黄昏の国

ゲコさん。

黄昏の国

 夫と離婚する事になった。私の人の顔と名前が覚えられない疾患と異常な居眠り癖が息子にも遺伝してしまったことが原因だった。

 私は6歳になる息子を連れ、現在住んでいる「昼間の国」を離れ、私の出身国である「黄昏の国」に移住することに決めた。黄昏の国は名前通り淡い紺色と濃厚な赤が空を覆い、1日中、365日常に薄暗い国である。そして国民の多くが私と同じで人の顔と名前を認識できず、居眠り癖を持っている。だからこそ近年、国単位で環境が整備されており、そういう人達でも苦労せずに勉強や労働が出来るようになってきているそうだ。

「だからね、息子さんが小学校に通うのに合わせて黄昏の国に移住した方が良いと思うわ。」

 息子が幼稚園に行きたがらなくなった時から話を聞いていてくれたカウンセラーの女性にも、私が離婚する事になった時にそうアドバイスを受けた。名前に「あ」が入っていて、ココナッツの香りの香水をいつも付けている人だった。

「貴方がいた頃と違って、黄昏の国も最近は学力が上がってきているし、仕事も高賃金の物が増えているからね。」

 カウンセリングルームにいつも持ってきていた彼女の鞄には、鮮やかなピンクのスカーフが結ばれていたのを覚えている。それが昼間の国特有の1日中明るい日差しを跳ね返し、いつも目に眩しかった。

 今まで住んでいた家を出るとき、前日に他人になった夫に言った。

「貴方は若かった頃の私にとって、救いの神様でした。」

 夫はずっと壁を向いて、私と目を合わせようとしなかった。

 右手に息子の手を握り、左手には鞄と色鮮やかな鳥の羽根を握って扉を開ける。羽根は昼間の国にも黄昏の国にも伝わる鳥の神様の羽根を模した縁起物で、鳥の神様が大きな羽根を広げて空になり、その羽根の色が空の色に変わったという伝説がこの地にあるのだ。私の救いの神様はもういない。これからは、空から見守ってくれる神様に願うのだ。


 電車を幾つも乗り継ぐ。日差しが少しずつ弱くなっていき、終点の頃には懐かしい夕暮れが頭上に広がっていた。遠くに星も見える。

 電車の終わりは入国審査管理事務所前で、国境の高い壁を背に無骨な古い建物がそびえ立っていた。入り口のインフォメーションセンターのスタッフに従い、黄昏の国への入国審査を済ます。

 幾つかの手書きの書類を提出し、昼間の国の身分証明書を破棄する。そして最後に名前を呼ばれて小さな部屋に通された。丸い眼鏡をかけた中年の男性が防弾ガラスで囲まれたカウンターに腰掛けて、書類に目を通していた。

「はい、XXさんと、XX君ね、事情と必要な書類はXXカウンセリングセンターから受け取っていますよ。昼間の国での生活、お疲れさまでした。」

 男性の胸には黄色の蛍光色に光る大きなネームプレートが貼られている。これは黄昏の国の国民が皆身に付けるもので、名前と大まかな住所、年齢、職業、学校名が表記されている。顔を覚えられない人が個人を認識するための対策として昔から付けることが国で義務化されている。

「新しいお住まいは…XX街ですか。良いですね。あそこは勉強も福祉もしっかりしてます。住みやすいです。仕事先ももう見付けているんですね。素晴らしい。」

 新しい住所は、昼間の国との国境近くの街に決めた。私達のような事情がある人が多いらしく、子供がいる人の仕事にも、他国からの移住にも対応している地域だとカウンセリングセンターから勧められた場所だった。間違っても私の生まれ故郷の町には行かない。行くものか。

 職員の男性が私達のネームプレートと、新しい身分証明書、その他必要な書類やパンフレットを渡してくれた。そして、私達に微笑む。黄昏の国特有の、不自由な人々への優しさと共感のこもった笑顔だった。「お互い大変だね」と言いたげな困りあった時のような笑顔だった。

「それでは、入国審査は以上になります。XXさん、XX君、黄昏の国へ、おかえりなさい。」


 黄昏の国に入国後、近くのホテルで一泊する。朝食、二度寝、昼食の後また電車に乗り込む。目的の駅に着いたら、タクシーで事前に契約したアパートまで向かう。

「どうです、黄昏の国は。」

 タクシーの運転手に声をかけられた。

「この辺りは明るいんですね。」

 素直に思ったことを述べた。

「そうなんです。そうなんです。もともと明るい地域なんですね。黄昏の国でも。でも更に明るくしてる。公道に沢山の電灯を付けてます。」

 ああ、懐かしい。黄昏の国の人の喋り方だ。途切れ途切れの。短い言葉の羅列。

「昼間の国の国境よりもずっと明るい位です。」

「そうでしょう、そうでしょう。うん、うん。」

 運転手は誇らしく何度も頷いた。

 電車の中では物珍しげに辺りを見渡していた息子はタクシーに乗った途端、失神するように眠ってしまった。私も子供の頃はこうだった。場所も時間も関係なく眠ってしまうのだ。今は非日常的な事(引っ越しなど)をしている時はあまり眠くならずに済むようになったが、家事や仕事をしている時は通り魔に殴られたようにいきなり眠気が襲ってくる。

