第14話
ゴールデンウィーク明けの部室で、私と春ちゃんは部長さんに機関誌の相談をしていた。
「二人とも真面目ねぇ。そんなに難しく考えなくていいのよ?」
「でも初めてで、何から手をつけていいかわからなくて」
「そうねぇ。まずはやっぱりアイデアを出すことね。自分の書きたいことを固めるの」
「書きたいこと……」
春ちゃんは手元のメモに先輩から言われたことを書き込んでいる。えらい。
「私はまずキャラクターから考えるけど、世界観から考える人もいるし、使いたいフレーズから広げていく人もいるわね」
「へー……」
「そんな感じで、結構自由だし個人差もあるから、一概にこうすべきとは言えないのよね」
そこまで言うと部長は立ち上がり、棚の端っこの方から二冊の本を持ってきた。いずれも小説の書き方の本だ。
「初めての人におすすめの本。持って帰って大丈夫だからよかったら読んでみて」
「あ、ありがとうございます」
「でもまあ初めてだったら、それこそ悩まずに書きたいように書けばいいわ。小説にルールはあっても、表現にルールはないんだから」
わあ、なんか名言っぽい。
そっか……難しく考えなくていいんだ。こんなこと私が言うのも失礼だけど、高校の機関誌程度にそこまで気を張らなくてもいいのかもしれない。
「せっかく二人仲良しなんだから、お互いに協力し合うといいわ」
仲良しと言われてじんわりと胸が熱くなる。
部長さんは柔らかく笑って続けた。
「いっそ二人で一つの作品を書くのもいいかも」
「え、そんなの、いいんですか……?」
春ちゃんが驚いた声を上げる。私も同じ感想を抱いた。
「もちろん。やりたいようにしてくれていいのよ」
ほんと自由な部活だなぁと思うと同時に、肩の荷がぐっと軽くなった気がした。小説を書くなんて、未知すぎて不安だったけど、春ちゃんと一緒なら乗り越えられそうだ。
「春ちゃんがよければ、私はそうしたいな」
「うん、わたしも」
春ちゃんも少し安心したような表情をしていて嬉しくなる。
期待に添える自信はあんまりないけど、約一ヶ月間の共同作業。幸せな未来が確約されたような気持ちだった。
それから文芸部では小説について話し合う日々が続いた。いつもはほとんど本を読んでいたから、ちょっとだけ部室が賑やかな感じ。
二人で本を参考にしながら、あらすじや登場人物を考えていく。
一週間かけて、学校が舞台の恋愛ものを書くことに決めた。そして、基本は春ちゃんが執筆して、私がそれに意見を出したり修正したりするという役分けになった。
ようやく方針が定まったのが金曜日。さあ来週から頑張るぞという気持ちでいたのだけど、いざ月曜日になってから今日からテスト週間だったと気づいた。すっかり忘れてた。
今週がテスト週間ということは、先週はテスト二週間前で、来週はテストということだ。何を言ってるんだ。
先週からクラスの子にやたら数学の問題について聞かれてたのは、そういうことだったんだなぁと今更納得する。
私は数学が得意な方なんだけど、どこから聞きつけたのか休み時間によく質問をされた。多分園山さんが広めたんだろうなぁ。教えるの好きだからいいんだけど。
そして、テスト週間ということは部活動がないわけで。
「春ちゃん、放課後……どうする?」
四時間目終わりの休み時間、私は隙を見て春ちゃんに話しかけた。どうする? って聞き方はどうなんだ。
「一緒にお勉強する?」
「え」
私は小説のお話をどうするか聞いたつもりだったんだけど、そうか。テスト週間なんだし勉強するよね。そりゃあそう。
「いいの?」
たまたま掴んだチャンスを無駄にしたくないので、しっかり一緒にお勉強させてもらう。
「うん。場所は……部室って使わせてもらえたりしないかな?」
「あー、どうだろう。聞いてみよっか」
部活動停止期間中なんだから普通は使えないはずだけど、ゆるゆるの部活だから全然可能性はある。
私たちは滅多に顔を見せない文芸部顧問の先生に会いに行って、テスト勉強するのに部室を使ってもいいか聞いてみた。するとあっさり許可してくれた。いいのか。
そんなわけで放課後、普段通り部室に向かう。このままだと小説の話し合いを始めてしまいそうだけど、これからするのはテスト勉強。間違えて部長から借りた本を取り出さないようにしないと。
部室に入って、いつも通りの席に並んで座る。私たちは各々教科書やワークを取り出して勉強を始めた。
部長にも部室使用の連絡はしたけど、部長は家で勉強するらしい。つまり、二人きり。
なんだかんだで二人きりって貴重だから、この一週間を大切にしたい。
たとえば もっとこう、教えあいっこみたいなことしたいんだけど、お互いそこそこ勉強ができてしまうためあまり会話がない。今だけバカになって勉強教わりたい。でも呆れられるのも嫌だから物分りのいいバカになりたい。なんだ物分りのいいバカって。
