27話
「中学の友達で、
私の知らない、春ちゃんの話。
「柚月ちゃんには好きな人がいてね。学年で一番かっこいいって言われてる男の子だった。名前は……忘れちゃった」
手を伸ばしても届かない、決して触れることのできない領域。それが少しもどかしくなる。
「柚月ちゃんは、何度もわたしにそのことを相談した。わたしはオシャレとか、手伝えることはたくさん手伝った。柚月ちゃんには幸せになってほしかったから。それで、柚月ちゃんはその子と付き合えることになったの」
感情を殺したように淡々と、春ちゃんは語る。
見たことのない雰囲気を漂わせる春ちゃんに、私は不気味なほどの美しさを感じていた。
「でも、その子が柚月ちゃんと付き合い始めたのは、柚月ちゃんを好きになったからじゃなかった」
春ちゃんの顔に陰が差す。
きっと、掘り起こしたくない記憶なんだ。
それでも春ちゃんは、話そうとしてくれている。私に話したいと、思ってくれている。
「その子はわたしのことが好きだった」
どくんと心臓が脈打つ。
「柚月ちゃんと付き合い始めたのは、わたしと関わりを持つためだった」
気分が悪くなる。
春ちゃんは依然淡々と、機械音声のように語り続ける。
「そして、それを柚月ちゃんに知られて、二人は別れた。わたしももうその子とは話さないようにした」
まるで物語を読み上げるようだった。
「柚月ちゃんの明るさはそれからどんどんなくなって、口数も減っていった。わたしはそれが悲しくて、たくさん話しかけたの。元気になってほしかったから」
春ちゃんの声に、震えが混じり始める。私は両手で春ちゃんの左手を包んだ。
「でも、逆効果だった。わたしは柚月ちゃんの好きな人を、奪ったから。柚月ちゃんはわたしのことなんか、大嫌いだった」
春ちゃんの手に力がこもる。
「柚月ちゃんが限界を迎えるまで、わたしは気づけなかった。柚月ちゃんはついに逆上して、」
呼吸が苦しくなる。
「教室にあった鋏を」
やめて、
「わたしの髪に突き立てて、切り落とした」
あくまで淡々と語られる悲劇は、私の胸を貫くようだった。
私は気づけば春ちゃんの腕を抱きしめていた。自分の頬に涙が伝っていることにも今気づいた。
「風花ちゃん……」
春ちゃんは私の肩を抱き寄せてくれる。辛いのは春ちゃんの方なのに。私がこんなんじゃだめなのに。
さっきよりも少し柔らかい声音で、春ちゃんは続けた。
「大切な友達と、髪。二つの宝物を、わたしは無くしてしまった。家から出られなくなって、学校にも行かなくなった。中学二年の秋の頃だった」
夢みたいな存在の裏には、悪夢みたいな過去があった。
私は、何も知らなかった。
「それから……一年半ぐらいかな。ずっと部屋に引きこもってた。本を好きになったのもその頃だった。読んでるあいだは現実から目を背けられるから」
春ちゃんが本を好きになった理由も、何も知らなかった。
「でも、わたしもやっぱり、外に出たいって思い始めたんだ。素敵な青春小説に憧れて、また学校に通いたいって思い始めたの。それで、一年間必死に勉強して、わたしのこと知ってる人がいない椿門に入学したんだ」
ああ、そうか。そうだったんだ。
話の中に出てきた単純な足し算の結果を見て、私は納得した。
「風花ちゃんには全部知っててほしくてたくさん話しちゃったけど、えっと、だからつまり、ね」
「春ちゃんは、17歳なんだ」
「っ! ……うん」
春ちゃんは申し訳なさそうに俯くけど、私は正直、なんだそんなことかって思ってた。
その前の話の方が辛いし、心が読めるなんて言われたこともあるし、ね。
「一年ぐらい、珍しくもないと思うよ」
「そう、なのかな……」
「私も中三のとき引きこもってて、進学とか結構厳しくなってたんだけどね。担任の先生に一年ぐらい遅れても問題ないから、ゆっくり勉強していきましょうって言われたし」
この際だから私のことも言っちゃおう。春ちゃんに比べるとだいぶ薄味だし。
「え……」
「あ、結局それから勉強して合格できたから、私は遅れなかったんだけど」
「風花ちゃんも、不登校だったの?」
「最後の一年だけ、ね。いじめられてたとかじゃないから、心配しないで」
「そう……?」
春ちゃんは予想以上に深刻そうにこっちを見る。私のことなんかどうでもいいんだけど……
それにしてもさっきの、春ちゃんが友達の好きな人を奪ったって話。
そんなことがあったから、私が柊先輩のこと好きだって勘違いしたとき、あんな
私に会うのが怖くなって、学校に来なくなったのも頷ける。私が第二の柚月ちゃんになることを恐れていたんだ。
髪に触れられるのが苦手なのも、その時のことが蘇るから、ってことなんだろう。全部、納得した。
「ねえ春ちゃん、私は春ちゃんが何歳でも、過去に何があっても大好きだよ。だから、何も怖がらなくていいよ」
もう勘違いなんてさせたくないから、言いたいことはちゃんと伝える。
「風花ちゃん……」
すると春ちゃんは私をまた包み込むように抱きしめた。わわわわわ……
「本当に、ありがとうね」