 昼間の国の人が感じる眠気と私達の眠気はどう違うのだろう。夫も、前働いていた会社の同僚も眠気をまるで完璧にコントロール出来ていて、眠ってしまう私の事を怠惰な人間と思っていた。

 タクシーは走り続け、郊外に建つ淡い黄色のアパートに着いた。黄昏の国の建造物や日用品の殆どは明るい色に塗装されている。太陽への潜在的な渇望がそうさせるのだろうか。

 重厚なレンガ造りの建物に入り、エントランス真横の大屋さんがいる管理室をノックして、大屋さんに挨拶する。初老の夫婦が出てきて、私達を歓迎してくれた。

「いらっしゃい。いらっしゃい。はじめまして。話は聞いてますよ。」

 目を覚ました息子の頭を撫でながら、恰幅の良い男性が言う。

「あなた達と似たような境遇の人が沢山いるからね。このアパートもね。街もね。すぐにご近所さんと仲良くなれますよ。黄昏の国はね、多いんですよ。黄昏の国から出て、離婚して、子供連れてまた黄昏の国に戻る人ね。それが黄昏の国の人口の増やし方だなんてジョークもあるくらい。」

 そう言う大屋さんの脇腹に、奥さんが肘を小突いて止めた。

「ごめんなさいね。いらんことばっかり言ってね、うちの人。でもね、うちのアパート、子供を連れた人や、初めて黄昏の国に来た人や、久しぶりに帰ってきた人にね、住みやすくするよう作ったからね。なんでも言って。困ったこととかわからないことあったら。」

 良かった、気さくで優しい人達のようだ。

 二人にアパートの中を案内してもらう。共用の一日中使えるごみ捨て場や、ロビーへのドアに付いたオートロックキー、黄昏の国でのマナーが描かれた大きなポスターなどを見ると、確かに子供連れや移住者へとても配慮していることが見受けられる。息子もロビーに貼られたポスターを夢中で見ている。

 部屋に通してもらって少し荷解きをした。色鮮やかな鳥の羽は玄関口に飾った。

 とりあえず買い物に行って、当分の食べるものを買おう。大屋さんに皆がよく行くスーパーを教えてもらい、息子と買い物に連れ立った。

 スーパーでまず目についたのは、ショッピングカートだった。そこのスーパーのカートは昼間の国のものより格段に大きく、その殆どは大人も座れる座椅子とその横の荷物フックに占められている。突発的に眠気に襲われたときのために買い物を中断して眠れるようにデザインされているのだ。店の端にカートを寄せ、座椅子に座り、フックに荷物を引っ掛けて膝の上に乗せて、それから仮眠を取るのだ。子供が眠ってしまった場合は、子供をカートの座椅子に座らせて、親が買い物を続けることも出来る。

 私も、息子が眠ってしまったので座椅子に眠らせて買い物を続ける。初めて見るお菓子や果物、野菜にわくわくする。私の生まれ故郷の町でも昼間の国でも見なかったものが沢山ある。この街が都会だからだろうか、それとも私が昼間の国にいる間に流通や農業が変わったのだろうか。昼間の国で見かけた商品も多少あるけれど、昼間の国よりも割高になっているので、買うのに躊躇する。

 商品をかごに入れながら気付いたことがある。似たような商品が棚に並べられてあっても、どの商品値段の安い物の方が減っている。安い商品から売れているようなのだ。

 昼間の国ではこんなことはなかった。あの国の人達は明るくフレンドリーで振る舞いも堂々としているが多少見栄っ張りで、安い物ばかり買うことは格好悪いことだと思っていた。夫に生活費をどんどん減らされていた私にとって、そんな環境での買い物は肩身の狭いものだった。それに対して黄昏の国の人達はある意味実直なのだろう。

 離婚して、こちらでの働き先もカウンセリングセンターづてで見付けてある。それでもいきなり裕福な生活になるというわけではない。

 でも、よかった、ここでなら今までより気が楽に買い物が出来る。安い商品がごっそり減っている棚を見て、そう安堵した。


 息子の入学前に、学校のオリエンテーションに参加した。息子とは別々の部屋に分かれ、私は保護者用の説明を聞くことになった。

 開始時刻になり、始めに資料が配られた。分厚い冊子になっており、事細かに説明が書かれていることに驚いた。

「まず始めに説明したいことがあります。」

 校長先生の挨拶のあと、一年生の学年主任の先生が口を開いた。中年の、痩せた女の先生だった。

「皆さんもお子さんも、黄昏の国の学校で居眠りしても叱られないということです。」

「ここは、他国から引っ越してきた人が多いです。色々な事情がありますね。昼間の国や朝の国では、居眠りは悪いことです。でも、黄昏の国では違います。大切なのは後で追い付く努力をすることです。眠ってしまっても、配られたプリントや教科書を見れば良いのです。まあ、追いつけるように宿題は沢山出ますけれどね。」

「また授業では、ビデオを見たりカラフルな資料集を読んだりして、極力楽しい思いが出来るように工夫します。寝ているのが悪いのではなく、起きているのが得だと思って貰うのです。」

「とは言え、眠ってばかりでもいけません。我が校では、普通の授業以外に、自分を見つめる授業というものをします。自分が眠くなる時間帯や、シチュエーションをグラフに書いて貰うのです。自分がいつ眠くなるのか、睡眠時間がどれだけ必要なのか。何が切欠で眠くなるのか。そういったものを自分で見つけて貰います。」

