25話
翌日も春ちゃんは来なかった。
体調がまだ悪いのか、それとも……
悪い想像を振り払って、春ちゃんとのメッセージ画面を開く。
大丈夫? と入力して、すぐに消す。
なんて送ればいいんだろう。きっと、まずは謝った方がいい。
『月曜日はごめんなさい。私のせいで気を悪くしてしまったなら謝りたいです』
「んー……」
なんか、なんて送ろうとしてもしっくり来ない。大事な話をメッセージでやりとりするのが、そもそも違う気がした。
『会いたいです。会ってちゃんと話したいです』
今の私の気持ちはそれだった。
送るか迷って、このままじゃ結局送らずに一日が終わる気がして、無心で指を送信ボタンに持っていった。
ポン、と私のメッセージが表示されて、心臓がどくんと脈打つ。
送ってしまったものはしょうがないと、私はスマホをポケットにしまった。返事、来るかな……
「小山さんにメッセージ送った?」
「うん。会いたいって送った」
「そっか。うん、きっと大丈夫だよ」
光ちゃんが言うとほんとに大丈夫な気がしてくる。
昨日から光ちゃんに頼りっぱなしだし、全部が終わったらちゃんとお礼しないとなあ。
私は頻繁にスマホをチェックしないように意識しながら、午前中を過ごした。
お昼休みになっても、春ちゃんから返信は来ず、既読も付かない。
「寝てるのかもしれないよ」
「うん……そうだね」
春ちゃんのことだ。本に夢中になっているだけかもしれない。大丈夫。
午後も午前と同様、休み時間一回につきスマホを確認するのは一回だけとして、自分を律しながら過ごした。
時間が過ぎれば過ぎるほど不安が募っていき、ついに放課後になっても春ちゃんの反応はなかった。
やっぱり、私はもう……
「風花ちゃん……」
光ちゃんは部活にすぐ向かわずに、教室に残って私のそばにいてくれた。
「もう、ダメなのかな」
「そんなこと……」
「光ちゃん、部活でしょ? 行かなくていいの?」
私がそう言うと、光ちゃんは一層悲しそうな顔を見せた。そんな顔見たくはないけど、これ以上迷惑はかけられない。
「私は大丈夫だから。また明日」
「……うん」
光ちゃんは手を振って、駆け足で教室を出ていった。
また明日。
明日になっても、きっと春ちゃんに会うことはできない。そんな気がしていた。
やっぱり私はもう嫌われて、いつか春ちゃんが来たとしても話すことは叶わないんだろう。
もしかしたら、もう春ちゃんが学校に来ることはないかもしれない。
「…………………………」
それが有り得ないことじゃないって、私は身をもって知っていた。
具体的すぎる悪い想像に、心が蝕まれていく。ただの想像なのに、それがこの先にある決定的な未来であるような気がして、焦燥感が溢れ出す。
……私、こんなところで何してるんだろう。
既読のつかないメッセージ画面をいくら見つめたって、ことが進むわけが無いのに。
行かなきゃいけない。伝えなきゃいけない。
それができるのは、私だけだ。
『お見舞いに行くね』
入力して間髪入れずに送信し、私は教室を飛び出した。
迷いそうになりながらも、記憶を頼りに春ちゃんの家にたどり着いた。古い街並みに似合わない、綺麗な一軒家だ。
会いに来た、と言っても会わせてくれるかはわからない。でもここまで来てしまったんだから、後には退けない。
インターホンを押す。指は少し震えていた。
『はーい、あら、高瀬さん』
「えっ、あっ、はい。高瀬です」
カメラ付きらしく、名乗るより先に身元が割れた。春ちゃんのお母さんの声だった。
『ちょっと待っててね』
要件も言っていないのに、春ちゃんのお母さんはそう言うとインターホンを切った。
間もなく玄関のドアが開いて、お母さんが顔を出した。
「こんにちは高瀬さん。もしかして、春に会いに来てくれたの?」
春ちゃんとはあまり似ていない、気さくなお母さんは嬉しそうにそう言った。
「……はい、でも、いいんですか?」
「春はびっくりするかもね」
びっくりで済めばいいけど……お母さんは私のこと春ちゃんから聞いたのかな。だとしたら、あんまり会わせたくないんじゃ……
そう思いつつも、私は家の中に招き入れられた。
「春、寝てると思うから起こしてくるわね」
「え、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だいじょーぶ」
そう言ってお母さんは私を二階のリビングに残して三階へ向かった。
春ちゃんの部屋……どんな感じなんだろう。さすがに入れてもらえないかな……
しばらくすると、お母さんが降りてきて私に言った。
「高瀬さん。上がって奥の部屋が春の部屋だから、行ってあげて」
え……
「は、はい!」
いいの?
