第4話

「おはよー! 高瀬たかせさん」

「おはよう」


 登校二日目の朝、教室に入ると元気な園山さんの挨拶に出迎えられた。

 小山さんと会うということを意識しすぎて、他の人と会うことを考えていなかった。しっかりしてほしい。


 隣の席を見るも、当の小山さんはまだ来ていないらしい。


「小山さんならまだ来てないよ」

「え、そ、そっか」


 視線で小山さんのことを気にしてるのがバレたようで、少し恥ずかしくなる。


 昨日はあんなに早く来ていたし、今日も早く来てるかなーと思ってたんだけど。クラスのほとんどの人はもう来ていて、来ていないのは小山さん含めて数人というところだ。やっぱり真面目な子が多いのかな。それとも新学期だからとみんな気を引き締めて早く来ているのか。


「文芸部、どうだった?」

「んー、結構いい感じだったかも」


 正直活動自体にはそこまで興味ないけれど、小山さんと過ごす時間はとても良いものだった。


「やっぱり陸上部には来ない?」

「えっ、あー、うーん……」


 そんなふうに悲しそうな顔で問われると、こっちも少し胸が痛くなる。明るい印象が強い園山さんのそういう表情は、かなり攻撃力が高い。


 文芸部と陸上部。小山さんを考慮しなければ、入りたさは同じぐらい? かな。というか一人ならどっちにも入らないと思う。


「無理に誘っても困るよね。ごめんね、気にしなくていいから」


 からっと笑って園山さんが言う。


「あ、うん。こっちこそごめんね」


 園山さん、矢吹先輩の話をしてるとき以外は完全に良い子なんだよね。明るくて優しくて、かわいい。


「おはよう」

「あ、小山さん。おはよー」


 ハッとして左隣を見ると、そこには小山さんが立っていた。

 昨日と変わらない、幻想的な佇まいだ。周りの空気が変わったように錯覚する。


 見るからにサラサラな薄茶色の髪。見るからにすべすべな手や顔の白い肌。

 触れてみたいけれど、もし触れたら神の裁きでも受けそうなほど繊細で綺麗だ。


 夢か幻覚だったんじゃないかと家で何度も疑ったけれど、確かに小山さんは記憶の中と同じ姿で存在している。その事実に感動のようなものさえ覚えてしまう。


「おはよう、小山さん」


 少し遅れて私も挨拶する。


「高瀬さん。昨日言ってたおすすめの本、持ってきたよ」

「ほんと? ありがとう」

「えっと……」


 小山さんが鞄から本を取り出そうとすると、担任の先生が教室に入ってきた。時計を見るとあと二分ほどでホームルームが始まる時間だった。


「あとにするね」


 結構ギリギリに来たなぁ。昨日はどうしてあんなに早かったんだろう。昨日聞いておけばよかったかも。


 間もなくチャイムが鳴って、ホームルームが始まる。

 午前九時。私が昨日間違えた時間だ。


 もし間違えずに来ていたら、小山さんとこうやって話すこともなかったかもしれないのかな。文芸部なんて見学すら考えなかっただろうし。そうしたら園山さんと一緒に陸上部に入ることになっていたかもしれない。


 どれだけ考えたって、得られなかった方の未来なんて知りようもないのだけど、昨日からそんなことばかり考えてしまう。


 私は素敵な未来へ進めているだろうか。

 隣に座る小山さんをチラチラと横目で見ながら、ぼんやりと考えている間にホームルームは終わった。


 そして一限目はそのまま委員会決めを行うらしい。本格的に授業が始まるのは今日の午後からで、午前中は決めごとや学校案内などに当てられると言っていた。


 先生が黒板に委員会の名前を間隔を空けて書き連ねていく。その間、クラスのみんなは何に入ろうかとお喋りに興じている。


 昨日もそうだったけど、女子校だからなのかこんなふうにみんなが喋っててもあんまり騒がしく感じない。女子校だからというよりは、そういう大人しめの子が多いってだけかな。少なくとも中学の時みたいに甲高い声で騒ぐ人はいない。

 嬉しいことだけど、これはこれでなんとなく落ち着かない。すぐに慣れるかな。


 委員会かぁ……そういうの、中学の頃は張り切ってやっていたけど、今となってはその熱意がどこから湧いていたのかわからない。

 必ず何かに入らないといけないわけではないそうだし、入らなくていいかなとは思ったんだけど。


 小山さんが入るならあるいは……


 ほとんどの委員会の定員はクラスにつき二名。その枠に二人で入ることができれば……?