「またですね。顔を覚えられない。この点についても対策します。黄昏の国では顔を忘れられても怒りません。ですが、将来仕事とかで困ることもありますからね。」

「今日初めて会った人を覚える方法。思い出す練習。顔を忘れたときの思い出し方。どうしても思い出せない時極力失礼にならない名前の聞き方。そういったものを社会見学などの際に一緒に覚えていきます。」

 なんということだ。私もこういう授業を受けたかった。この地域の学校だから出来るのか、それとも時代が変わったのか、私の生まれ故郷の学校ではこういうことは学べなかった。居眠りをする人はもっと居眠りする人を咎め、顔を忘れた時は平謝りして許してもらう。忘れられた人は嫌みを言う。とにかく自分の事を棚に上げて暮らしていた。金銭的にも精神的にも貧しい町だった。

 先生の話は終わり、今度は学校の決まりや買い揃える文房具についての説明が始まった。中年の男の先生がノートについての説明をしている間、いきなり眠気が襲ってきた。でも大丈夫。後でプリントを見よう。しっかりと事細かく説明が書かれている。大切なのは、きちんと追い付く努力をすることなのだから。


 息子が入学して少し経ち、今日から私の会社勤めも始まった。アパートから電車と徒歩で30分程離れた大きなオフィスに入る。仕事内容や企業紹介、人事査定、給与などについては入社が決まった際に資料として渡されている。今日からすでに異動先で仕事が始まるのだ。同室の社員に挨拶をした後、仕事に取り掛かる。

 この会社は、昼間の国、朝の国、そしてもう一つの隣国である夕暮れの国から、生活雑貨等の輸入を行っている。各国の大手販売店から直接商品を買い取り、自国の市場で販売するのだ。その会社で私は、昼間の国の会社へのメール・手紙の文言の推敲と、昼間の国からの文章の解読を行う。昼間の国と黄昏の国では言葉の違いが顕著で、齟齬が発生しやすい為だ。

 こちらの社員は文章を途切れ途切れに書いてしまいがちだし、長く書こうとしても昼間の国の人からみるとちぐはぐな文になりやすい。逆に昼間の国の長い文章で混乱することもある。昼間の国の文章を黄昏の国の文章に、黄昏の国の文章を昼間の国の文章に、両者が理解出来る文章の橋渡しをするのだ。

 また、俗語についても両国はズレが大きい。今日もこちらからの文章の添削時に見つけたが、相手方の失敗を気にしないという意味合いで黄昏の国では「その日はいつもより暗かったからですよ」や「暗い日でしたからね」と言う。しかしそれは昼間の国では使われないため混乱させないよう修正する。逆に昼間の国で「曇っている」は深刻な状況で何も上手くいかないという意味なので、その旨に書き換える。

 こういった橋渡しは、知識として知っていることも大事だが、実際に両国で暮らして細かいニュアンスも把握することも大事なので、ありがたいことにトントン拍子で仕事が見つかった。

 仕事を進めていると、途中で室長に声をかけられた。

「人事部から、コアタイムをもう一度確認して欲しいと連絡があってね。」

 そういって手渡された紙には、私の起きて会社に居られる時間帯、通称コアタイムが書かれていた。昼間の国にいた時から、このコアタイムはきちんと把握しておくようカウンセラーに言われており、数ヶ月自分の睡眠時間の記録を取ってこの会社に就職活動の際に提出した。

 黄昏の国の社会人は自分が眠くならない時間、月日を明確化し、それを基にシフトを組むのだ。それでも眠ってしまった場合は仕事を持ち帰るかコアタイム外で残業を行う。また、人によって起きられる時間帯はまちまちなので、黄昏の国にはパートタイムと正社員の区別はない。全て社員としてひとくくりにされ、業務内容、功績、勤務時間をベースに給与が決まる。

 コアタイムを確認し、間違いがないことを室長に伝えた。室長が私の元を去ると、今度は女性社員が三人声をかけてくれた。これからランチタイムだから一緒に行こうと言うのだ。ありがたくご一緒させて貰う。

 会社のカフェテリアの一角を陣取り、食事をしながら三人と話をした。三人中二人が私と同じように昼間の国で結婚し、戻ってきた人だった。

 大屋さんも言っていたが、この国は離婚が多い。国民性か、大人しく現状に文句を言わない人が多いため、真面目な結婚生活を求める人には魅力的に見えるようだ。また、仕事や学校の環境整備が見直されるようになったのは本当にここ十年くらいなので、良い学校や仕事を求めに昼間の国や朝の国に移住する人が多く、結果国際結婚が増える。

 しかし、朝の国や昼間の国では規則正しい睡眠時間と人の顔と名前をほぼ一目で覚えることを求められる為、仕事場や家庭で認められないことが多い。そうして、期待された真面目さが無いと見なされて黄昏の国に帰るのだ。

