第31話 「一番聞きたくなかった『大好き』」
「どうしたんです? いきなり電話なんてかけて」
なんて素っ気ないことを口にしたものの、嬉しくて仕方なかった。
『えへへ、お話ししたくなっちゃった』
「なら一緒に乗れば良かったんですよ」
『えぇ……それは、ありきたりじゃん』
「寂しくて電話をかけるのは、ありきたりじゃないんですか?」
漫画だとわりと見たことあるシチュエーションだったから。
『私にとっては珍しいかな』
確かに出かけることが沢山あったけれど、深瀬先輩がスマホを触っているところは見たことがなかった。持っていないとは思っていなかったけれど、使っているところは初めてかもしれない。いつもデジカメでビデオばかり撮っていたから。
『一人で乗った感想は?』
「退屈ですね。一緒に乗ってたら、こんな会話出来たのになーって思ってばかりでしたもん」
本当は、そんな可愛いもんじゃない。
苦しくて辛くて仕方なかった。でも、変に気を使わせたくなくて、精一杯の言葉選びをした。
『私もねぇ、同じこと思ったよ』
電話越しに「えへへ」と照れ笑いが聞こえてきた。顔を見ることは叶わないけど、きっと表情が綻んでるんだろうなって思うような声だった。
でも、その声を聞いても手放しに安心なんて出来ない。だって先輩の行動理由が一切分からないんだから。
「なんでわざわざ別で乗ったんですか?」
一人で乗るつもりなら、なんで最初から言わなかったんですか。
なんで空しい思いをする選択をしたんですか。
『……』
なんで黙ってるんですか。答えてくれないんですか。
そんな胸の内を吐き出せる相手は、ここにはいない。こんな目に見えない電波じゃ、心もとない。伝えるには足りないものが多すぎた。
『それはね』
今まで聞いた中で一番優しい声だった。
『私がいない寂しさに慣れてもらうため』
その言葉は本心だと分かった。声色が、やけに大人びて聞こえたから。
でも信じたくなかった。だから、
「冗談やめてくださいよ」
と言った。いや、そう願った。
『私ね、お別れの言葉を伝えたかったの。でもね、対面じゃ嫌だったの』
「お別れだなんて言わないでください」
『君だって薄々気が付いているでしょう? そろそろ夢が覚める頃だって』
「……いえ」
夢だなんて思っていませんよ。
現実だって信じてますよ。
だから、夢は覚めませんよ。
『じゃあ聞いちゃうけどさ……今日の私、変なところなかった?』
「そんなの……」
ありませんよ。
そう答えたかった。でも、出来なかった。表情も声も会話の内容も、全部が違和感の塊だった。
先輩を何を思っていたのか、予想すらできない。
深瀬藍のことが分からない。
『やっぱりねぇ。私がどんな顔をすれば良いのか分からなかったから、きっとそうだろうと思ったの。観覧車だって、本当は一緒に乗りたかったよ。でも、目を合わせられない二十分なんて辛すぎるから』
「それでも僕は、先輩と同じ時間を過ごしたかったです」
おかしいところしかなくても、いつもの先輩じゃなくても。
『本当は今日も出かけるつもりなんかなかったんだ。ザ・お別れって空気が苦手だからね』
「……卒業式で言ってましたね」
『でも、そんなの寂しいって思っちゃったんだ。浅葱くんと過ごしてるうちに、私変わっちゃったみたい』
えへへ、と照れくさそうな笑い声が電話越しに聞こえた。
『電話って便利なんだね。今さら気が付いたよ』
僕のゴンドラ内にアナウンスが響く。少し遅れて電話越しに同じ音声が流れる。それがどうも、現実へと進んでしまう僕と夢に残り続ける深瀬先輩の溝のように思えた。
数秒のズレが、取り返せない莫大な時間のように感じた。
『今日はごめんね』
「先輩が謝るようなことないですって」
深瀬先輩は答えてくれない。
代弁するかのように、観覧車が終わりに近づくアナウンスが入る。
楽しい時間が終焉に近づいていく。
『ありがとう。夢の住民に、幸せな夢を見させてくれて』
「やめてください。そんなことを言わないでくださいよ」
『もう夢から覚める時間がやってきたみたい』
「やめてって言ってるじゃないですか」
心の奥底から振り絞るように僕は願った。
『食べつくしちゃったんだ、私の理想の甘い夢。楽しくて嬉しくて、あっという間に消費しちゃった』
でも、先輩は聞き入れてはくれなかった。それどころか、今は一番耳にしたくないことを、口にした。
『ねぇ、浅葱くん』
「なんですか? 深瀬先輩」
『大好きだよ』
それは、僕が伝えようとしていた言葉だった。
甘い声が僕の胸に突き刺さる。ドキドキなんかじゃない、じくじくと蝕むように僕を苦しめた。
まるで呪いのように、僕の心に絡みつく。
『夢から覚めたら、私のことなんて忘れてね』
「ひどいですね。こんなことを言われたら、忘れられないですよ」
『さよなら』
僕は視線を上に向けた。
先輩を乗せたゴンドラがゆっくりと降りてくる。
同じくらいの高さになって、ようやく中の様子が僕の瞳に映った。
一つ後ろのゴンドラは、空っぽだった。
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