第4章
第22話
人生で一番長い週末だった。
長い週末って聞こえだけはいいけど、良い週末とは総じて短いものなのだ。
春ちゃんから何か連絡があるんじゃないかと期待して、外れて、だったらこちらからとメッセージを書き込むも送る勇気は出ず、ずっと葛藤に溺れていた。
夕焼けに彩られた二人が脳裏に焼き付いて離れなくて、それが春ちゃんの書いた小説のワンシーンと重なってより一層苦しくなる。
小説の通りなら、二人はハッピーエンドを迎えてしまう。二人だけのハッピーエンドを。
想像するだけで吐き気がした。
夜もろくに眠れず、ようやく迎えた月曜日もコンディションは最悪だった。
春ちゃんや光ちゃんとまともに話せる気がしない。
学校へ向かう足取りは重く、視線も上を向かない。こんなのは入学してから初めてだった。
学校が、教室が近づくにつれて春ちゃんと会うのが怖くなる。告白の話、するかな。
知りたいけれど、聞きたくない。
私が望む結果であることを確認して、今まで通りの日常に戻りたい。
そんな都合のいい未来を想像することしかできなかった。
重くも勝手に動く足に連れられて、教室に着く。春ちゃんはまだ来ていなくて、どこか安心したような気持ちになる。
「おはよう、風花ちゃん」
「あ、おはよう」
「具合大丈夫? まだあんまりよくなってない感じ?」
「うん……」
日曜日に東さんと三人で遊ぼうとお誘いがあったのだけど、気分になれなくて、具合が悪いからと言って断った。
行って光ちゃんに相談しようかと思ったけど、東さんも一緒だということを聞いてやめた。
「保健室行きたくなったら言ってね」
「うん、ありがとう」
光ちゃんはそれ以上喋らずそっとしておいてくれた。
スマホを見ながら少し待つと、いつも通りの時間に春ちゃんが教室に入ってきた。
緊張じゃない、恐怖によって鼓動が激しくなる。
「おはよう」
「……おはよう」
声が上手く出せなくて、詰まったような音が出る。
「風花ちゃん、ちょっと顔色悪い?」
「うん、ちょっと寝不足で」
「大丈夫?」
その原因が自分にあるとは思っていないのだろう。春ちゃんはいつも通りの優しい表情で私の顔を覗き込む。
いつもならドキドキして嬉しくなるのに、今日はただ不安が押し寄せるばかりだった。
近いのに、遠い。
その上、これからどんどん遠のいていく気がして堪らない。
「うん、気にしないで」
「そう?」
それよりも、金曜日の話を聞かせてよ。
どうなったのか教えて。断ったよって言って。
私を、安心させて。
そんな渇望は届くことなく、春ちゃんが席に着いてすぐにホームルームが始まってしまう。
でも、確かにみんながいる場所では話しづらいかもしれない。
二人になったら話してくれるかな。部室か帰り道に期待するしかないか。
そう思わないとやっていけない。
私は耐え忍ぶような気持ちで一日過ごした。光ちゃんに心配されないように無理やりテンションを上げたりした。
心も体も疲弊して、視界も少し霞んだ状態で、ようやく部室にたどり着いた。
部長は今日も来られないらしい。受験生だし、これから来られない日が増えそうだと言っていた。
今日だけは部長がいないことに感謝する。久しぶりの二人の時間だ。
きっと、話してくれる。ずっと知りたくて、でも知ってしまったら死んでしまいたくなるかもしれない事実を、ついに聞けるかもしれない。そう思うと期待と不安で胸が満ち、それらを強引に中和するように深呼吸した。
「そっか。小説は書き終わったんだよね」
「うん、そうだね」
書き終えてから春ちゃんがここに来るのは初めてか。書き終えたことを喜んだ日がもうとても遠くに思える。
「次はどうする? また一緒に書く?」
「あー……どうしようかな」
それを決めるのは、金曜日の結果を聞いてからにしたい。
「春ちゃんは、どうしたい?」
「一緒でもいいけど、風花ちゃんが書いた小説も読んでみたいな」
「そっか。でもまあ、そんなにすぐ決めなくてもいいよね」
「そうだね。次は夏休みの間に書くことになるのかなぁ」
……話さない、のかな。
私になら話してくれるって、それぐらいの友達にはなれてるって思ってたけど、違うのかな。
それとも、告白なんて話すほどのことでもない? 春ちゃんなら、実はしょっちゅう告白されてるのかもしれない。数ある告白のうちの一つを、たまたま見ただけなのかもしれない。
わからない。知りたい。
心がぐちゃぐちゃになって、元の形も忘れそうになっていた。
「ねぇ、春ちゃんさ」
心と体が剥がれてしまったように、口だけがぎこちなく動く。
諦めたように、実は大したことじゃないんだと信じ込むようにして、吐き出した。
「柊先輩に……告白、されてたよね」
凝固した思いがゴトッと地面に落ちたような、そんな重苦しい声が出た。
顔も見れず、俯いたまま、返事を待つ。
何も気にしてないような返事を期待していた。
私が三日間も苦しんでいたのが馬鹿らしくなるような、そんな軽さを求めていた。
「え、なんで……そのこと……」
春ちゃんの発した声は、どこか怯えているように聞こえて。
私の求めているような明るい声は聞けなかった.
