二人の場合
戦場を一望できる高台に二人は立っていた。眼下では、二つの国の兵士達が血みどろの戦闘を続けていた。しかし、一方の兵士の数は明らかに少なく、もう一方の兵士にどんどん追い込まれていく。戦意を喪失したのか、背を向け逃げて行く兵士が見られる。他にも、懸命に命乞いをする兵士もいる。だが、相手の兵士はそんなことにはお構いなく、敵兵と見るや躊躇なく槍や剣を突き刺していく。血を流し、次々と息絶えていく兵士。その体を踏み越えて、さらに殺そうと前進する兵士の群れ――
「人間とは、こういうものなのでしょうか......」
「......始めるぞ」
険しい視線が、戦場の兵士達へ注がれる。その直後、狂気に付かれた兵士も、命が尽きようとしている兵士も、一斉に、一瞬という時間の中で姿を消した。轟音のような怒声、悲鳴は静寂に変わり、戦場には泥にまみれた剣や無数の矢が残るだけだった。
「戦場はここだけじゃない。次行くぞ」
二人は高台から姿を消した。そして、次の戦場へと現れる。
こうして二人は人間の行いに憤りながら、人間を消していった。戦争という大きな殺し合いから、日常で起こる小さな悪事まで――
それは二人の目には、人間として許せない行為だった。だから二人はそんな人間を消していった。何の迷いも、疑いもなく。
「これでは、切りがありませんね」
「そうだけど......やってくしかないだろ」
ひどい人間を見ることも、それを消すことも、二人は辟易していた。だが、それもこの世界のためと、二人は手を休めることはなかった。
二人が人間の前に現れて、一年が経とうとしていた。
青々と生い茂る草原を望む高台に二人は立っていた。二人が注目する先には、一人の女性がいた。汚れて破れた服の上に、これもかなりぼろぼろの革の鎧を着て、背中には弓と矢を背負っている。女性は大木の陰に隠れながら草原の先を見つめている。そこには一頭の鹿がいた。鹿は耳を動かしながら草を食んでいる。しばらく立ち去る様子はない。すると女性はおもむろに弓矢を構えた。弦を引き絞り、狙いを定める。女性の動きが止まった直後、矢は風を切って飛んでいった。鹿はそれに気づき、顔を上げたが、少々遅かった。逃げ出そうとした時には、矢は鹿の腹に深々と刺さっていた。一度は走り出した鹿だったが、徐々に動きは鈍くなり、とうとう力尽きて地面に倒れた。それを見た女性は大木の陰から飛び出し、歓喜の声を上げる。それを合図のように、どこかに隠れていたのか、小さな男の子と女の子が女性に駆け寄ってきた。女性は二人の子供の頭をなで、手を握る。そして仕留めた鹿のもとへ向かった。
「あの方の弓の腕は、いつ見ても素晴らしいですね」
「少し前まで劇場の役者だったとは思えないな」
「もともと才能があったのですね」
二人の心は穏やかだった。今や二人を憤らせる人間はどこにもいなかった。いるのは、同じ人間同士で協力し、助け、分かち合う心を持った人間だけだった。そこには打算のかけらもない。まさに理想とする人間だけだった。
「それにしても、俺達の理想の人間は、なんでこんなに少ないんだ」
「そうですね。たった八十人余りとは、少なすぎます」
「八十人で、この地上を『管理』しろって言っても無理じゃないか?」
「確かに。見た方全員が、その日を生きることに必死な様子でした。『管理者』としてふさわしいと言えるのかどうか......」
「自然の破壊や動物の乱獲も、人間が減ったおかげでピタッとやんだし。......やっぱ、違うんじゃないか?」
静寂の中、二人は考えた。風がローブの裾を揺らし、頭上では鳥が仲間を呼び鳴く。人間が減るだけで、世界はとても静かだった。あらゆる生命が自由を謳歌しているようだった。花には虫達が集まり、川では魚達が泳ぐ。そんなありのままの生命に、人間の影響はもう及ばない。それらを邪魔していた人間が、この地上の生命を守り抜くことなど、果たしてできるのだろうか――
そして、二人は決断した。
「......無理だ。人間には無理だな。『管理者』なんて器、持ってないよ」
「この現状を見る限り、私もそう思いますが......」
「なんだ」
「人間でないのなら、誰が『管理者』になれるのかと思いまして」
「うーん......ここにはいないな。それなら、俺達がなるか」
「それはできません。私達には私達の役目があります」
「わかってるよ。冗談だって」
「......ですが、冗談でも、そう言いたくなってしまうほど、ここは魅力的な世界です」
