自分が生きることをあきらめるのを待っている

第1話

今、自分が見ている現実の他に、もう一つ別の現実がある。

彼女、は、そう、直感的に思った。

数秒後、彼女は目覚めた。

そうして初めて、今まで彼女がいた場所が夢の中であったことを知る。


笑みがこぼれる。


それは、嘲笑に近い。

夢の中での彼女の直感は当たっていた。

だが、それは、むしろ彼女にとって、当たってほしくない直感であったからだ。


今いる現実の方が、彼女が何度も日常的に、夢であってほしいと願い続けた、そんな現実なのだ。


今となってはすでに思い出せないその夢の中の方が、彼女は幸せであったように思う。

もう一つの現実があるということに、夢の中の彼女は不安を抱いていたように思えた。

それは、過たず彼女にとっての「現実」がある程度満足できるものであったからだろう。


反対に、もうひとつの現実が辛いという思いは、もう長年彼女を苦しめていて、それは、ここ数年の間でより強くなったように思う。

確かに、彼女は数年前に大病を患い、その治療に一年という期間を費やした。

だが、彼女が辛いと感じたのは、その治療のことよりも、彼女の家族がその治療に対して大変非協力的、あるいは、反抗的であったことによる。

つまり、「協力しないどころか邪魔をした」ということになるだろう。


ある意味、幸いであったのは、彼女の療養を邪魔立てしたのは、彼女にとっての血のつながった家族ではない。

要は、夫であり、姑である。

遠方に住む実父母や彼女の愛する子供たちは、出来ることは少なくとも、協力的であったということだ。

ただ、彼らが非力であったがために、彼女は絶望の淵に追いやられ、その現実は今尚変わらない。


ある意味、それは、よくあることともいえるのかもしれない。

病を得た妻に、夫を含む婚家が辛く当たり、見捨てるという行為は、歴史上そう珍しいことではない。

それを、知識として彼女が持ちえたことも一つの幸いではある。


病を放置されたもの、子供を取られて放逐されたもの、さらに言えば、殺されたものすらいるだろう。

その無念を、彼女は全くの憶測ではなく、半ば実感としてとらえることができるようになっていた。


彼女とて、指をくわえてこの状況を看過していたわけではない。

しかし、どこに訴えたところで、その理不尽さ、非道さは認知されても、彼女の命がそこに在る以上、どこの機関も具体的には動かない。

精神的、経済的虐待という状況だけで関係機関が具体的に動けるならば、心を病む母子はぐっと減るだろう。

もっと言えば、子らが起こす犯罪も減らせるだろう。

虐待死、自死、凶悪犯罪が後を絶たないことが「それ」が確実に存在することを証明している。

誰かが死んで初めて、ことは公になる。

逆にいえば、死ななければ、どこも動かないのだ。

そう思えば、その命を捨てることで、世に抗議することも、彼女の心に何度も浮かんだ。

それでもその方法を取らずにいたのは、子らを思えばこそである。


それもまた、地獄ではあるのだが、同じ地獄に落ちるならば、せめても子らを逃がすためにと、彼女は願う。


今だ回復しきらない体を引きずって、彼女は仕事に出ている。

身体もつらい、やりたい仕事でもない。

それでも、そうしなければ生活が成り立たない。

子供たちも完全に奪われてしまう。

そう思えばこそ、たとえそこに別の危険があるとしても、彼女は行くのだ。


あるいは、

そのことをこそ、彼女は望んでいるのかもしれない。


その一方で、そっと、彼女は賭けに出ている。


そのどちらが成立するかはわからない。

けれど、それすらもどこか楽しむように、彼女はそっと、


笑う。




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