第5話

「高瀬さん、ゲーム好きってほんと?」


 自己紹介の時間が終わって休み時間に入ると、真っ先に園山さんがそう聞いてきた。真顔で。


 どういう意図の質問なのかわからないけど、とりあえず聞かれたことに答えることにする。


「うん。あんまり色々やるタイプじゃないけど」


 浅く広くというよりは狭く深くやる方だ。そういう人が「ゲームが好き」と公言するのはもしかしたらまずかったかもしれない。


「どんなゲームするの?」


 依然真顔で感情が読めないまま、園山さんが問う。

 園山さんもゲームするのかな。それにしては表情が険しめだけど。昨日も朝もあんなにキラキラとした明るい表情をしていたのに、急にどうしたんだろう。


「えっと……」


 私は今一番ハマっているシューティングゲームの名前を答えた。変に濁したりするとあとから困りそうだし。

 かなり有名な全年齢向けのゲームだけど、知ってるかな。


 そう思っていると、みるみる園山さんの目が輝き出す。


「ほんと!? 私も! 私もやってるの!」


 勢いのまま両手を握られ、顔を近づけられる。そこらへんの男子なら一発で落ちそうな、ガチ恋距離というやつだった。


「そ、そうなの」


 気圧されつつも、同じゲームが好きなことが嬉しくなる。


「ごめん、興奮しちゃって、この学校ゲーム好きな子全然いないから、うれしくて」


 謝りながらもがっちりと握った手を離す様子はない。別にいいんだけど。

 頬を紅潮させて、昨日の矢吹先輩の話の時よりもテンションが上がっているようだった。


「そうなんだ。あの、よかったら今度一緒にやる?」


 オンラインで一緒にできるし。逆にゲーム機一つで複数人プレイってできるんだっけ。やろうとしたことないからわからなかった。


「やるぅ……」


 手を握られる力が強くなる。ちょっと痛い。けど嬉しい。


「じゃあ、週末にでも」

「うん……うん……」


 よっぽどゲーム仲間に飢えてたんだろうな……

 でも私も、ゲーム友達ができるとは思ってなかった。この学校にあまりゲーム好きがいない、というのは結構しっくりくる。一通り自己紹介を聞いた感じ、上品なお嬢様っぽい人が多いし。お嬢様はゲームなんてしない、というのも偏見だけど。

 というわけで、入学後初めての週末に楽しみな予定ができた。未来は明るい。




「小山さんはゲームとかしない?」

「あんまりしないかなぁ。ゲーム機持ってないし」

「そっか〜」


 園山さんが落胆する。同時に私も心の中で落胆する。


 お昼休み、園山さんと小山さんと三人で食堂に来ていた。

 園山さんが私と小山さんを誘ってくれたのだけど、小山さんの人気っぷりから一緒にごはんを食べられるか不安だったので助かった。


 小山さんは休み時間中たくさんの人に話しかけられていた。一方で私はずっと園山さんと話していたんだけど、隣の小山さんとクラスメイトの問答は嫌でも耳に入ってきた。だから小山さんに関する情報がそこそこに手に入ってしまった。


 ロシア人だというお祖父さんには会ったことがないこと。

 モデルやアイドルなどの芸能活動はしていないこと。ほんとに?

 趣味は読書であること。これは先に知ってた。ちょっと優越感。


 そして一番気になった、というか印象に残ったのは、髪を触られるのが苦手ということだった。髪触ってもいい? というクラスメイトに対して、そう断っていた。

 間違っても触れてしまわないよう、気をつけないといけない。


 そんなこんなを聞き取りながら園山さんとも楽しくおしゃべりして、午前の三時間が終わって今に至る。


「本以外に好きな物ってある?」


 なんて聞いてみる。何気ない質問だろうけど、私にとっては慣れない発言だった。今まで人のことを知ろうとしてこなかったのだと自覚する。こんなに知りたいと思う人は初めてだった。


「んー、なんだろ」


 小山さんは思いのほか考え込む。困らせてしまっただろうかと少し不安になるけど、小山さんはすぐに笑顔に戻って答えてくれる。


「ドラマとかは見るかな。でもだいたいずっと本読んでるかも」

「そうなんだ」


 物語が好きって感じなのかな。


 私は飽きやすいというか、同じことをずっと続けていられないタイプで、数週間ごとにやりたいことがぐるぐるとまわる。ゲームの気分だったり、漫画を読みたくなったり、音楽を聴き漁りたくなったり。傾向に偏りが見られるのは置いといて。