「メールの推敲してる人って特にそういう人多いのよ。」

 一人が言った。

「実際暮らしてたから、昼間の国の言葉も流暢だし。仕事も黄昏の国に帰る前に見つけられるから。」

 そう昼間の国のように話す彼女も私ももう一人も皆判で押したように同じ理由で昼間の国に移住し、結婚・離婚し、この街に住み、この会社で働いていた。

「私は結婚はしていないけど、昼間の国の職場でやっぱり上手くいかなくて。」

 更にもう一人が言った。

「まあ、でも、そういう人が沢山いるってことは、仲間が沢山いるってことだからね。愚痴も言い合えるし、気楽なもんよ。」

「そうそう、昼間の国にいた時は周囲から分かってもらえなくてしんどかったわ。」

 確かに、その通りだ。昼間の国では「同じ人の形をしているのだから貴方も出来る」と思われ仕事場でも家庭でも自分の出来ない事が理解してもらえなかった。仕事を失い、家庭に入った後は夫から「これだけ寝ているのだから金もこんなに要らないだろう」と言われどんどん生活費を減らされた。仕事中や家事の最中に居眠りをする私を見て「努力家だと思ったから採用・結婚したのに」と嘆息されたこともあった。

 これからはそんな失望はもうないのだ。ありがたい。黄昏の国に帰ることになった時、昼間の国で必死に学んできた自分の努力がすべて消えてしまい、皆が言うとおりの努力家もどきになってしまうのだと思っていた。しかし、昼間の国の努力があったからこそ、この仕事にありつけたし、理解してくれる環境に身を置くことが出来た。

 そんなことが頭の中を一瞬で駆け巡ったが、言えたことは「そうですね。」だけで、あとは大きくうなずくだけだった。

「ねえ、そういえばさ。」

 離婚したという一人が言った。

「貴方、私達同じアパートに住んでるわよね。ほら、隣のさらに隣の。子供確か1歳違いだったと思うんだけど。」

 言われてみれば。数回話をした人、確かネームプレートに書かれている名前だった気がする。細身で茶色い服を良く着ていた人だったのは覚えていたのだけれど。

 ああ、本当に顔と名前を覚えられない。人と会ったときは楽しくお喋りできるし、その人の事も興味がないわけではない。顔と名前以外なら覚えられる。例えば、大屋さんは今年56歳、私達の住む街から更に南の田舎町出身。奥さんも同い年で息子が三人いる。好きな食べ物は豚挽き肉のトマト煮込み。ネームプレートには右肩上がりの文字が書かれていて、住所の欄にはアパート名まで記されている。ここまで覚えられるのに、大屋さんと一旦別れるとその瞬間に顔と名前が私の頭から砂のようにサラサラと消えていくのだ。

「ごめんなさい。気付かなくて。」

 慌てて謝る。

「良いのよ。気にしないで。前会った時は空が暗かったから仕方ないわ。」

 そう言ってその人はにかっと笑った。


 昼間の国の反対側にある、黄昏の国の隣国は夕暮れの国で、そのさらに向こうは夜の国になる。夜の国に向かうにつれてどんどん光の量は減り、お互いの顔どころか存在もわからなくなっていく。夕暮れの国や、夕暮れの国と夜の国の国境近くはまだ人工の明りが灯り、人が生きていく上での環境を多少は考慮されているが、夜の国の中心地は真っ暗で治安も福祉も教育も何も配慮されていない。そこから更に進むと朝日の大地と呼ばれる場所に出る。朝日の大地から更に向こうは朝の国、昼間の国に繋がり、この世界の土地を一周する。しかし、朝日の大地は朝の国や昼の国よりも日の光が強く、眩しすぎて誰も住むことが出来ない。

 夕暮れの国で適応出来なかったもの、犯罪を犯した者は夜の国へ追放され、夜の国でも嫌われた鼻摘み者はどんどん朝日の大地へ追いやられる。

 だから、この世界の人達にとって、「朝日に焼かれろ」とは、「社会府適合者め、夜の国へ行け、お前の居場所はここにない、死んでしまえ」という意味になる。

 ある日息子と遠出をした帰り道に、駅で不審な男を見かけた。電車の中で無言でぎょろぎょろと周囲を睨み付け、少しでも自分の近くに寄ってくる人がいたらその人達に大声で威嚇していた。始めは他の乗客も迷惑そうにするだけだったが、子供や女性など自分より弱そうな相手を見ると遠くにいても罵声を上げて悪態をつくようになり、遂に男は私達が降りる駅で引きずり降ろされ他の乗客に囲まれた。始めは彼に対する文句が周囲から飛び交ったが、少しすると、男への「朝日に焼かれろ!」という怒号へと変わっていった。

 男は怒号に怒り狂い、目につく人を殴りかかろうとしていたが、その度にその男の襟首を別の人間が掴み、人の輪の真ん中に戻された。呪詛の言葉を吐き続けられ、暴力も封じられた男は次は人の輪から出ようとしたが、それも襟首を掴まれて阻止された。暴力も、脱出も出来ないと今度は立ち尽くしたがそれでも「朝日に焼かれろ」という声は止まない。最後はしゃがみこみ、駅員が周囲を宥めるまでしばらくの間、男はひたすら呪いの言葉を浴びせられ続けた。

 現在の黄昏の国の、特にこの街は、朝の国や昼間の国で生きづらい人を受け入れ、手厚いケアを施してくれる。住民も自分自身に多少の生きづらさを感じているので、人の不自由には寛大に接してくれる。しかし、その優しさに付け上がったり、現状以上の親切を求めたり、一定以上のマナー違反には非常に厳しく冷酷である。

 我々は出来る限りの事を常にしている、それでも不満なら出ていけというのが、彼らの基本的なスタンスである。そして、自身の生きづらさにストレスを感じる人が多いので、冷酷になるとリミッターが外れるように豹変する。あの男を囲んでいた人の輪の少し外には駅員が数人いた。彼等は人の輪の罵倒を黙認し、更には仕事の合間合間に罵倒される男を見ていた。本当は仕事中じゃなければ参加したかったのだろう。

