24話

 目を覚ますと、まず目に入ったのはベッドを囲うカーテンだった。


 ……そうだ、保健室で寝てたんだ。

 寝て起きてを、昨日の夕方から三回も繰り返している。


 体を起こしてみると、強い空腹感に襲われる。今何時だろう。スマホは……カバンの中か。


 ここに来る前のことを思い出してきて、起きたはいいものの外に出るのが怖くなる。

 先生いるのかな。そっとカーテンから顔を出そうとすると、保健室の扉をノックする音が聞こえて、止まる。


「失礼します」

「はーい。おー、園山か」


 光ちゃん、来てくれたんだ。先生もちゃんといた。


「高瀬さんの様子を見に来たんですけど」

「ありがとう。まだ寝てるよ」

「あの、起きました」


 光ちゃんがいるなら、と顔を出した。


「風花ちゃん」

「おー、おはよう。具合はどうだ?」

「……お腹がすきました」

「パン買ってきたよ」

「えっ……あ、ありがとう」


 保健室にかかっている時計を見ると、今はお昼休みの最中だった。

 光ちゃんは持っていた袋を広げて色とりどりのパンを見せてくれる。


「好きなの食べていいからね。わたしは余ったの食べるから」

「……うん」


 申し訳なさと嬉しさが満ちて、涙が出そうになった。相当弱っているらしい。


「ベッドにこぼさないでくれよー」

「は、はい」


 わたしはベッドの傍にあった椅子に座り直して、ホットドッグを手に取った。

 袋に貼ってある値段シールを確認してから開けて、かぶりつく。おいしい。


「高瀬はこの後授業戻れそうか?」

「はい。もう大丈夫です」


 少なくとも体の調子はだいぶ良くなったと思う。メンタルの方は……光ちゃんのおかげでどうにか耐えている状態だ。正直今すぐにでも泣きつきたかった。


「そうか。一年A組の次の授業は……島田先生か。遅れるって伝えとくから、二人ともゆっくり食べときな」

「え、いいんですか? わたしも?」

「いいよいいよ。急いで食って気分悪くなられても困るしな」

「ありがとうございます」


 先生は「おうよ」と言って保健室を出ていった。


 光ちゃんと、二人になる。


 朝こぼした言葉の続きを聞いてほしくなる。春ちゃんのこと、全部吐き出してしまいたくなる。

 でも、吐き出したってきっと光ちゃんが困るだけで。これは私の問題で、他人に頼って解決する問題じゃない。


「ねぇ、風花ちゃん」


 光ちゃんは真剣な表情で、私を呼んだ。


「なに?」

「春ちゃんとのこと、詳しく聞かせてほしい」

「え……」

「嫌われちゃった、って。わたしには信じられなくて……」


 信じられない? なんで? 光ちゃんは春ちゃんの心が見えるはずで、だとしたら信じるも信じないもなく、事実としてあるはずで……


 ……いや、違う? 心が見えるから、見えた上で、信じられないって言ってる? だとしたら春ちゃんは、私のこと……


 それは希望の光であると同時に、光ちゃんの罪でもあった。間接的に、私に春ちゃんの気持ちを暴いたことになる。光ちゃん自身がそれをわかっていないはずがない。


 それでも、光ちゃんは言った。きっと私のために。


「光ちゃん……」

「……ごめんなさい」


 その言葉は、私にでも春ちゃんにでもなく、この世界全てに向けているようだった。


「わたし、知りたいの。風花ちゃんのこと」


 切実なその声と覚悟に、応えないほど私は落ちていなかった。

 光ちゃんがくれた希望という名の罪を、縋るように半分受け取る。


「うん、わかった」




 その日の夜、私と光ちゃんは通話を繋いでいた。と言ってもゲームをするわけじゃなくて、お昼の話の続きをするのだ。

 あのあとすぐに先生が戻ってきて、二人で話すことはできなかった。残りの休み時間や放課後も二人になれる時間は作れなくて、結局家に帰ってから電話で話すことにしたのだった。


