第12話

 眠れなかった。


 さすがに子供っぽすぎると自分でも思うけれど、春ちゃんと二人でお出かけ、すなわちデートの前日に眠れるわけがなかった。楽しみやら不安やらに頭を支配されて、結局寝たのは三時すぎとかだったと思う。


 重い瞼を必死に持ち上げて、寝落ちてしまわないことを意識しながら電車に揺られる。電車で寝てしまったことなんて無いけれど、入学式の日のことを思うと油断は禁物だ。あれ、ちょっとしたトラウマになってるんだよね。


 春ちゃんが待つ藤ノ宮駅に近づくに連れて、緊張で鼓動が大きくなる。身だしなみを普段の何倍も気にかけてきたけど、普段から無頓着なせいでいくら気にしても不安は拭いきれなかった。


 服だって少ないレパートリーの中から一番ましに見えるものを選んだつもりだけど、隣をあの春ちゃんが歩くのだと思うとどう考えても見合っていない。というか私がいくら頑張ってオシャレをしても春ちゃんと並ぶなんて夢のような話だ。


 勇気を出して誘ったはいいけど、やっぱり私ごときが休日に春ちゃんとデートなんておこがましいのでは?

 そんなことを何度も考えてしまっているけど、やっぱり最後には嬉しさが勝つ。


 あの日、春ちゃんへの感情が恋心なのだと自覚してから、私の見る世界はより一層姿を変えた。些細なことを意識するようになって、彼女に会えるのを喜ぶことに躊躇がなくなった。


 それは多分、いい変化なんだと思う。実際以前よりも気持ちはすっきりとしている。ぼんやりとしたものを抱え続けるのは心の負担になるらしかった。


 間もなく待ち合わせ場所の藤ノ宮駅に電車が到着して、ホームに降りる。ここで待ち合わせて、ここから双美駅にある映画館で映画を見て、お昼ご飯を食べて、あとは適当にお買い物というのが今日の予定だ。


 藤ノ宮はそれほど大きな駅ではないので、ゴールデンウィークでも人はそれほど多くない。ホームを見渡すと、求める姿はすぐに見つかった。


 けれど、私はその場に立ち尽くしてしまった。


 なんだあれ。この世の神秘か?


 ホームの壁際で携帯に視線を落としている彼女は、この世のものとは思えないほど綺麗で。

 合成写真のように、彼女一人だけがこの世界の上から貼り付けられたみたいだった。


 顔を上げた彼女はすぐにこちらに気づいて、笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。

 その瞬間私の体に心が戻ってきて、反射的に手を振り返す。


「おはよう、風花ちゃん」

「おはよう」


 だめだ。破壊力が高すぎる。みんな好きになっちゃうでしょこんなの……

 期待も不安も春ちゃんの笑顔と声によりかき消され、私はただ彼女に見とれることしかできなくなる。


 かわいいとか好きとか、そういうレベルじゃない。残酷な世界の真実を前に、自分の無力さを痛感したような感覚。

 彼女の前では、きっと感情なんて無意味なものになるのだ。


「私服だと雰囲気変わるね〜。かわいい」


 ちょっと待って。脳が正常に動き出すまで時間がかかるので。

 春ちゃんは今私に「かわいい」と言った? いやいやそんなまさか。


「そうかな、ありがとう」


 冷静さとは突然帰ってくるもので、落ち着いてお礼を言う。


「その……春ちゃんもすっごくかわいい」

「ほんと……? ふふ、ありがとう」


 ほんとだけど、すっごくなんて言葉では言い表せていないぐらいかわいい。

 そんなことをそのまま伝えてしまう勇気は私にはないのだけど。


 すぐに次の電車が来て、二人で乗り込む。


 電車の中は座席がちょうど埋まるぐらい人がいて、開かない方の扉の前に二人で立つ。他の人たちはみんな手元のスマホや本に目を落としていて、春ちゃんに視線が向くことはない。せっかくこんなトンデモ美少女がいるのにもったいない、と思うと同時に少し安心する。できることなら私以外の人にこんな綺麗な姿を見せたくないと思う。好きになられたら困る。


 もし待ち合わせ場所を人が多い双美駅にしていたら、春ちゃんは待ってる間毎秒ナンパかスカウトされていそうだ。こっちで待ち合わせていてほんとによかった。


 いやしかしマジでかわいいな。

 極力ガン見してしまわないように、視界の右半分に春ちゃんを捉える。


 写真とか撮りたいな。どこか記念撮影でもできそうな場所があれば自然と撮れそうだけど、なんの脈絡もなく撮るのはきっと無理だ。私普段から全然写真とか撮らないし。


 一昨日園山さんは勝手に私と東さんの写真を撮ってたけど、もし私が春ちゃんを勝手に撮ったりしたら罪悪感で死んでしまう。

 映画館のところに撮影スポットとかあればいいけど。


 そんなことを考えながら、春ちゃんとおしゃべりをする。話題は一昨日のことだ。


「春ちゃんたちはどこに行ってたの? ……ていうか誰と行ってたの?」


 誰とってわざわざ聞くの、めんどくさい彼女みたいじゃない? と思ったけど、春ちゃんは気にせず答えてくれた。


「そういえば話してなかったね。江口えぐちさんと間宮まみやさんと、C組のはらさん。江口さんに誘われたんだ」

「あー……」


 江口さんって、この前の書道の時間に半紙を落とした子だ。あの日保健室から戻った春ちゃんにすぐに謝りに来ていたから、それから話すようになったのかな。優しそうな子だったし、江口さんなら安心かも。あとの二人は江口さんの友達だろうし。