 そんな駅員の一人と目が合った。

「ああ、いやあ、ああいう人は嫌ですね。」

 先程人の輪を見ていたギラギラした目は鳴りを潜め、人好きのする目で私と息子に笑いかける。

「あの男、なかったでしょ。ネームプレートが。なかったでしょ。それであの態度。あれはね、夕暮れの国か夜の国からの密入国者ですよ。今ね、あの男を捕まえて警察呼んだところなんでね。まあすぐに余罪が付いて強制送還でしょう。」

 駅員は眠そうな息子に向き合い、しゃがんで頭を撫でてくれた。

「賢そうだ。うん、賢そうだ。ぼく、いっぱい勉強するんだよ。そして良い子でいるんだよ。」


 ある日、買い物帰りの私を大家さんの奥さんが呼び止めた。

「今月の末に、このアパートでも日照祭の食事会をするから。」

 ああ、もうこんな季節なんだ。

 隣の隣の部屋のXXさんと退勤している時に、日照祭の食事会で必要なお菓子作りを一緒にしないか誘った。きらきらと目を輝かせて頷いてくれた。

 食事会の前日、XXさんとその息子君と私の息子と四人でスーパーマーケットへ向かった。店内も日照祭の為のセールを一ヶ月間ずっと行っており、ここ数日は特に賑わっている。XXさんはカートに眠っている息子君を乗せながら言った。

「本当に助かったわ。私の生まれ故郷って、日照祭をほとんどやらなくて。去年ここに来たばかりの頃大家さんの食事会に呼ばれたんだけれど、何を持って行っていいか全然分からなったのよ。市販品のお菓子とフルーツだけ持って行ったけれど、皆手作りで。何だか見劣りしちゃった気がしてて。」

「日照祭ではお作法みたいなものが多いですから。私の生まれ故郷なんて、日照祭は結構盛大に厳粛にしていたけれど、他の人がそのお作法から外れていないか粗探しばっかりお互いにしていて。日照祭の準備のために借金している人もいたくらいで。もうね。黄昏の国の伝統のお祭りだからっては言うけれど、XXさんの生まれ故郷のようにいっそしない方がましなんじゃなかったかしら。」

 お互い「いやあね」なんて困りあったように顔を見合わせた。カートには小麦粉や卵、野菜や果物、お菓子用のデコレーションセットを入れていく。事前に軽く話をして、一緒にカップケーキを焼くことに決めているのだ。XXさんはリンゴを練り込むと言うので、私はニンジンを練り込んだカップケーキに決めた。日照祭に作るお菓子は明るい色合いが望ましい。着色料を使う場合もあるが大体は食材の自然の色を使う。私が買い物かごにせっせとニンジンを詰め込むと、息子が言った。

「お母さんまたニンジンのケーキにするのー?」

「そうよ。お母さんニンジンのお菓子大好きなんだから。」

「本当好きだよね。こっち来てからニンジンのお菓子しか食べてないもんね。」

 黄昏の国では昼間の国よりも果物の流通が悪く、逆に根菜類の流通が盛んである。だから、昼間の国では見かけないニンジンフレーバーのお菓子は結構ポピュラーで、子供の頃このニンジン味が好きだったなあと思いながら良く買っている。ニンジンの葉の部分も良く使われている。塩味のビスケットに練り込まれたりするのだ。

「ネームプレートにもニンジン描いちゃったんだから。お母さん。」

 息子がそう言って揶揄するように笑う。息子の言う通り、私のネームプレートの端には手書きのニンジンの絵が描かれている。働き始めて少ししたあたりに大家さんの奥さんから教わったのだ。

「最近ね、ネームプレートの端に絵を描くの。好きなものとか。仕事関連のものとか。思い出すヒントになるでしょ。文字だけじゃなくて。あなたも描いておくといいわ。下手でもいいんだから。」

 そう言われたので、その日息子とああでもない、こうでもないと言いながらネームプレートに下手くそなイラストを描いた。息子のネームプレートの端には羽根が一枚描かれている。思いつかない息子の代わりに、私が提案した。日照祭で祭られる、鳥の神様のご加護があるようにと。

 買い物を済ませ、アパートに戻る。四人で小麦粉や膨らし粉、砂糖、バター、卵、牛乳を混ぜてベースの生地を作った。その後は親子二人ずつに分かれて作業する。私と息子はニンジンをすりおろし、XXさんと息子君はリンゴの皮をむいて小さい賽の目切りにし、鍋で煮込んだ。リンゴの皮はキッチン鋏を使って丸と三角を切り抜いて行く。半分に分けた生地に私達はニンジンを練り込み、XXさん達は煮込んだリンゴを練り込んで更に表面にリンゴの皮の丸二つと三角一つを置いて、鳥の顔を作った。シンプルだけど、とてもかわいい。お互いのケーキをオーブンで焼く。私達のカップケーキにはてっぺんにバタークリームを塗り、アラザンを数粒散らして、鳥の羽根を模したピックを刺した。

