第21話

 光ちゃんに春ちゃんのことを打ち明けてからまた一週間が過ぎた。あれから光ちゃんはそのことを話題に出さず、今まで通り接してくれている。とてもありがたい。


 そして昨日は、ついに私たち(ほぼ春ちゃん著)の小説が完成して、提出を終えた。だから今日からしばらくお仕事はない。


 結果的には恋愛小説というよりは友情小説に落ち着いた気がする。一万字にも満たない短い小説だけど、読んでいて笑顔になれる作品になったと思う。少なくとも私は好きだ。

 クライマックスの、放課後に夕焼けの下で思いを伝え合うシーンは、純粋さと大胆さに胸がときめいたりもした。


 春ちゃんの描く世界はひたすらに優しくて、私はそれがなんだか嬉しかった。

 かわいい春ちゃんが血の臭いに満ちた世界を描いたらと思うと……いや、それはそれでなんか、いいのかもしれない。ギャップ的な。どうあっても魅力になるんだからずるい。


 そして今日は金曜日。春ちゃんは執筆作業を完遂したため、心置きなく美術部へ向かって行った。一方で私は一人部室で本を開いている。

 あれから何度か柊先輩について春ちゃんから聞き出そうとしてみたけど、当たり障りのないことしか言わなくて手応えはなかった。聞く限りはあくまで絵描きとモデルって感じで不安要素は無さそうだけど……


 週にたった一回とはいえ、その一回があまりにも重い。週末だからここから二日間会えないし。せめて曜日ぐらいは口を出せばよかったかもしれない。

 今日は部長さんも来られないらしく、他の人が来るという連絡もない。


「はぁ……」


 小説を読むにはうってつけの環境なのに、ページはなかなか進まない。

 私も美術部について行ってしまえばいいのかな。もちろんそんな勇気はないのだけど。


 これから誰か来ることもないだろうし、今日はもう帰ろうかな。ここにいても気分が落ち込むばかりだ。帰ってゲームでもした方がいい。


 私は部室を出て鍵を閉め、戸締まり報告のメッセージを部のグループチャットに送る。すると、聞き覚えのある声がかかった。


「高瀬さん?」


 何かと学校でよく聞くその声は、姿を見ずとも誰のものかわかる。

 振り向くと予想通りの人物がそこにいた。


「会長さん」


 幸村牡丹ゆきむらぼたんさん、生徒会長だ。なにやら二つ重ねた鍋を両手に抱えている。

 話すのは入学式の日以来だ。


「こんにちは。高瀬さん、文芸部だったの?」

「はい、一応」


 所属部活に一応も何もないんだけど。

 というか入学式の日に少し話しただけの一生徒の名前を覚えてくれていることに驚く。これも生徒会長の器量というものだろうか。


「えっと、そのお鍋は?」

「部室にしまおうと思って持ってきたの。あ、わたし料理部なんだけど」

「なるほど」


 そういえば料理部の部活紹介で出てきていた。今の今まで忘れてたけど。

 料理をする会長さんを想像する……絶対おいしい。


 でも実は全然料理上手くないとかだったらそれはそれで良いギャップだと思う。

 ……私、ギャップ好きなのかな?


「高瀬さんは今帰るところ?」

「はい。私一人だったので」


 そういうと会長さんは少し考えてから、


「このあとって予定があったりするかしら?」


 と、心なしか目をキラキラさせて訊ねてきた。


「えっ、いえ、ないですけど」

「さっきアップルパイを作ったんだけど、おいしくできたから高瀬さんにも食べてほしいの。それでもしよかったらなんだけど、うちに来ない? あ、うちって言っても寮なんだけど」

