第16話 もしかすると敵だった
「戻った」
「おかえり〜」
「お、おかえりなさい」
いつも通りの気の抜けた声と、がちがちに緊張した声が返ってくる。主にアレンとイリアの間で気まずい空気が沈澱していた。こんな時こそ、おしゃべりマルギットの出番だろうと彼女に目配せするが、彼女は視線を受け取った上で、しっかりと笑顔で無視した。
自分でやれ、ということだろう。
イリアは俯きながら、時折ちらちらと様子を伺ってきては、口を開けて何かを喋ろうとして、口籠もってしまう。
イリアから切り出せというのは酷な話だ。アレンはもう一度、無駄に跳ねる心臓を落ち着かせるために深呼吸をした。
「取り乱してすまなかった。本気で驚いたんだ」
「いえ、当然のことだと思います」
「聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「ど、どうぞ」
身構えるイリアに、アレンは「あ〜」と頭をかきながら、
「君から見て、お母さんはどんな人だった?」
と聞いてみると、少女は予想だにしない質問に「え?」と面食らっていた。
もっと違うことを聞くべきなのかもしれないが、それ以外の質問が思い浮かばなかった。
少女は顎に手を当てて考える風にして、母親のことを語った。
「そうですね。おっちょこちょいで、賑やかな人でした。よく山の中をトレーニングだと言って走り回っていましたね」
「子供かよ」
「私を置き去りにして楽しんでましたよ。置いてかれてよく泣いていました」
なんとも奔放なお母様だが、セシリアだと思うと十分に納得できてしまう。
「運動神経はいいからな」
「そうですね。あ、でも細かいこととか、家事は全然ダメでした」
「はは、そこは変わらなかったのか。意外と不器用だもんな」
「そうなんですよ。卵を割ろうとしたら絶対殻まで粉々にするし、フライパンで焼き物をひっくり返すのを失敗して中身を撒き散らしたり、服に空いた穴を直そうとしたら、反対側まで一緒に縫い合わせちゃって着れなくなったり」
「ほお。やるだけやろうとしたのか。大きな進歩だ。前は全部俺がやっていた」
「あ、最終的にはうちもお父さんか私がやってました」
「……そうか。まあ、やれば全部うまく行くってものでもないしな」
「ですね」
イリアの語るセシリアは、当時から変わっていないように感じられた。今も、卵を叩き割るセシリアの姿が目に浮かぶ。
「あ、でも」
「なんだ?」
「パンを焼くのは上手でした。それだけは失敗してもずっと練習していましたから」
「……」
ふと、笑みが溢れた。パン、焼いていたんだな。
「彼女は、村で剣は握っていたか?」
「いいえ」
イリアは即答し、首を横に振った。
「たまに、剣を教えてもらうことはありましたけど、それ以外は一切触ってなかったと思います。お父さんが言うには、最初は意識的に触らないようにしていたらしいです」
「村での暮らしは、幸せそうだったか?」
「母さんが本当はどう思っていたのかはわからないですけど、でも、私はそう思います。思い出せる母さんの表情は、どれも笑った顔ですから」
「……そうか」
どこにでもある、ありふれた生活。劇的な何かはなく、ただゆったりと時間が流れる。そこに闘争はなく、剣を握る必要もなく、家族との普通の暮らしだけ。セシリアは戦場を離れ、望んでいた平穏を手に入れることができたのだろうか。
置き去りにされた怒りや寂しさはもちろんあるけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、安心した。
突然の終わりが訪れ、不本意な最後だったに違いないけれど、目の前にいるイリアという少女が、セシリアがどのように生きていたのかを教えてくれた。
そして、終わらせた張本人とも縁がある身としては、ますます巡り合わせというものを感じてしまう。
「お礼と言ってはなんだが、俺も君に伝えておくことがある」
「なんでしょう?」