「春をよろしくね」
春ちゃんに、会える。
私はゆっくりと階段を上がり、なぜか物音を立てないようにそーっと廊下を歩いた。
奥の部屋って……ここだよね。ドアの下の隙間からは電気の光が漏れていて、この中に春ちゃんがいるんだという実感が胸を満たす。
そっとノックしようとしたら全く音が出なくて、強めに三回叩き直す。
「は、はい」
春ちゃんの声だ。ずっと聞きたかった、大好きな声。
私は慌てないようにゆっくりドアを開ける。
「失礼します……」
流れてきたクーラーの冷気が肌に心地いい。
「風花、ちゃん……」
「こ、こんにちは」
春ちゃんはパジャマ姿でベッドに座っていて、あまりの可愛さに涙が出そうになる。
好き。大好き。一目見るだけで思いが溢れ出す。
でも、今伝えなきゃいけないのは、それじゃない。
「ごめんなさい!」
私は勢いよく頭を下げて叫ぶように言った。
「謝って済むことじゃないかもしれないけど……私は、春ちゃんと友達でいたい」
怖くて頭を上げられず、言い終わってもそのままでいた。
「……なんで、風花ちゃんが謝るの?」
しばらくして聞こえたその声には、涙が染みていた。
私はおそるおそる顔を上げると、春ちゃんは立ち上がっていて、目には涙を湛えていた。
月曜日にも見た、悲愴に満ちた表情だった。
「悪いのはわたしで、謝らなきゃいけないのは、わたしで……」
「何言ってるの。誰がどう見たって私が悪いよ。私が勝手に……好きになって、八つ当たりしただけ」
「そんなことは……」
「あるよ。だから、春ちゃんは私の気持ちなんて気にしないで。忘れてくれて、いいから。春ちゃんがいないと、みんな寂しそうだよ」
言いながら泣きそうだった。
覚悟したはずなのに、怖くて震えていた。
春ちゃんが隣にいない学校生活を送るのが、嫌だった。
「わたしは、そんなのどうだっていいよ」
「……え?」
頬に涙を伝えながら、春ちゃんは訴えるように言う。
「わたしは、風花ちゃんと……一緒にいたいの。周りのみんななんて、どうだっていい。風花ちゃんがいいの」
春ちゃんが言っていることが理解できなくて、言葉が紡げなくなる。
「お願い……わたし、風花ちゃんを失いたくない。わたしにできることがあればなんでも協力するから……風花ちゃんはかわいいから、柊さんもきっと……」
私を失うとか、柊さんがどうとか、意味がわからなかった。
「えっと……春ちゃんは、私と一緒にいたいの?」
そんなことを言った気がして、ちょっぴり期待して問いかけてみる。
「うん……」
そう、なんだ。
「それは、友達として?」
「うん……」
……私の望む形じゃなくて、あくまで友達として、私と一緒にいたい。春ちゃんはそう言ってるのか。現状維持がいいと、そう言ってるのか。
嬉しさと悲しさが入り混じって、よくわからなくなる。でも、最悪な結末じゃない。一匙ぶんぐらいの幸せを救い取れたのなら、来てよかったのかもしれない。
そう納得するしか……
「柊さんの告白はちゃんと断って、風花ちゃんのこと紹介するから」
「……は?」
「だから、せめて友達でいてほしい……」
……は?
「え、ちょっと待って、なんで? 私を? 柊先輩に?」
春ちゃんに対して「は?」とか言う日が来るとは思わなかった。それぐらい、意味がわからない。
「風花ちゃんが、柊さんと付き合えるように……」
???????????
え、なにそれ。嫌がらせ? 恋敵どうし仲良くしてねみたいな?