「寮……って入って大丈夫なんですか?」

「ええ。この学校の生徒なら入っても大丈夫よ。18時までには出ないといけないんだけど」


 そうなんだ。寮がどんな感じなのかちょっと、いやかなり興味がある。


「じゃあ、おじゃまします」


 アップルパイも気になるし。


「本当? じゃあこれすぐ片付けてくるから、待っててね」

 会長さんは嬉しそうにそう言って、駆け足気味で料理部室の方へ向かっていった。




「おじゃまします……」


 校舎の裏側にある寮は想像よりも綺麗で、ちょっとしたホテルのようにも見えた。


 それと少し意外だったのが、寮長の人がなんていうか、おばちゃんだったことだ。

 入り口の受付のような場所で来客者として名前を書いた時に寮長さんがいたのだけど、見た目も話し方もいかにもおばちゃんという感じで、極めつけには一人称が「おばちゃん」だった。


 学校の雰囲気的に、綺麗なお姉さんとかがやってるものだと勝手に思ってた。私のイメージがおかしいだけかな。


「遠慮せずどうぞ」


 案内された部屋の中は、寮室というよりはマンションの一室のような印象を受ける

た。

 玄関から伸びた廊下の奥に大きな洋室があり、廊下の左右にはトイレや浴室、それと小さなキッチンもある。


 洋室の真ん中にある小さめのダイニングテーブルに座って、会長さんがアップルパイを用意してくれるのを待つ。

 二段ベッドに、学習机が二つ。ということは二人部屋なのだろう。ルームメイトの人は部活中とかなのかな。


 春ちゃんと二人で、こういう部屋で暮らせたら……とか、夢みたいな想像をする。春ちゃんじゃなくても、友達と一緒に暮らすとかめっちゃ楽しそうでちょっと憧れるな。

 東さんもあの学年1位の人と二人部屋なのかな? 今度詳しく聞いてみよう。


 そんなことを考えていると会長さんがお皿にアップルパイを盛り付けてやってきた。


「はい、どうぞ」


 甘い香りが鼻孔を満たす。

 私は食にあまり興味関心が無い人だけど、甘いものは結構好きだ。でも自分からわざわざ食べに行ったりしないから、こんな風に頂ける機会は貴重でありがたい。


「いただきます」


 いつもよりも丁寧に、手を合わせて挨拶をしてからフォークをアップルパイに刺し込むと、サクサクっといい音が立つ。

 ゆっくりと、品のない食べ方をしないように気をつけながら口に運ぶ。


「どうかしら?」

「美味しいです! すっごく!」


 サクサクの生地とゴロゴロとした林檎の相性がよすぎる。猫舌の私でも食べられるぐらいの温かさで、いくらでもいけそうだった。

 会長さんはイメージ通りの料理スキルをお持ちらしい。


「ふふ、よかった」


 そう笑って会長さんは自分の分を口に運ぶ。もぐもぐしながら顔をほころばせる会長さんは、年上なのにとてもかわいらしいく映る。


 春ちゃんともスイーツとか食べに行ってみたいな。甘いものに顔をほころばせる春ちゃんを見てみたい。今度調べておこう。


「あ、飲み物ないと喉渇いちゃうわよね。紅茶でいいかしら?」

「はい、ありがとうございます」


 紅茶はあまり好きじゃないんだけど、たまにはいいかな。オシャレな午後って感じで気分上がるし。

 紅茶の準備をしている会長さんは、後ろ姿だけでも綺麗で様になる。


 ……なんか、春ちゃんを好きになってから、女性の仕草とかにやたら目を惹かれるようになった気がする。

 違うから! 恋愛感情を抱くのは春ちゃんに対してだけだから!

