第10話 十二の少女に何を期待している?

 男は無言のまま、一挙動で腰の剣を引き抜き、斬りかかってくる。しかも、腕試しなどというものとは程遠い、本気で首を取りに来たものだ。

 アレンは『雷光イズチ』によって強化された反応と速さで、男が振り上げた剣先が落ちてくるよりも早く男の手首を絡め取って剣を弾き落とし、そのまま手首を背中に回して捻り上げた。

「うぐっ」

 男は痛みにうめき、何をされたのかわからないという顔で地面を見ていた。

「随分と乱暴だな」

「……くっ」

 マルギットの「やる〜」という合いの手に怒ったのか、男の部下たちが武器を構える腕に力を込めた。

「そうか。お前もどこかで見たことがあると思ったら、『色ものぐい』か。なるほどな」

「俺を知っているようなら話は早い。とりあえず仲間に武器を下ろすように言ってくれ」

「貴様、噂だと『工場こうば』の出身と言うじゃないか。そんな奴の言葉、信じられるものか」

「どこでそんなことを聞いたのか知らないが、関係ないことだ。『色ものぐい』は魔族に対して好意的だと評判なはずだが」

「自分で言うことかね……イタタタタッ!」

「それに、工場出身だからこそ、腕には多少の自信がある」

「勇者になるはずだった男が魔王の系譜を助けるとは、一体どういう風の吹き回しだ?」

「お前に話すようなことじゃない。それより、あんたらの目的は彼らの保護だったはずだが?それだけなら俺もやぶさかじゃない」

「そうだ。だが、その御方の身もお守りせねばならない」

「どちらもはできないぞ。この子に手出しするなら、俺も全力で抵抗する」

 状況を見守るイリアやナターシャが不安げにこちらを伺う。特にナターシャは幼馴染というミックとアレンが敵対しそうなことに、いてもたってもいられないようだ。

 ナターシャの手前、なるべくなら穏便に済ませたいが、口で言ってわかる手合いではないという予感がアレンにはあった。

「……貴様なら知っているだろう。今、魔族がどんな扱いを受けているか」

「ああ」

「今を生きる魔族たちのために、この状況は変えなければならない。その御方がいれば、変えられるかもしれない」

「十二の子供に何を期待しているんだ。正気か?」

「今の魔族には象徴が必要だ。残された魔族たちの思いの拠り所となり、一つにまとめる存在が。その役目は彼女にしかできない」

 アレンは目の前の男に、強烈な不快感を覚えた。

 十二歳の子供がいれば全ての問題が解決すると思っているなら、ロマンチックを通り越して阿呆でしかない。

 だが、阿呆であること以上に、アレンには気に食わないことがあった。

「それで彼女に全部背負わせるのか? 魔族の命運、只人からの敵意、命を落とした人々への贖罪も、全部」

 男の腕を握る手に、つい力が入っていることには気づいた。

「無論、それは我々も共に背負う覚悟だ」

「だったら最初から自分が先頭に立ってやれよ。できねえから、彼女を巻き込もうとしているんだろうが。大の大人が、子供を、戦争に!」

 声を荒げてしまう自分を、アレンは抑えることができない。こんな喧嘩腰でいいことはないとわかっているのだが、どうしてもだめだ。

「お前みたいな奴は腐るほど見てきたよ。自分自身の願望を、みんなのためって言い換えて、勝手に期待して、依存して。そのくせそれが叶えられなかったら、どいつもこいつも手のひら返して罵倒する。そんな奴に、彼女は渡せない」

 アレンの脳裏に、とある戦士の後ろ姿が浮かんだ。こびりついた光景がフラッシュバックし、十年以上前から鬱積した怒りが顔を出す。

 首領の男も、きっと自分で感づいていた部分だったのだろう。図星を突かれたのか、ぎりぎりと歯を剥いて、顔面に怒りと羞恥を露わにする。

「では、どうしろと言うんだ。このまま黙ってやられていろとでも? ミックとナターシャのように、大切な人と離れ離れになる者がたくさんいる。命を失うものがたくさんいる。だが、私一人で出来ることなどたかが知れている。私は魔王ではないんだ」

 首領の男は力任せに拘束から抜け出そうとする。

「だから、私は!」

 メキメキと腕が軋む音がし、アレンは咄嗟に手を離した。

 拘束が緩んだ瞬間、男は振り向き様に体を回転させて、剣を横に薙ぐ。アレンは腰から剣を引き抜き、弧を描いてやってくる剣撃を、剣ごと弾き上げる。

 このまま斬り殺すべきか。一瞬の逡巡のうちに、アレンはイリアの顔を思い浮かべた。

(……)