ここまで無言だともはや一緒にやってる意味があるのかって話になってくる。私は一緒にいるだけで嬉しいからいいけど、春ちゃんはどうなんだろう。
ちらっと横を見ると、真剣な横顔に目を奪われる。ほんと、何してても綺麗で様になるなぁ。
そんな横顔を、今だけは私だけのものにできていることに、少しの優越感を覚えていると。
「……風花ちゃん?」
目が合って、心臓が揺れる。
「えっ、あっ、えっと……」
「ちょっと休憩する?」
「うん……」
じっと見てたことについては何も言われなくて、安堵する。
春ちゃんはぐっと伸びをした後、窓の方を見て「あれ……」と零した。
なんだろうと思って私も見ると、窓に細かい水滴が付いているのが見えた。
「雨……降るって言ってたっけ……」
どうやら予報外れの雨らしい。私はいつでも折りたたみ傘をかばんに入れてるから、天気予報も注意して見ていなかった。
「春ちゃん、傘持ってきてない?」
「うん……どうしよう……」
突然の雨。春ちゃんは傘を持っていなくて、私は持っている。それはつまりどういうことか。
「私、傘あるけど、その……よかったら入る? 送っていくけど」
こういうことだ、たぶん。
「ほんと? いいの?」
「うん。あんまりおっきい傘じゃないけど」
家の位置関係的にも、春ちゃんの家に寄ってから帰るのも難しくない。いくつもの幸運が重なって今がある。
相合傘……と頭の中で呟くと、体が波打つようだった。
「ありがとう」
待って、春ちゃんの家? 私春ちゃんの家に行くの?
そう気づいた途端に期待と緊張が全身を走る。
いやいや、ちょっと送り届けるだけだし、家に上がるわけじゃない。と思う。
『濡れちゃったね。よかったらシャワー浴びていく?』
みたいな、そんなラブコメみたいなイベントが脳裏に覆いかぶさってくる。
ないない、あるわけない。期待するだけ無駄。
「でも、止むかもしれないしもうちょっと待って帰ろう?」
「あ、うん。そうだね」
そうだ、そもそも通り雨かもしれない。思考が先走りすぎている。
雨って結構嫌いだけど、今日だけは止まないことを願ってテスト勉強に戻った。空模様が気になって全然集中できなかった。
いつもならとっくに帰ってる時間、外は依然雨が降り続いていた。
「止まないね……」
「うん、そろそろ諦めて帰る?」
諦めて、ね。
「でも、ほんとにいいの?」
「私は全然大丈夫だから、気にしないで」
もはや必死だった。ここまで来たら絶対に相合傘してやるという強い意志がある。
「うん、じゃあ、帰ろっか」
心の中でグッとガッツポーズして、意気揚々と勉強道具を片付ける。そしてカバンから代わりに折りたたみ傘を取り出した。
春ちゃんはこの前私がプレゼントしたひよこちゃんを取り外して、濡れないようにカバンの中に避難させてくれていた。大事にしてくれてるみたいで、ちょっと嬉しくなる。
部室を出て、鍵を職員室に返しに行く。すると「貸し出し用」とシールが貼られた傘立てが入口の傍にあった。しかし傘は一本も残っていないのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。ここまで来て春ちゃんが傘を手に入れるなんて、意地が悪すぎる。
「ありがとう。二人とも、傘は持ってる?」
鍵を受け取ってくれた担任の先生が心配して声をかけてくれた。
「私が持ってるので、大丈夫です」
手に持った折りたたみ傘を見せる。今思うとカバンから出すのちょっと早かったな。
「そう? 急な雨で、貸し出し用の傘もあっという間になくなっちゃって。風邪ひかないようにね」
やっぱり雨は予報外れだったようだ。
はいと二人返事して、挨拶をして職員室を後にした。
校舎の出口で、折りたたみ傘を開く。可愛げのない、機能性重視の黒い傘だ。
「わたしが持つよ」
「え、いや、大丈夫だよ」
「申し訳ないし、わたしの方が背高いでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
春ちゃんの手を煩わせるのは気が引けるけど、優しさをただ享受するのも負担になるとどこかで見たし……
「じゃあ、お願い」
「うん。まかせて」
春ちゃんが持った傘に入り、二人歩き出す。
近い。傘が小さいぶん、肩がくっつくぐらい近い。
雨の中だというのに、春ちゃんからは甘い良い香りが漂ってきて、なかなかに落ち着かない。
「大丈夫? 濡れてない?」
「こっちは大丈夫」
私はカバンを前に抱えて、中途半端に触れ合う肩を思い切って密着させて答えた。こうしないとどっちかが濡れちゃうからね。ね。
傘に収まりながら水溜まりを避けたりしていると、自然と二人とも口数が減って、ほとんど話すことなく駅に着いた。
「ふう……」
幸せな時間だったけど、雨の道を歩くのはやっぱり疲れる。
雨じゃなくてもこれぐらいくっつければいいのにと思う。
