第2話 寄せ集めの秘境
チェックインしたのは昼少し前、十一時過ぎ。
シーフード・スパゲッティらしきもので昼食を済ませた二人は、タジマの案内で島を一通り見て廻る運びになった。
ホテルのロビーには薄い観光パンフレットが三種ほど売られていて、樋口はそれらを全て一冊ずつ買った。
「先生も、どうぞ」
樋口が手渡してきたそれを受け取る。ビニール引き加工された黄色い表紙にはわずかな褪色があり、入荷してから比較的長い期間、そこに陳列されていたことがうかがわれた。
ざっと開いて流し読みする。ご丁寧なことに日本語訳までつけられているが、ところどころに助詞の間違いや、「ち」と「さ」などの紛らわしい平仮名を取り違えた箇所があって微妙な気分にさせられた。
タジマの運転する三菱の古いジープで、島の内陸部に向かって出発。
第二次大戦後に堡礁の内側を埋め立てて整備された平坦な土地から、次第にこの島に古来から存在した地形へと移行し標高が微妙に上がって来る。
柿に似た葉をつける大きな木がそこら中に密生し、その間に切り拓かれたタロイモ畑が日本のサトイモによく似た姿を見せていた。
「わ、先生、見てくださいあれ!」
樋口が畑の中に何か見つけたらしく、鋭い声を発してそちらを指さした。タジマはこういうことに慣れていると見えて、指示も待たずに車を路肩に寄せて止まる。
細い丸太を組み合わせて作ったやぐら状のものの上に、ツタで編んだ鳥かごのような構造のひどく小さな小屋があった。雨よけなのかヤシの葉らしきもので屋根を葺いてあり、陽光を遮断したその薄暗い中に、白い泥絵の具風のもので大きな眼の図柄を描きこまれた、
なんとなく、どこかで見たことのあるような物だ。大きさがちょうど、体育座りをした成人くらいに見えるのが橘川の首筋の毛をちりちりと逆立てさせた。
それを見透かしたように、タジマが飄々とした口調で解説を始める。
「アレね。守り神でス。この畑を作っている一家の、祖先のミイラ」
まさか! 半世紀近く前の文献やフィルムでそう言うものがあると知ってはいたが、まさか目の当たりにすることがあろうとは。
なるほど、今思い出したが、あの意匠はどこか、だいぶ前に古本屋で見つけた70年代の展示会図録に載っていた、ペルー高地のミイラを包んだ布のそれに――いや待て。
コン・チキ号の太平洋横断など、実証実験の例こそあるが、マーシャル諸島の西のはずれに、ペルー高地文化の影響が?
突飛なことも可能性を疑わざるを得ないのがこの手の学問の難しいところだが、本当にそんな奇跡が実在したと考えるよりは、むしろ――
「……人が居なくてよかったデスね。うかつに写真撮ったりするとお金とられマス」
クシャっと破顔するタジマの様子に、橘川は胸のうちの昂奮が水を差されたように冷めていくのを感じた。
「……まさかとは思うが、その、あれは」
「ハハハ。小さな島デスからね、遺体はちゃんと火葬にしマス。でないと伝染病怖いネ。あれ、中身は家ごとにバラバラだけど、本物は入ってない。本物はネ」
「……つまり、アレかね。あの『駆逐艦』と同じで、あれも観光客向けの紛い物、ってコトか」
「ハイ、もうね、皆サンがこういう土地で見たいようなモノは何でもありマス! 何でもネ! 皆サンはドキドキ、いい気分になる。お金落ちる。私たち、豊かになる……win-winデス」
橘川は表面上は押さえようとしていたが、内心はひどく憤慨していた。
「樋口くん……君が『有意義な調査ができる見込みがある』というから一緒に来たんだが……少々これは、リサ―チ不足だったんじゃないのかな?」
そう指摘されると、樋口はいたずらが露見した子供のような顔で肩をすくめた。
「あーいや、先生。フィールドワークのとっかかりとしては、かなりのものだと思うんですよ?」
「何を言ってるんだ君は! どこが『かなりのもの』なのか説明して――」
とうとう大人らしい忍耐の仮面が消し飛びかけた、その時だった。
「でもネ……あの『ミイラ』に加護を願う、村人の気持ち――それは、本物デス。みんな真剣。だから……」
くれぐれも、失礼なコトはしないでクダサイ――真顔でそう言うタジマに、橘川は何かひどく圧倒されるものを感じて、その場は収めたのだった。
* * *
……パンノキヅタイニ デイアー デイア
コエラバコエネ アネヤマコエネ
イサヒャノ マクルコ クルシオヌイー
オダガムラニバ アビガーデル (ハァ チョイナ)
ナミノシタニモ タンクウオーツゥ
ヨイヨイ ヨイトナ……
「日本語のようで全然違う部分も混ざってる……何なのかな、あれは……」
夕刻にホテルに戻った二人は、ぬるいシャワーを浴びた後、中庭で披露されるこの島の「ボンダンス」なる芸能を鑑賞させられていた。
リズムや音階はいかにも日本の盆踊りに似ているが、伴奏は竹に似たアシの筒を叩く、ベトナムかどこかのものに似た打楽器のアンサンブルがやたらと耳に残る。
それと、大きなヒョウタンをカットしてブタの皮を張った「ペダンコ」と称する原始的な鼓。それに加えてスチールギターが音階を区切らないスライド奏法で奏でられている。
「『駐留してた日本軍が伝えた』って設定らしいですね」
樋口史子はココナツの花芽のサラダをもぐもぐと咀嚼しながら、気のない様子で答えた。
「またか。この島に日本軍が来たことなどない、と聞かされなかったら信じてしまいそうだが……なんなんだね、この島は。何もかもが寄せ集めのデタラメじゃないか。創世神話とか言うのがパンフレットに載っていたが、アレも典型的なバナナ・タイプの起原説話だった。おまけに、主人公である人類の祖先の名前は『バッタラ』――これは明らかにフィリピン神話の『バトハラ』から借りたものだろう」
「そりゃ仕方ないんですよ、先生。この島に人が住み始めたのは、1769年にスペインの商船が座礁して、堡礁だったこの島を発見して以降ですから……」
島の南側にはその船、三檣バーケンティン型の帆船「モンテ・ローザ」号の遭難を記念したモニュメントと、資料館がある。ロビーで買ったパンフレットの中で、ほとんどそれだけが真正の歴史を伝える唯一のトピックだった。
「それを知っていて、なぜ……」
橘川は頭を抱えた。聡明な教え子にしては、今回の調査行は不可解過ぎるのだ。
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