第18話
「ねーねーお二人」
金曜日。帰りのホームルームが終わって、いざ文芸部へ向かおうとした時、クラスメイトの子に声をかけられた。
名前は確か……そう、
「どうしたの?」
「ちょっと小山さんに用事があって。いいかな?」
「わたし?」
春ちゃんは私の方を見る。いい? という目をしてるけど、私が決めることではないので頷いた。
「ごめんねー。ちょっと美術室の方に来てほしくて」
「美術室?」
「うん。あ、あたし美術部なんだけどー、実はモデルをお願いしたくてさー」
「モデル?」
春ちゃんはちょっと驚いた様子だけど、私は大して驚かなかった。存在が芸術だし。
「小山さんって、ちょーぜつびしょーじょじゃん?」
わかる。
「え……いや、えっと……」
「忙しいならいいんだけどねー」
一応執筆作業はあるけど、進捗は滞りなく、締切までには余裕で間に合いそうだ。だから忙しいというわけではない。残念ながら。
「どうしよう……いいかな?」
春ちゃんはこちらに振り向いて、心配そうに問う。
そりゃあ、行ってほしくはないけど……私が決めることじゃない。
「春ちゃんは、行きたい?」
寂しさを極力声に乗せないようにして言う。
「…………」
春ちゃんは少し下を向いて考え込んだ。
宮下さんには悪いけど、断ってほしい。貴重な二人の時間を、他の人に取られたくはなかった。
「服脱いでーとか言ったりしないから、そこは安心していーよ」
「服!?」
「!?」
心臓に悪いから冗談でもそういうこと言わないでほしい……
「えっと、美術部って何人ぐらいいるの?」
「んー? 10人ぐらいだけど。小山さんをモデルに描くのは一人だけだよ」
「あ、そうなの」
いっぱいの人に見られるの、苦手なのかな。春ちゃんは宮下さんの返答を聞いてちょっとほっとしていた。
春ちゃんは安心してるけど、それは宮下さんと春ちゃんが二人きりになるということで、私としては安心できない。
いやでも大勢に囲まれるのもそれはそれで嫌だな……
「……うん、ちょっと、行ってみようかな」
春ちゃんの結論はそれだった。
なぜかフラれたような気持ちになるも、春ちゃんの決断なら仕方がない。独り占めなんてできないのは元から分かっていたはずだ。
「おーありがとー。じゃ、準備できたら美術室来てねー」
宮下さんはそう言うとさっさと教室を出て行った。一緒に行かないんだ……
「風花ちゃんはどうする? 文芸部行く?」
「え、どうしよ……部長さんいるかな」
スマホを確認すると、グループチャットで部長さんが鍵開け報告をしていた。つまりいる。
春ちゃんがいないと行かない、っていうのもあんまりよくなさそうだし、部長さんにも申し訳ないし……
「んー、行こうかな」
「そっか。じゃあ早めに終わったらそっち行くね」
「うん」
一緒に帰りたいし、ぜひとも早めに終わってほしい。
教室を出て春ちゃんと別れ、一人で部室へ向かう。部室棟を一人で歩くのは初めてで、妙な緊張感があった。
「こんにちはー……」
「高瀬さん、こんにちは。あら、高瀬さん一人?」
部室には相変わらず部長さん一人。既に機関誌に寄稿する小説は書き終えたらしく、手元には文庫本を開いていた。
「はい。春ちゃん、美術部の人にモデルを頼まれちゃって……早く終わったら来るって言ってました」
「へぇそうなの。小山さんかわいいものね」
綺麗ではなくかわいいと言うのが部長らしい。気がする。
「高瀬さんはお願いされなかったの?」
「え、何をですか?」
「モデルさん」
「えっ、いやいや、私じゃモデル足り得ないですよっ」
こんな影の薄いペラペラの人間、誰がモデルにしたがるんだ。
「えー、高瀬さんだってかわいいのに〜」
「そんなことないですってば……」
なんか最近やたらかわいいって言われる気がする。悪い気はしないけど、反応に困る。
それを言うならなら、本を読んでる部長さんの方が絵になりそうだと思う。さらさらロングヘアは春ちゃんに負けず劣らず綺麗だ。
「今日はどうするの? 本文は小山さんが書いてるのよね?」
「はい。とりあえずは昨日書いた分の見直しと、今後のアイデア出しのつもりでした」
「そう。ふふ、頑張ってね」
部長、いつもよりご機嫌な気がする。何かいいことでもあったのかな。