駅の中にはびしょ濡れの人もちらほら見えた。春ちゃんが濡れ鼠になっていたらと思うとぞっとする。ほんと、傘持っててよかった。
「ほんとに家まで来てくれるの?」
電車に乗りこんでから、春ちゃんがそんなことを聞いてきた。
「そうしないと、春ちゃん濡れちゃうでしょ」
まだまだ雨足は弱まらないから、藤ノ宮に着いても雨は降ったままだろう。
「うん、そうだね。ありがとう」
電車の中はそれほど混んでいないし、もちろん雨なんて降っていない。
でも私は、いつもより春ちゃんの近くに立っていた。さっきまでの距離感を、できるだけ保っていたかった。春ちゃんの香りが届く範囲にいたかった。
春ちゃんはそんな私に疑問を抱くことなく、私のそばで佇んでいる。
寄りかかったらどう思われるかな。
そんなこと絶対にできやしないのに、無意味にそんなことを考える。
……多分、体調を心配される。そして、肩を抱いて受け止めてくれる。春ちゃんは優しいから。
それぐらいのことはわかるようになった。でも、やっぱりそんなことはできない。
私は気持ちだけを春ちゃんに傾け続けて、程なくして藤ノ宮駅に到着した。
ここで降りるのは二回目だけど、改札を出るのは初めてだ。
再び、二人で傘に入る。傘は電車に乗っている時もずっと春ちゃんが持っていた。
「家、ここからどれくらい?」
「10分かからないぐらいかな。ごめんね、付き合わせちゃって」
「気にしないでって」
むしろ付き合ってください。みたいな冗談が過ぎるも、もちろん口からは出ない。面白くもないし。
この辺の街並みはうちの周辺よりも建物が低くて、人もそれほど多くない。古い建物も結構あって、正直春ちゃんには似合わない。
春ちゃんに似合うのは……としばらく考えて、椿門の周辺だと結論付く。ああいう、綺麗でちょっと日常から外れた雰囲気の場所が、春ちゃんにはよく似合う。
「ここ、わたしの家」
言葉通り、10分足らずで春ちゃんの家に着いた。周囲の建物と比べて随分綺麗な一軒家だった。玄関の横には車も止めてある。
聖地に来たような気持ちで、玄関扉の前にある屋根の下に入った。
「綺麗だね」
薄っぺらい感想だと自分でも思う。
「中学に上がったときにここに引っ越して来たんだけど、その時に新築だったから結構新しいね」
「へー……」
春ちゃんが自分の過去の話をするのは珍しくて、少し驚いてしまった。小学校まではどこに住んでたんだろう。出身は他の県なのかな。
気になることはたくさんあったけど、聞く前に春ちゃんがポケットから鍵を取りだして玄関の扉に差し込んで回す。するとドタドタとした足音とともに中から女性が姿を現した。
「お母さん、どうしたの?」
「春、よかった、傘もってたのね。既読つかないから心配したのよ」
「あ……ごめん、見てなかった」
どうやらお母さんらしい。髪は黒く短く、美人だけど春ちゃんと並んでも親子とわからないぐらいには似てないように見える。ハーフのお父さんの方に似たのだろう。
「傘は風花ちゃ……高瀬さんが入れてくれたの」
傘を手に持ってたのは春ちゃんだから、私が入れてもらってたようにも思えるけど。
春ちゃんママは私の存在に気づくと、目を輝かせるようにして
「高瀬さん、こんにちは。うちの春がお世話になっております。今日はわざわざありがとうね」
「は、はい、こちらこそ……」
ニコニコ顔で距離を縮めてくるので面食らいつつも、こちらも頭を下げた。
春ちゃんのお母さんってもっとお淑やかな女性を想像してたけど、結構明るい感じなんだなぁ。お母ちゃんって感じ。
「高瀬さん濡れてない? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
くっついてきたので。
「もう結構遅い時間だし、おうちまで送ってあげようか?」
春ちゃんママは車を指さして言った。
「えっ、いえいえ、大丈夫です!」
「本当? 遠慮しなくていいのよ?」
「ほんと、お構いなく……」
友達のお母さんと二人なんてさすがに気まずい、というか辛いので遠慮したい。まだ空もギリギリ明るいし。
「そう。じゃあ、気をつけてね」
「またね、風花ちゃん」
「うん、それじゃあ」
私はもう一度春ちゃんママにお辞儀して、春ちゃんに手を振ってから傘を開いて歩き出した。
ふぅ。
さすがに家に上がらせてもらうイベントはなかったけど、ここまで来れたことに満足していた。いつかおうちで遊んだりできるかな。
……あれ、駅どっちだっけ。
隣の春ちゃんばかり気にしていたから道をちゃんと見ていなかった。
駅の場所はスマホで調べればわかるからいいけど、春ちゃんの家の場所は忘れないように覚えておこう。一人で来ることなんてあるのかわからないけど。
マップで藤ノ宮駅と検索して、文明の利器に感謝しながら歩き始めた。
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