「きれいね。私達のケーキもデコレーションすればよかったかしら。」

「気にしなくて良いのよ。リンゴ高いんですから。それにこういうケーキは皆作るから、XXさんのケーキの方が目立つと思うわ。」

 そんなことを言いながら、余った生地をお互いに大きめのバットに入れ、平らなケーキを焼く。これはカップケーキが足りなくなった時用。子供達は途中で飽きて遊んでいたが、いつの間にか息子は眠っており、XXさんの息子君だけがうちの息子のゲームブックで遊んでいた。

 ケーキの荒熱を取っていると、XXさんのコアタイムが終わりに近づいてきた。お互いのケーキを二つずつ交換して解散する。

「じゃあね。本当にありがとう。」

「いえいえ、また明日。大屋さんのところでね。」

 本当に明日が楽しみ。


 日照祭当日、私と息子は大量のカップケーキを持って、大屋さんの住む一階の部屋の前でXXさん親子と待ち合わせをした。昨日ケーキを焼く合間に皆で挨拶の仕方は練習したけれど、XXさん達は自信がないというので、私達が先に部屋に入る。

「今年も無事換毛の終わりました事をお祝い申し上げます。本日はお食事会にお招きいただきありがとうございます。」

 いつもは玄関に飾ってある羽飾りを今日は胸に飾り、挨拶の際に右手を羽飾りに軽く置く。息子とXXさん親子も私にならって挨拶をする。

 しっかりと挨拶が出来たことを大家さんの奥さんが驚いていた。一瞬目を丸くした後、挨拶を返す。

「ご丁寧なご挨拶をありがとう。新しい空に感謝を。そして抜け落ちた羽根が貴方達に降り注ぐように。…勉強したの?そんなに気にしなくても良いのに。食べましょう。さあさあ。」

 日照祭は黄昏の国最大の祭日で、一年の内一番太陽の光が明るい日に行われる。その日に鳥の神様の羽根が生え替わり、全身新しい羽根になると言われている。羽根が替わり、空も一新され、抜けた羽根が私達に降り注ぐとその一年は幸せに生きられるそうだ。

 黄昏の国は、他国より日光に対する敬意や憧れが強い。昼の国が隣国で、燦々と降り注ぐ日光の恩恵がどのようなものか持たないが知っている為だと思う。だからこそ、日照祭はこの国最大のお祭であり、ルールがとても多い。挨拶も、先程がしたものは年上・目上の人向けのもので、他にも対等な立場、年下・目下、家族、親戚、同僚等多岐にわたる。昨日私達が作ったカップケーキは明るい色合いで鳥を模すのがしきたりだし、大屋さんのような食事会のホストは家、または親戚中の最年長者が行う。食事会のホストはケーキを甘味を作らない代わりに他の料理を一通り用意する。鶏肉は使わない。

 食事会は一日中行われ、ホストは外出出来ないが、他の者はホストと食事を共にしたら外出して他の家にケーキやお菓子やフルーツを配りに行く。そして過去一年お世話になった人達に挨拶をし、これから一年の幸福を願う。

 XXさん親子と私達も大屋さんご夫婦とお食事を共にする。そこでも食事マナーを遵守したら大屋さんに誉められた。

「本当に上手だね。マナー。完璧じゃないか、皆。」

「生まれ故郷の町がとても日照祭のマナーにうるさかったもので。」

 私が答える。

「私は昨日教えてもらいました。」

「僕たちは学校でも教わった。」

「うん。そう。」

 私達が口々にいうと、大屋さん夫婦は嬉しそうに頷いた。

「良かったね。本当に良かった。マナーだけじゃなくて。皆仲良くやってる。学校でも沢山勉強してるんだね。良かった。」

 そう言う二人の顔が本当に感慨深げでむずむずする。この人達はこうやって何人もの黄昏の国への移住者を迎え入れて、その人達が馴染めるよう尽力してきたのだろう。

「でも算数は苦手だけど。」

 XXさんの息子君が、はにかみながら言った。皆くすくすと笑った。

 それから私達は本当に沢山の話をした。仕事場のこと、学校のこと、大屋さん夫婦がこの仕事を始めた切欠、今まで受け入れてきた移民達、息子達の友達、流行っている遊び、そして私の離婚理由。

「ねえお母さん、何でお父さんとお母さん離婚したの?」

「やあねえ。何で今聞くのよ。」

「いいじゃない、なんで?」

 息子がこういう話をするのは珍しい。離婚が決まったときも何となく察して何も訊かずに着いてきてくれた。今までその事を訊かなかったのは息子なりの気遣いだったのだろう。そして今訊いたのは、皆が身の上話や自分の事を話していたからこのタイミングなら訊けると息子なりに判断したのだろう。だから、まあいいや。こう訊かれたらこう答えようと考えていたことをそのまま喋ることにする。

「お母さん、昼間の国ではお家にいたでしょう。」

「うん。」

「居眠りがあるから昼間の国の会社では働けなくて。」

「うん。」

「だからお父さんが会社で働いて皆が必要な生活のお金稼がないといけなかったのね。」

「うん。」

「でも、お父さん、その生活のお金渡してくれなくなっちゃったの。 」

「え、そしたら生活出来ないじゃない。なんで?」

「さあ。でもとにかく渡してくれなくなって生活出来ないから離婚してお母さん黄昏の国に行って生活することにしたの。」

 嘘は言っていない。言わなくて良い。私達の居眠り癖に苛ついて生活費を減らされたことや、息子の居眠り癖と顔を覚えられないのを見て「俺の遺伝子が汚された」と言われたことは。