「それで、四人で双美のモールに行ったよ」

「え、双美?」

「うん」

「それだったら別の場所にした方がよかったんじゃ……」


 というか、目的地を決める前に、江口さん達とどこに行くのか聞くべきだった。


「映画行きたいって言ったのはわたしだし、それに……」

「それに……?」


 春ちゃんは柔らかく笑って、言った。


「今日は風花ちゃんがいるから」

「……………………」


 春ちゃんの言葉の意味がわからなくて、何も言えなくなる。

 それは、私がいるならどこでもいい、みたいな意味? さすがに都合よく考えすぎ? 私は春ちゃんと一緒ならどこでもいいって思うけど……


 それとも、一緒にいる人が違えば同じ場所でも楽しめるってことだろうか。私だからじゃなくて、違う人だから。


 ……きっとそうだ。自惚れはよくない。


「風花ちゃんは気にしないで、楽しんでくれたら嬉しいな」

「……うん、わかった」


 春ちゃんがそう言うなら、私は春ちゃんとの時間を素直に楽しもう。せっかくのデート、余計なことを考えていたらもったいない。


「風花ちゃんは園山さんの家、どうだった?」

「楽しかったよ。園山さんもだけど、東さんもゲームすっごく上手かった」

「へ〜そうなんだ」

「あ、あと猫ちゃんがいた。ちっちゃい、マンチカンの。ミミちゃんって言うらしくて」


 そこまで言って、写真があることを思い出す。あんまり写りがよくない私が写ってるけど……まあいいか。


「この子」

「わぁ、かわいいね」


 自分が写った写真を見て「かわいい」と言われると、違うとわかっててもドキッとした。今の私、浮かれてちょっと馬鹿になってるかも。


「でも、猫かぁ。わたし猫アレルギーだから、園山さんの家行けないね」

「えっ、そうなの?」

「うん。猫、好きなんだけどね」

「そっか……」


 ミミちゃんを撫でる春ちゃん、見てみたかったな。きっと芸術になるのに……

 残念だと思うと同時に、一つ春ちゃんのことを知れて少し嬉しい気持ちもあった。


 一昨日の話をしていると、あっという間に双美に着いた。私服の春ちゃんの破壊力により一日の大半を終えた気分だけど、本番はここからだ。


 まずは映画。見るのは春ちゃんが気になっているという恋愛映画だ。原作小説が好きらしい。

 私は正直恋愛ものってそんなに惹かれないんだけど、春ちゃんが見たいというなら見る。


「久しぶりだなぁ」


 映画館に入って、チケットを買うと春ちゃんがそう零した。


「そうなの?」

「うん。最後に来たのは……二年半ぐらい前かな。家では結構見るんだけどね」

 春ちゃんは笑ってそう言ったけど、どこか寂しげな目をしていた。大切な思い出なのだろうか。


 もしかして彼氏と来たとか……


 いや、春ちゃんはクラスの子と話してた時に彼氏なんてできたことないよ〜って言ってたはず。こんな美少女がずっとフリーという事実も疑わしいんだけど。


 ……私、春ちゃんのこと全然知らないなぁ。


 私の知らない十六年を覗いてみたい。でも、私自身にあまり覗かれたくない過去があるから、踏み出せずにいる。


 春ちゃんは友達だけど、やっぱりまだ距離を掴みかねているところがある。今日のデートで少しでも距離を縮めたい。


「風花ちゃんは映画ってよく見る?」

「私は……小四の時に来て以来かな」

「え、そんなに前!?」

「うん」


 当時はポケモンの映画を父と毎年見に来ていて、小五に上がってから行かなくなった。同時にポケモン以外の映画を見に行くこともなくなった。特に理由があったわけでもなく、ただなんとなく。


「家でもあんまり映画は見ないかな」

「じゃあもしかして今日映画じゃない方がよかった……?」

「え? いやそんなことないよ! 映画館の雰囲気とか結構好きだし」


 気を遣っているように聞こえそうだけど、これは本心だ。なんか非日常って感じでわくわくするし。

 というか春ちゃんが行きたいというなら趣味じゃない場所でも全然行く。昆虫カフェとか言われたらさすがにちょっと躊躇うけど、多分行く。


「それならいいんだけど」


 申し訳なさそうにする春ちゃんに胸が締め付けられる。

 私としては一緒に遊んでくれるだけで幸せなのだ。そんな、友達に言うには重い言葉は心に押し込んで、薄味にした本心を伝える。


「ほんとだよ。春ちゃんがまた来たいとき……誘ってくれたら嬉しいな」


 すると春ちゃんは嬉しそうに笑って、


「これからいっぱい、一緒に遊んでくれる?」


 この上なく欲しい言葉をくれた。


「うん。もちろん」


 今日、勇気を出して誘ってよかった。まだ目的の映画を見てもいないのにそんなことを思ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る