「ねぇ、小山さん」


 己を奮い立たせ、声をかける。幸い小山さんは他の子と話したりしていなかった。小山さんが反応してこちらを向くと、どきりと胸が鳴る。


「小山さんはどこか入る?」


 問うと小山さんはこちらを見たまま黙り込んだ。

 なにか変なこと言ってしまったかと怖くなるも、沈黙は長くは続かなかった。


「どこか一緒に入る?」


 想定の二手ぐらい先の返答に、思考が一瞬固まる。


「え、あ、えっと……だれも入らないとこがあったら、一緒に、とか」

「うん、いいよ」


 小山さんは嬉しそうに微笑んだ。ずるいぐらい可愛くて、胸がきゅっとなる。


 私の高校生活は早くも輝きだしている。小山さんが放つまばゆい光を反射してるだけだけど、それでも輝きは輝きだ。明るくて温かい。


 誰かと一緒にいることがこんなに嬉しいなんて、久しぶりの感覚だった。




 結局ほとんどの委員会は中等部からいる子で埋まって、小山さんも私もどこにも入ることはなかった。少し残念ではあるけど、私と一緒に委員会に入ってもいいと言ってくれたこと自体が嬉しい。それに委員会ってなんだかんだでめんどくさそうだし、これでよし。


「早く決まりすぎて時間がだいぶ余っちゃったわねぇ」


 先生がふわふわと言う。

 時計を見ると授業時間が終わるまでまだあと半分近くある。大抵の委員会はすっと決まって、希望者が多いところも譲り合いやジャンケンで滞りなく決まった。


 中学の頃は誰もやりたがらない委員会が多くて、押し付け合いになったりしていた。私はさっさとどこかに入ってしまってその光景を見ているばかりだったけど、ここではそういう争いごとも少なそうで良い。


「じゃあせっかくだし、みんな自己紹介でもしましょうか」


 んんんんんんんんんんん。


 ほわほわとした笑顔で先生が放った言葉に、この学校で初めてマイナスの感情を抱いた。気がする。


 自己紹介。悪しき文化である。


 人のを一方的に聞くのは好きなんだけど、自分がするのは本当に苦手だ。特に話すこと無いし。


「お互いに知ってる人がほとんどだと思うけれど、新しく入った子たちのためにもね。お名前と、何か一言。一人ずつ言っていきましょう」


 周りのみんな、ほとんど内部生なんだろうけど、自己紹介に抵抗はなさそうだ。緊張してるの、私ぐらい?


 先生がそれじゃあ番号順にいきましょうと言ってすぐ、一番左前の席の子が立ち上がる。

東芹あずませりです。えっと、委員長として一年間頑張ります。よろしくおねがいします」


 ぺこりと頭を下げて、同時にふわりとした拍手が起こる。


 東さん。クラスで一番背が小さくて可愛らしいけど、しっかり者で中等部の頃から委員長をやっていたらしい。それで今年も委員長。

 園山さんと仲よさそうに話しているのを昨日見たから、多分お友達なんだと思う。


 続いて席順にどんどんと自己紹介が進む。みんな緊張している様子はあまりない。なんでだ。

 一方で私の心臓の音は大きくなっていく。


 自分の番のとき何を言うか、考えようとするもみんなの自己紹介を聞きながらだとうまく思考が回らない。


 ぐわんぐわんと脳みそを動かそうとしていると、小山さんの番が回ってきた。

 これは聞かないといけない。いやここまで全員ちゃんと聞いていたけど、余計な思考を止めて聞くことに集中する。


 前の人が座ってから、小山さんはおもむろに立ち上がった。その表情は少し緊張しているように見える。


「小山春です」


 落ち着いた口調。綺麗な声。


「祖父がロシア人のクォーターです。えっと……よろしく、おねがいします」


 後半は少し早口になって、言い終えるとすぐに席に座った。やっぱり結構緊張してたのかな。

 拍手しながら、私だけじゃなかったと少し安心する。失礼かもしれないけど。


 クォーターであることは昨日聞いたけど、そのルーツがロシアであることは聞いていなかった。ロシア人にはこんな髪色の人もいるんだ。改めて髪を眺めると、思わず見とれてしまう。色だけでなく、質感も綺麗なのだ。


 ぱちぱちと拍手が鳴るのが聞こえて、次の人の自己紹介を聴き逃したことを知る。やってしまった。

 小山さんが絡むと頭がちゃんと動かなくなる。早く慣れないと。慣れるのかな。


 ぽんぽんと自己紹介は進み、目の前の園山さんの自己紹介も終わって、私の番が回ってきた。緊張が高まりすぎて園山さんが言ったこともほとんど頭に入ってきていない。


 園山さんへの拍手が止むと同時に立ち上がる。新顔だからか他の人より注目されている気がしてならない。余計に緊張してくる。


「高瀬風花です。趣味は、ゲームです」


 広い。


「よろしくお願いします」


 浅めに頭を下げて、さっさと座る。


 大っぴらに言える趣味がゲームぐらいしかなかった。のだけど、ゲームも大っぴらに言うものではない気がしてきた。もう遅いけど。


 少なくとも変ではなかったと思う。順番も真ん中で印象も薄そうだし。大丈夫大丈夫。


 そんなことをぐるぐる考えていると、また次の人のを聴き逃した。反省してほしい。ごめんなさい後ろの席の人。

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