第20話 彼は魔王を導く者

「私としたことが、まさかお前に遅れを取るとはな。全く、情けない」

 どうして正面から勝負を受けたんだ。と聞こうと思ったがやめた。そんなことを尋ねても、きっとミランダから答えは返ってこない。

「とどめを刺さなくていいのか?」

「もうあんたは戦えない。勇者としてのあんたは殺したさ」

 ミランダは力なく垂れる右腕を見遣って、ため息をついた。

「ふん、力を入れても全く動かん。確かに、もう剣は握れないな。もっとも、『真実』の剣も真っ二つに折れて無くなったわけだが」

 筋肉の筋を完全に断ち切られ、大量の出血で真っ赤になっているミランダの腕はピクリとも動かない。激しい痛みを感じているはずだが、ミランダの表情に変化はない。

「お前、わざとか?」

 アレンは咳き込み、血を吐いた。ヒュー、ヒューと乾いた音が混じった呼吸をしながら、アレンはミランダを黙って見据えた。

 すると、ミランダは疲れた笑みを浮かべ、肩を震わせながら控えめに笑った。

「ふふ、屈辱的だがここまで来ると清々しい。私はお前を殺す気だったのに、お前は私を殺さずに勝とうとしていたのか」

「あんたも言ったろ。綺麗事に命をかけるって」

「直前まで劣勢だっただろう。大きな賭けだな」

「勇者に喧嘩売ってんだ。今更さ」

 ミランダは珍しく愉快そうに笑った。敗北したと言うのに、なぜだか彼女は少しすっきりしたような顔を浮かべ、自然に口元を緩めていた。

「だが、あの少女は納得するかな?」

 ミランダはアレンの背後を伺い、不敵に言った。

「アレンさん!」

「アレン!」

 背後からかけられる声に、アレンの体にまた緊張が走った。限界を迎えた体は後ろを振り向くことですら痛む。

「……よお」

 腹部の傷を庇いながら、マルギットに付き添われたイリアが歩み寄ってくる。

 少女は傷だらけの二人の勇者たちを交互に見遣る。両者の激闘を物語る大小さまざまな傷と、嵐でも通ったような大地。そして地面に転がる折れた剣を見て、どのような決着になったかを悟る。

 少女の顔は安堵と喜びで一瞬綻ぶが、ミランダを見てすぐに顔を険しくする。イリアはアレンにどんな言葉をかければいいかわからない風だったが、それはアレンも同じだった。

「君とは数日ぶりだな。いい護衛を雇ったものだよ」

 二人が様子を伺い合っていると、ミランダが微笑を浮かべた。数日前というのは、ミランダがイリアの村を襲った時のことだろう。わかりやすい煽りに、イリアは顔を一段と険しくする。

「もう二度と会いたくなかったですよ」

「そうだろうな」

「その腕は?」

 イリアが血まみれの腕を指差す。

「この男にやられてね。もう剣は握れないだろう」

「……そうですか」

「ふふ、いい気味だなの一言もないとは、大人だな」

「やめろ。彼女をけしかけるな」

 アレンが掠れた声で割ってはいるが、ミランダは気にする素振りはない。今はミランダの言葉一つ一つがイリアの気を逆撫でする。もちろんミランダはわかっていて言っている。

「アレンが言うには、勇者の私は殺したそうだ。さて、君はどうする?」

「……ッ」

 イリアが歯を剥く。

「やめろと言っている!」

「今はお前と話していない。お前のわがままを彼女が聞く必要はない。彼女にも選択する権利がある」

 ミランダは鋭く制した。殺せとも、殺すなとも言わず、じっと少女を見据える。

 ミランダの真意はわからないが、彼女がイリアを焚きつけていることは明らかだ。

「君は私を許せないだろう? 当然だ。私は君の生活をめちゃくちゃにしたのだからな。それこそ、君が懐に隠し持っているナイフで、私の胸をつくくらいしないと晴れないはずだ」

 イリアは顔を硬らせると、ミランダが言ったように懐から折り畳みのナイフを取り出してミランダに向けた。

 アレンも、マルギットも、無理にでも止めるべきと思ったが、口を出さず、緊張した様子で状況を見守る。イリアの気持ちは痛いほどわかるし、それこそミランダが言ったように当然のものだ。