読書に戻った部長さんを見て、私も作業を開始する。
今のところ書けているのは導入の部分とクライマックスだ。
導入の部分は昨日書き終わったばかりだから、導入とクライマックスで齟齬が無いかとか、不要な重複情報が無いかとかを見ていく。と言っても、もう既に何回も読んでるから大丈夫だとは思う。
春ちゃんの書いた小説を、今世界で唯一読むことができるのだと思うと、何物にも代えがたい優越感があった。
春ちゃんが書く文章は柔らかくて優しくて、読んでて自然に笑顔になってくる。春ちゃんが書いたという色眼鏡付きかもしれないけど。
何度も読み返して、今後のためのアイデアをメモしていく。途中からは部室にある小説を読んで、そこからアイデアを拾ったりもした。
そんなこんなを一時間ほど続けていると、スマホが震えた。開くと春ちゃんからのメッセージだった。
『今日は行けなさそう……だから先に帰ってて!』
その後にうさぎのキャラが「ごめん!」と言っているスタンプが送られてきた。
しゅん、と気持ちが萎む。
まあ、絵なんて一、二時間で描けるものでもないか。
『わかった。また来週ね』
と送って、私はスマホを閉じた。
文字だけのやりとりは声に感情が出ないから楽だ。隠そうとしなくても寂しさを悟られない。
ふぅ、と一息ついて時間を確認する。もうすぐでいつも帰る時間だ。
「高瀬さん? 大丈夫?」
「えっ」
「浮かない顔をしていたから。どうしたの?」
部長さん、本に熱中しているように見えてたのに、いつの間にこっちを見ていたんだろう。
「春ちゃん、今日は来れないみたいです」
私、浮かない顔してたんだ。
「そうなの……じゃあ、今日はもうおしまいにする?」
「……はい」
片付けと戸締りをして、鍵を返しに職員室へ向かう。
「高瀬さんは、小山さんがいないと寂しい?」
途中、ふと部長さんがそう声をかけてきた。
私一人じゃ物足りない? と、言外に問われているようで、返答に迷う。
「……はい。寂しいです」
今の私に、強がれるほどの元気は無かった。部長さんの優しさに甘えたいのかもしれない。
「――私ね、今日高瀬さんが一人で来てくれて嬉しかったの」
「え?」
「小山さんがいない方がいいってわけじゃなくてね。小山さんがいなくても来てくれるんだって思って」
「あ……」
今日部長さんがご機嫌だったのはそういうことだったんだ。
私、やっぱり春ちゃんに付いてるだけの子に見えてたんだなぁ。まあ入部動機もそうだったし、当然かもしれない。
でもそれなら、今日は来てよかった。
「文芸部は高瀬さんの居場所でもあるから、部のことを好きになってくれてるなら嬉しいわ」
「部を好きに……」
どう、なんだろう。私は文芸部が好きなのかな。
わからないけど、部長さんとこうやって話す時間は……結構、好きかもしれなかった。
職員室に鍵を返して、校門前で部長さんと別れた。部長さんは光ちゃんと一緒でこの近くに住んでいるらしい。
次春ちゃんに会えるのは月曜日かぁ。
遠いなぁと思いながら、駅までの道を一人歩く。一人で帰るのも久しぶり……っていうか、入学してからは初めてか。
自ら一人を選んで、それからあんなに長い時間一人でいたのに、今は一人でいることがこんなに心細い。
駅に着いて電車に乗って、スマホを開く。と、光ちゃんからメッセージが来ていた。乾いた心に水が与えられたような気持ちになる。
『明日二人で遊ばない?』
明日……って、光ちゃん部活じゃないのかな。
断る理由はないので『いいよ。光ちゃんの家?』と返す。
そういえば光ちゃんとお出かけってしたことないなと思いながら、ツイッターを見つつ返事を待った。
返事が来たのはもうすぐうちの最寄り駅に着く頃で、
『うん、13時ぐらいにうちに来て〜』
ということだった。
明日の部活が急に休みになったとか? それで私を誘ってくれるの、嬉しいな。
OK! のスタンプを送って、ちょうど着いた駅に降りる。
今日は満足に春ちゃんと過ごせなかったし、明日は楽しんじゃおう。土日とも一人だったらさすがに辛かった。
突然のお誘いに感謝しつつ、私は晩ごはんを買いにコンビニに寄ってから家に帰った。
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