『じゃあ、聞かせてくれる?』

「……金曜日にね、柊先輩が春ちゃんに告白してたの」


 私は事の発端から、余さず話すことにした。


『え……』

「私はそれをたまたま見ちゃって」

『待って、それを、小山さんは受け入れたの?』

「ううん。その時は私も聞こえなかったんだけど、先輩は返事は今度でいいって言ってすぐ帰っちゃったんだって」

『返事は保留……そっか』

「二人には気づかれなかったけど、私、怖くて。春ちゃんが取られちゃったらってすごく不安になった」


 今やそれすらも遠い昔のことみたいだった。


「それで月曜日、春ちゃんから告白のこと話してくれるかなって思ってたんだけど、話してくれなくて」


 後悔と情けなさで溺れそうになりながら、続きを伝える。


「もどかしくて、怖くて、私から聞いちゃったの。告白の返事どうするのって」


 苦しい。思い出したくない。でも、話すって決めたんだ。


「私焦ってて、絶対春ちゃんに告白を受け入れて欲しくなくて、そんな態度が出ちゃっててさ」


 ほんと、馬鹿だ。改めて整理すると、一から百まで私がわるいじゃないか。


「私が春ちゃんを好きなこと、バレちゃった」

『……それで小山さんは、風花ちゃんのことを……その……拒んだの?』

「私とは、ずっと友達でいたいって」

『……………………』

「私、それを聞いて、すぐ逃げちゃって。その時ちゃんと話していれば、春ちゃんとは友達でいられたかもしれないのに……」


 今日、春ちゃんは来なかった。もう、チャンスはないのかもしれない。


 光ちゃんはしばらく断続的に「んー……」と唸っていた。そして


『なんか、すれ違ってる気がする』


 納得がいかないと言うように、光ちゃんは話し始める。


「すれ違ってる……?」

『風花ちゃんの言った通りのことが起きたとしたら、小山さんが今日来なかったのは、納得できない』

「……どういうこと?」

『わたしが言っても信用できないかもしれないけど……小山さんと風花ちゃんは、誰が見てもとっても仲良しな親友だったよ』

「え……?」

『そんな親友を、小山さんが手放すとは思えない。ましてや嫌いになるなんて、あるはずない』


 光ちゃんは断言した。私が誰よりも信用している人の言葉だ。

 私は、嫌われたわけじゃない。だとしたら、なんで春ちゃんは今日来なかったの?

 光ちゃんが納得できないって言ってるのはそこだった。


『もしかしたらほんとにただの体調不良かもね』

「あ……」


 そんな可能性、ちっとも考えなかった。

 春ちゃんが休んだ原因は私にあると、絶対にそうだと確信していた。


『明日も来なかったら、連絡してみなよ』

「……うん、そうする」


 不安は拭いきれないけど、私は光ちゃんの言葉を信じたい。


「ありがとう、光ちゃん」

『うん。もしだめだったらわたしが抱きしめてあげる』

「えへ、うん。じゃあ、また明日」

『また明日』


 通話を終えて、ふうと深く息をつく。

 それからしばらく、私の頭の中には光ちゃんの言葉がリフレインしていた。


『小山さんと風花ちゃんは、誰が見てもとっても仲良しな親友だったよ』


 私は、春ちゃんと過ごした三ヶ月を蔑ろにしていた。

 出会って、同じ部活に入って、一緒にお出かけして、一緒に小説を書き上げて。

 その3ヶ月の中には、私だけじゃない、春ちゃんの気持ちも詰まっているはずだ。


 その気持ちがどんな色や形をしているか、私にはわからないけれど。たとえ私のものと違っていたとしても。


 私はその気持ちと、ちゃんと向き合いたい。


 春ちゃんの気持ちを聞きたい。


 春ちゃんに、会いたい。

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