第9話 魔王軍の敗残兵

 戦後、敗れた魔王軍は散り散りになり、その一部は身を潜め、野盗になって只人を襲う事件が多発していた。他にも、一部の敗残兵が魔族の復興を掲げて再起の機会を窺っているという噂を聞くが、彼らがどちらかなのかはわからない。

 だがいずれにしても、友好的な対応は期待できない。

「武器を捨てろ」

 一団の首領と思われる筋骨隆々の禿頭の男が、見た目通りの厳つい声で迫った。

「断る」

 アレンはにべもなく拒否する。

「状況を考えろ。圧倒的に不利だ。武器を捨てて降伏した方が利口だぞ」

「悪いが、その下りはさっきやったんだ。話があるなら、このまま話そう」

 部下の男が不愉快そうに詰め寄ってくるのを、首領の男が手で制す。

「いいだろう。では単刀直入に言うが、そこの奴隷たちを渡してもらおう」

 首領の男は詰め寄ってくる。

「彼女たちに何の用だ?」

「気になるか?」

「ああ。行きがかりとはいえ、彼女たちへの責任はあるんでね」

「ほう? 場合によっては戦うと?」

「……そういう問答は好きじゃないんだ」

 アレンと魔族たちとの間で緊張感が高まっていく。剣にかけた手は、次の瞬間には高々と振り上げられていてもおかしくない空気感に、見守るだけのイリアたちは固唾を飲んで見守った。

「ナターシャ!」

 ひりついた空気に水を注したのは、若い男の声だった。アレンたちを包囲する輪から一歩出たのは、十代後半くらいの若い魔族の兵士で、ボサボサ髪の下から覗く赤い瞳には、切実な思いが宿っていた。

 ナターシャはアレンの背から顔を出し、声の主の方を見た。少年と目が合うと、彼女は相好を崩した。

「……ミック? ミック!」

 ミックと呼ばれた少年は、目に涙を溜めてさらに一歩出ようとして、首領の男に止められた。

「君が奴隷として売られるって聞いて助けに来たんだ。もう少し待っていてくれ」

「君の知り合いか?」

 アレンが肩越しに振り返ると、ナターシャは大きく頷いた。

「はい。同郷の、その、幼馴染です」

 後半部分で何故か口淀むところは謎だが、彼女にとって敵ではないようだ。

「ミック、違うの。この人たちは、私たちを助けてくれただけなの」

「え?」

 ナターシャはアレンの前に出て、兵士たちとの間に割って入った。

 首領の男は、意外そうに首を捻った。

「本当だったら殊勝なことだが、何か裏があるとしか思えない。こう言ってはなんだが、この男はそんな純粋な奴にも、楽観的な奴にも見えないな」

 放っておけ、と心の中で毒づく。

「それはそうかも」

「マルギット、お前は黙ってろ」

 マルギットは口のチャックを閉じておどける。緊張感がない。

「あの、本当です。本当に解放するために買ってくれたのだと思います」

 ナターシャは食い下がった。整った顔立ちを恐怖に歪めながらも、それを押し殺して一歩前に出た。

「この男がか?」

「えっと、その、私たちを買ったのは、彼ではなく……」

 ナターシャは続く言葉の代わりに、視線をイリアに移した。

「その少女が?」

 イリアはおずおずと前に進み出て、震える体を押さえつけるようにして、首領の男と向き合った。

「奴隷をこれだけ買う金を、君はどうして持っていた? 貴族の娘か何かか?」

「いえ、私は……」

「その子供、魔族なんだ」

 奴隷の一人がそう言うと、首領の男は一瞬驚いた顔をして、その後は納得したように頷いた。

 余計なことを言ってくれたものだ。イリアも勘づいたのか、アレンをちらりと一瞥した。だが、ここで誤魔化すのは不審に思われる。アレンは仕方なく頷いた。

 イリアは変身魔法を解くと、本来の姿を見せる。肩までかかる美しい銀髪、赤い瞳をした十二の少女。つまり、魔王の血縁者だとされる、手配書に記された通りの少女の姿だ。

「君は、いやあなたは……」

 あなたはと来た。首領の男は恐らく頭の中にある手配書の似顔絵と照らし合わせ、間違いないと確信したのだ。それは男の部下たちも同様で、少し高揚したざわめきが起こる。

 ナターシャや他の奴隷たちは彼らがなぜ興奮しているのかわからないようだった。長い期間拘束されていれば、外の事情など知るはずもない。

「あなたであれば納得です。なんて僥倖だ。あなたの話を聞き、お探しせねばと思っていたところです。さあ、我々とともに参りましょう。あなたを守護し、本来あるべき所にお連れします」

 一人で納得したと思ったら、勝手に一人で話し出した。鬱陶しい奴だ。話ぶりからして、この集団は魔王軍の敗残兵に違いない。 

 イリアは反射的にアレンの背に隠れた。彼女が今まで会ったことのないタイプの大人だろう。自分の三倍以上は生きていそうな屈強な大人が突然へり下り、何かを期待するような目で見てくる。子供の気持ちを考えると、憐れみもひとしおだ。

「不要よ。この子は行かないわ。あいにく、護衛は間に合っているの」

 割って入ったのはマルギットだ。マルギットも変身魔法を解き、魔族であることを見せた上で、男の提案をキッパリと拒絶した。

「護衛?」

 首領の男は興奮の笑みを引っ込め、冷めた顔でマルギットとアレンを交互に見やった。男はゆっくりと歩き、アレンの前に立った。

 沈黙のまま、数瞬こちらを見下ろす。面倒な流れだ。これで「お前が彼女の護衛として相応しいか、腕試ししてやる」などと言われた日にはたまったものではない。

 だが、実際にそうはならなかった。言われる前に手が出てきたからだ。

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