聖女様が降臨されたそうなので、俺たちは今日も山へ柴刈りに。
田中鈴木
第1話
初夏のこの時期になると、雨が多くなる。今日も小雨が断続的に降る中、俺はナタを振るって繊維の硬い下草を刈り払っている。胸まであるこいつはこの辺りではよく見るやつで、硬い茎と意外に鋭い葉が体中に引っ掻き傷をつけてくる。上を掴んで引っ張り上げてから刈らないと刃を受け流す柔軟性と強靭さが忌々しい。
「どうだぁガス!上がって来れそうかぁ!」
20歩ほど下に声を掛けると、ガスは首を横に振った。このクソ厄介な草が生い茂っているおかげで、ガスの十人隊は戻って来れなくなっているのだ。ほんの20歩、高低差にすれば身長ほどもないような段差に、かれこれ半刻ほどかかっているだろうか。進む時には足を取られて滑り落ち、戻ろうとすれば密生する固い茎が体を押し戻す。まさに天然の罠だ。
そもそも俺もガスも栄えある王国北方軍団の十人隊長だ。本業は国境の防衛と同盟諸邦の救援のはず。それが何故こんな山の中で柴刈りに興じなければならないのか。
そもそもの発端は聖女様だ。いや、その前の魔王の攻勢か。
12年前、王国のさらに北、山脈の向こうで魔王が即位した。俺には魔王が何かはよく分からんが、強大な魔法を操る人、らしい。北の貧しい小国だったはずの魔王の国は、魔王個人の戦闘力を頼りに周辺諸国を併合し、王国の北方同盟36邦のうち14を侵略しその支配下に収めた。最後の攻勢が3年前で、その時は俺も兵卒として参戦した。訳も分からず行軍し、野営し、戦闘らしい戦闘も起こらないうちに救援するはずだった国が陥ち、退却して終わったが。
それ以来、魔王支配下の諸邦解放は王国の悲願だ。王国軍は強いと俺は自負しているが、それは正面から敵軍とぶつかることができれば、の話だ。魔王とやらは一人で百人隊どころか軍団を飲み込むような火炎を操り、砦ごと焼き払うらしい。王国にも魔術師はいるが、そんなデタラメな魔法を使えるなんて話は聞いたことがない。王国と魔王に挟まれた北方諸邦はどっちつかずの対応を見せていて、王国軍が通過するのにも難色を示す有様だ。戦局は膠着状態、どちらかというと魔王軍有利といったところか。
状況打破のため、国王陛下は伝承に頼ることにした。すなわち聖女召喚。王国の危機に別の世界から聖女が現れ、その力で救済する。そんな御伽噺を本気で研究し実践したら、なんと本当に聖女様が降臨したらしい。それが3ヶ月前の話だ。大々的に全国に早馬で伝えられ、ここ北方軍団でもすわ遠征かと慌ただしく準備が始まった。
そして1ヶ月前に、正式に王命が下った。曰く、「山を切り拓き道を作れ」。
俺たち兵はみんな「は?」という顔をしていた。軍団長閣下も真面目な顔で命令文を読み上げていたが、内心は一緒だったろう。
北方軍団の砦と魔王の居城の間には、高く深い山脈が横たわっている。王国は山脈南側の平原を押さえており、北方諸邦は山あいの盆地や川沿いで細々と生計を営んでいる民の集合体だ。敵の本拠を叩くなら、山脈をぐるっと迂回し、北方諸邦と魔王支配下の諸国を解放しつつ、遠征軍を進めていくのが正道だろう。
それを聖女様は、地図を見て「まっすぐ進めばいいのでは?」と山脈を横切る線を引いたそうだ。国王陛下はそれを神託と受け止め、北方軍団に命令を下した。…不敬ではあるが、耄碌してるんじゃないかと素で思った。
道が無いのは何故か。そこに道を作るなど不可能だったからだ。農民が入る近場の山ですら、慣れない者が足を踏み入れたら遭難する。整備された道を行く行軍でも、足を痛めて離脱する兵が出るのだ。人の手が入ったことのない山を越えるなど、どれだけの犠牲が出ることか。
とにかく命令は命令なので、軍団の総力を挙げて木を切り倒し、柴を刈り、道を切り拓くこと1ヶ月。ようやく山麓から行軍一刻程度の距離を進むことができている。これからどれくらい先があるのかなんて考えたくもない。
傷だらけになりながら斜面に細い道を作りあげる頃には、そろそろ引き上げないと夕闇に呑まれる時間になっていた。ガスの十人隊が俺の投げたロープを頼りに登ってくる。
「どうだった?」