「ああ。だから守ってもらいたかったのにな......」
地上の、遥か先を見つめる二人の目には、いくつもの命のきらめきが見えていた。この世界にしか存在しない、唯一無二の命。それはとても美しく見えた。
「......そろそろ戻るか」
「そうですね。予定より随分と長くなってしまいました」
「この体ともお別れか。ちょっと愛着が湧いてたんだけど、まあ、仕方な――」
言葉を言い終えようとした時、突如世界が漆黒に包まれた。二人は動くこともできず、ただ呆然とした。
「......あなた、ではありませんよね」
「俺がやったんじゃないぞ」
気づけば二人の体はなく、意識だけが残されていた。それでも会話はしているが、声は聞こえない。二人の意識という存在が、声の役割りを果たしているようだった。
「一体何なんだ、これ」
「もしかすると、ここはもとの場所ではないでしょうか」
「その通りだ」
二人以外の、もう一つの意識が現れ言った。これに二人の意識は驚きを隠せない。
「......え? なんでお前が?」
「これは、あなたのしたことでしたか」
二人の様子に、現れた意識は呆れたように言う。
「地上に長居しすぎて、本来いるべき場も忘れたのか。それより、君達は地上へ何をしに行ったんだ」
「様子を見に......」
「嘘を言うな!」
二人の意識が委縮する。
「地上を少し見てくるというから、私はすべきこともせず、じっと待っていたんだ。それが、いつまで経っても戻ってこない。気になり地上へ行ってみれば、大変なことになっていた。何が少し見てくるだ。地上世界を壊す気か」
「壊すなど、私達は――」
「君も君だ。私はお目付け役として君に付いていってもらったのに、君まで同調してどうするんだ。いつもの、生命を扱う冷静さはどこへ行った」
「言い訳ではないのですが、私も最初のうちは戸惑いました。けれど、何人も人間を見ていくうちに、私の中でも、何か違うような気がしてしまい――」
「違うのは君たちだ」
「でも、お前だって人間達を見てれば、絶対俺と同じ気持ちを持つはずだ」
「そうだとしても、君達は間違ったことをしている。我々の掟を忘れたか。地上世界に干渉してはならないんだ。本当なら、地上へ赴くことも控えるべきことだが、短時間というから私は見逃した。だが、それは間違いだった。掟は掟として、例外なく守らせるべきだった」
「例外はあってもいいんじゃないか? そういうところがお前、生真面目すぎ――」
「うるさい! 君のそういう自由な性格が、私にどれだけの負担になっているか、わかっていないだろ」
「俺の仕事は、自由な感覚がなきゃできないんだ。悪いな」
「自由にもほどがあると言っているんだ。君達はどれだけの人間を消した。それをもとに戻すのは全部私の役目なんだぞ」
「もとに戻す? 人間をか?」
「当たり前だ。君達が地上へ行く前まで、私が時間を戻す」
「えー、もとに戻したって、役に立たないよ」
「......言われて気づきました。確かに、私達は地上に干渉しすぎてしまいました。時間を戻されるのも仕方ないことです。従いましょう」
「なんだよ、手のひらを返す気か? でも、お前もひどい人間を見ただろ。本当に戻していいと思うのか?」
「そうは言い難いところですが、けれどやはり、私達の干渉は度が過ぎてしまったかと」
「ひどい人間を消して何がいけないんだ。そのほうが地上のためになるんだぞ」
納得しようとしない様子に、現れた意識はため息混じりに言う。
「まったく......異論があるようですが、どうしましょう」
その言葉は、どこへともなく話しかけられた。話しかけたほうは、その相手の所在を把握していないようだったが、返答があることは確信していた。
やがて、三つの意識を包み込むように、漆黒の中から声が響いてきた。男性、女性、どちらとも思える不思議な声は、意識達に優しく語りかける。
〈人間に、なぜ知恵を授けたか、わかるか〉
「地上世界の『管理者』になってほしいからだろ?」
〈それだけなら、人間には完璧な知恵を授ければよい。だがそうはしなかった。私が人間に望むのは、学びと成長。初めから完璧では、誰も学ぼうとはしない。何も学ばなければ、他の生命の心など知る由もない。そこに成長はあり得ぬ〉
「でも、人間は我欲ばっかりで、好き放題やってる。ひどいのは消さないと、他の生命が人間に消されるよ」
〈ならば問う。人間は、数多いる生命の中の一つではないのか。その一つを、お前は勝手に消そうとしている。それこそ、ひどい行いではないのか〉
