終章 出口のないバー 4

「ここはねー、昔、酒蔵さかぐらだったらしいよ。あんたがいるのは、お酒の仕込みに使われていたタンクだよん」

「まさか、俺を酒にしようっていうのか?」

「あんた、馬鹿じゃない? あんたから、どうやってお酒を造るのよー。このタンクはねー、ウツボカズラの捕虫袋みたいなものだよ」

「ということは、俺を消化しようっていうのか?」

「ビンゴー! まあ、うつぼ館と秘宝館全体が、ウツボカズラみたいなものなんだー。それで、ここは捕虫袋の底の底っていうわけ。この部屋はね、あんたが期待したベッドルームじゃなくて、『消化室』だよん」

「嘘も休み休み言えよ。虫じゃあるまいし、人間が消化されてたまるか。悪い冗談はよせよ」

「別に、信用しなくてもいいよー。どっちにしろ、あんたはもうすぐ消化されるんだから。それに、さっき消化されかけたんだよー」

「精力剤と嘘ついて、俺に薬物を飲ませたな? おかげで、変な幻覚を見た。お前のアソコに無理やり押し込められる幻覚だった」

「さっきも言ったけど、あれは幻覚じゃないよー。あたしのお腹で、あんたを消化するつもりだった。でも、あんたがあまり暴れるもんで、こっちに移したってわけ。あんた、蹴りまくったでしょ。すごく痛かったんだからね。今度は、あんたが苦しむ番だよー」

「腹の中で消化するだって? お前、化け物か?」

「違うんだなー。けど、化け物と思ってもいいよ。あたし、獲物の心境が分からないでもない。だって、これから消化されて、最後は吸収されて消える運命なんだけど、自分じゃどうやったって、その運命を変えられない。獲物にとっちゃぁ、捕食者は化け物かもしれないね。昔のSF映画にもあったなぁ。カニの化け物みたいな捕食者」

「お前に同情なんか、されたかぁないよ。それで、このタンクの中で、どうやって消化するんだ?」

 紀彦には、若葉の話はあまりに現実離れしていて、真に受けることなど到底できない気がした。とはいえ、人を閉じ込めたり指の骨を折ったり、悪ふざけが過ぎている。

<おそらく二人は、人を傷付けことによって快感を得る、異常性格者だろう>

「タンクの底に、網が付いた穴が二つあるでしょ? 一つは排出口でぇ、もう一つは注入口。注入口から、消化液をタンクに入れるんだよー」

「そんな簡単に、消化されてたまるかよ」

「だったら、あんたがロビーのウツボカズラに突っ込んだカミキリムシみたいに、タンクに穴でも開けて、逃げだしたらー」

「ああ、カミキリ選手みたいに、脱出してみせるよ」

「頑張ってねー。なんなら、精力剤、タダであげるよ」

「要らないよ。それで、消化液って、どういうものなんだ?」

「胃酸並みに強い酸性の液体だよー。色んな種類の消化酵素も入ってる。骨まで全部溶かしてあげるから、安心してねー」

「人間を丸ごと溶かすだって? そんなこと、出来るわけないだろ」

「この部屋にはねー、このタンクと同じようなタンクが20基くらいあるんだけど、その中で、みんなちゃんと消化されてるよ。中には、消化に手間がかかったのもいたけどね」

「へえ、そうかい」

「さっき言った、No.4のムカデ女の母娘。ちょうど、このタンクの隣のタンクに収容して消化したんだ。あの母娘、普通の人間とは違ってて、ちょっと手こずったよ」

「どういうことだ?」

「二人一緒にタンクに入れたんだけどねー、二人で肩車みたいにして、タンクの壁を登ろうとしたの。危ないから、すぐ蓋を閉めたんだ。中から、凄い力でタンクの壁を叩いていたな。それでね、もう消化し終わっただろうなーと思って蓋を開けてみた。すると、消化しきれない部分が結構たくさん残ってた。あれ、きっとムカデの体を包んでいる固い皮だね。っていうものでできているらしい。昆虫と同じで、それを消化するためには、それ専用の消化酵素が必要なんだよ。でも、普通の人間だと思ったから、入れてなかった。だから、消化できなかったんだね。あとから追加して入れたら、綺麗に消化できた。あんたの場合は、普通の人間用の消化酵素をブレンドしてあるよ」

「要らねえよ、そんなもの。それで、消化してどうするんだ?」

「あたしたちの栄養源になるんだよー。樽に詰めて熟成させるとね、すぐに食べるよりずっと美味しくなるんだー。ここの貯蔵庫には、そうだなー、100樽くらい寝かせてあるよー」

