26話

 ハグを思う存分堪能して(全然もっとしたいけど)、私たちは二人ベッドに腰かけて夢のようなふわふわとした時間を過ごしていた。


「それにしても勘違いなんて……恥ずかしい……」

「私もだし、お互いさまだよ」


 むしろ勘違いの内容を考慮すると、私の方が恥ずかしい。春ちゃんにフラれたと思い込んで、光ちゃんに相談して……あした光ちゃんにもちゃんと説明しないとなぁ。お礼も言わないと。


「でも、勘違いでほんとによかった。わたし、風花ちゃんに嫌われちゃったと思って……」

「私が春ちゃんを嫌いになるわけないよ」


 私はここぞとばかりに春ちゃんの右手に左手を重ねる。さっき春ちゃんと離れてから、春ちゃんの温度が欲しくてたまらなかったのだ。常にどこかしら触れていたい。


「ありがとう、風花ちゃん」


 春ちゃんは手を握り返してくれた。その上嬉しそうににぎにぎとされて、心がふにゃふにゃになる。


「風花ちゃん、手ちっちゃいよね」

「え、うん。人より結構小さいね」


 私より一回り背が低い東さんと手の大きさを比べっこしたとき、ちょうど同じぐらいの大きさだった。


「かわいい」

「え、あ、ありがとう……?」


 春ちゃんは楽しそうに両手で私の手をにぎにぎする。手が小さくてよかったって、生まれて初めて思った。


「でも、なんで私が柊先輩のこと好きだって思ったの? 私会ったこともないのに」

「わたしに柊さんのことたくさん聞いてきたから、気になるのかなって思って」

「あー……」


 知りたかったのは柊先輩のことっていうより、柊先輩に対する春ちゃんの気持ちだったわけだけど。


「でも……そっか。わたしのこと、好きだったんだ」

「う、うん」


 あんまり噛み締められると恥ずかしいけど……でも、そんなに嬉しそうにされると報われたような気持ちになる。


 手を繋いだままちょっと寄り添って、友達以上の距離を噛み締めていると、ふいに部屋のドアがノックされて反射的に手が離れてしまった。

 春ちゃんママがドアの隙間から顔を覗かせる。


「高瀬さん、まだ帰らなくて大丈夫?」

「はい。私は全然大丈夫です」


 私がそう言うと、春ちゃんママは私と春ちゃんの距離感を見て満足そうに笑った。ちょっと恥ずかしい。


 時刻はもうすぐ六時だけど、うちは門限とかないし、お父さんも遅くまで帰ってこないし。

 何よりもっと春ちゃんといたい。もう帰りたくない。


「何時までいられる……?」


 そう問いかける春ちゃんはちょっと寂しそうな目でこっちを見ていて、今すぐにでも抱きしめたくなる。春ちゃんママが見てなかったら抱きついてた。


「いつまででも大丈夫だと思う」


 終電までなら……

 春ちゃんママは心配そうに私の方を見て言った。


「お母さま心配しない? 晩ご飯とかも……」

「あー、えっと、大丈夫です。連絡入れますし、晩ご飯は自分で買って帰る予定だったので」

「そうなの? じゃあ……もしよかったら、ごはん食べていく?」

「「えっ」」


 春ちゃんママの提案に、春ちゃんと反応が被った。


「いいんですか……?」

「もちろん。春に会いに来てくれたお礼ね」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 春ちゃんと長く一緒にいられるなら、受け入れない手はない。


「できたら呼ぶから、遊んでてね」

「ありがとうございます」


 春ちゃんママはドアをそっと閉めて戻って行った。優しくて温かくて、まだ話すのは緊張するけど、安心感がある。春ちゃんのことを大切にしてるのが声や表情から伝わってきて、私まで嬉しくなるのだ。


「優しいお母さんだね」


 そう言うと春ちゃんはちょっと照れくさそうに頷いた。かわいい。頭なでなでしてみたいけど、髪に触れるのはタブーなので遠慮する。


 いつか私にだけは触らせてくれたりとか……ないかな。


 なんて考えていると、春ちゃんママが慌てたように戻ってきた。


「あぁそうだ春、ちょっと来て」

「え? うん」


 春ちゃんは私にごめんねと言って部屋を出ていった。なんだろう。お手伝い?


 一人残された私は、じっくり見られていなかった部屋の中を見回してみる。本棚が壁の大半を埋めていて、それぞれに小説が詰まっていた。漫画とかは見当たらない。


 そしてところどころに大小様々なクマさんグッズが見受けられる。ベッドの上にもクマのぬいぐるみがあった。

 クマ好きなのかな。保健室のクマさんも気に入ってたし、カバンにもクマのストラップが……あれ。


 置いてあった春ちゃんのカバンには、クマのストラップだけが付いていて、私がプレゼントしたひよこちゃんがいない。


 どこにいったんだろう。もしかしてなくしちゃった……?