「どうした? 怖いか? 安心しろ。私は見ての通り重傷だ。抵抗する力はない。それとも他人に戦わせることはできても、自分の手を汚すのが嫌か?」

 子供相手になんてことを言うんだと掴みかかってやろうと思ったが、体が思うように動かない。ミランダは口こそ回っているが、実情はアレンと同じだ。

 ブラフなどではなく、事実だとアレンはわかっていた。今の彼女は武器を拾い上げて反撃するだけの力はないし、それどころか抵抗の意思すらない。

 子供だろうとナイフを持ってぶつかれば、ナイフは順当に彼女の胸に突き刺さるだろう。

 イリアの手は震えていた。恐怖か、それとも違う感情か。彼女の瞳を覗いても、彼女の心情を正確に知る術はない。

「あなたは、私の家族の仇」

「その通りだ」

 ミランダは淡々と答える。イリアはナイフの柄をギュッと握りしめ、荒い呼吸を短く刻む。今にも駆け出しそうな彼女は、次の瞬間本当に駆け出した。

「よせ……」

 アレンが静止しようと声を出すと、カランと何かが地面に落ちる音が聞こえた。

 転がったのは、イリアが握っていたナイフ。彼女は走り出す直前にナイフを捨てると、握り拳を作ってミランダに突撃した。

「うおおおおおおおぉおおぉおお」

 イリアの右拳がミランダの頬を捉えて鈍い音を出す。ミランダの顔が少しだけ横に揺れる。

「痛っっっっった!」

 思い切り振り抜かれた右拳はなかなかのパンチだったが、むしろその分、強靭な勇者の肉体を叩いた反動で彼女の拳が痛んだ。イリアは右拳をぶらんぶらんと振る。

 仰天して目を見開いたのはアレンとマルギットだけではなかった。汚れた金髪の間から覗いたミランダの顔が、わかりやすいほどに驚いていた。

「これだけでいいのか?」

「ええ! これだけにしておきます!」

 息を切らし、感情を噛み殺すようにしながら、イリアは断じた。

「勘違いしないでください。許したわけじゃないです。私はあなたが憎いし、これから一生許すことはありません」

 イリアは呼吸を整えながら、地面に座り込む勇者を見下ろした。勇者は少女をじっと見上げていた。

「正直、全然納得できないし、悔しいです。でも、あなたと戦ってこの結果を勝ち取ったのは私じゃない。アレンさんです。だから、アレンさんがあなたを生かすと決めたのなら、私もそれに従います」