 アレンは剣の柄の底で男の頭部を殴りつけ、昏倒させた。

「隊長!」

 首領の男が倒れたことで、兵士たちは顔色を変え、一斉に襲いかかってくる。

「マルギット、頼むぞ」

 アレンは背後を任せ、兵士たちを迎え撃つ。

 突き出される槍に臆することなく、ひらりと躱して懐に入ると、掌底を顎に打ち込む。ぐらりと崩れ落ちる兵士。

 次いで迫る敵の剣を巻き上げると、左手で兵士の襟首を掴み、体を巻き込んで男を地面に打ち付ける。三人目は武器を構える暇すら与えず、アレンは突進して、剣の腹の部分で顔面を殴りつけた。大男が盛大に鼻血を噴き出して倒れる。

 背後から襲ってくる兵士を、体を回転させていなし、体のひねりを加えた肘打ちを後頭部に叩き込む。

 せっかくやってきた奴隷の引き取り手を殺すわけにはいかない。イリアとの関係値も悪くなる。次々と襲いかかってくる兵士たち全てを、アレンは誰一人殺すことなく、しかし迅速に返り討ちにしていく。

「うおおおおッ」

 そして最後の兵士は、わざわざ自分の存在を、震える声で知らせてきた。アレンが向き直ると、若い男が高々と剣を掲げて突撃してくる。ミックとかいう、ナターシャの幼馴染だった。

 ミックの剣の構え方で、彼が剣を握って日が浅いことはすぐにわかった。ぎこちなく、恐れと不安を気合いで抑え込んでやってくる。

「ナターシャを返せ!」

「ミック、やめて!」

 ナターシャの制止も聞かず、ミックは剣を振り下ろす。剣に振り回されているミックの攻撃を避けるのは容易なことだった。一歩引くと、ドスッと鈍い音を立てて剣が地面に埋まる。ふらつくミックの横っ腹を軽く蹴飛ばす。

「ぐあっ!」

「あ」

 しかし、ミックの体は思いのほかに軽く、彼は体をくの字にして吹き飛んでしまう。

 しかも結構効いてしまったのか、必死に立ち上がるが、その足元はおぼつかない。その険しい形相をどこかで見たと思ったら、まるで苦境に陥った勇者が、渾身の力で立ち上がるという、英雄譚のクライマックスのシーンのそれだった。

「畜生……まだだぞ」

 意気込みは立派だが、そもそもこちらはナターシャについては引き渡すつもりでいる。イリアも寄越せと言ってきたから話がこじれているのであって、彼らを渡さないとは言っていないのだから、それこそ彼は突っかかってくる必要はない。

 隊長や仲間が殴り倒されたからだろうか? そんなことで、自分の大切なものを取り戻す機会をみすみす失うつもりなら、もう一度考えた方が良い。

 そのくせ、さながら勇者のように勇猛に、無意味で勝ち目のない戦いに挑んでいる。自分が無力で、無知であることの自覚すらない。意気込みだけの勇者だ。

 なぜだか、無性に腹が立つ。

 だから、アレンはふらつきながらやってくるミックを、割と本気で殴打した。ミックは向かってきた倍の速度で、再び地面に吸い込まれていった。

「ミック!」

「そんなに弱くて、何をしようって言うんだ。魔族の再興だか知らないが、やめておけ。死んで終わりだ。今のお前には彼女を守るどころか、格好つける資格すらない」

「……うるせえ」

 強がり、立ち上がろうとする男の背中に、ふと見知った奴の姿を見る。

 黒い髪のクソガキだ。勇者になろうとして、なれなくて。家族と思っていた人に置いていかれて、子供みたいに今も拗ね続ける。彼女がいなくなった理由を察しつつも、受け入れられず、格好をつけることすらできない子供。

「できないからって、何もしないわけにはいかないだろ。何かしなきゃいけないだろうが」

「……ガキが。それならせめて、もっとうまいやり方を考えろ」

 アレンは舌打ちをして、ミックに歩み寄る。

「やめてください!」

 二人の間に、ナターシャが割って入った。彼女は両手を大きく広げ、アレンの前に立ちはだかった。体はわずかに震えているが、目は真っ直ぐにこちらを見据えている。大した度胸だ。