「お前ら、そんな大勢の人を、秘宝館に誘い込んだのか?」

「獲物はね、全国各地から、ここに運ばれてくるんだー」

「全国各地?」

「それでね、ここで消化して、貯蔵・熟成させる。年代物は、高く売れるんだー」

「そんなもの、誰が買うんだよ」

「あたしたちの仲間だよ。結構あちこちにいて、今も増殖中。人間はぜんぜん気が付いてないけどさー。だから、需要は結構あるよん」

「お前たち、いったい何者なんだ?」

「何だろうねー。こんなもの、あるからねー」

 タンクの縁から、緑色の葉を茂らせた蔓のようなものが降りてきた。先端が紀彦の顔の高さくらいまで来て止まり、ゆっくりと曲げたり延ばしたりしている。人差し指で招いているようにも見える。

<な、何だ! 蔓草じゃないか。よーし>

 次の瞬間、紀彦はその蔓を摑み、強く引っ張った。蔓は相当強靭なものらしく、体重をかけて引っ張っても、切れない。

<この蔓を伝って上がってやる。そしたら、二人をとっちめてやらなきゃな>

 左手の猛烈な痛みに耐えながら、ロッククライミングの要領で、蔓を摑んでタンクの内壁を登り始めた。

 若葉は、その様子を黙って見ている。まるで関心がないかのように無表情だ。

 もうすぐタンクの縁に手が届きそうな高さまで来た。紀彦は、必死に右手を伸ばした。人差し指と中指の先が、縁に触れた。

 突然、蔓が切れた。紀彦はタンクの底に落下し、衝撃音がタンク内に響き渡った。

「イテテテテ。ちくしょー。よくもやったな!」

 紀彦は、腰と後頭部をしたたか打ち付けてしまった。

「あたしのせいじゃないよー。あんたが、勝手に登ってきたんでしょ? あんた、無様ぶざまだなー。アリ地獄に落ちたアリみたいだよ。さっきの話に出てきたアミメアリみたいに、物凄い大群だったら登れるかもしれないねー。でも、あんた1匹じゃ、絶対に無理だよー」

「この蔓、お前の体の一部なのか?」

「さあねー。あたし、親切だから教えてあげるけど、その蔓はねー、強く摑むと汁が出るんだー。その汁が皮膚に付くと、そこが溶けちゃうんだよねー。強い酸だからさー」

 紀彦が目の前で両手を広げると、黄色い汁のようなものが一面に付着し、火が付いたように痛い。

<何で、俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ? 一体、俺が何したっていうんだよ>

 紀彦は、タンクの底に少し残っていた水に手を付けて洗った。さっきまでの、どこか楽観的な気分は雲散霧消し、絶望がドス黒くて醜悪な翼を大きく広げていった。

 これまで何人もの債務者を追い詰めてきた紀彦だったが、今は化け物じみた姉妹に囚われているばかりか、命さえ危うい状況に陥っている。

<万事休す、か……。いや、まだ望みはある。あの自衛隊員みたいに、最後の最後まで諦めるもんか>


「なに? まだ遊んでるの? ダメじゃない。獲物にだって、人権があるって言ったでしょ。人権じゃなくて、アニマルライツか? とにかく、獲物だからといって、不必要な苦しみを与えちゃいけないよ」

 その声は、緑だ。

「あ、姉さん。だって、こいつ、あたしのお腹をさんざん蹴ったから、ちょっと懲らしめてるの」

「ほどほどに、しときなさい」

「その声は、緑だろ?」

「そうよ。気分はどう?」

「いいわけないだろ。早く、ここから出してくれよ。欲しいものは、何でもやるから」

「それはできない。できるのは、なるべく苦しまないようにするだけ」

「あ、そうだ、姉さん。準備中の標本No.10は、物語が出来たの?」

「粗筋だけはね」

「シオヤアブでしょ?」

「そうよ。シオヤアブはね、他の昆虫を捕まえると、口にある鋭い針を刺して、体液を吸い取るの」

「イヤな奴ね。でも、どうして、それにしたの?」

「藪原ちゃん、違法金融の営業マンらしいよ。名刺を見て、ネットで調べた。要するに、違法な高利貸しよ。弱い人の生き血を吸ってるの。シオヤアブがピッタリでしょ? それに、昆虫に例えればシオヤアブだって、自分でも言ってたんでしょ?」

