第3話

 普通、入学式の日から部活動ってやるものだろうか。中学の頃はどうだったか、思い出そうとしたがよく覚えていなかった。


 入学式後、少しのホームルームの後解散となって部活動見学ができる時間になり、そんなことを考えながら小山こやまさんと目的地に向かっていた。


「ほんとによかった? 予定とか……」

「ううん、全然大丈夫。私もちょっと気になるし」


 気になるのは部活動に対してじゃなくてあなたに対してなんですけど。


 小山さんはなんと部活動見学に一緒に行かないかと私を誘ってくれた。もともとついて行くつもりだったけど、私とは縁がなさそうな部活すぎて口実に困っていたから助かった。


「失礼します」


 文化部の部室が集まっている校舎の南側の一室に、小山さんがノックをして戸を開ける。

 教室よりも一回りほど小さい部室の中は、壁面がほとんど本棚で埋まっており、本や冊子が敷き詰められていた。


「あら、入部希望の子?」

「えっと、入部希望っていうか、見学してみたくて」


 小山さんが気になると言っていた部活は、文芸部だった。

 音楽部や美術部に比べれば、私の中ではまだハードルが低い気がするから、入部することになってもギリギリ大丈夫だと思う。多分。


「初日から来てくれるなんて嬉しい。でも見学といっても、活動はみんな個人でやることが多いから、ここで見せられることってそんなにないかも。ごめんねぇ」


 出迎えてくれた先輩はそう言って、両手を合わせて困ったように笑う。四角いメガネとすらりとした手足から堅くクールな印象を受けるルックスだけど、声や話し方、仕草は柔らかくて掴み所がない。さっきの部活紹介で舞台に上がっていた時はもう少しキリッとしていた気がする。


「わたしは三年で、部長の萩原はぎわらです」


 ぺこりと頭を下げる萩原さんに続いて私たちも自己紹介をする。

 とりあえず椅子に座らせてもらい、大まかな活動内容を聞くことになった。


「さっきの部活紹介でも聞いたと思うけれど、うちの主な活動は三ヶ月に一度発行する機関誌の制作ね。各々好きに作品を載せるの。小説やエッセイでもいいし、俳句とか短歌とかの詩でもいいし。それに参加してくれれば、あとは自由に活動してもらって構わないわ。必ずここに来て書かなきゃいけないこともないしね」

 今日もわたししか来てないし、と萩原さんはちょっと寂しそうにしていた。


 思ったよりもゆるいらしい。けど、三ヶ月に一作というのがどれくらい大変なのか想像がつかない。


「あの、今までの機関誌を見せてもらうことってできますか?」


 ここで小山さんのファインプレー。どれぐらいの文量を書くのが普通なのか確かめられる。


 もちろん、と言って萩原さんは角の棚から冊子を数冊抜き出し、私たちの前に置いてくれた。


 一冊取って中を見ると、全部で六作品載せられており、すべて小説のようだった。それも数ページ程度の短編もあれば、何十ページにも渡る長編もある。


 ただ、少し読み進めても、普段から小説を読まない私にはその善し悪しまでは判別ができない。こんなド素人が入部してしまってもいいものなのだろうか。


「わたし読むのは結構好きなんですけど、書いたことってなくて。それでも大丈夫でしょうか?」


 小山さんが訊ねる。私に至っては読むのも初心者ですが。


「もちろん! 困ったらいつでも相談してくれていいし、ここには小説の書き方が書いてある本もいっぱいあるし」


 むしろ初心者と聞いて嬉しそうだ。「私小説ほとんど読んだことないんですけど」って言ったらもっと喜んでくれるだろうか。困らせてしまう気がするからやめよう。


高瀬たかせさんは、経験あったりするの?」


 やめようと思ったらこれです。まあ話の流れからして聞かれるのは当然か……


「えっと……実は書くどころか読むこともあまりなくて……」

「そうなの?」


 そう言う萩原さんの表情からは心境を読み取れない。さすがに迷惑だろうか……


「高瀬さんはわたしの付き添いで来てくれたんだよね」

「えっ」


 小山さんに(たぶん)慈愛に満ちた笑顔を向けられ、嬉しさやら申し訳なさやらがあふれ出してくる。付き添いというかなんというか、私が小山さんと一緒にいたいだけで。とてもそんなことは言ってしまえない。


「そうだったの。でも、うちは初心者さんも歓迎だから、興味を持ってくれたら嬉しいな」


 優しい人しかいないのかここには。


「はい、ありがとうございます」


 感謝を述べるのはおかしいかもしれないけど、思わず口に出てしまった。


「ここにある本も好きに読んでいいから、ゆっくりしていってね」


 そう言われた私たちは、お言葉に甘えてここでしばらく本を読むことにした。私はとりあえずミステリー小説っぽいのを手に取った。なんか面白そうだし。


「小山さんは普段どういうの読むの?」

「うーん、割と色々読むけど、好きなのは青春ものかなぁ」


 青春もの、と聞いても具体的な作品が何一つ思い浮かばない。それぐらい今まで小説というものに触れてこなかった。


「よかったら今度教えてほしいな。小山さんの好きな本」


 これっぽっちのお願いをするのにも、ひどく緊張してしまう。悟られてはいないと思うけど。


「うん、いいよ。明日いくつか持ってくるね」

「ほんと? ありがとう」


 不思議な感覚だ。話す度に緊張するのに、もっと話したい、一緒にいたいと思う。


 読み始めた本の内容はあまり頭に入ってこない。それは単に小説を読み慣れていないせいなのか、隣に座る彼女に意識が吸われているせいなのか。多分両方だ。




 一時間ほど読書に耽った後(私は耽れてなかったかも)私たちは部室を後にして校内にある食堂に来ていた。人生初の学食というものに少々テンションが上がっている。


「文芸部、どう?」


 なんて聞いてはみたけど、ほとんど本を読んでいるだけだったのでどうもこうもないかもしれない。


「どうしようかな。入ってみたいとは思うけど、やっぱりちょっと不安かも」

「不安?」


 不安って、やっぱり執筆のことかな。それは私もやってみないとわからない。


「……高瀬さんは? 他に気になる部活とかない?」

「え、私? 私はないけど」


 ってさっきも言ったよね……?


