ロディアム・ノイガーの場合

「戦況を報告します。東に展開する第五、第六師団は、敵の猛攻で壊滅状態。南のバルスク連隊は、敵の挟み撃ちを受け、救援を要請してきています。残る西に展開する第二、第三、第四師団は、兵の半数を削られ、逃げ出す者も出てきているようです。このままでは、最終防衛線を超えられるのも時間の問題かと......」


 報告の声に、私の頭は真っ白になった。


「兵は戦い詰めで、士気は最低だ。それなのになぜ第五、第六師団を突っ込ませた」


「それはそれで効果もあった。敵の連係を絶つことができたじゃないか」


「その代償が、二個師団の壊滅では大きすぎる。一体誰が責任を取るつもりか」


「しかし、西側の敵はだいぶ疲弊し、減ってきているようです。こちらからならまだ勝機をうかがえるのでは」


「じき東の兵が西に合流する。勝機などもうない」


「諦めるというのか、これほどの兵を失っていると言うのに」


「だからこそ引き際が大事なのだ。皆はこの戦況をどう思う。本当に我が軍に勝機があると思うのか」


「勝機云々ではない。今、この現状をどう打開していくか、それを話すべきではないか」


「勝てない戦を話し合っても意味はない」


「前線では今も兵が戦っているのです。我々が知恵を絞らないでどうする」


「知恵? そんないい知恵があるなら、お聞かせ願いたいものだ」


「皆、黙れ!」


 私はたまらず怒鳴った。幹部達の目が一斉に私へ向いた。好き勝手に、ばらばらに、言いたいことだけ言っているやからに、私はもう辟易した。


「まともな作戦会議はできないのか。これでは子供の喧嘩ではないか」


「......お言葉ですが総司令官、我々も冷静に努めたいのですよ。ですが、戦況を分析すればするほど、冷静ではいられなくなるのです」


 数人が同調し、うなずいた。


「当初の作戦では、我々の勝利はほぼ確実なものだった。だが、敵の戦力を見誤ったせいで、作戦の一部を変更せざるを得ず、こうなってしまったのも、すべては戦争推進派の迂闊さにある」


