第16話
「わたしね、人の心が読めるの」
「――え?」
え? だった。小学生の冗談みたいな告白は、なお質量を持って、その意味を脳に染み込ませていく。
「読めるっていうか、感情の色が、その人の目から滲むみたいに見えるんだ」
園山さんは私の目を覗くように見てそう言う。
からかっているだけにしては声色は重く、そもそも園山さんがこんな冗談をいう子じゃないということはこの二ヶ月でわかっていた。
「えっと、それって、共感覚みたいな?」
私も漫画で見たことあるぐらいだから詳しくないけど、文字や音に色がついて見える現象のことらしい。園山さんも色という言葉を使ったから、思い当たったのだけど。
「多分、違うと思う」
どうして? って聞きたかったけど、本人がそう思うならそうなんだろうと納得した。理由を聞いて私に理解できるかもわからないし。
園山さんの告白が真実だとするなら、今の私の困惑と思考も見えているのか。ずっと見えていたなら、私の春ちゃんへの思いも……
疑問、理解欲、焦燥のようなものが次々と溢れてくる。それらを一旦押し戻すようにしまって、一番大事で気になることを聞く。
「どうして、そのことを私に話してくれたの?」
わざわざ聞かなくても、この疑問も見えているのだろうか。
しかし園山さんは、私の質問に少し驚いたようにして、口元を歪ませた。
「高瀬さんは、心当たりないの?」
「心当たり……?」
私はもちろん人の心なんて読めないし、そういう友達がいたこともない。
「……そっか」
私が否定する前に、園山さんはそう言って落胆したように視線を落とした。
普段は決して見せない負のオーラに気圧されそうになる。
「ご、ごめん……私何もわからなくて」
謝ることしかできない私に、園山さんはすぐに顔を上げて笑顔を作った。
「高瀬さんは悪くないよ。何も知らない……んだもんね」
私が何か知ってると思って話してくれたのだろうか。だとしたらなんで?
少しの間を置いて、園山さんが口を開いた。
「……高瀬さんだけね、見えないんだ」
「え?」
見えない、って。
「感情の色」
私だけ……だから園山さんは、私が何か知ってるかもしれないと思ったんだ。
見えていないと聞いて、少しの安堵と、なんで? という疑問が同時に浮かんでくる。
「わたしの言うこと、信じてくれるの?」
「…………」
答えに迷って、黙ってしまう。
正直、信じると簡単に言ってしまえる内容じゃない。内容を咀嚼し切れてもいない。けれどやっぱり嘘をついているようには見えなくて、自分の生きてきた世界の方が歪んでいくような感覚になる。
園山さんは私の目を見つめたまま、返事を待っている。
彼女の口ぶりや態度から、きっと今まで誰にもこのことを話したことはないんだと思う。
ずっと独りで抱えてきた秘密を、私だけに話してくれたのだ。
私が信じなかったら、園山さんは独りになる。私だけが、園山さんを信じることができる。
心が読めるとか見えるとか、多分科学的じゃなくて、でもだからって否定する理由にはならない。信じる根拠も信じない根拠もなかった。
だから私は。
「信じたい、と思う」
園山さんはほんの少し目を丸くした。その目にはほんの少し光が宿ったように見えた。この光を消してしまいたくない。
わからないから、私がそうであってほしい方を、私の中の真実としたい。一旦、という形にはなるけれど。
「……本当に?」
「うん」
自信を持って頷く。
「本当の本当に?」
「本当だよ」
嘘も真も見抜いてきたであろう園山さんにとって、私の発言は簡単に信じられるものじゃないのだろう。私の知り得る領域じゃないけれど、少しでも寄り添いたい。
「ごめんね、不安で。信じてくれるって言うんだから、わたしも信じないとね」
そう言って園山さんは少し笑った。やっぱり園山さんは笑顔が一番似合う。
「ちゃんと信じたいから、詳しく聴かせてほしいな」
気になることが多すぎて、信じるとは言っても口だけになってしまう。証拠……とは無理でも、実感のようなものがほしい。
「うん、わたしも聞いてほしい」
少しでも園山さんの心を軽くしてあげたい。思えばずっと園山さんには助けられてばかりだったし、やっと恩返しできるかな。
飲み物を飲んで一息ついてから、園山さんはゆっくりと話し始める。
「ちょうど二年前ぐらい、中学二年の五月二十日に急に見えるようになったの。人の目にぼんやりと、何かが滲むように見えて、それが感情の色だってすぐにわかった。初めての感覚なのに、まるでずっと知ってたことみたいに感じて気持ち悪かった」
二年前……生まれつきというわけじゃないんだ。
感情の色が見える、というのは何度言葉で聞いても具体的な想像はできない。
「絶対、誰にも知られちゃいけないって思った。人の心を覗いてるなんてもしも知られたら、どうなるかわからない」