 つまり一つのことに熱中する小山さんとは違うタイプということだ。少し気分が下がる。


「そういえば本渡してなかったね。放課後でいいかな?」

「あ、うん」


 朝「あとにするね」と言われて、それから話していなかったからまだ受け取っていなかった。


 放課後、今日も文芸部に行くのかな。

 私、本当に文芸部に入るのかな。


 部長さんも小山さんも、私がろくに本を読んだことがないと知っても構わず歓迎してくれた。だからって、本当に入ってしまっていいのかな。他の部員の人とかはどう思うだろう。ほとんど来ないらしいけど。


 昨日よりは冷静な頭が、文芸部に入ることに抵抗……というか躊躇を示し始めている。


「今日も文芸部一緒に来てくれる……?」

「うんっ、もちろん」


 そんなかわいくお願いされたら行くしかないですけど。


 体験入部期間は来週いっぱいまであるし、それまでに決めればいいや。

 結局今日も適当になって、いいなーと羨む園山さんの視線を浴びながら、ごはんの残りを急ぎめに食べた。



 

 午後から始まる入学後初の授業科目は体育だ。なんでだ。

 一年A組の時間割は水曜日の四時間目が体育だから。それだけだった。


 着替えのために早めにごはんを食べ終えて、午前中の学校案内でも来た更衣室に入る。


 この学校の更衣室にはなんと、洋服屋の試着室みたいな個室がクラスの人数分ある。新しめの学校は設備が充実してるなあ。

 そのせいか、中学とは違って2クラス合同でやったりはできないそうだ。

 個室の中には鏡まである。本当に試着室をそのまま持ってきたみたいだった。


 さくっと学校指定のジャージに着替えて、グラウンドに出る。

 途中、目に入った光景に変な声が出そうになった。


 小山さんが、髪を結んでいる。


 ジャージ姿で綺麗なポニーテールを揺らす小山さんは、制服姿とは一風変わって、フェチズムのようなものを刺激する。

 なんていうか、めっちゃいい匂いしそう。


 話しかけたいなと思ったけど、すでに他の子とお話していた。こういう時に遠慮してしまうの、よくないと思いつつもなおせそうにはない。


 そして始まった体育の授業。別に体育が嫌いなわけじゃないけど、この一年間ろくに体を動かしていなかった私にとっては試練とも言える。


 とは言っても初回だし、ゲームで言うところのチュートリアルみたいなもので大した運動はしない。はずなんだけど。


「はぁ……はぁ……」

「高瀬さん、大丈夫?」


 盛大に息を切らして膝に手をつく私を園山さんが心配してくれる。


「大丈夫……じゃないかも」


 中学の頃より少し狭いグラウンドを、五週ランニングしただけでこの有様だった。

 陸上部に行かなくなってから全くと言っていいほど運動してなかったとはいえ、明らかに体力が落ちていた。100mも全力で走りきれなくなっているかもしれない。


「高瀬さんって陸上部だったんだよね?」


 うっ。


「もともと体力は全然なくて……短距離しかできなかったし……はぁ……」


 短距離すらできなさそうだけど、という園山さんの視線を感じる。いや嘘はついてない。200m全力で走りきるぐらいはできたのだ。


 ただここまで体力が落ちた具体的な原因を話すのもアレなので、誤魔化す感じになってしまう。


「具合悪いなら言ってね。保健室連れて行ってあげるから」


 そういえば園山さんは保健委員になっていた。体調が悪くなったら園山さんに言えばいいと思うと気は楽だ。


「ありがとう、大丈夫」


 こんな状態だけど、久しぶりに走るとやっぱり気持ちよかった。体力はなくても、体を動かすのは嫌いではない。それを思い出せた満足感みたいなものは確かにあった。


 陸上部も案外悪くないのかも、なんて思ってしまうほどに。


 それでも私は……


 息を整えながら見るのは、小山さんの走る姿。

 ポニーテールを揺らしながら、綺麗な姿勢でグラウンドを周る様は芸術だった。露出した白い耳は、見てはいけないもののような気がして直視できない。美しすぎる。


 他の休憩中の子たちも小山さんを見ている、気がする。みんな結構固まって走ってるからそんなことないかも。


 最初のグループ分けで小山さんと一緒になれなかったときは少し落ち込んだけど、一緒に走ってたらこの姿は見られなかった。そう思うとこれでよかったのかもしれない。園山さんとは一緒だし。