「僕んちもだよ。」

 XXさんの息子君があっけらかんと言う。私達の離婚や移住は、私達なりの大変さがあったし、だから私達の話が黄昏の国では良くあることになってしまうのが、時として悲しいことなのだけれど、今の相槌は助かった。息子は「ふーん」とだけ言ってその話はおしまいになった。

 そうこう食事を続けていたら、扉がノックされた。大屋さんが開けると、中年の男性が入ってきた。焦げ茶でストライプ柄のカジュアルスーツを身に纏い、帽子に羽根飾りを付けている。その羽根飾りを右手で覆いながら帽子を脱ぎ、私達に挨拶をした。

「こんにちは。羽根の祝福を受けたみなさん。お食事中に失礼します。羽根の下の友に会いに来ました。」

 その時初めてネームプレートが見えて、彼が私達の職場の室長だと気付いた。

「室長。」

「おお、お二人ともこんにちは。」

 室長が私達のネームプレートを見ながら応える。

「こんにちは。換毛が無事終わりました事をお祝いします。カップケーキを受け取ってください。室長にとって素晴らしい一年になりますように。」

「私からも。」

「ありがとう。」

 室長は私達のケーキを受け取り、右腕に通したバスケットに入れ、左腕に通したバスケットからビスコッティを出して私達にくれた。

「ありがとうございます。お菓子を通して日の光が染み渡りますように。」

 その後軽く雑談をして去って行った室長を見送ってから、私達もケーキを配りに歩いた。仕事でお世話になった方々、息子の友達、ご近所さん、学校の先生、息子繋がりの友人、等々。留守の人もいたけれど、その場合は紙袋にメッセージと名前を書き、ケーキを袋に入れて家のドアノブに引っかけてきた。多分、私達のアパートのドアノブも似たような事になっているだろう。

 街の大通りではパレードが行われ、大きな鳥の人形と一緒に沢山の人が練り歩いていた。空は何時もより薄青色で、でもやっぱり薄暗く、遠くに淡い赤が広がっている。

「お母さん、少し眠くなっちゃった。」

 今は私のコアタイム内だが、少し疲れが出たようだ。

「良いよ、寝てて。僕起きてるから。」

 息子が言う。外で眠くなったときには同伴者は起きているのが黄昏の国のマナーだ。息子の言葉に甘えて少しだけ眠ろう。10分くらいで楽になるはずだ。大通りのベンチで、遠くに離れていく鳥の神様の人形を見ながら微睡む。

 この数ヵ月、色々なことがあった。色々な人とも会った。色々なものを食べて、色々な事を経験した。

 お菓子を配った時、私も息子も思ったより沢山の人間関係が築けていることがわかった。カップケーキは足りなくなり、バットで焼いたケーキを、出先でナイフを借りて等分して配った。こうして、自分達が一年で作り上げてきた繋がりが自分が思うよりも沢山あるのだと認識させてくれるのも、この祭りの一つの意義なのだろう。

 沢山の人と沢山喋った。私も息子も喉がからからになって、路上で買ったアロエのジュースがおいしかった。

 私達はこれから毎年日照祭にはケーキを焼くだろう。でもそれでもきっと、私は今日という日を忘れない。

 まだまだ黄昏の国の生活は始まったばかりだけれど、きっとここなら大丈夫。私はこれからも、ぼんやりと暗くて、実直で、私達に手をさしのべてくれたこの国で生きていく。


 それから、あっという間の月日が流れた。


 息子はどこか淡々とではあるものの、黄昏の国で二次成長や反抗期、受験や挫折や人間関係の悩み、友達付き合いを経て大人になった。

 居眠り癖は直らなかったけれど、こんなに睡眠時間が必要なのによくぞと誉められる成績で小学校、中学校、高校、大学を卒業した。これは私の子育て云々ではなく、息子の努力と素質によるものだろう。

 私自身の生活は、殆ど代わり映えしないもので、息子以上に淡々と暮らしていた。家の事をしながら、息子を育て、会社で昼間の国とのメールや手紙を添削・解読し続けた。


 ただ、それでも特筆すべき出来事はあるもので、一度再婚の話が出たことがあった。

 再婚は黄昏の国では珍しくないことで、仕事先の同僚が友人を紹介してくれたのだ。先方も離婚経験のある子連れの男性だった。黄昏の国の国民らしい優しい物腰の大人しい人だったが、しかしだからこそロマンチックさを求めていた。昼間の国に対する憧れがあり、あの国の快活さを自分にも周囲にも求めていた。

「昼間の国に一時期住んでいらしたと聞いたのですが、思ったより大人しい方で驚きました。ここが黄昏の国だから遠慮しているのですか?」

 昼間の国を真似た口調で彼は話した。

「もし良ければ昼間の国の服をプレゼントさせて頂けませんか?貴女にとても似合うと思うのです。」

 そう話す彼に、離婚前の支配的な夫の表情が重なり、再婚の話はお断りした。


 また、元夫が訪ねて来たこともあった。まだ小学生だった息子とアパートに帰ろうとしたら、入り口で待ち構えていたのだ。何故来たのか、どうやって住所を見つけたのか、そういったことは全く分からなかった。元夫の顔を見た途端私が悲鳴を上げ、事情を知っている住民に元夫は取り押さえられたからだ。

