ですな。貴方の恩寵は大きく抑えられていますし、身体能力も人間のそれには劣る。私たちに逆らって勝つことは、万に一つもないのです」


「……生き延びたければ、奴隷にでもなれっていうのかよ」


「奴隷とは人聞きの悪い。衣食住と身の安全が確保されている、素晴らしい環境ですよ。貴方はただ、家事一般を行ってくればいい。無理な労働も強いません。まあ、移動の自由はありませんがね」


「いつまでお前らの言いなりになればいいんだ」


「さあ?1年かもしれないし、10年かもしれない。一生かもしれない。そればかりは分かりませぬな」


ハンスのその余裕の笑みに、俺は「クソっ」と悪態をつくしかなかった。結局、俺に選択権がないことには変わりがないのだ。



その時、俺はさっきのハンスの言葉に強烈な違和感があるのに気付いた。



「……なあ。さっきあんた、『人間には劣る』とか言わなかったか??」


「ププッ!」とジャニスが吹き出した。


「何がそんなにおかしいんだよ!!」


「いや、あまりに面白いんだもの。貴方、まだ自分が『何になったか』気付いていないの?」


は??俺は人間に決まって……


そう思い、俺は自分の手を見た。手は五本指だが……指先には肉球らしきものがある。手の甲は黒く柔らかい毛で覆われていた。

はっとして、俺は自分の身体を改めて観察した。服は着ている。だがサイズは明らかに小さい。それだけじゃない。手も脚も、薄っすらと人間のそれではない体毛に覆われている。

そもそも、耳の位置が変だ。頭の側部じゃなく、上にある気がする。動かそうと意識すると、パタパタと前後に動いた。



……これは、まさか。



心底おかしそうに、ハンスが懐から手鏡を取り出す。


「これが今の貴方ですよ」




そこに映っていたのは、可愛らしいクマのぬいぐるみだった。





「ぐっ……ううっ……!!」


一通り泣き叫び、恫喝され、改めて自分には何の選択肢もないことを悟った後、俺は自分用にあてがわれたこの殺風景な小部屋でただ泣いていた。


転生して全てをひっくり返せると思った結果がこれかよ。これじゃ、前世の方がまだマシだ。

チート能力はほぼ奪われ、自由もなく、ただ非力な可愛いだけのテディベアとして生きろと?いつかは人間に戻れるかもしれないが、それにしたって保証はない。この世界で転生者が許されざる存在とは知っていても、この仕打ちはあまりにあんまりだ。


ハンスはこの家で生きていくためのルールを伝えていた。色々細々と言われたが、その多くはこれに集約される。


「言うことを聞け、歯向かえば死」だ。


どうもこの家の周りには移動を制限する結界のようなものがあるらしく、脱走もまずもってできない。俺の転生者ライフは、完全に詰んでしまった。


モフモフの毛で涙を改めて拭う。一応、この身体は「義体」という魔法生命体であるらしい。人工的に作られているから魂が何かしら入らないと動かないとジャニスが説明していたが、詳しくはよく分からない。

とりあえず普通の生物と同様に食事も睡眠も必要とする、らしい。ただ排泄はなく、食べたり飲んだりしたものは全てエネルギーに変換されるようだった。

もちろん、子孫を残すための性器もない。俺自身の声も、「高松裕二」とも「ハンス・モラント」とも違う、少年か少女か判然としない高いものになっていた。人間としてだけじゃなく、男としてのアイデンティティまで奪われたというのは地味にキツい。


この分では、俺はすぐに発狂するか、奴らに逆らって殺されるのだろうな。それはそれでいいかもしれない。ただ生きているだけなんて、真っ平御免だ。


そう思っていると、入口のドアが微かに開いているのに気付いた。その隙間から誰かが覗き込んでいる。


「誰だっ!!」


「ひゃいっ」


おずおずと、小柄なメイド服の少女……というか二足歩行のウサギのぬいぐるみが現れた。この屋敷には、ジャニスとハンスだけが住んでいるのではないのか。

そう言えば、ハンスは「同僚の転生者がいるから仲良くするように」と言っていた。その時は混乱していてよく話を聞いていなかったが、こいつがそれか。


「お前、誰だよ」


「あっ、はい。ミミです。よろしくお願いしますっ」


ペコリとそのウサギのような何かは頭を下げた。可愛らしいのか間抜けなのか、判断に困る仕草だ。


「お前が、俺の同僚の転生者か」


「はいっ!やっとお友達ができてうれしいですっ!よろしくお願いしますね!」


キャイキャイとテンションが高いな。メイド服を着ているが、どうも中の人間も女のようだ。多分、そんなに歳は行っていない気はする。


「お友達か……そんな馴れ合うつもりはねえけどな」


「でも、やっとジャニス様とハンス様以外の人とお話できてうれしいです。仲良くしましょうね?」


ニコリと笑いかけられ、俺は毒気を抜かれた。このタイプの女は、前世でもほぼ会ったことがない。

大体はギャルか、頭の弱いビッチばかりが身の回りにいた。こういう純粋そうでガキっぽい女との付き合いには、全く不慣れだ。


「仲良くできるかは分からねえけど……まあ、よろしく」


「はいっ!!あ、歩けますか?これから、お屋敷の案内したいんですけど」


俺はベッドから降り、立ち上がった。身体のバランスがおかしいが、まあ何とかなりそうだ。


「屋敷の案内って、ジャニスかハンスの命令か?」


「あっ、私がしたいからするだけです。あと、御主人様たちにはちゃんと敬語使わなきゃダメですよ?」


あいつらに敬語か……使いたくないが、殺されるよりは大分マシか。我慢するしかねえな。


「分かった。お前のことは、なんて呼べばいいんだ?ミミと呼び捨てでいいのか」


「はいっ!!あ、あなたのお名前、聞くの忘れてました……何とお呼びすればいいんでしょう」


そう言えば、俺の名前はどう呼ばせればいいのだろう。前世の「裕二」でいいのだろうか。

ただ、この世界で生きていくのに前世を引きずるのも違う気がする。まだこの身体で生きていくと決めたわけじゃないが、何かしらの新しい名前の方がいい気がした。


俺は少し考え、口を開いた。



「俺は……『ユウ』だ。そう呼んでくれ」




これが、俺が「祓い手」ジャニス・ワイズマンとその執事、ハンス・ブッカーの元で働くことになった最初の日だ。



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