「その通り。血気にはやった者達が、手柄欲しさに始めたような戦争だ。もともと大した大義などなかったのかもしれんな」


 違うとわかっている。それなのに、その言葉は全部私に向けて言われているような気がしてならなかった。


「まるで他人事のように話すが、それは我々自身の話だぞ。まるで自分には責任がないかのようだが、早くこの現実に向き合ったらどうだ」


「とっくに向き合っている。私の結論を言おうか。一刻も早く撤退すべきだ」


「愚かな。こちらにはまだ勝機が――」


 その時、ばたんと大きな音が部屋に響いた。私を含めた幹部達が入り口のほうを振り返る。そこには、息せき切って入ってきた一人の兵士がいた。


「会議中だ。許可を得て入ったのか」


 幹部の一人が聞いたが、兵士はそれを無視して、息を切らせながら言った。


「先ほど、第四師団が、壊滅した、との、報告です。その結果、敵部隊の一部が、最終防衛線に、間もなく到達する、ということです」


 部屋内は騒然となった。


「第四師団までも、壊滅とは......」


「敵がここに踏み込んでくるのも、もはや時間の問題だ。それでもまだ勝機が残っていると言うのか」


 誰もが焦りを隠せずにいた。もちろん私も......。


 兵士の報告は続けられた。


「さらに、トランゼン王子が、独断で大隊を率いて、バルスク連隊の救援に向かわれたとのことです」


 それを聞いた途端、全員の顔が凍りついた。


「な......に......」


 私の声は、かすれて声になっていなかった。


「なぜ行かせたのだ! 誰もお止めしなかったのか」


「も、もちろんお止めしたようです。それでも、救援に向かいたいと、強くおっしゃられたようで......」


 私は椅子にもたれ、天井を仰いだ。


「早く連れ戻すのだ!」


「それが......」


 兵士はためらいがちに言った。


「すぐに小隊を出し、追わせたらしいのですが......その途中、敵の伏兵に遭い、王子率いる大隊を見失ったと......」


「大隊を見失うわけがないだろう。出せるだけの部隊で捜したのか」


「もう、残っている部隊は、いないと......」


 幹部の一人が頭を抱えるのを見て、私もそうしたかった。


「あのお方らしいな。ご兄弟の中で一番正義感のお強いお方だ。仲間の危機を見て見ぬふりはできなかったのだろう」


「何を悠長なことを。これがどういう事態なのかわかっておるのか」


「そうだ。もし王子が敵に捕らえられでもしたら、我々軍は敵の言い成りになるしかない。さらに、それ以上に悪い事態となってしまったら、我々は国にすら戻ることができなくなるぞ」


「だから初めに言ったのだ。たとえ王子がお望みになられても、ご参戦はお控えしていただいたほうがいいと」


「王子は現在軍に所属し、歴とした軍人でもおられる。王子を特別扱いしては、他の兵に示しがつかぬ。そのことを踏まえ、王子には前線ではなく、後方支援についていただくことを決めたのではないか」


「その気遣いも、結局は無意味だったようだな。王子には王子であるということをもっと自覚していただく必要があるようだ」


「そんなことは王子を見つけた後に言っていただこう。今は一刻も早く王子の行方をお捜しすることです」


「だが、そちらへ割く人手があるのか」


「あるのかじゃなく、作るしかないだろう。王子の身の安全をとにかく確保するしかない」


「言っておくが、こちらからは出せないぞ。敵の前進を押さえているのは我が軍だ。兵を割くことなどできるわけがない」


「それはどこも同じことだ。そちらの言い分だけ聞くことはできない」


「では、防衛線を弱めてもいいと言うのか。そんなことをしたら、王子の捜索どころではなくなるぞ」


「苦しいのはそちらだけじゃない。我々も苦しいのだ。ここは協力して兵を――」


「そんな余裕はない。こちらは死に物狂いなのだ。兵を遊ばせている後方部隊から割けばいいだろう」


「お言葉ですが、我々後方部隊も、前線の尻拭いで必死なのですよ」


「何だと! 貴様、もう一度言ってみろ」


「ご希望なら、何度でも」


 二人の幹部が机を挟み睨み合う。場の空気がますます淀んでいく。


「......何も決まらないのなら、私の一存で決める。これに意見のある者は」


 私は机の上で両手を組み、幹部達を見回した。誰も何も言わない。


「......よし。では、各部隊から王子捜索隊として、二十の兵を送ること。ただし、前線部隊は例外とし、人数は五とする。王子捜索は明朝七時に始める。それまでに各部隊は兵を送るように。意見、質問は」


「これが妥当なのでしょう......」


 全員、どこか不満の残る表情だったが、妥協した自分を無理やり納得させるように、小さくうなずいて見せた。


「ではこれで決まりとする。会議はひとまず終了とさせてもらう」


 幹部達が意表を突かれたように私を見た。


「総司令官、まだ大事な戦略を――」


「わかっている。そのことは明日また話し合おう。その前に一人でじっくり考えたいのだ」


 そう言いながら私は椅子から立ち上がった。


「考えをまとめる時間も大事だ。我々もじっくり考えようじゃないか」


 一人がそう言うと、他の幹部も渋々同調し、席を立つ。


 作戦会議室を出たところで、前を歩く幹部の声が聞こえてきた。


「総司令官もこの戦況じゃあ、相当お疲れなのだろう。顔色が病人かと思うほど悪かった」


「焦りの表れだろう」


 私は足早に自室へ戻ると、洗面台の鏡をのぞき込んだ。そこには青白いくたびれた顔が映っていた。こんな顔を見せていたのかと思うと、なんだか情けなく、ため息が漏れた。


 軍を束ねる総司令官という立場なら、いつでも気概に満ちた表情を見せていなくてはならない。上官が迷いや弱音を見せては、軍全体の士気にかかわるからだ。だから私はこれまで、どんな局面に立たされても、堂々と強さを見せてきた。