「君の村を襲って、君の家族を手にかけたのは、『真実』の勇者で間違いないか?」
「……はい。逃げる直前、父がそう言っていました」
その時のことを思い出したのだろう。柳眉を吊り上げ、険しい形相で歯を剥いた。家族の仇を思い出せば当然だ。
「俺は一時期、その『真実』の勇者、ミランダ・カートライトの従者だったことがある」
「……え?」
イリアは厳しい表情を崩さない。驚きと共に、アレンへ向ける視線の中に猜疑心が覗く。
「セシリアが『正義』の剣と一緒に姿を消して、彼女の従者だった俺も行き場が無くなったんだ。彼女を止められなかった責任もあるし、そもそも勇者の剣がなければ、俺みたいな器はいらないからな」
周囲から侮蔑と怒りの籠った目で見られ、疎まれていた自分を拾ったのが、『真実』の勇者その人だった。
セシリアに随伴し、それまでも何度か顔を合わせ、訓練という名のしごきを受けたことがあった。「私の元に来い」と、ただ一言だけ告げて、有無を言わせずに連れ出されたのだった。
当時、セシリアがいなくなったことを受け入れられず、行き場もなくし、呆然としていたアレンは、愚かにも考えることをやめてミランダと共に行くことを選んだのだ。
「後から聞いた話だが、『真実』の勇者の後継がいなくて困っていたらしい。ちょうどそこに俺がいたんだ」
「じゃあ、もしアレンさんが軍を辞めずにいたら、アレンさんは」
「ああ。『真実』の勇者として、君の前に立っていたかもな」
イリアは咄嗟に発しようとした言葉を飲み込み、拳をぎゅっと握った。
もしかすると、イリアの住む村を焼いたのがアレンだったこともあり得たわけだ。そんな相手を前にして、少女の感情は揺らぐ。
「勘違いしないでほしいが、今はもう連絡は取っていないし、今さら彼女のために君をどうこうするつもりは毛頭ない。ただ、後から聞かされるより今のうちに言っておこうと思ってな」
イリアはマルギットを鋭く一瞥した。彼女はにこりと微笑むだけで、最初から知っていたのだと気づいたイリアは不服そうに視線を外した。
「隠していたんですか?」
「ああ。お互い様だろ?」
アレンが意地悪くそう言うと、イリアは言葉に詰まり、頬を膨らませた。
「いいんですか?」
「何が?」
「私といると、『真実』の勇者と戦うことになるかもしれませんよ」
イリアにとっては精一杯の嫌味なのだろうが、そんなことは最初から承知の上だ。
「言ったろ。勇者とは戦うな。基本的に逃げの一手だ。ミランダと戦っても勝ち目はない。もし戦うことになったとしたら」
「なったとしたら?」
「俺が時間を稼ぐから、とっとと逃げろ」
「負ける前提なの?」
いきなり口を挟んできたと思ったら、マルギットは不機嫌そうだ。
「相手は勇者だぞ。勝てる道理がないだろうが」
「あんたはその勇者の後継でしょ?」
「成り損ないだ」
事実であったが、マルギットはそれを卑下と捉えたのか、「けっ」と吐き捨てて口をへの字に曲げた。
「俺はセシリアと同じように、ミランダのことも知っている。彼女は剣の腕も、意志も、まさしく勇者を体現している。俺が言いたかったのは、間違っても彼女と戦おうとか、復讐しようとか思うなってことだ」
図星をつかれたのか、イリアが目を逸らす。
「ねえ、もしあんたが『正義』の剣を使ったら、『真実』の勇者に勝てる?」
突然そんなことを言い出したのはマルギットだった。
「そんな簡単な話じゃない。勇者の剣は、誰が使うかが大事なんだ。力を持っただけじゃ、きっと彼女には勝てない。本物の勇者じゃないからな。そして負ければ剣は奪われる。そんな賭けをする必要はない」
勇者は器に過ぎないが、中身がどれだけ素晴らしくても、ひび割れた貧相な器ではその価値を損なう。
「なら、何が本物と偽物を分けるの?」
マルギットの問いに、アレンは淡々と答える。
「自分が背負った勇者って名前に、殺される覚悟があるかどうかだ」
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