大真面目にそう言ってるなら、春ちゃんは相当……アレだと思う。
「そんなことはしなくていいんだけど……」
相手が泣き顔の春ちゃんだから控えめに返してるけど、純粋な気持ちは「頭大丈夫?」だった。
「え……いいって、でも……」
春ちゃんはまだ折れない。
あれ、もしかして私の方がおかしいのか? もしくは春ちゃんが勘違いを……
「柊さんのこと、好きなんでしょ? 諦めちゃだめだよ……」
「………………………………」
月曜日の会話を、思い出す。
『……風花ちゃんって、もしかして、その……』
『わたしは……風花ちゃんとずっと友達でいたい……』
……あー……うわぁ……まじかぁ……
「春ちゃん」
全部、わかった。私の気持ちは、春ちゃんに知られてなかった。
勘違いしていた。私も、春ちゃんも。
私は春ちゃんに歩み寄る。春ちゃんは慄きつつも、離れずにいてくれた。
ほんとは叫んでやりたい気分だけど、人の家だし、やめておく。
私は春ちゃんの右手を、両手でそっと握った。
初めて触れた春ちゃんの手は、温かくて、柔らかくて、生きているんだってことが伝わってきて、胸が熱くなる。
「風花ちゃん……?」
春ちゃんはびっくりしつつも、控えめに私の手を握り返してくれた。もう、これだけで幸せすぎるぐらいだけど。
私は勇気を振り絞る。結局、受け入れてはもらえないかもしれない。でも、それでもいい。春ちゃんは、少なくとも私と友達でいたいと言ってくれた。
だから、今度は私が伝える番だ。勘違いの余地もないぐらい、はっきりと、自分の口から。
「私は、春ちゃんが好き」
止まるな。このまま全部、伝えるんだ。
「柊先輩じゃない。ずっと、春ちゃんが好きだった」
春ちゃんが何か言う前に、全部言い切ってしまう。
「春ちゃんと、恋人になりたい」
いつの間にか、春ちゃんの手を握る力がかなり強くなっていた。恥ずかしいけど、ここで緩めるのはもっと恥ずかしい気がしてそのまま握り続ける。
「これが、私の気持ち」
春ちゃんはしばらく放心したように黙り込んでいた。たぶん、月曜日のことを思い返しているんだと思う。
「えっ……あ……」
しばらくして春ちゃんが漏らした声からは、驚きと得心が滲み出ていた。
「わ、わたし……! 勘違いしてた! ごめんねっ!」
「うん。私も」
ずっと悩んでたの、なんだったんだろうな。
「それで、その……春ちゃんの気持ちも、聞かせてほしい」
「あ……うん、そう、だよね。えっと……そっか。風花ちゃんはわたしのこと……」
これで本当に、知られた。知らせたんだ。
大丈夫。覚悟は決めた。もし断られても、ちゃんと友達でいるって。
涙をこらえて、春ちゃんの返事を待つ。柊先輩みたいに一週間待つとか、私には絶対無理だった
「……わたしね、ずっと誰と話しても、どこか壁みたいなものを感じて、親しくなれなかったの」
「う、うん」
突然そんなことを言い出すものだから、面食らってしまう。お返事に繋がる……んだよね?
「でもね、風花ちゃんだけは違ったんだ。初めて会ったとき、この子とは仲良くなれそうって気がしたの。そんな人、初めてだった」
「私、だけ……?」
独占欲を満たすその言葉に、思わず胸が熱くなる。
「うん。だから、えっと……わたしも、風花ちゃんが好き。風花ちゃんと同じ『好き』かはわからないけど……一緒に、いてほしい」
そう言って、春ちゃんは左手を私の右手に添えた。
「…………………………」
「……あの、風花ちゃん?」
全身の力が抜けて、膝をガクンと床に打ちつけた。
「風花ちゃん!? 大丈夫!?」
「……痛い」
結構痛かった。
ってことは、夢じゃない……
私はそのまま床にへたりこむ。それでも春ちゃんの手はずっと握ったままだった。
「一緒に、いていいの?」
「……一緒にいたいの」
もう、完全に泣いていた。でも現実感が全然なくて、涙は出てこない。なんだこれ。
春ちゃんは私の手を離す。そして消えた温もりを惜しむ間もなく、私を包み込むように抱きしめた。
「ぁ……」
さっきまで手のひらに感じていた尊さを、全身で感じる。幸せが飽和して、自分のものとは思えない柔い声が漏れた。
私も春ちゃんの背中に手を回す。なぜか悪いことをしているような気分になるけど、決してそんなことはない。
「大好き。風花ちゃん」
「うん……」
抱きしめていいんだという実感に、また幸せが溢れた。
私たちはしばらくこうしていた。私が離したがらなかったから、春ちゃんも離さないでいてくれた。
伝えた思いが返ってくる感触に、ずっと浸っていたかった。
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