 小山さんが走り終える頃には呼吸も整っていた。


 授業の最後は短距離走だ。

 本職はこっちですから、と誰にでもなく言い訳をする。50mぐらいだし流石にいけると思う。


 出席番号順に二人ずつ走るということで、私のペアは園山さんだ。今日ずっと園山さんと一緒にいるな。


「そういえば園山さんって陸上部の種目なに?」

「短距離と、たまにハードルかな」

「園山さんも短距離なんだ」

「ふふ、勝負する? 高瀬さんも短距離だったんでしょ」


 園山さんは可愛らしい不敵な笑みを浮かべる。

 勝負……正直今の自分がどれぐらい走れるのかわからない。というかさっきの感じあんまり期待できないんだけど、楽しそうではある。


「うん、やろう」


 もともと並んで走るのだから自然と勝負にはなりそうだけど、要は手を抜かないということだ。


 順番が回ってくるのはあっという間で、少し、いやかなり緊張する。大会で走る前もこんな感じだったなぁと少し懐かしむ。


 ここまで全員スタンディングスタートだったけど、私たちは並んで膝をつき、クラウチングスタートの構えをとる。


 スタートラインに手の位置を合わせると、あの頃の感覚が蘇ってくる。


「位置について」


 視線を固定する。


「用意」


 膝を地面から放す。少し腕が震えた。


 パァン! と先生がスターターピストルさながらの音を拍手で鳴らすと同時に、地面を後ろに蹴り出す。


 前だけを見て、足を素早く回すことだけを考える。久しぶりの感覚だった。


 50mを駆け抜け、園山さんとほぼ同時にゴールラインを超えた。


 勢いの殺し方がわからず随分長くオーバーランして、大きく旋回して戻ってきた。


「これ、どっち?」

「わかんない……けど、高瀬さんすごい、速い!」

「えへ、じゃあ引き分けかな……ぜぇ……」


 息切れ具合から園山さんの勝ちでもよさそうだけど、園山さんは嬉しそうに頷いた。そして私の背中をさすってくれる。


 スプリントは思ってたより衰えてなかったらしい。にしてももうちょっと体力は付けるべきだなぁ。


 終わった人たちの列へ向かいながら、横腹の痛みと背をさする手の温かさを暫し感じた。




 残りの座学系の授業も大したことはせず終わり、すぐに放課後になった。

 解散後すぐに、小山さんが控えめに話しかけてきてくれた。


「高瀬さん、文芸部行く?」

「うん」


 お昼にも行くって言ったような気がするけど、気にしないでおく。

 陸上部へ向かう園山さんとバイバイして、二人で文芸部室へ向かう。私たちの他に文芸部に入る子とかいないのかな。昨日は見なかったけど。


「高瀬さん、足速くてびっくりしちゃった」


 部室へ向かう途中、小山さんが呟くようにそう言った。


「まあ元陸上部ですし」


 驚きと照れにより口調が少し変になってしまう。足が速いのを褒められて喜ぶとか、小学生みたいで恥ずかしいな。


「……ほんとに文芸部でいいの?」

「え」


 何度も自問したことを、小山さんが問うてきた。


「やっぱり陸上部の方がよかったり、とか」


 不安そうな表情から心配してくれているのがわかる。

 客観的に見ても、私に文芸部は合っていないのだろう。本が好きなわけでもなく、中学では運動部に入っていたというのだから当然だ。


 体育の授業で体を動かして、私も走る楽しさを思い出した。仲よくしてくれる園山さんもいる。どこかに入るというなら、陸上部が妥当だと自分でも思う。


 それでも私は……


「新しいこと始めてみたいし、文芸部入るよ」


 嘘ではないけど、大元の動機は伏せておく。


 私は小山さんと違う。園山さんみたいに共通の趣味もない。だからこそ、彼女との繋がりを、文芸部という場に持っていたい。そう思った。


「……嬉しい」


 まるで独り言のように、けれど確かに私に聞こえるように、小山さんはそう言った。


 多分、それを聞いた私の方が嬉しい。


 高鳴る胸に合わせて、足取りも少し軽くなったような気がした。

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