「おい! お前ら、なに正義の味方を気取ってるんだよ。お前らこそ、極悪非道な殺人鬼じゃないか」

「別に、あんたが高利貸しだろうが、聖人だろうが、あたしたちには関係ない。あたしたちがあんたを選んだのはね、あんたは背が高いうえに体格がよく、筋肉量が多いからよ。あたしたちから見ると、あんたはかなりの『上玉』。それだけだよ。獲物に対する好みも色々あるけどね。若葉は、タンパク質が多い、あんたみたいな男が好きなの。あたしは、脂肪分が多い、女の方が好みなんだけどね。でも、おしゃべりは、もうお終わり」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「これ以上苦しみを長引かせるのは、あんたのためにならないでしょ? だから、もうお仕舞いよ。緑、消化液を注入して」

「はーい」

 ハエが唸るようなモーター音が聞こえてきた。それと同時に、タンクの底にある注入口から、少し粘り気のある透明な液体が噴出し始めた。水位は急速に上昇していったが、紀彦の膝上あたりまで来ると、ピタリと止まった。

 強烈な異臭が、タンク内を満たした。酸っぱい吐瀉物としゃぶつの臭いだ。紀彦は思わず、掌で鼻と口を覆った。

「おい、助けてくれよ! 俺に何の罪があるっていうんだ?」

「罪なんかないわよ。ただ運が悪かっただけ」

「ひどすぎるじゃないか。そんなの、人の道に外れているぞ。お前ら、山の中で網を張ってる、ジョロウグモだな」

「ジョロウグモ? 逆よ。ジョロウグモも、あたしたちの餌になる。ほんのツマミ程度だけどね。この世界は弱肉強食よ。あんたは、甘い香りに惹かれて、ウツボカズラの縁に留まったアブ。鼻の下を伸ばして油断してたら、足を滑らして捕虫袋に落ちちゃった。それで、消化され食べられちゃうのよ。もう逃げられないから、観念するのね」

 別のモーター音がして、タンクの上に蓋のような円盤が現れた。クレーンで吊り下げられているらしい。徐々に下がってくる。

「やめろー!」

「じきに足が溶けだすよー。そうするとねー、痛くて立ってられなくなる。それで両手をつくと、今度は両手が溶けるよー。そしたら、溺れてサヨナラねー。バイバーイ」

「もしも転生できたら、次はサナダムシにでもなるのね。そうすれば、ウツボカズラに捕まることもないよ」

 金属性の音とともにタンクの開口部に蓋が被せられ、密閉用の金具を締める音が4回響いた。

 闇の中で、自分の乱れた呼吸音だけが聞こえる。消化液に浸かっている膝から下が、ひどく熱い。

<ちくしょー>

 紀彦は、右手のこぶしを振り上げて、壁面を叩いた。しかし、金属製の壁面はかなりの厚みがあるらしく、あまり大きな音は立てられなかった。


 照明が消された消化室には、すでに緑と若葉の姿はない。だが、高い天井に明り取りの天窓が二つあり、そこから弱い光が差し込んできた。夜が明けてきたのだ。

 消化室には、紀彦が閉じ込められたタンクと同じようなタンクが、20基ほど整然と立ち並んでいる。若葉が言っていたように、酒蔵の仕込み室や貯蔵室に似ている。もっとも、酒蔵ならほのかに酒の芳香が漂っているはずだ。しかし、この部屋に満ちているのは、酸っぱい吐瀉物の異臭だ。

 さっきまでかすかに聞こえていたタンクを叩く音は途絶え、今は静寂だけが部屋を満たしている。


  *


 紀彦が秘宝館を訪れた日から1か月くらい経ったある日。

 特別展示室に、一人の男の姿があった。30歳過ぎくらいで、身長は180cm以上あるだろう。腹が大きく突き出した肥満体だ。その脇にいる若葉が、ずいぶん細く見える。

 男はだいぶ酒を飲んだのか、着色した酢ダコのように顔が真っ赤だ。アルコールがすぐに顔に出るタイプらしい。

 彼らは、標本No.6の前に来た。そこには、紀彦の時に展示されていたオカダンゴムシはなく、《COMING SOON》とだけ表示されている。

「準備中だね。次に行こうか」

「あ、ちょっとお持ち下さい」

「ほい」

「ここに展示する予定の虫ですけど、実はもう捕獲してあるんです」

「へー。何なの?」

「ダイコンアブラムシです」

「何? それ」

「アブラムシの一種です。ダイコンやキャベツの葉や茎にたかって、汁を吸います」

「ふーん」

「丸々と肥った体つきをしていて、ちょっと可愛いですよ」

「あ、俺みたいだな」

「そうですねー。ふふふ」


〔完〕

 

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うつぼかずらの夜 ~美しくて醜い虫たちの標本箱~ あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0

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