「これから先、後悔するぞ。私を殺す機会はもうないかもしれない」

 ミランダの言葉に、するとイリアは歯を剥き出して、それまでとは想像もつかないほどに声を荒げた。

「ああ、もう。うるっさいな! そんなことわかってるよ! でも、あんたを殺したってどうせ後悔するんだ。なら、どっちがマシかで選ぶしかないじゃん。それに……」

 新しいイリアの一面に度肝を抜かれていると、イリアはアレンを横目に見た。

「うまく言えないけど、アレンさんの後ろ姿が、お母さんみたいだったから。だから、この人の想いを台無しにできないよ」

 アレンは口を開けて呆然とした後、隠れるように下を向いた。

 イリアは自分に喝をいれるように自分の頬をぱちんと叩いた。

「その傷、そのままで大丈夫ですか?」

「え、あー、重傷だが問題ない。勇者の体は丈夫だからな」

「そうですか。なら、簡単に手当てしたらさっさと行きましょう! 私は向こうで待ってますから! じゃあ!」

 呼び止める間も無く、イリアは人で一気に捲し立てると、すたこらと去っていった。あまりの唐突さに、あのミランダが口をあんぐりと開いていた。

 イリアからすれば、命を取らないにしても一緒にいたい相手ではない。去り際に見せた細やかな気遣いが、彼女にとっての限界ということか。だとしても、十二分に過ぎるが。

 よく堪えたな。アレンは心の中で呟いた。

「嵐のような娘だな。あの女の娘といえばらしいが」

 ミランダは恨み節のように吐き捨てると、腰のポーチから包帯と薬を取り出し、右腕の処置を始めようとするが、利き腕でないのと疲労とで、うまくいかない。

「……全く。貸しなさい」

 見かねたマルギットが有無を言わせずひったくると、手際よく応急処置を施す。

「そういえば、君はいいのか?」

「わかっていて聞くんじゃないわよ。二人がそれでいいって言ってんのに、私が水を刺せるわけないでしょ」

 マルギットは不満そうな態度を隠す様子もなく、「この流れであんたに死なれたら大迷惑だからやってあげてるの」と、ぶつくさ言いながらも手は止めない。

 すると、ミランダが突然笑い出した。数年間暮らした中で笑ったところはほとんど見たことがないのに、殺し合いをした今日に限ってよく笑う。

「すまない。命を狙った相手に手当てをされる勇者なんて、傑作だと思ってな」

「代々語り継がれるな」

「口が裂けても言わない」

 そう言うミランダは、まるで付き物が落ちたように穏やかだった。

「これからはさらに大変だぞ。何せ私に勝ったんだ。今度来る追手は、そういう心持ちでくる傭兵、あるいは別の勇者かもな」

「勘弁願いたいね」

 アレンが苦虫を噛み潰したような顔をすると、ミランダは「ざまあ見ろ」と愉快そうに笑う。

「あんた、さっきイリアを焚きつけた時、彼女は殺せないとでも思ったのか?」

 治療を受けるミランダにアレンが尋ねると、彼女は笑顔を引っ込めて、真面目な顔で答える。

「いいや。殺せただろうな。そういう目だった。最後まで迷っていたようだが」

「……わかっていて、なんで煽った?」

「魔王の血縁が勇者を殺したとなれば、各国も本気にならざるを得ないだろうからな」

「陰湿ね。それに自分の命を、そんな道具みたいに」

「みたいではない。道具だ。その覚悟がなければ勇者などやっていられない」

 苛立ち気味のマルギットに、ミランダは至極真顔で言ってのける。それが強がりでも誇張でもないことは、二人にはわかる。

「当てが外れたよ」

 ミランダにとっても、イリアの行動は想像できなかったようだ。

「アレン。あの娘は危険だ。私は確信したよ」

「……」

「まだ言っているの?」

 マルギットが包帯をわざと強めに結ぶが、ミランダは表情を変えない。

「あの娘は私が思っているよりずっと心が強かった。あの歳の子にしては異常なほどに。さすがはあの女の娘と言うべきか。自分で自分の道を選び、進む力を持っている。だが、良くも悪くもだ。強いからこそ、道を間違えたときに大変なことをやらかす」

 ミランダの言葉は、きっとセシリアのことが念頭にあることはわかっていたが、アレン自身も否定はしなかった。

 街での奴隷商との一件だったり、ミランダに立ち向かっていったり、彼女は自分で決めたことに対しては頑固な、もとい強い意志を見せる時がある。

 彼女の中に絶対に譲れないラインがあって、そこを超えることには正面から立ち向かう。一体、あの小さな体のどこにそんな力があるのかと驚くほどに。

 脳裏にちらりと、豪炎に巻かれて消えていくセシリアの背中が浮かんだ。アレンは頭を振って嫌な想像を追い出す。

 ミランダの方を伺うと、彼女はアレンがどんな想像をしたのかわかっているように、ふんと短く鼻を鳴らした。

「だから、お前がきちんと導け。彼女はお前の言うことには耳を傾ける。自分を助けるために勇者とも戦ったお前の背中を見て、お前に憧れを抱いている」

 かつてお前がセシリアに憧れを抱いたようにな。と、ミランダは付け加える。

「言われなくてもそのつもりだ。俺が彼女を守る」

「彼女を守るだけじゃダメだ」

「え?」

 アレンが怪訝な顔をすると、ミランダは出来の悪い教え子に呆れるように、アレンを指差す。

「言ったろ。彼女はお前を見て育つんだ。だからお前自身の命はもちろん、戦い方や勝ち方、信念も守らなくてはいけない。お前が道を間違えれば、彼女も道を間違える。お前が死ねば、彼女は道を見失う」

 ミランダの指摘をアレンは考えたこともなかったが、決して大袈裟だと笑っていいものではない。アレンは生唾を飲み込んだ。

「只人と魔族の調停者となるか、あるいは戦禍を撒き散らす魔王となるのか。お前の選択と結果によって、お前やあの娘だけでなく、下手をしたらこの世界の命運が変わるかもしれない。責任重大だな」