 しかし、今回ばかりはその振りもできなかった。自分の中の気概が打ちのめされてしまったのだ。それほど敗色濃厚であり、私にとって初めての危機的状況だった。


 そこへ追い打ちをかけるように、王子の行方不明だ。まだ二十一歳とお若いが、その正義感のあつさから、国民の多くに慕われている。そんな王子にもしものことが起きてしまったら、軍の責任者として、私は誰にも合わせる顔がない。いや、それどころか、国王のお怒りに触れ、命を失うかもしれない。私は今、それほどの失態を犯している......。


 力の抜けた体をどうにか動かし、私はソファに沈み込んだ。全身が異常に重い。疲れていることが自分でもよくわかる。そう言えばここ数日、睡眠時間もろくに取っていない。部下の情報に目を通し、指示を与え続けているうちに夜が明けていたこともあった。それでも最低限の食事だけはできていたから、なんとか倒れずにここまでやってこられたが......それも今日で終わるかもしれない。睡眠はもちろん、食事の余裕すら今の私には与えられない。この絶望的な戦況をどう打開していくかを考え続けなければいけない。だがその前に王子の安否を確かめなければ、軍も動くに動けない。とにかくご無事であることを願いつつ、私は戦略を練り直さなければ......。


 戦況の書かれた書類のある机に向かおうと私は立ち上がろうとしたが、体はまるで鉄の塊のように重く動かなかった。何もできず、ソファに寄りかかりながら天井を見上げているうちに、だんだんと睡魔が襲ってきた。寝ている暇はないと頭の中で自分を叱るが、その声も強烈な睡魔によってかき消された。私はなす術もなく、睡魔に取り込まれていった。


「――総司令官、よろしいでしょうか、総司令官」


 扉を叩く音と呼ぶ声に、私は自分が眠っていたことに気づいた。ソファから飛び起き、軍服の上着を整える。


「総司令官――」


「今行く」


 できるだけ疲れた顔を見せないよう意識し、扉を開ける。そこには書類を片手にいつもの部下が立っていた。だがその表情は普段よりも緊迫している。私の中に嫌な予感が走る。


「何だ」


「失礼いたします。行方不明になっていた王子ですが、先ほど報告があり、南のビルージ街道沿いの森で、大隊の兵と共に、ご遺体で発見されたということです」


 私の中に残っていた、心を支える小さな何かが、音も立てずに崩れていった。


「もう一つ報告です。最終防衛線に敵部隊が到達、現在交戦中ですが、兵が足りず、応援を要請されたので、急きょ後方担当の二部隊を送りましたが、よろしかったでしょうか。......あの、総司令官」


「......ああ、現場の判断に任せる」


「わかりました。ではこれを」


 部下は分厚い書類を私に手渡す。


「それでは、失礼いたします――」


「待て」


「は、何でしょうか」


「報告があっても、しばらくはここに誰も近づけないでくれ」


 部下が困惑の顔を見せる。


「しかし、重要な報告は――」


「それらの判断は、参謀に任せる。そう伝えておいてくれ」


「......わかりました。ですが、総司令官は――」


 言葉をさえぎり、私は扉を閉めた。間を置いて、諦めた部下の足音が遠ざかっていく。それを確認して、私は扉に鍵をかけ、窓際の机に向かった。そう言えば、私はどのくらい寝込んでしまったのだろう。黒いカーテンをめくり、外を見てみる。窓の向こうには漆黒の森が広がっている。まだ夜は明けていない。しかし、地平線の辺りはわずかに白みがかっていた。寝ていたのは小一時間ほどだろうか。そうわかってカーテンを閉め、受け取った書類を机に放り投げた。その勢いで書類数枚が床にひらひらと落ちたが、私は無視して机の引き出しに手をかけた。