 不安になっていると、春ちゃんが戻ってきた。


「ごめんね、ちょっと話してて」

「ううん、大丈夫。あの、カバンに付けてたひよこちゃんって……」


 私は春ちゃんのカバンを指さして、おそるおそる聞いてみる。


「あぁ、それはほら、ここにいるよ」


 春ちゃんはベッドの枕元に付いているラックを指した。そこには確かに私があげたひよこちゃんがちょこんと座っていた。


「ほんとだ、気づかなかった。でもなんでここに?」

「それは……一人で寝てたときに、風花ちゃんが恋しくなって、その……わっ!」


 我慢できなくて春ちゃんの右腕に抱きついてしまった。なにそれ、可愛すぎる。


「春ちゃん、ほんと……大好き……」

「う、うん、わたしも好きだよっ」


 春ちゃんは驚きつつも、私の肩に手を添えながらそう言ってくれる。身体的な触れ合いも幸せだけど、春ちゃんの自分への思いを実感できると、この上ない幸福を感じるのだった。


 私はそのまま手を握って、ベッドに座り直した。春ちゃんもまた左隣に座る。

 すると春ちゃんは私の手をぎゅっと握って、少し不安そうに言った。


「あのね、わたし、風花ちゃんに話しておかなきゃいけないことがあって。話してもいいかな?」


 私は春ちゃんの不安を少しでも和らげたくて、手を強く握り返す。


「うん。聞かせて」

 

 春ちゃんのことならなんだって知りたい。


「この、髪のことなんだけどね」

「髪……」


 あまりにも綺麗な、白茶色の髪。色だけでなく、質感もさらさらで、近くで見つめると吸い込まれそうになる。


「クォーターっていうの、あれ嘘なんだ」

「そう、だったの」


 クォーターじゃなかった、としたら……実はハーフだったとか? ――そんな嘘付く必要性はなさそうだけど……


「わたし、捨て子だったんだって」

「え」


 予想だにしない単語に、私は息が詰まったような感覚になる。


「赤ちゃんの頃は施設にいて、今の両親が引き取ってくれたんだって。本当のお父さんとお母さんは、どれだけ探しても見つからなかったって」


 淡々と、それほどの感慨もなく春ちゃんは話す。


「そう、だったんだ……」


 返す言葉が見つからなくて、拙い相槌を打つことしかできなかった。

 そんな私に春ちゃんは、なんでもないように笑って言った。


「赤ちゃんの頃のことなんてわたしは全然覚えてないし、お父さんもお母さんも優しいから、わたしは気にしてないよ。いきなり自己紹介でこんな話するのもなんだから、クォーターってことにしてたんだ」


 春ちゃんがそう言うなら、あんまり重く捉えなくてもいいのかな。


「そっか……春ちゃんのお母さん見た時、似てないなって思ってた」

「ふふ、そうだよね」


 春ちゃんは笑って続ける。


「夜ご飯のときお父さん帰ってくるけど、普通の人だからね」

「あぁ、そっか。だから話してくれたんだ」


 私がお父さんを見てびっくりしないように。私が緊張しすぎて全然気づかない可能性もあったけど。


「うん、あと……ね。もう一つ、隠してたことがあって」

「え、うん」


 春ちゃんはまた不安そうな顔を浮かべる。こっちが本題とでも言うような、重い空気を感じた。


「……風花ちゃんは、わたしのこと、嫌いになったりしない?」


 縋るような瞳で見つめられて、私は思わず声が大きくなる。


「そんなこと、あるわけないよ! さっきも言ったけど、私が春ちゃんを嫌いになるなんて、絶対にない」


 私はもう、きっと春ちゃんの全部を受け入れてしまう。今の自分が好きじゃないなものも、春ちゃんが好きと言ったら好きになってしまう自信があった。


「ありがとう、風花ちゃん」


 春ちゃんは報われたように笑う。それを見て、私の方が報われた気持ちになる。人を好きになるって、多分こういうことだ。


「わたしの、中学の頃の話」


 私に嫌われるのを恐れるぐらいの、春ちゃんの秘密。過去。


 私は光ちゃんが秘密を話してくれたときのことを思い出す。光ちゃんは私とちゃんと友達になりたいと言って、勇気を出して話してくれた。

 その時と同じだ。春ちゃんは私と、これからちゃんと付き合っていくために、勇気を振り絞って話してくれようとしている。


 ちょっと怖いけど、私が大丈夫だよって言えば、全部大丈夫になるんだ。

 私は春ちゃんの手を固く握り直して、春ちゃんの全てを受け止める気持ちで耳を傾けた。

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