「こっちはダメだ。少し行った先で崖になってる。架橋するにしても足場が悪すぎる」
くたびれきった顔でガスが言う。両手はズタズタに切れ、乾いた血が鱗のようになっている。このルートは放棄か。どちらからともなく、深いため息が漏れる。
山には小さな崖や岩場、越えるには深い沢がそれこそ山ほどある。軍隊が通過できるほどの道を作ろうとすると、どうしても場所が限られてくる。地図すらまともに作られたことのない山脈で、俺たちは毎日毎日こうして進むべき道を探し右往左往している。
「ロイ、報告は任せた。とりあえず飯食って寝てぇ」
ガスと俺はほぼ同じ時期に北方軍団に入っていて、気心の知れた仲だ。十人隊長としてやっていけるのも、お互いに支え合っているからだと思っている。承諾の意味を込めて胸を2回叩くと、ガスの顔に力のない笑みが浮かんだ。
野営地まで戻る頃には、そろそろ足元が見えない闇が近付いてきていた。食事の支度は部下に任せ、司令部の天幕に報告に向かう。
大きな天幕の中には、食事中だからか数人しかいなかった。地図の前で頭を抱えている将校と目が合うと、軽く手招きされる。
今日の当番はホルスト百人隊長殿だ。最近王都から赴任したばかりの貴族身分の青年で、俺の直属の上官でもある。あまり偉ぶったところもなく、話しやすい御方だ。敬礼をし、直立不動の姿勢を取る。
「報告いたします。ロイ、ガス以下両十人隊、只今帰還いたしました。事故者無し。以上」
「で、首尾は?進んだか」
「残念ながら。崖に阻まれ、この三日開拓した道は放棄となりました」
「…そうか」
ホルスト殿がぎゅっと目を閉じ、眉間を揉む。おそらく王都からはまだかまだかと催促が続いているのだろう。毎日山を彷徨うのと、毎日お偉方からせっつかれるのとどちらがいいだろうか。間に挟まれる役職も大変だ。
「百人隊長殿。質問をしてもよろしいでしょうか」
「許可する」
「聖女様とはどのような方なのか、ご存知でしょうか」
唐突な内容に、ホルスト殿の目が丸くなる。椅子の背に体を預け、力が抜けた表情を見せるとその辺の若造という感じだ。
「直接に拝謁したことはないが、遠目に見かけたことならある。そうだな、異国の少女と言われればそのような見た目ではあった」
「どんなことができる御方なので?」
真面目に答えてくれるようなので、俺も少し調子に乗って質問を重ねる。ホルスト殿も、嫌がる様子もなく答えてくれる。
「伝聞でしかないが、強力な回復魔法を使えるそうだ。死者を蘇らせるのは無理だろうが、瀕死の重傷者を救ったとか何とか」
「山には詳しい方なのでしょうか?」
ふっと皮肉な笑みがホルスト殿の顔に浮かぶ。言いたいことは伝わったようだ。
「さてな。少なくとも山の民には見えなかったな。どちらかというと線の細い、労働とは無縁な印象の御方だ」
「なるほど」
その御方の思い付きに振り回され、俺たちは柴刈りをしているわけだ。もう一度敬礼をし、天幕を後にする。雨は上がっているが、薄曇りで星も見えない。あちこちで燃える焚火だけが頼りだ。
今俺たちが傷だらけになって山を切り拓いているのを知ったら、聖女様はどうされるのだろうか。その御力をもって傷を癒やしてくれる?軍団全員の怪我を見ていたら、どれだけ時間があっても足りなそうだ。
重傷者を救えると言うが、重傷者を大量に生み出すような戦争を自分が仕掛けている意識はあるのだろうか。大規模な戦闘に参加したことはないが、傷を負って苦しみ、のたうちまわって死ぬ兵は見たことがある。回復魔法とやらで傷は治せても、それまでの痛みと苦しみは残る。それでも死なないのだから安心して戦え、と言うのだろうか。
強力な回復魔法を操る聖女様と、何もかも焼き尽くす魔法を操る魔王。味方にするなら、魔王の方が自分で戦ってくれるぶん良さそうだ。
自分の十人隊の火が近付いてくる。温められた食事の匂いに、自然と腹が鳴る。考えても仕方のない思考を投げ捨て、俺は夕食の灯りに向かって駆け出した。
聖女様が降臨されたそうなので、俺たちは今日も山へ柴刈りに。 田中鈴木 @tanaka_suzuki
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