「埃と血の匂いでいっぱいだな」


 突然の声に、私は全身で驚き、後ろの壁にぶつかった。顔を上げると、なぜか机の前に二人の男が立っていた。


「なっ......何だ、お前達は。一体どこから入った」


 入り口の扉には鍵をかけたはずだ。入ってこられるはずがない。それなのにこの二人はここにいる。私にはわけがわからなかった。


「ロディアム・ノイガー、話を聞きにきた」


 私は初めて見る二人だったが、どうやら二人は私のことを知っているらしい。


「......何者だ」


「あんたに話を聞きにきた者だ」


 そう言った右の男の表情は険しい。対して左の男は無表情で感情が読み取れない。


「軍の機密でも、聞き出そうというのか」


「そんなのに興味はない。聞くのはあんたの話だ」


 敵軍の兵ではないらしい。それもそうだ。もう勝利は確実なのに、命がけで敵軍の中枢に忍び込んでくる危険を冒すわけがない。


「......何を聞きたい」


「この戦いを始めたわけだ」


「そんなことを、聞きたいのか」


 男の目をじっと見た。男も私の目をじっと見てくる。私は軽く息を吐いた。なんだか一足早く裁きを受けているような感覚だ。得体の知れない二人だが、私は不思議と言う通りに話そうと思った。


「我が国は平和だった。長く内乱も起きていない。近隣諸国とも上手く付き合っていた。だがある日、国境警備兵が隣国の兵の領土侵犯を見つけ、それを捕らえた。警備兵によると、数日尋問した後、その隣国兵は自殺してしまった。遺体を返す時に、隣国にはそう説明したが、隣国は全然納得しなかった。自殺ではなく、殺したのだと言って。それからたびたび隣国による領土侵犯が起きた。国の重臣の大半は相手にする必要はないと言った。だが私はそれに反論した。隣国は我が国を軽んじていると。それはすなわち、国王陛下を軽んじていることと同じ。その考えを改めさせるために、我が国は力を示す必要があるのではないか。私はそう主張し続けた。その甲斐あって、重臣達は私の言葉に耳を傾けるようになった。国民の理解も得て、軍は始動した。隣国の軍備は知れていた。我が軍は余裕を持って勝てるはずだった。だが、隣国は一枚上手だった。戦争になるまで、兵力を隠していたのだ。我々はまんまと挑発に乗せられていた。その結果、多くの兵の命と、領土を失うことになった」


「まだ戦いは終わっていないようですが」


 左の男が言った。私は鼻で笑った。


「結果は誰の目にも明白だ。もう決まってしまった」


「では、なぜ今も戦っているのですか」


 まったくだ。希望はすべて失われた。私はなぜ戦いを続けている? どうせすべてが終わるというに......。


「どうでもいい意地と見栄だろ」


 右の男が冷たく言う。


「組織を束ねる人間には、そういうのが多いみたいだからね。そもそも、国のために戦い始めたって言うけど、本当は違うんだろ?」


 じろりと睨まれ、私は内心驚いた。


「なぜ、そう思ったのだ」


「周りには本心を明かしてなかったみたいだけど、俺には隠せないよ」


 これは冗談ではないと、その不敵な表情は言っているようだった。この男は私の心を知っている――なぜか自然とそう思えた。


「......我が国は本当に平和だった。国民の心配事と言えば、年に一度の祭りが晴れるかどうかくらいだ。その中で軍がすることと言ったら、各要所の警備くらいだ。仕事がそれだけなのだから、軍の存在は年々薄れていく。そしてついに兵数の削減を迫られた。五年後には現在の半数まで減らすというのだ。誰の提案なのかは知らないが、平和ボケもはなはだしい。この国の盾と剣は誰だと思っているのか。我々軍しかなりえないのだ。それを丸腰同然まで縮小するなど、あり得ないことだ」


「そんな時、隣国の兵がやってきたと」


「そうだ......私はこれが絶好の機会だと思ったのだ。ここで力を見せつけ、過去の戦争で得た栄光を再び得ようと考えた。そうすれば、馬鹿な提案も白紙に戻されると思ったのだ。だが......」