 ミランダは他人事みたいに笑うが、彼女の目は真剣だった。ぞっとしない思いで、アレンの額に引いていた汗が再び滲む。

「忘れるなよ。これはお前が選んで、始めたことだぞ」

「……わかっているさ」

 アレンは手の内にある『正義』の剣に視線を落とした。思い切りで引き抜いた剣の重さを早速感じていた。だが、選択は既に済ませている。あとは最善を尽くすだけだ。

「はい。終わったわ」

「ほお、手際がいいな」

「それはどうも」

 アレンが自分の役割の重さに悶えている間に、マルギットは手当てを終わらせて立ち上がる。

「行きましょう。立てる?」

「ああ。大丈夫だ」

「ほんと、あんたの体って頑丈ね」

 ふらつきながらも自力で立ち上がるアレンに、イリアは呆れ半分に舌を巻いた。勇者の剣から流れ込んだ膨大な力は、アレンの体を一度破壊し、力に耐え切れるように作り直している。強烈な倦怠感はあるものの、体は既に再生を始めていた。

「なあ、アレン」

 去り際、ミランダがアレンを呼び止めた。

「お前は、どうして私を殺さなかったんだ? お前にとっても、私は仇だろう」

 何を聞いてくるかと思えば、わざわざ聞かなくてもいい上に、できれば話したくないことだった。セシリアに対して不義理な気もするし、自身の中途半端さが浮き彫りになる。

 だが、肩越しに見返したミランダは、アレンの真実を知りたがっているように見えた。もしかしたら、彼女ともう二度と会うことがないかもしれないと思うと、今こそ彼女に言えずにいたことを伝える、最後の機会な気がした。

 アレンはミランダに背中を向けたまま、呟くような小さな声で言った。

「セシリアがいなくなった後、あんたは居場所のなくなった俺を拾ってくれた。俺の居場所になってくれた。今更こんなことを言うのはあれだが、俺はあの時、確かに救われたんだ」

「セシリアを殺した相手でもか?」

 アレンは自分自身にため息をついた。

「正直、まだ迷いはあるし、イリアと同じであんたを許せない気持ちはある。それでも俺は、あんたと暮らした数年間、あんたのことも家族だと思っていた」

 ミランダは口を半開きにして、薄く開いていた目を見開いた。

 ミランダはセシリアとは全く違う。優しくも、人懐こくもない。だけど、厳しくともちゃんと自分を見て、育ててくれた。彼女なりの勇者としての信念を持ち、戦い続けた背中をアレンも見てきた。

 セシリアとは違う形で、ミランダはアレンと関わり、救ったのだ。それもまた事実だった。

 そしてその事実を、アレンは捨てきれなかった。綺麗事というより、馬鹿という言葉の方が正しいかもしれない。

「はは、私が家族か。お前がそんな風に思っていたとはな」

「笑いたければ笑えよ。自分でもおかしなことを言っているのはわかっているんだ」

「いや、おかしくはないさ。……どうしてお前に苛立っていたのか、ようやくわかった気がするよ」

「なんだって?」

「なんでもないさ。さっさと行け、シスコン勇者」

「……おい、とんでもない渾名をつけるな」

「そうか? だいぶマシな名前だと思うぞ。姉のように慕っていた人妻を思い続けたかと思えば、年端も行かない彼女の娘を引き連れて、終いにはお前を必要とした女を傷物にするだけしてほっぽり出すような奴にはな。それとも、間男かロリコンの方がいいか?」

「……これだけ聞くと、あんたガチでヤバい奴ね。全方位でアウトだわ」

「二人とも黙れ」

 こんなところで息を合わせるんじゃないと、アレンは毒づく。

 アレンたちは再び歩き始める。遠ざかっていくミランダが、最後に声を張り上げた。

「綺麗事を貫くことが貴様の『正義』なら、最後まで貫いてみせろよ。『正義』の勇者!」

 アレンは歩き続けた。振り返りそうになるのを堪えた。

 初めて呼ばれた勇者という名前に、胸を焦がすような熱が広がる。

 他でもない『真実』の勇者に初めて認められた気がして、さっきまで敵だった相手の言葉に嬉しくなっている自分に腹が立つ。遅まきにやってきた実感に、『正義』の剣を握る手に力が入った。

 アレンは背中越しに、『正義』の剣を掲げながら、その場を後にすると、ミランダだけがその場に取り残された。

 感覚のない右腕を庇いながら、ミランダは近くの壁に寄りかかった。

 自分を家族と呼んでくれた少年は、再び自分の元を去った。自分自身、もはや勇者ですらいられない。

 自分を選ぶことのなかった男も、自分の縁であった肩書きも無くしてなお、女の胸中は凪いでいた。

「……やれやれ。結局、あいつは最後までお前のことばかりだったよ、セシリア」

 ミランダの独り言は、誰に届くこともなく、星が顔を出し始めた空に吸い込まれていった。

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