「これがお前の現実だ。守ろうとした相手に、逆に守られる。お前は無力なただのガキだ」

 膝を折り、ナターシャの背を見上げるミックは、目を伏せた。薄く浮かぶ涙を咳止めようと、頬が強張っている。「畜生」と何度も漏らすミックに、ナターシャは声をかけようとしてやめた。ここで彼女から慰められれば、いよいよ彼の心は折れただろうが、残念ながらナターシャは聡明にもそうしなかった。

 ふと、ミックに手を差し伸べる手があった。ナターシャではない。もちろんアレンでもない。

 イリアだった。少女は地面に座り込み項垂れるミックに手を伸ばし、少し悲しそうな笑顔を向けた。

「わかっていましたよね。自分には向いていない。難しいってことくらい」

「……」

「でも、やらなきゃいけないと思ったんですよね。何をしたらいいかわからないけど、後悔したくないから、何かしようと思ったんですよね」

「……」

 ミックは黙り込む。

「私もその気持ちわかります。私もついさっき、それで間違ってしまいました。でも、だからって諦められないですよね」

 ミックは顔を上げ、アレンは顔を顰めた。

 挑まなければ、大切なものを失うだけだ。

 だが、大抵うまくいかずに失敗する。やり方を間違えれば、取り返しのつかないことになる。その失敗が自分だけに返ってくる分には好きにすればいいが、そうでないのなら、彼が今後挑戦し、失敗をするたびに誰かが傷つく。そんな挑戦はやめてしまった方が、今後の彼にとっても良い。

 だとしても、なのだろうか……。

「おい、ガキ」

 アレンはため息混じりに、懐から用紙を取り出し、ミックに手渡した。

「これは?」

「ここに俺の知り合いがいる。彼女たちをここに連れて行け。奴ならうまくやるだろう。少なくとも、その方がお前たちといるより、彼女たちにとってはいい」

「俺はもう、ナターシャと離れたくない」

「なら、お前がそこをやめろ。さっきも言ったが、向いていない。それにお前の頭領がやろうとしていることは、決して平穏な道じゃない」

 ミックは黙り込み、気絶している兵士たちと、不安げにこちらを伺うナターシャを交互に見遣った。少年の拳が、地面の砂を握り込む。

 やがてミックは、拳の力を解き、ゆっくりと手を伸ばしてアレンから用紙を受け取った。

「……わかった」

 アレンは振り返り、ナターシャに頷いた。少女はそれまで堰き止めていた感情が一気に解放されたように、ミックの元に駆け寄って、タックル、もとい激しく抱きついた。

「ミック!」

「ウッ」

 強烈な衝撃を受けきれず、ミックの体は地面に叩きつけられる。首元にナターシャの腕が回され、締められている。第三者から見る分にはチョークスリーパーを極められている可哀想な男にしか見えない。

「よかった。よかったよ〜」

「ナターシャ……」

 少女の体は震え、涙で声はぐちゃぐちゃになっていた。緊張の糸が切れたのか、年相応の少女の反応を見せ、そして今、幼馴染の少年を締め落とそうとしていた。ミックはナターシャの頭を撫でていたが、顔から血の気が引いていた。

「おい、ナターシャ。この上なく綺麗に首を絞めているぞ」

「え……ぎゃあああ、ごめん!」

 アレンからの指摘がなければ、本当に気絶しそうだった。

「だ、大丈夫だよ。それよりごめんな、怖い思いをさせちゃったね」

「ううん、いいの。もういいの」

 少女の涙を拭う少年の頬にもまた、光るものが走る。彼女が体感した恐怖を想像し、振り払うように、少女の体を強く抱きしめた。

 アレンはふとイリアを見た。彼らを見るイリアは、嬉しそうに、しかしどこか寂しそうに笑っていた。二人の姿に、誰かの姿を重ねているようだった。

「ぐっ……」

 アレンはうめき声がした方に視線を向ける。最初に昏倒させた首領の男が意識を取り戻したようだ。まだ力は入らないようだが、男は周囲の状況を確認すると、四つん這いになって剣を地面に刺し、杖代わりにして立ちあがろうとしていた。