 平和ボケになっていたのは、私なのかもしれない。敵の戦力も見破れず、行き当たりばったりの戦略しか練られない。こんな人間は、もはや軍を指揮する資格もない。


「それが本心か......子供みたいな動機だな」


「そうだな。自分でもそう思う。多くの犠牲を出している分、子供よりたちが悪い」


「犠牲を出したという罪悪感はあるのですね」


「一兵士であっても、それは私の大事な仲間なのだ」


「では、今すぐ戦いをやめさせ、国へ帰ってはどうですか」


 私は机の引き出しに手をかけたまま言った。


「それは無理だ。私は国へはもう帰れないほどの重罪人だ」


「犠牲を出した罪か?」


「そうだ。この戦争を強く推し進めた罪、敗戦という結果を生んだ罪、そして、王子を戦死させてしまった罪......国王陛下はお優しいお方だ。もしかしたら寛容なお心をお見せしてくれるかもしれない。だが、私はそれに甘えることは許されないのだ。国を導いてくださるはずだった王子の命は、国民すべての宝でもあった。それを失わせた罪は、まさに万死に値するものだ!」


 私は引き出しを引き、中にあった軍用のナイフを取ると、鞘を抜き、刃先を自分の心臓に向けた。


「自殺する気か?」


「自身で命を絶つなど、愚かな行為です。おやめください」


 二人の男の表情が、わずかに困惑する。


「四十五年の人生、これまで様々な失態を演じてきた。だが、今回ばかりは許されるものではない。私はこの命で、国王陛下と国民に謝罪する」


「謝罪するなら面と向かってしろ。命を傷つけることは許さない」


 右の男が怒りの表情で一歩前に出た。その迫力に思わず私は壁際まで後ずさった。


「......出て行ってくれ。そうしないと、その白いローブが汚れるぞ」


「構いません。そのナイフを下ろしてください」


 今度は左の男が近づいてくる。二人の顔を交互に見ているうちに、なぜ見知らぬ他人がこんなところにいるのかと不思議に思えてきた。そもそも、二人は何者なのだ。なぜ私の話など聞きにきたのだ。その目的もわからないうえ、いつ部屋に入ったのかもわからない。戦場だというのに白という目立つ色のローブを着ているし、見たところ防具などの装備も身につけていない。敵兵ではなさそうだが、自軍の兵でもなさそうだ。二人の存在は、ここでは明らかに不自然極まりない。


「お前達は......何だ」


 二人はお互いの顔を見る。


「そのナイフを置いたら、教えてあげるよ」


 右の男が真剣に言う。おそらく、教えてはくれないだろう。それでも私はナイフをゆっくり机に置いた。が、ナイフから手は離さず、二人の様子をうかがった。こちらを見る二人の男――その姿は普通の人間だ。だが、どこか人間とは違う雰囲気を感じる。具体的にどこがとは言えない。なんとなく、そう感じてならなかった。


「なぜ私に、自殺をさせたくないのだ」


「変な質問をするんだな」


「いや、これは真っ当な質問だよ。お前達は軍の人間でもなければ、私の友人でもない。赤の他人なのだ。何の関係もない人間が自殺しようがなんだろうが、どうでもいいことではないか」


 右の男は宙を睨み、考える。


「んー、人間が死ぬのは仕方ないことだよ。でも、自殺はいただけない」


「なぜだ。どう死のうがお前達に何の害もないだろう」


「害はありませんが、仕事は増えます」


 左の男が言った。意味がわからず聞き返そうとしたが、左の男はさえぎるように言った。


「もしも、あなたがどうしても自殺をしたいというのなら、それを私達にやらせてはもらえませんか」


 おかしな申し出に、私は唖然としてしまった。


「おっ、それいい考えだな」


 右の男の顔が明るくなる。


「この方は自身の罪を深く認めています。ですから、人間の手で裁かれることが望ましいと思ったのですが、自殺の衝動に駆られているのでは、こうしたほうがいいかと」


「......それは、お前達が私を、殺す、と?」


「殺すつもりはありませんが、結果、そう見えてしまうかもしれません」


 よくわからない。得にもならないのに、他人の自殺を手伝うなど......。こんな戦況だ。私を殺したところで、どんな価値を見出せるというのか。国へ戻ったら極刑もあり得る。今や私の命は風前のともしびと言える。それでも私の命にこだわる理由とは......。


