第17話 望まぬ邂逅

 あの子供の目は、勇者の『真実』を捉えていた。

 その『真実』を奴は忌避していたが、何も見えていない奴より遥かにマシだ。そして、それこそが最も重要な勇者の素質であることは言うまでもない。そこはあの女の手柄と言っていいだろう。

 勇者という戦闘兵器は、魔族が怖い、いなくなってほしい、正しいのは自分達であってほしいという人々の都合が一つの形として現れたに過ぎない。与えられた敵と戦い、殺すための道具だ。そのために作られたのだから、その通りになっているだけなのだ。

 勇者とはそういうものだし、だからこそ成し遂げられることもある。

 大人の都合と、数の論理で、仕立て上げられた敵を倒すことで秩序を保つ。それが勇者の『真実』だ。勇者は弱者の味方でもなければ、『正義』の味方でもない。

 あの子供は器としての素質も十分に備えていた。後天的な肉体改造の影響はもちろんあるが、天性のものもあったに違いない。『真実』の剣を託す相手を、やっと見つけられたと思ったものだが、あの子供の心はずっと『正義』の勇者に向いていて、何より勇者という存在を受け入れられなかった。

 せっかくの素質も、性根がアレでは残念至極だ。あの子供は私の元に来た後も、己の目指す戦士の姿を求め続けた。その度に現実にぶち当たり、敗北した。

 強くなれば選択肢が増やせる。そう意気込んで訓練は十分以上に取り組んでいたし、それは一定正しくもあったから、甘いと思いつつも見逃してやっていた。それが良くなかったのだろう。

 結局奴は、どこにでもある、ありふれた理不尽に心を折られた。何も特別なことでもないのに、器に注がれた最後の一滴が奴を壊してしまった。

 それでも、いずれは戻ってくるかもしれないと思っていたのだが、ギルドなんぞの傭兵になるとはどういう了見だ。腹立たしさから、お気に入りの花瓶を叩き割ってしまった。

 どうして私まで冷静さを欠かなくてはいけないのか。なぜ私まで乱されなければいけないのか。それまでの他の候補者同様に、見込み違いだったというだけのはずなのに、今回はどうしてか不快に感じる。

 ……いや、本当は自分でもわかっている。あの子供が己の信念に負けたことが、自分の心を掻き乱すのだ。

 勇者の真実を理解する子供も稀だが、幼くとも信念を持って戦う子供はさらに稀だ。理想論ではあっても、決して間違っていないその信念のために戦える子供だった。それが敗北し、心が折れた。不甲斐ない。

 あの子供の信念は時代にそぐわなかっただけだ。少しばかり早すぎたのだ。それを理解せず、目の前の不条理を飲み込むことも、待つこともできなかった。

 考えれば考えるほど不快だ。この不快さを払拭するには、私自身の手で清算する以外に方法はない。

 所詮奴も、生まれからして戦いから離れられない身の上だ。遅かれ早かれ、決着をつける機会が来る。

 あるいはこれが、次の『真実』の勇者を迎える最後の機会になるだろう。




 崖の底まで落ちてしまったアレンたちは、元の道への復帰を諦めざるを得ず、別の道から峡谷を抜けることにした。

 道中の空気は、それまでにも増して重苦しいものだった。

「マルドレイクに入ってからは、どうするんだ?」

「父さんの仲間がいると聞いていますが、そこから先はわかりません」

「そうか。マルドレイクに入ったら、長居せずに国境を越えろ。長居すればするほど、足取りを気取られやすい。マルドレイクと隣接するとなるとテラキアあたりが無難だな。あそこは勇者を持たない小国だし、隣接する国が多いから足跡を消しやすい。中継地としてはもってこいだ」

