第7話

 ねむすぎる。


 入学式の日から一週間ちょっと過ぎ、授業にも、授業中に視界の左端に映る絶景をチラ見するのにも慣れてきた。


 なお寝不足が続いており、暖かさも相まって授業中はついウトウトしてしまう。まあ私に限って授業中に寝落ちてしまうなんて絶対にないんですけどね、って入学式の朝までは自身を持って言えていたんだけどなあ。


 体験入部期間が終わって、私と小山さんは正式に文芸部に入部した。結局陸上部や他の部活を見に行くことはなかった。毎日放課後には小山さんと文芸部に行って、本を読んで過ごしている。本を読むのも思ったより楽しくて、家でも小山さんに借りた本を読むようになった。


 ねむすぎる。


 日本史のおじさん先生の妙にテンションが高い声を聞いていると一層ねむくなってくる。


 社会科系の授業は苦手だ。というか暗記が苦手なので暗記が多い科目は全部苦手だ。初回の授業はそれなりに楽しめていたと思うけれど、新鮮さというものはあっという間に消え去ってしまうもので。早くも中学の頃と大して変わらないテンションで授業を受けることになっている。とはいっても中学の頃の授業なんてあまり覚えてないけど。


 ちらっと左を見る。綺麗な横顔。


 彼女を見ていると、自分のいる世界が本当に現実なのかわからなくなる。

 こんな夢みたいな女の子が私の知らないところで十五年も生きてきたことが信じられない。周りの人間が大騒ぎしてもおかしくない美少女っぷりだ。入学式の日に初めて現世に降り立ったとかじゃないと説明がつかないのではないか。


 彼女の中にも十五年の月日が積み重ねられているのだとしたらそれは、今私が見ているような夢みたいな日々なのか。それとも、私が過去に見てきたようなもっと人間らしい、現実的なものだろうか。


 小山さんのことを考えていたら授業が終わった。時間の進み方が全く違う。これを相対性理論というらしい。


「やっとお昼だねー」


 前の席の園山さんが気の抜けた表情で振り返る。


「そうだね」

「一緒にごはん行く? 小山さんも」


 私と小山さんの顔を順番に見ながら、園山さんが誘ってくれる。ありがたい。


「うん」


 小山さんも頷く。

 お昼は毎日三人一緒というわけではなくて、園山さんが他の子に誘われちゃったり、クラスメイトの子に小山さん(とついでに私)が誘われたり。


 この三人だけということもあんまりなくて、大抵は園山さんのお友達も一緒だ。

 小山さんと二人きりで食べたのは入学式の日が最後で、たまには二人きりがいいなぁと思わなくもないのだけど。


「せりりー、学食行く?」


 立ち上がった園山さんは、左前の席のあずまさんに声をかける。

 すると東さんはちょこちょこと歩いてこちらにやってくる。かわいい。

 この四人で学食に行くことが、いまのところ一番多い。


 中学ではそもそも学食がなくてお弁当とかだったけど、一緒に食べるメンバーなんてほぼ固定だった。ここでは周りを見てても、その日によって色んな人と食べる人が多いように思えた。ちょっと不思議な感じだ。


 東さん、東芹さんはこのクラスの委員長で、園山さんとは中等部時代からの友達らしい。身長が低く、綺麗な長い黒髪をしているお人形みたいな子だ。私もどちらかといえば背は低い方だけど、私よりも一回り小さく、おそらく学年で一番小さい。かわいい。


 園山さんはよく「芹」をもじった変な呼び方で東さんを呼んでいる。今回の「せりり」はかなり控えめな方だ。この間の「せーりんぐ」は笑いをこらえるのが大変だった。


 この四人で学食に行くことが今のところ一番多いかな。

 中学では一緒に食べるメンバーなんてほぼ固定だった。ここでは周りを見てても、その日によって色んな人と食べることが多いように思えた。ちょっと不思議な感じだ。


 四人で学食に行き、各々好きなものを注文して席に着く。私と小山さんが隣同士で、向かいに園山さんと東さんという形。


「あ! そういえばもうすぐ梨央先輩の誕生日なの! プレゼントどうしよう〜」


 園山さんは大抵矢吹先輩の話をするのだけど、話すのが上手かったり、東さんの反応がかわいかったりして結構聞いていて楽しい。入学初日は苦手意識を感じてたのに、慣れるものだなぁ。