 と頭の中で誰にでもなく弁明をしていると、会長さんが戻ってくる。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 出された紅茶を一口飲む。独特な甘みはやっぱりあまり好きな味じゃなかった。でも温かい飲み物は安心をもたらしてくれる。


「ちょっとは元気出たかしら?」

「え?」

「会った時浮かない顔してたから」

「そ、そんな顔してましたか」


 感情が表情に出ないで有名な私のはずなのに。こないだ部長さんにも言われたし、年上の人に見抜かれがちな気がする。


「少しね。気のせいだったらごめんなさい」

「……心配かけてしまってすみません。でも大丈夫です」


 実際それほど大きな問題じゃない。私が勝手に拗ねているだけなのだから。


「そう? ならいいんだけど」


 そう言って会長さんも紅茶のカップに口をつけた。いちいち様になる人だ。


「……高瀬さんね、わたしの中学の頃の同級生に少し似てるの」


 会長さんは目を閉じて、ゆっくりと話し始めた。

 なんて返していいか言葉が見つからず、黙ったまま話を聞く。


「見た目とかじゃなくて、雰囲気が、なんとなくね。その子はとても重い問題を抱えていて、けれどそれを誰にも見せようとしなかった。辛いはずなのに、周りの迷惑になるからって一人で抱えていたの。わたしはその子のために何かしてあげたくて、けれど結局なにも出来なかった」