「なるほどね。参考にするわ」

 アレンの傭兵としての意見に、マルギットが感心した様子で頷く。

「このままずっと、逃げ続けないといけないのでしょうか?」

 イリアは表情を曇らせる。彼女はつい最近までどこにでもいる十代前半の少女だった。逃亡生活に不安を覚えるのは仕方がない。

「どうだろうな。上手く足跡を消せば、また静かに暮らせるようになるかもしれない」

「それは、いつ勇者や敵が来るか怯えながら、息を殺して生きるということですよね。他の魔族がそうであるように」

 彼女の言葉に違和感を覚えたアレンは、肩越しに少女を振り返った。

「そうだな」

「そして見つかったら命を奪われるか、ナターシャさんみたいに奴隷として扱われる」

「そうだ」

「……そんなの、おかしいよ」

「……そうだな」

 イリアは憤りを両の拳を握り込むことで表す。

「先に言っておくがな、だからと言って魔王軍に合流するのは無しだぞ」

 図星を突かれ、イリアは黙り込む。都合が悪くなると黙るのも、セシリアと同じだ。そんなところまで似る必要はなかったのに。

「魔王の血と、勇者の血を受け継ぐってことがどんな意味を持つのか。正直、私にはピンと来ていません。でも、みんなが私を追うなら、私の血にはそれだけの価値があるってことでしょう? 私にできることがあるなら、やりたいんです」

「君の血に価値があるのは間違いない。良くも悪くもだ。だが、それはあくまで道具としての価値だ。使い方を間違えば、最悪の結果にもなり得る」

「……私は戦っちゃいけないってことですか? 私にできることがそれだけしかなくても」

「違う。やり方を考えろと言っている。戦うしかないのか、戦う以外の方法があるのかはわからない。ただいずれにせよ、道具として誰かに使われ、誰かに決められた道を進んでも碌なことにならない。君の母親と同じようにな」

 セシリアの名前を引き合いに出され、イリアは顔を伏せた。セシリアの後悔と結末を見てきた彼女は言葉以上にその意味を痛感している。

 仮に彼女の立場になったなら、目を伏せ、口を噤み、我関せずでいれば楽だろう。だが見ず知らずの奴隷ですら助けようとする心根の優しい少女だ。そんな簡単に割り切ることもできない。

 そしてその葛藤と向き合おうとすると、人並み以上の苦痛と苦悩に見舞われる。セシリアがそうであったように。

「難しいことを言っているのはわかる。でも、それでも考え続けて欲しいんだ」

 彼女自身の思いが、少しでも良い形で報われるように。

「俺は、君にセシリアのようになって欲しくない」

「……はい」

 少女は目元を拭うと、伏せていた顔を上げて前を向いた。

「あの、アレンさん」

「何だ?」

「マルドレイクについた後も、私と一緒に来てもらえませんか?」

 少女の申し出にアレンは驚き、マルギットはふふっと微笑んだ。

「俺は『真実』の勇者、君の仇の弟子だぞ」

「そして私の母の大切な人です。母を知っているあなたに、私を見ていてほしいんです。私も、あなたから学ばなきゃいけないことがたくさんあります」

「俺はそんな大層な奴じゃない。こんなことは言いたくないが、俺がさっき君に言ったことは、俺自身ができなかったことだ」

 できていたら、自分は今ギルドで傭兵はしていない。

「なら反面教師としていい見本になるんじゃない? それにあなたが大層かどうかは、あなた自身が決めることじゃないわ」

 そう言うマルギットは、きっと最初からこうなることも想定していたのだろう。朗らかに笑う彼女のそんなところが苦手だ。

「言うだけ言って、あとは手放しってことはないわよね? 私の時は、すごく親身に助けてくれたじゃない」

 マルギットに痛いところを突かれてアレンが苦い顔をすると、ここが押しどころと感じたのか、イリアが「お願いします!」と畳み掛けてくる。こういうしれっとしたところは彼女の強みと思いつつ、やられる方は断りづらい。

「……俺に同行を求めるなら、俺の言うことはちゃんと聞けよ。休めと言ったら休んで、走れと言ったら走れ」

 イリアはマルギットと顔を見合わせ、ぱあっと表情を明るくする。

「アレンさん、じゃあ……!」

 アレンは苦笑混じりにため息をつく。

 どうやら、ここが年貢の納め時で、同時に転機のようだ。どう転ぶかはわからないが、不思議と悪い気分ではない。なぜだか来るものが来ただけと、素直に思える。

 手に汗が滲む。今、仕方ないと受けた仕事が、自分の今後を大きく変えるという確信がある。

 もうギルドにいることもできないかもしれない。だがそれでも、この依頼は受けないといけない。もしこの依頼を完遂できたら、その時やっと、セシリアにも顔向けができる気がした。

 問題は山積みだし、目の前には数えきれない困難があるが、一つ一つ乗り越えていこう。

 そう心に決めた、まさにその時だった。

 最初にしては高すぎる難関が、目の前に現れたのは。

「久しぶりだな、アレン」

 金色の髪を風に靡かせる女が、澄んだ空気によく通った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る