異能力を持った存在が迫害を受ける物語は山ほどある。私が最近読んだ小説にもあったぐらいだ。園山さんもその対象になると思うと、全身に恐怖が走った。
「知りたくないこともたくさん知って、それでもわたしの心だけは知られちゃいけなくて、ずっと我慢して。どれだけ人のためになろうとしても罪悪感が消えなくて。そんな時に現れたのが、高瀬さんだった」
「私……」
「最初はほんとにびっくりして、正直不気味っていうか……ちょっと怖かったんだよ」
「……うん、私もそう思うと思う」
ただの想像にはなっちゃうけど。
「色々考えちゃった。もしかして人間じゃない? とか、感情がない? とか、高瀬さんもわたしと同じ力を持ってる? とか」
「感情はあるよ! ある、はず……」
「わかってるよ」
園山さんは苦笑した。
「ていうか、人間以外の……動物とかのは見えないの?」
「うん、人だけ。だからミミと遊ぶのは気が楽で、本当にたのしかったんだ」
「そっか……」
私に感情があるのは確かだけど、私が人間じゃない可能性は完全には否定できない、気がする。
園山さんみたいな感情が見える人がいると知ってしまったら、どんな突拍子もない事実が存在するかわからないわけで。
……なんか、世界が一気に広がったような感覚。自分の中にある常識とか、一新しないといけないかも。
「それでね、ミミと同じ理由で、高瀬さんと話すのもすごくたのしかったの。最初は探り探りだったけど、だんだん高瀬さんと話してる時が一番落ち着くようになった。趣味も合うしね」
「そ、そうなんだ」
真正面から一番なんて言われると照れちゃう。
それにしても、私は全然園山さんの様子の変化みたいなものに気づけていなかった。私が鈍感ってわけじゃなくて、園山さんの振る舞いが巧みなんだろう。その巧みさが秘匿によって培われたのだと思うと、胸が切なくなる。
「高瀬さんに打ち明けたのは、何か手がかりがあるかもって思ったのもあるんだけど……」
そう言って園山さんは、私の左手に右手を重ねた。ほんの少し私より冷たい。
「高瀬さんと、ちゃんと、友達になりたかったの」
「……ちゃんと?」
私は園山さんのことをずっと友達だと思っていた。
「心が見えないって言っても、隠し事をしてるのは事実だし、周りの人が高瀬さんをどう思ってるかは全部見えてるから」
それを聞いて真っ先に、頭に春ちゃんのことが浮かぶ。春ちゃんが私をどう思ってるか、それは私が一番知りたいことだ。
「高瀬さんに知ってほしかったんだ。友達として、話したいって思ったんだ」
園山さんの手に、少し力がこもる。
「受け入れてくれてありがとう」
そう言って笑った園山さんの目からは、今にも涙がこぼれそうだった。
それを見て私は、胸が締め付けられるような感覚になる。
園山さんの手を両手で包むように握って、身を寄せた。
「話してくれてありがとう。私は園山さんの味方だよ」
園山さんは私の肩に頭を預ける。
大切な友達の支えになれることが嬉しくて、しばらくそのまま寄り添い合っていた。
「じゃあ、ゲーム再開しよっか」
「へっ?」
しばらくして顔を上げた園山さんは、からっと笑っていた。おかげで変な声が出た。
「色々話したけど、これからも今まで通り遊んでくれたらうれしいな」
「そ、そっか。うん、わかった」
そもそも心置きなく私と接するために話してくれたのだから、私が気を使っちゃったら意味がない。
「ほんとはもっと愚痴りたいこととかいっぱいあるんだけどね。今日は疲れたから一旦おしまい」
園山さんがこの二年間で溜め込んだ澱はきっと膨大で、一人で抱え込むには重すぎるものだろう。
「私でよかったらいつでも聞くから、ね」
「うん、ありがとう」
すっきりとした笑顔は、やっぱり園山さんによく似合う。
「あ、ねぇ。これから風花ちゃんって呼んでもいいかな」
「えっ、うん。いいけど……」
「なんか、ちゃんと友達になれた気がするっていうか、ね。その証みたいなのが欲しいんだ」
「そっか……じゃあ私も、えっと……光、ちゃん?」
「えへへ、なんか照れちゃうね」
「うん……」
ちゃん付け、春ちゃんで慣れたかと思いきや、他の人にするとやっぱり恥ずかしい。
「じゃあ……これやろう!」
園山さん、じゃなくて光ちゃんが照れ隠しのようにゲームを起動する。さっきまでやってた対戦ゲームじゃなくて、協力ゲームだ。
友情を結び直した私たちにはぴったりかもしれない。
それから、今までよりもかけがえなく思える時間を、今まで通り楽しく過ごした。その日はいつもより帰るのが遅くなっちゃったけど、お話した分ゲームし足りなかったし、仕方ないよね。
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