「あー、そうだったね。去年は何にしたんだっけ」

「タオル……手作りしようとして結局だめだったから買いに行ったやつ……」


 なかなか青春しているらしかった。タオルって手作りできるんだ。

 私も小山さんに何かあげたりしたいかも……そのためには誕生日を教えてもらわないといけない。あとで聞こう。


「そういえば二人って誕生日いつ?」


 と思ってたら園山さんが聞いてきた。あとでの手間が省けた。


「私は二月二十四」


 ににんがし、で覚えやすいと思う。


「ふむふむ、小山さんは?」

「あー、えっと……」


 なぜか言い淀む小山さん。誕生日が言いづらいなんてことがあるだろうか。


「四月十七日、です」

「なるほど四月……って」

「今日?」

「はい……」


 確かに、それはちょっと言いづらいかもしれない。


「そうだったんだ! おめでとうー!」

「言ってくれたら何か用意したのに」


 小山さんは申し訳なさとか恥ずかしさが入り交じった顔をしていて、とてもかわいい。


 春って名前なら春生まれなのも納得だ。

 それにしても、今日ってことは何かあげようにも用意がない。後日でもいいかもだけど、そういうことじゃない気がする。当日になにかすることに意味があると思う。

 普段記念日的なものには無頓着な方だけど、小山さんの誕生日と言われたら別だ。今から何かできることはないだろうか。


「じゃあ、からあげ一個あげるね! ハッピーバースデー!」

「えへ、ありがとう」


 園山さんが園山さんらしいプレゼントをしている。

 小山さんの不意打ちの「えへ」で心臓にダメージを負ったけど、それどころではない。


「じゃあわたしは何か作ろうかな。ちょっと時間かかるかもだけど、待っててくれる?」

「そんな、いいよ」


 手芸部の東さんは手作りのものを渡すようだ。私には手作りで何かなんて無理だし、そもそも今日中に間に合わないならだめだ。


 何かを渡すなら、今日の放課後一緒にどこかへ出かけて、その場で何か買ってプレゼント、とか。ありかもしれない。


「ねぇ小山さん」


 自分から人を誘ったりするのは苦手だけど、そんなこと言ってられない。今は踏み出す時だ。今行かなくていつ行くのだと自分を奮い立たせる。うおおおお。


「放課後、時間ある?」

「え? あるけど」


 文芸部に行く予定なんだからないわけがないと聞いてから気づく。落ち着け。


「どこか遊びに、っていうか、買い物っていうか」


 下手すぎる。


「……一緒にお出かけしてくれるの?」

「うぇっ」


 そんなにキラキラした目を向けられると変な声が出ちゃいます。


「そこでプレゼントとかも買えたらいいなと……」

「えー、お出かけだけで嬉しいよ?」


 なんでそんなに嬉しそうにするの? 嬉しいけど! 体が熱すぎて痒くなってきた。


「いいなー! わたしも行きたーい!」

ひかりちゃんは部活でしょ?」

「う」

「わたしも行きたいんだけど、今日は用事があるから」


 園山さんと東さんは来れないらしい。

 つまり二人きりだ。


「いいなー、わたしもデートしたいなー」


 デートて。デートて。


「デート……」


 小山さんはそう呟いて、少し下を向いて黙り込む。


 え、これデートなの? 東さんも特に何も言わないし。

 イマドキの女子はこういうお友達同士のお出かけもデートって言ったりするのかな。


 デートって意識するとなんか緊張してきて、顔が熱くなってきた気がする。

 必死にゆるめの笑顔を作って、心を落ち着かせる。作れているだろうか。顔が真っ赤になっていないことを祈るばかりだった。




「放課後に遊びにいくなんて久しぶり」

「うん、私も」


 私たちは学校の最寄り駅にくっついているショッピングモールに来ていた。ここにくるのは初めてだ。


「何か欲しいものあったら言ってね」

「ほんとに何か買ってくれるの?」

「うん。あんまり高いのは厳しいかもだけど」


 小山さんは「気持ちだけで嬉しいのに」と言いながらにこにこと楽しそうにしている。


 小山さんが笑ってくれるのは嬉しいけど、何に喜んでくれているのかよく分からないのは困る。単に寄り道が楽しいのか、それとも、私と一緒だから、なのか。


 私は特別自意識過剰な人間ではないと思うけど、そう思ってしまってもしょうがないぐらい、小山さんが私に向ける表情は眩しく輝いていた。


 いや、小山さんはどんな表情でも輝いているか。


 とにかく、とっても楽しそうなのだ。

 一方私はというと夢心地で楽しさなど感じていられなくなっている。幸せではある。


 これから先こんな風に二人で、色んなところに遊びに行けるのかな。誘ったら今日みたいに喜んでくれるのかな。


 次のことを考えるのはまだ早いけど、小山さんの隣を歩く未来を想像すると、つい顔が綻びそうになる。


 明るい未来を想像しながら生きていけるのは、何よりも幸せなことだ。


 しばらく適当に歩いていると、ある洋服店の前で小山さんが足を止めた。


「入る?」

「あ……ううん、ちょっと気になっただけ」

「そう?」


 気になるなら入ればいいのに、と思うも小山さんはすぐに歩き出してしまう。

 私は服にあまり、というか全然興味がない人だけど、それを察して気をつかってくれたとか? 小山さんと一緒ならどこでも嬉しいんだけど。それこそもし小山さんを自由に着せ替えしていいと言われたらテンションが上がる。


 思えばこういうところって、友達に連れ回されたことはよくあったけど、自分から何かを買ったことはなかったかもしれない。友達付き合いの一環として、その場を乗り切るために周りに合わせて何かを買うことは多かった。


 でも今日は私の意思で、小山さんに、お友達にプレゼントを買うのだ。

 うまく言葉には表せないけど、なんかいいな、と思う。こういうの。


「あ、これかわいいかも」


 何軒目かで入った三百円ショップで、小山さんが目を止めたのはひよこのストラップだった。ひよこもかわいいけどひよこに頬を緩める小山さんもかわいい。


「これにする?」

「そうしようかな」


 手触りが気持ちいいのかもちもちと両手で挟み込んで遊んでいる。かわいい。


「じゃあ買ってくるね」

「うん」


 あ、確かに触り心地いいな。持ってるとついいじってしまう。


「はい、お誕生日おめでとう」

「えへへ、ありがとう。大事にするね」


 かわいいなぁ。にやついてしまわないように顔に力を入れる。

 小山さんはその場でそれをカバンに付けた。元々付いていたクマのストラップと並んでとてもかわいらしい。


「どうかな?」

「うん。かわいいと思う」


 小山さんが、とは言わないでおいた。


「また、遊びに来たいな」


 熱を持って膨らんだ思いは、溢れるように私の口から出ていってしまう。言葉になって晒された思いは、私の体を外からも熱くした。


「うん。もちろん」


 そう笑った小山さんは熱さをも包み込む、優しい春の日のようだった。

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