「ごめん、たまたま見ちゃって。付き合ってくださいって言ってるのだけ聞こえちゃった。その……返事はどうしたの?」
早口になって、それに追いつこうとするように鼓動も早くなる。
怖い。けど、もう止まれなかった。春ちゃんは話したくないかもしれない。でもその先を知らないと、私はもう気が済まない。
「えっと、返事は今度でいいって言って、すぐ帰っちゃって」
え。
「だからまだ……」
「そう、だったんだ」
天国でも、地獄でもない。そもそもまだ地上にいたのだ。
でも、助かったわけじゃない。
「どうするの?」
気づけば問い詰めるような口調になっていて、でもそれを抑えるだけの余裕はなくなっていた。
「……風花ちゃんって、もしかして、その……」
春ちゃんは全てを察したように、俯いて視線だけをこちらに向けた。
「っ!」
当たり前だ。告白されたのは春ちゃんなのに、私の方がこんなに動揺していたら、隠せるものも隠せない。
違うとも言えず、私は中途半端に口を開いたまま声を出せずにいた。
春ちゃんはそんな私を見て、絶望したような、取り返しのつかないことをしたような表情を浮かべた。
それが私の気持ちに対する春ちゃんの答えなのだと、理解した瞬間に全身が震える。
春ちゃんのこんな悲しい顔、見たくなかった。
それも、私のせいだ。私の恋が春ちゃんにこんな顔をさせた。
その事実が、私の胸を強く締め付けて息が詰まる。
私の思いは、知られてはいけなかった。
「わたしは……風花ちゃんとずっと友達でいたい……」
追い打ちをかけるような春ちゃんの声に、私は堪えきれずに立ち上がった。
「もう、いいから」
自分でも驚くほど無機質な声が出て、全部が怖くなって、私はカバンを引っ掴んで部室を出た。
風花ちゃん、とかけられる弱々しい声からも逃げるように、早歩きで廊下を進んで行った。
足の動きは次第に早くなり、校舎を出る頃には走り出していた。
どこにもいたくなくて、誰にも会いたくなくて、何も見たくなくて、ただ家だけを目指した。少しでも何かを考えると涙が溢れそうで怖くて、心を切り離したように体だけを動かした。電車の中では俯いてずっと自分の靴を見つめていた。
どれぐらいの時間がかかったかもあやふやな状態で家にたどり着く。
自分の部屋に入ってすぐ、私はベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
体があちこち痛い。胸が圧迫されて苦しい。失っていた感覚が戻ってきたようだ。
『……風花ちゃんって、もしかして、その……』
「うっ……ぁ……」
終わったんだな。私。
一人になって、静かになって、さっきの春ちゃんの声と表情がフラッシュバックする。
『わたしは……風花ちゃんとずっと友達でいたい……』
「ぇ……ぅあっ……」
柊先輩なんて関係なかった。春ちゃんが私を、私の恋を受け入れてくれることは、最初からなかったんだ。
叶わない、恋だったんだ。
「ぅ……あぁぁ……」
全身の力が抜けて、嗚咽と涙がだらしなく零れ続けた。
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