「自殺を思いとどまるか、私達にお任せいただくか、どちらにしますか」


 左の男が私を真っすぐに見つめる。無表情で、人間にあるべき感情がまったく見えない。この男は本当に人間なのだろうか――ふとそう思った瞬間、私は閃いた。我ながら子供じみた考えだった。


「お前達の正体、わかったぞ」


 右の男が目を丸くする。


「ほお、何だと思うんだ」


「ずばり、死神だろう」


 一瞬の静寂の後、右の男は大仰に笑いだした。


「だっはっはっはっ......俺達が、死神?」


「お前達は私を、心の内まで知っていた。神出鬼没で命にこだわる、まるで死神だ。死神は自分の手で命を刈り取るものだ。自殺などもってのほか。だから手伝うと言い出したのだ。そうだろう」


「変なこと考えるね、あんた」


「それは少々、考えすぎです」


 二人は呆れたように言う。


「死神は人間そっくりな姿になれるのだな。私の想像では、死神は黒い服装で悪魔のような顔を持っているものと思っていたが」


「おい、本気でそう思ってるのか?」


 私は口の端で笑った。


「死神に魂を取られると、その魂は永遠に地獄から出られず、苦痛を与えられ続けると言われている。悪いが、私はそうなる気はない」


「私達は、死神などではありません」


「では何だ。どういう存在なのだ」


 二人は黙り込んだ。


「言えないのか、説明ができないのか......まあ、どちらにせよ、お前達がいるべき場所はここではないのだろう。私のすることを邪魔しないでくれ」


 私は再びナイフを握った。


「いけません。おやめください」


 左の男がナイフに手を伸ばしてきた。私はすぐにそれを払いのけた。


「私にはよくわからないが、先に言っておこう。仕事を増やしてしまい、申し訳ない。それと......」


 私は二人の顔を目に焼き付けた。


「神よ、感謝いたします」


 無礼な口をきいているにもかかわらず、この二人は私を止めようとしている。死神などではない。おそらく、二人は私の魂を救いにきたのだ。だが、私はそれを望まない。魂ごと罰を受けたいのだ。それだけの犠牲を出し、行いをした。一時の肉体の苦痛だけでは何の罰にもならない。自ら魂ごと差し出し、そして罰を受けるべきなのだ。地獄へ行けるのなら、それは私の本望......!


 ナイフの先端を胸に向け、私は思い切り突き刺した。が、どういうわけか痛みを感じない。それどころか視界が突然暗闇に包まれ、私の意識は途絶えた。


          *


「なかなか頑固な人間だったな。なんか勘違いしてたみたいだけど」


「そうですね。けれど、彼は犯した罪を認めていました。人間に求める姿そのものだったのですが......残念です」


「罪を認めるやつもいれば、今も殺し合うやつらもいる。......外の人間達はどうする?」


「どういう理由であれ、ひどいことです。止めることができればいいのですが」


「無理だって。俺達二人で止められる人数じゃない。行ってもこの体が傷だらけになるだけだ」


「では、また?」


「それしかないと思う。じゃなきゃ、人間達はお互いが死ぬまで殺し続けるぞ」


「確かに......この戦いが始まって十五日、すでに何百人もの人間が殺されています」


「人間が人間を殺すことに慣れたら終わりだよ。その前に手を打つべきだと思うね」


「......わかりました。では、そうしましょう」


「大仕事になるな。じゃ、一丁やるか」

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