「そっか……」


 小山さんは俯き気味になって、黙ってお箸を口に運び始める。

 あわ、私なにかまずいこと言っちゃったかな、えっとえっと……


「他の部活も見学してみる?」


 部活動見学の期間は十日ぐらいあるはずだから、明日以降も色んな部活を見て回れる。


 小山さんは顔を上げたけれど、やっぱりどこか浮かない顔をしている。そんな顔も魅力的で、薄い雲の向こうでぼんやりと輝く月を思わせた。


「わたしは、入るなら文芸部がいい、けど……」

「けど?」

「高瀬さんは……高瀬さんも文芸部に入る?」

「え」


 ただの確認のような口調だった。けれど話の流れを汲むと、それは私への望みのようにも聞こえてしまった。

 聞こえてしまったから、というわけでもないけど。


「……小山さんが入るなら、私も入ろうかな」


 紛れもない本音を、冗談っぽく言ってみる。ちゃんと冗談っぽくできているかはわからない。


「ほんと?」


 小山さんは心配そうにこちらを見つめていた。冗談っぽくは失敗したらしい。けど、引かれた様子もないので安心する。


「うん。部長さんも歓迎してくれてたし」

「高瀬さんが一緒なら心強いな」


 そう言って小山さんは柔らかく破顔した。

 う、真正面からの笑顔は威力が高すぎる。体がバッと熱くなる。


 私は熱を冷ますように水を飲み、勢いのままごはんを食べ進めた。


 もうちょっと色々考えて物事を決めていくべきな気がするけど、彼女の前で冷静は無理なので一旦諦めることにする。


 先にごはんを食べ終わった私は、スマホを弄るふりをしながらずっと小山さんをチラチラと見ていた。可愛いなぁ。

 そんな時間は長くは続かず、小山さんもすぐに食べ終えてしまう。少し名残惜しいけど、きっと明日も一緒にごはんを食べられると思うと前向きになれた。

 



 小山さんは電車通学で、使う路線も方向も同じだった。神は私に味方したのだ。途中までだけど一緒に帰ることができた。


 帰り道と電車内では朝みたいな他愛ない会話をし、私が降りる駅の四つ前の駅で小山さんが降りていった。


 なんだか、今朝電車に揺られていた時のことが遠い昔のように思える。小山さんと出会ったことで、世界が別物になったみたいだ。


 自宅に着くと、鞄を置いてすぐ部屋のベッドに倒れ込んだ。

 自分の部屋の匂いが、私を現実に連れ戻すように包み込む。目を閉じて深呼吸して、また目を開けると夢から覚めたような気分だった。


 体ははっきりと疲れているのに、頭の方が勝手に小山さんのことを何度も思い返して、一向に休もうとしてくれない。


 誰かにこんなに夢中になるなんて初めてだ。

 ゲームとか漫画とかにハマった時よりも強く、頭の中が埋め尽くされている。


 頭に残る彼女の面影は、考えれば考えるほど曖昧になっていく。

 幻想的とまで言える彼女は、目の前にいないと本当に幻だったような気がしてしまう。


 すると自然に、また会いたいと、この目で見たいと思ってしまう。

 会いたいと意識すると、往年の女性歌手のラブソングのサビが勝手に脳内再生された。


 これじゃまるで、恋してるみたいだ。


 自分には縁の無いはずのその言葉を、しつこく流れるラブソングと一緒に頭から追い出した。


 代わりに好きな曲でも聞こうと、スマホのプレイリストを適当に再生する。何度も聴いた大好きな曲に、ひと時の安心を覚えたのもイントロの間までだった。

 今まで大して気にしていなかった歌詞が、意味を持って頭に入り込んでくる。


 この曲、こんなにロマンチックなこと言ってたんだ……


 音楽はだめだ。


 そう思ってゲームをしてみたり、漫画を開いてみたりしたけれど、どれもろくに集中できない。脳裏に浮かぶ彼女の面影を通して、楽しいや面白いと言った感情が違うものに形を変えていく。


 本当に世界がまるっきり変わってしまったのかもしれない。

 空が桃色になっていたり、街に不思議な生物が溢れかえっていたりしたらわかりやすいのだけど、その様子はない。


 だとしたら変わったのは……私か。


「はぁ…………」

 とりあえず、早く明日が来てほしい。

 素敵な学校で、素敵な人と出会って、少し心が浮ついているだけで、時間が経てば落ち着くはずなのだ。


 突如姿を変えた世界に混乱はあれど、悪い気分ではなかった。


 枕を抱きしめて、目を閉じる。

 もし小山さんをこんなふうに抱きしめたら……とか、無意識に思ってしまうぐらいには重症だった。

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