 会長さんは目を開けて、私の目を見つめた。


「自己満足だってわかってるけど、放っておけなくて。もうあんな思いはしたくないから……」


 微かに笑った会長さんの顔は、強さと弱さ、両方を覗かせた。


「……ごめんね、こんな話。なんだか高瀬さん話しやすくって」

「えっと……私は大丈夫です。私でよければ、いくらでも」


 私、話しやすいのか。そのおかげで少しでも光ちゃんや会長さんの力になれているのだと思うと、嬉しい。


「会長さんって中学は違うところだったんですか?」


 暗めの空気を払拭するために、話の中で気になったところを聞いてみる。こういうのは苦手だけど、そのままでいたくはなかった。


「ええ。ちょっと離れたところのね。高瀬さんは?」

「私もです」

「どうしてここを受けようと思ったの?」

「見学に来て、雰囲気というか、校風? がすごくいいなと思って」

「オープンキャンパスに来てくれたのなら、その時にも会ってたかもしれないわね。わたしたち」

「確かに……当時は緊張してて、人の顔を覚えてる余裕なかったです」

「そう。でも、この学校を気に入ってくれて嬉しいわ」


 会長さんはこの学校が大好きらしい。その事実に、なぜか私も嬉しくなる。


 明るい表情を取り戻した会長さんとしばらく雑談していると、部屋の扉が開く音がした。

 ルームメイトの人が戻ってきたのだろう。と思った瞬間体がこわばる。失礼のないようにしないと……


「ただいま。お客さん?」


 そう言って部屋に入ってきたのは、毎日のように名前を聞いているあの人だった。


「おかえり。今日は早かったのね?」


 その人はうんと返事して、こちらに視線を向ける。


「おじゃましてます。一年の高瀬です」

「初めまして、高瀬さん。三年の矢吹です」


 矢吹梨央先輩。光ちゃんの口から何度その名前を聞いたかわからない。

 近くで見ると芸能人みたいなオーラを感じる。背が高くて、顔立ちが佳い。光ちゃんが語っていた魅力というのは本物なのだろう。


 けれど、この人は同時に光ちゃんの悩みの種でもあるのだ。そう思うとあまりいい印象を抱けなかった。この人が悪いわけでは全くないのに。


「一年生なんて珍しいね。あ、アップルパイだ」

「梨央の分もあるわよ」


 それを聞いて矢吹先輩は「やった」と顔を綻ばせた。


「私は先にシャワー浴びてくるけど、もうすぐ六時だしそろそろ帰さないとまずいんじゃない?」

「え? ほんとじゃない! 高瀬さん、早く食べちゃって! それとも持って帰る?」


 そんな、二人のほんのわずかな会話の中に、深い絆のようなものが見えた気がして。


「じゃあ、食べちゃいます」


 光ちゃんが言ってた、矢吹先輩の好きな人って、もしかして……


 生徒会長と、副会長。タイプは違えど二人とも美人で、性格もいい。と言っても矢吹先輩の方は光ちゃんから聞いただけだけど。


 なんかお似合いだな……とか、思ってしまった。




 何度もお礼を言って、寮を後にする。あんなに急がなくても六時には余裕で間に合った。

 とはいえいつも文芸部を出るよりも遅い時間だ。この時間になるとこの学校の生徒もほとんどいなくなるらしく、随分静かだ。


 アップルパイ効果で気分もだいぶ良くなっていた。甘いもの万歳。帰りの電車でおいしいスイーツのお店でも調べよう。そして春ちゃんと一緒に食べに行くんだ。


 綺麗に整えられた並木道を、夕焼け色の空を見上げながら歩く。


 この学校での日々ももうすっかり日常になったけれど、今でもときどき夢みたいな感覚になる。

 さっき会長さんとも話したけど、そういう非現実的とも言える学校の情調に私は惹かれたのだ。


 入学前の日々を思い返し、本当に、素敵な毎日を過ごせているんだなぁと改めて実感する。

 それでも心が満たされないのは、春ちゃんというもっと素敵なものを見つけてしまったからだ。


 この綺麗な夕日の下を、春ちゃんとずっと歩きたい。そんなことを考えながら、校舎の角を曲がった時だった。


 二つの人影が見えて、思わず立ち止まる。その二つの片方は、見間違えようもない、綺麗な白茶色の髪をしていた。


 春ちゃんと……もう一人は背の高い誰か。きっとあれが、柊先輩だ。

 話には聞いていたけど、思ってたより背が高い。矢吹先輩よりも高いかもしれない。そしてこれまたショートヘアで、遠巻きながら中性的な印象を受ける。矢吹先輩がモテモテなら、この人もそうだろうって感じだった。


 帰るところなんだろうけど、こんなところで何を話してるんだろう。かすかに声は聞こえるけど、内容までは聞き取れない。二人とも知り合いだったら顔を出すんだけど、知らない先輩がいると思うとためらう。


 気づかれたくはないので角に隠れて様子を窺っていると、一際大きな、私でも聞き取れる程の声を、先輩の方が発した。


「私と、付き合ってください!」


 ――意味を理解した途端、動悸が激しくなる。

 紛れもない、告白の現場だった。


 見てはいけないものだったと、反射的に覗くのをやめて影に完全に身を隠し、心を落ち着けるために深呼吸をする。頭までふらふらしてきて、視界の輪郭は曖昧にぼやけていた。


 恐れていたことが、本当に起きてしまった。

 優しくていい人だよ、と春ちゃんが言っていたのを思い出す。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 春ちゃんが誰かと付き合う。誰かのものになる。その意味するところは世界の終焉だった。


 祈るような気持ちで身を隠したまま耳をそばだてるも、春ちゃんの返答を含むその後の会話はよく聞こえない。うるさい心臓の音が本当に邪魔だった。


 どうなったのかわからないまま少しの時間が過ぎて、かすかに聞こえる声が止んだと思ったら、ひとつの足音がこちらに向かって来た。


 まさかと思って、咄嗟にスマホをポケットから取り出して弄るフリをする。こんなことして意味があるのかとか考えている暇はなかった。


 こちらに向かってきた足音……柊先輩は私の眼前を通り過ぎ、寮の方へと早足で歩いて行った。奇跡的に私には気づかなかったようで安堵する。寮生だったんだ……あの人。


 私の存在に気づかないほど、喜んでいたのか、それとも落ち込んでいたのか。表情は見えなかった。あの人には悪いけど、後者であることを願ってやまない。


 角から顔を出してみると、春ちゃんの姿は既になかった。


「……………………」


 誰もいないのをいいことに、私はしばらくそのまま立ち尽くしていた。春ちゃんに追いついてしまっても困るから。今春ちゃんと会っても、上手く声をかけられる自信がない。

 追いかけて結果を聞くようなことは、当然私にはできなかった。

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