「うん……」
これ、何回されても慣れない気がする。
春ちゃんはすぐに私を離してしまった。少し悲しいけど、春ちゃんの表情がすっきりとしていたから、いいかって思えた。
「じゃあ、わたしも風花ちゃんのこと知りたいな」
「え、私のこと?」
「わたしもだけど……風花ちゃんもあんまり自分のこと話さないよね」
「そ、そう?」
まあ、確かにそうかも……自分のこと話して相手が楽しめると思えないから、わざわざ自分から話したりはしない。
「そうだよ。だから、わたしから質問していくね。まずは……好きな食べ物はなんですか?」
「えっ。えーと……チョコレートとか? 甘いものは好きかな」
そういえば春ちゃんとスイーツ食べに行きたいと思ってたんだった。今度調べておかないと……
「好きな飲み物はなんですか?」
「飲み物!? えっと……水?」
そんなこんなで突然始まった質問コーナーは晩ご飯ができるまで続いた。積極的な春ちゃんは新鮮でよかったけど、やっぱり自分の話をするのは苦手だなって思う。春ちゃんが楽しそうだったからいいけど。
春ちゃんママが作ってくれたオムライスは、控えめに言って絶品だった。
食事中は帰ってきた春ちゃんパパとママがたくさんお話を聞かせてくれた。家での春ちゃんは結構だらしない部分が多いんだーって色々教えてくれたけど、全然私の方がだらしなかったから苦笑いしかできなかった。恥ずかしそうにする春ちゃんは可愛かったけど。
「ほんとに帰りは送らなくて大丈夫? もう暗いけど」
「はい、大丈夫です」
夢のような時間ももう終わり。流石にそろそろ帰らないと。
私は荷物を取りに春ちゃんの部屋へ。特に理由もなく春ちゃんもついてきてくれるのが嬉しかった。
「ねぇ、風花ちゃん」
カバンを肩にかけて部屋を出ようとした時、春ちゃんに呼び止められた。
「なに?」
忘れ物とか? でもここに来てから何も出してないはずだし……
春ちゃんは私の目の前に立って、私の左肩に右手を乗せた。少しドキッとする。
「今日は、本当にありがとう」
「――うん」
本当に、来てよかった。悩んだまま立ち止まらなくてよかった。今日だけは、ちょっと主人公っぽいことができたかもしれない。
「……春ちゃん?」
私をまっすぐ見つめたまま、春ちゃんは動かない。
戸惑っていると、肩にあった春ちゃんの右手が私の頬へ移動した。包み込むように撫でられてくすぐったい。
「あの、えっと、」
その上春ちゃんは左手でも私の頬に触れ、両手で挟み込まれる形になる。そしてそのままじっと、熱っぽく見つめてくる。
春ちゃんの両手と瞳に完全に捕まった私は、ゆっくりと近づいてくる顔に、きゅっと目を瞑ることしかできなかった。
ほんの一瞬、唇に柔らかな感触が伝い、消える。
「……………………」
おそるおそる目を開けると、飛び退くように春ちゃんが私から離れた。その顔は真っ赤で、かわいいなって他人事みたいに思った。
「あ、ご、ごめんっ!」
「全然、大丈夫っ」
「ぅぅ……」
春ちゃんは両手で顔を押さえてしばらくうずくまった後、深く息をつきながらまた立ち上がった。
「……じゃあ、えっと、降りよっか」
「うん」
私たちは二階におり、春ちゃんパパママと一緒に玄関まで降りた。
「気をつけてね」
「はい。ありがとうございました」
「また明日、ね」
「うん、また明日」
私はパパママに深くお辞儀して、春ちゃんに手を振ってから玄関を出た。外はすっかり暗く、涼しい。
後ろでガチャ、と鍵の閉まる音がして、一人になる。途端、
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
私は地面に膝をついて、自分の唇にそっと触れた。
え? 私、春ちゃんと……したの? しかも春ちゃんの方から……顔真っ赤にして、可愛くて、柔らかくって……
もうなんか動揺しすぎて逆に冷静だった。私どんな顔してただろう……実はめっちゃニヤニヤしちゃってたりしたら嫌すぎる……
もっと何か、言えばよかった。嬉しいとか、好きとか。もしかしたら嫌がったと思われたかもしれない。春ちゃんすぐ勘違いするんだから……
人が来るかもしれないので、とりあえず立ち上がって、駅に向かって歩き始めた。足取りはふらふらだった。
今日、色々ありすぎた気がする。
でもまあ、たまにはこんな日があってもいいのか。
もう全部終わったような感覚だけど、全然そんなことはなくて、明日も学校だ。
光ちゃんに今日のことを……どこまで話そう。仲直りはいいとして、その……お付き合いすることは話した方がいいのかな? いやでも春ちゃんの心の色を見ればわかるのか。じゃあ結局話すことにはなりそうかな。
……なんか、考えることが多くて、頭が回らなくなってきた。
身体的にも結構疲れちゃったし、一旦何も考えず帰って休もう。それがいい。
そう思いつつも、それからもずっと私の意識は唇に集中してしまっていた。
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