「大丈夫よ、大丈夫。ね、気にしないの。帰んなさい、息子と部屋にね。ね、私達で話を付けておくから。」

 そう言って大家さんの奥さんは私の背中をさすり、私達を部屋に帰した。その頃には私達はアパートの住民の方殆どと顔見知りになり、皆私達の移住した理由を知っていた。

 部屋の外ではガヤガヤと人の話し声が聞こえたが、少しずつ遠ざかっていき、何も聞こえなくなった。私達に配慮して話の場所を変えてくれたのだろう。もしかしたらいつぞやに駅で見たあの男のように、元夫は「朝日に焼かれろ」と囲まれて罵倒されたのかもしれない。数時間後に大家さんの奥さんが元夫が帰ったことを報告してくれた。詳しい話は聞かなかったが、奥さんが元夫が置いていった荷物を持て余し気味に私に見せてくれた。

「あのね、置いて行っちゃったのよ。捨てても良いんだけれどね、念のためにXXさんに見せた方が良いのかしらと思って。」

 大きな紙袋の中には、昼間の国で私が好きだったケーキとワイン、息子が好きだったパイが入っていた。ケーキとパイの奮発して買っただろう大きさに、元夫のわくわくするようなすがるような気持ちがこもっているようで胸の中が暗くなった。せめて話を聞くべきだっただろうか。私の顔を見て、奥さんが焦ってしまった。

「ああ、ごめんね、ごめんなさいね。見せたの失敗だったわね。こっちで処理しておくね。気を落とさないで。あなたは悪くないわ。大丈夫よ。ね、大丈夫だからね。」

 早口でそう私をなだめて、息子にも今日の事は忘れなさい、と繰り返して奥さんは去ろうとした。その背中に声を掛ける。

「あの、良ければその中身、奥さんの方で食べてくれませんか?悪いものじゃあないです。食べ物に罪はないので。そっちの方が私も嬉しいです。」

「ああ、そうなの?そう、そっちの方が元気が出るなら、わかった、わかったわ。」

 元気出してね、と手を振りながら奥さんは去っていった。

 それでこの話はおしまい。あれからもう何年も経っているけれど、もう元夫からは何一つ連絡はなかった。


 大学で文化人類学を修了した息子は、昼間の国と黄昏の国の共同研究施設で働くことになった。昼間の国の経済力を黄昏の国に、黄昏の国の福祉を昼間の国に応用し互いの国の発展に繋げるのがその施設の狙いなのだと息子は目を輝かせながら私に話してくれた。

 数年間その施設で働いた後、息子は昼間の国の大学に臨時講師として呼ばれた。自分のコアタイムを把握している息子は、確実に起きている時間だけ講義を行うことを大学側と約束してその仕事を受けた。

「本の印税も入ってくるから、これからも生活費は入れるからね。」

「気にしなくて良いのよ。新しい生活を始めるのってお金が要るんだから。私の事なんか気にせずに頑張りなさい。」

「そんなこと言わないでよ。母さんが不自由ない生活をさせたくてさ、頑張ってきたんだ。好きなだけニンジンケーキを食べられる程度には仕送りを続けさせてよ。」

 転職の話をした時、そう言って息子はふざけたように笑った。その笑顔が黄昏の国に移住したころと全く変わってなくて胸が熱くなった。


 それから更に数年後、息子は昼間の国から一人の女性を連れてきた。ずっと会わせたかったんだ、と言って。

 黄昏の国の特徴が色濃い息子と、昼間の国の女性。私と元夫との結婚生活を思いだし、正直心配になった。だが、私と息子では、職業も、セルフマネジメント能力も、適応力もなにもかも違う。今まで息子が進んできた事を私は応援した。今回も同じだ。

「おめでとう。本当におめでとう。素敵な方じゃない。母さん嬉しいわ。」

「その、それで…。」

 息子はもじもじと言葉を続ける。

「仕事場も変わるんだ。XX大学に。近くに家も買おうと思ってて。それで、母さんも一緒に住まない?彼女も賛成しているよ。今回の仕事は長くなりそうなんだ。」

 息子が言った大学名は、朝の国と昼間の国の国境近くにある大学で、今息子が働いている大学よりも優秀なところだった。

「凄いわね。お母さん鼻が高いわ。…でもね。ごめんね。お母さんはここから離れるつもりはないわ。」

 一昨年大屋さんは亡くなった。遺された奥さんは前のようなかくしゃくさはなくなり、一気に老け込んでしまった。新しい入居者は増やさない、と彼女は言った。私達も彼女に、私達に出来ることは言ってね、今までお世話になった分今度は私達が支えますと言ったばかりだった。

 そうでなくても、黄昏の国に生まれ、昼間の国に移住し、疲れ果ててまた黄昏の国に戻り、そこで居場所を造った私にとってまた別の国に移住することは途方もない重労働だった。もうこれ以上のカルチャーショックは要らない。穏やかに暮らしたい。

 そう息子に伝えたら、息子は顔を曇らせた。

「でも、母さんが心配だよ。」

 確かに私も年を取った。息子が離れることは悲しい。今までよりも心細い生活になるだろう。しかし。

「気にしなくて良いの、大丈夫。」

 だってここは黄昏の国だから。

 人の持つ孤独と生きづらさを、赤と紺の空に溶かしてくれる国だから。


                          了

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黄昏の国 ゲコさん。 @geko0320

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