指摘された意識は、はっとする。
〈人間を『管理者』に選んだからといって、特別扱いしてはならぬ。私は生命を平等に扱いたい。苦楽を生み、感じるのは、生命を持つ者次第。そこにこちらの都合など、差し挟む余地はない〉
「......だそうだ。目が覚めたか」
返事はなかったが、それが返事の代わりだった。
〈〝時〟よ、ただちに正常な時まで戻しなさい〉
「はい、すぐに」
〈〝生命〟、お前の仕事は消すことではない。生むことだと憶えなさい〉
「初心に返り、この間違いを、心に刻んでおくことにします」
〈そして〝創造〟、お前の自由な発想は、地上を美しい世界に創り上げてきた。その世界を壊されたくないと思うのは当然だが、それをどうするかは地上の者の判断にゆだねよ。過保護になっては、人間を『管理者』にした意味がない。わかるな〉
「歯がゆさは残るけど......わかったよ。保証はできないけど、できる限り我慢はする」
漆黒の世界が一瞬、ふわりと笑ったようだった。
〈......では、後は頼む〉
「よし、久々の大仕事だ。一気に戻す。行くぞ......」
漆黒は何も変わらない。だが、三つの意識はよじれるように、何もない空間をたゆたいながら移動していく。見えない時間が次々とさかのぼり、彼方へ消えていく中、三つの意識に再び優しい声が響いてきた。
〈人間は、未だ未熟な存在。判断を下すには時期尚早。愚かを貫き、その行いの意味を知った時、人間は地上の『管理者』となる器を得よう。見守り続けるのだ。人間という生命の選択を......〉
意識は流され、再び、あの時に戻される――
そこは断崖絶壁だった。晴れ渡った空の下、目の前には視界いっぱいにきらめく青い海が広がっている。それを見渡すように〝生命〟と〝創造〟は人間の体で立っていた。
「......ここ、最初に俺達が立った場所だ」
「ここまで細かく戻してくれたのですね」
「生真面目なあいつらしいな」
〝創造〟は苦笑いを浮かべる。
「俺達の行動は、全部もとに戻ったのか......あーあ」
「まだ納得していないのですか」
「違うよ。それは十分わかったけど、なんか、やるせないというかさ......」
「納得しているのなら、そのような気持ちにはならないと思うのですが」
「納得してるって言っただろ。どうせお前には俺の繊細な気持ちなんてわからないよ」
子供っぽく顔をそむける〝創造〟に、〝生命〟は小さく微笑む。
「あなたがこの世界を愛していることはわかっています。ですが、過保護になってはいけないと言われたではないですか。態度だけではなく、心も変えるべきでは」
「言われなくたってわかってるよ!」
「そうですか。それは失礼しました。では、そろそろ戻りましょうか」
「え......もう? 俺達、海しか見てないけど」
「現在はそうですが、私達はすでに地上を見て回ったと思いますが」
「時を戻した後は見てないぞ。どうなったか、ちょっと見て――」
「以前と何も変わっていません。見なくてもわかることです」
「でもさ......」
「二度もあなたに付き合うわけにはいきません。......やはり、あなたの心は変わっていないようですね」
冷めた視線の〝生命〟に睨まれ、〝創造〟はどぎまぎしつつ答える。
「お、俺のことは俺が一番わかってるんだ。ちょっと見たいって、言ってみただけで......じょ、冗談だってば。本気にするなよ」
「そうでしたか。それなら安心です。では、戻っていただけますね」
「も、戻るさ。すぐ戻らないと、あいつもうるさいしな、まったく......」
そう言いつつも、その目は大地の地平線を名残惜しそうに見つめていた。それでも〝創造〟は気持ちを振り切り、自身の姿を消す。それを見届けた〝生命〟も、美しい大地と海を目に焼き付けると、姿を消し、地上から去っていった。
断崖絶壁、そこに何かがいたことは、誰も知らない。
きっと、世界のどこかで――
ある男性は盗みを働き、
ある女性は飼い犬を見殺しにし、
ある商人は亡き両親のために木を切り、川を埋め、
ある少女は小さな命を無駄に奪い、
ある男性は幸せのために人を殺し、
ある学生は言えない感情をひた隠しながら勉学に励み、
ある女性は神のために働くことを望み、
ある軍人は重すぎる罪に押しつぶされ、手にナイフを握る。
今日も人間は、そんなふうに生きていく。
ジャッジ 柏木椎菜 @shiina_kswg
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