 アレンはゆっくりと歩み寄り、首領の男の前で片膝をついた。男は恐怖と警戒の色を浮かべながら、アレンを見上げた。

「我々が手も足も出ないとは。さすがは勇者になり損ねた男。十分に化け物だ」

「その言い方やめろ。それより、さっきミックに俺の知り合いを紹介した。あの奴隷たちを匿ってくれるだろう。彼らをそこに連れていけ」

 首領の男は何も言わずにアレンを見据えた。アレンは懐から包みを取り出すと、そこから銀貨を三枚取り出して、地面に放り投げた。

「これは依頼金だとでも思ってくれ。俺も用事を終えたら、そこに向かう。その時、万が一にも彼らがたどり着いていなかったり、俺の友人を傷つけたりしていたら……」

 アレンは首領の男の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「どこに居ようともお前を探し出して、けじめをつけさせてやるからな。わかったか?」

 びくりと震える首領の赤い瞳を、アレンは顔を近づけて覗き込む。アレンの深い黒の瞳を映す男は、恐怖にすくみ、何度か小さく頷いた。

「よかった。あと、もしミックがお前たちの部隊から抜けたいと言っても、止めてやるなよ。あいつにはまだ、ナターシャと真っ当に生きる道がある」

 アレンが立ち上がると、男は「おい」と呼び止める。

「奴隷だった彼らはともかく、ミックは貴様の知ったことではないだろう」

「そうだな。だが、明らかに向いていない。それはあんたもわかっているだろう」

「そんなことは百も承知。だが、だからなんだと言うのだ。彼の村は魔族狩りに遭い、ミックもナターシャも家族を失った。その怒りから、ミックは我々の隊に加わり、只人どもと戦うことを選んだ。その怒りを否定することなど、私にも、貴様にもできない。それとも、貴様は復讐など無意味だと断じるのか?」

 首領の男は、まるで自分のことのようにミックの思いを語った。実際、彼自身の思いも同じなのだろう。男の瞳は、アレンへの恐怖を払拭して有り余るほど、怒りに燃えていた。

「復讐に意味があるかは知らん。だが、あいつの手元にはまだ大切なものが残っている。失ったもののために、今あるものを失うのは勿体無いと俺は思う。そして、彼にはそれを選ぶ権利がある」

「……見かけによらず、お人好しだな」

「俺じゃなくて、彼女がな」

 アレンはイリアを顎で示す。

「ミックが死ねばナターシャが悲しむし、ナターシャが悲しめばイリアが悲しむ。そんな思いをさせるために解放したんじゃない」

「……」

 それに、奴隷として生き続けることと、大切な人を亡くした喪失感を抱いて生き続けることの、どちらがナターシャにとって苦痛かはわからない。

 助けたからには助ける前よりもまともな未来が待っていてほしいと願うのは、悪いことではないはずだ。

「もし、あのガキが復讐にこだわるなら、それもいいだろう。だが、そうでないなら、奴を手放してやれ。争いなんてのは、全部なくした奴らだけでやってればいいんだよ。まだ残っている奴らは、とっとと帰った方がいい。そう思わないか?」

「戦うことでこそ、守れるものもある。もし、戦いを捨てた彼らが襲われることがあったらどうする?」

 首領の問いに、アレンは数瞬沈黙し、今も互いを愛おしそうに抱擁するミックとナターシャを見て、目を細めた。

「その時は、俺が彼らを守る。言ったろ、彼らを預ける先は俺の友人でもあるんでね。そう簡単にやらせたりしない。それに俺は、魔族に優しい『色ものぐい』だからな」

 アレンが淡々と答えると、首領の男はふんと鼻を鳴らした。

「……『正義』の勇者みたいなことを言うのだな」

「何だって?」

「何でもないさ」

 首領の男はミックとナターシャを見遣り、ため息をついた。

「いいだろう。貴様の依頼を受けよう。彼らを送り届け、ミックが望めばあいつもそこに預ける。それでいいんだな?」

「そうだ」

 交渉成立だ。どんな形であれ、彼らの身を預けられる相手ができたことは幸運だったと、ポジティブに考えることにする。

「イリアもことも諦めろ。俺は彼女に危害を加えるつもりはないし、少なくもとお前らよりは護衛として適任だ」

 頭領の男は不満げに唸ったが、完封されてしまった立場として、反論もできない。

「仕方ないな……」

「どうも」

 立ち上がり、イリアたちの所に戻ろうとするアレンを、首領の男は呼び止めた。

「これから先、あの御方にはずっと戦いがついて回るぞ。戦いから距離を取ることなど不可能だ」

 言われなくたってわかっている。

「……何とかするさ」

 自信満々に言ってやりたいところだが、アレンの声は尻すぼみになる。それ以上のことは何も言えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る